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倶利伽羅峠の牛はどうなったのですか?

倶利伽羅峠でたいまつを付けた牛は平家と一緒に谷底に落ちてしまったのでしょうか?

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  • lions-123
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回答No.2

>だとしたら倶利伽羅峠に牛の供養塚があるのは何故なのでしょうか? 輜重部隊・荷役に牛馬が使われたり、その一部が奇襲の尖兵として闘牛のような突進を試みたのかもしれませんね・・・ それを公家集団に近い厭戦ムードの平家軍は富士川の水鳥の羽音に驚き尖刃を交えず一目散で逃げたように倶利伽羅峠周辺の戦も木曽勢の突貫に、驚き逃げまどい谷底に落とされ死屍累々となり阿鼻叫喚の地獄絵となったのでは・・・ その敗戦の責任逃れと釈明に、牛の突進の奇想天外な作戦をねつ造・誇張したものと思われる。 後世、それが講談や浪曲や噂話になる中で、話に尾ひれが付き誇張歪曲され、「火牛の計」の物語・フイクションが形成されたものと思われる。(義経の八艘とびのごとく) 供養塚は史実そのものでなく、真偽は定かでない民話や俗説に起源はあっても、牛馬を悼む憐憫の情、火牛の計を想起させるエピソードが存在したことから慰霊の為に建立されたのではないかと思考します。 ※関連記事 http://www.geocities.co.jp/drpwd695/kurikara/kurikara.html http://www.geocities.jp/sisin9monryu/kurikaratouge.html

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございます いずれにせよ倶利伽羅峠の戦いを機に平家の世が崩れ落ちていった事だけは事実のようですね

その他の回答 (1)

  • lions-123
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回答No.1

>倶利伽羅峠でたいまつを付けた牛は平家と一緒に谷底に落ちてしまったのでしょうか? 史実でない、もしくは奇想天外で極端な誇大表現の脚色シーンでありますから、実際に大量の牛の死骸は倶利伽羅峠に埋もれていないし、現実に牛を徴発されたり供養する農民の証拠資料も遺跡もありませんです。 火牛の計 の、講談や浪曲風のアレンジと引用による義仲軍の寡兵での大勝利のエピソード、平家の弱さや敗因の謎解きに、倶利伽羅峠の戦の山場として創作伝聞されたのでは・・・ http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%80%B6%E5%88%A9%E4%BC%BD%E7%BE%85%E5%B3%A0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_%E5%80%B6%E5%88%A9%E4%BC%BD%E7%BE%85%E5%B3%A0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81

azuki-7
質問者

お礼

だとしたら倶利伽羅峠に牛の供養塚があるのは何故なのでしょうか?

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