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バルバロッサ作戦 どうすれば?
バルバロッサ作戦というか独ソ戦で質問です。 かなり大雑把な記事でヒトラーが余計なことをしなければ、 勝てたという記事を読みました。 ヒトラーがした余計なこととはなんでしょう? 昔読んだ本では、ロシアの冬が寒すぎた、冬前後の ぬかるんだ道路状況とありましがヒトラーの判断は関係ないですし 、モスクワ方面攻略と南方資源地帯攻略で兵力を絞り切れず どっちつかずになってしまった、死守命令を連発して 機動防御をせずに兵力を無駄にしてしまった、 とかありましたがそれのことなんでしょうか? ものすごく後知恵ですが、もしかしたら、無理だったのかもしれませんが 、どうすれば勝てたのでしょう?
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死守命令?負け戦をひどくしただけです、死守命令出してる時点ですでに負け戦です。 南方攻略?モスクワからの工場疎開がされていた以上相手はモスクワが落ちても戦う気です。モスクワ落としても交通線を少し分断するのと相手の士気を少し落とすだけです。 ウクライナとバクーを落とせばソ連生産の原油と食料の大半を奪えます。両方落とせるわけがない以上どっち落とすってなったら当然南方でしょう。そもそも北方は落とせるか怪しいですし。 ですがソ連の南方資源地帯を奪ったところでドイツの継戦能力はあがりますが、おそらくロシアの継戦能力はレンドリースによりかなりの部分維持されます。 南方資源地帯を全て奪いイラン鉄道ルートを閉塞し、北極海輸送ルートを封鎖しはじめてソ連の継戦能力は大幅に落ちます。史実でそれが可能だったかと考えると、おそらく不可能でしょう。特に北極海ルートをドイツ海軍の力で封鎖はおそらく不可能です。しかもそこまでやってもスターリンだったら断固抗戦しそうな気がします。つまりヒトラーが間違ってるのは対ソ開戦そのものであり、ヒトラーの判断は対ソ戦において序盤はそう間違ってないがそもそも戦いを始める時点で無茶な戦いだったという結論しか出ないと思います。
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- jkpawapuro
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モスクワを落とし反共勢力を味方につけたらどうなるか・・・ たぶんナチスにつくロシア人はほぼいません。モスクワ落としても致命傷が与えられないのでまあ勝つのは無理と思います。
お礼
勝つのは無理だと思います、が、 いろいろとネット上で調べてみたら、 ドイツに協力した人、しようとした人たちは そこそこいたそうです。大半は 幻滅して対ドイツになってしまったそうですが。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (816/3045)
「ソ連先制攻撃(を目論んでいた)説」攻撃目的か攻勢防御目的かわからないですが面白いですね。 先程の回答を否定するわけでもないですが、皆さんの回答を全体的に俯瞰して少し視点が小さくなりすぎているような気もしました。 さてナチスにとって東方進出はイデオロギーの根幹みたいな部分があり、戦略的判断と思想的目的が対立したまま無茶な対ソ戦に踏み切ったのは異論がないと思います。 ですがそこでドイツ陸軍に十分な作戦準備が無い、これは思想がどうあれ開戦する以上はよろしくないでしょう。日本が対英米(蘭)開戦に踏み切るにあたり英国の東・東南アジア植民地を片っ端からスパイを作り調べようとしたように、ドイツ陸軍の参謀部をヒトラーが完全掌握し詳細な調査・作戦準備をさせる、これが本来国家の最高指導者として必要だった部分、命令で欠けていた部分かもしれません。山本五十六が無理な戦争を命じられて真珠湾奇襲をひねり出したように(それは大袈裟にしても)、ドイツ陸軍参謀部も本気で考えればもう少し補給のしやすいルートを中心に攻めるなど工夫があったことでしょう。 何かこれをやればドイツが勝てるなんて都合のいい物はあるわけないですが、ヒトラーの対ソ戦に何が間違ってる・欠けているかとなればこの部分だと思います。戦争は補給でするものを典型的に表したのが独ソ戦で、そのための準備が100%できていたかとなると、そうではないでしょう。 ただし史実でもゾルゲに通報されていたように、ドイツが綿密な準備をすればするほど情報漏えいのリスクがあがるので、奇襲効果がなくなり史実以上にドイツに不利に働いた可能性も結構あります。
お礼
回答ありがとう。 ヒトラーが余計なことをしなくても、無理なものは無理、 ということですか。せめて、もう少し、 下準備があれば、ということかもしれませんが。 ソ連は広大なので本気で勝とうと思うなら、 親ナチス政権をロシアに作らないといけないけど、 イデオロギー的に無理だった、と。 別の質問で起こしたほうがいいかもしれませんが、 南方よりモスクワを優先して、早期に攻略、 モスクワ中心に親ナチス政権を作り、反共、 反ボリシェビキ勢力を味方につけて、戦えば どうだったでしょうか?書いていて自分でも 無理だなと思いましたが。
- eroero4649
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独ソ戦におけるヒトラーの最大の過ちはなんといってもスターリングラードに固執して第6軍を包囲させてしまったことでしょうね。とはいえ、「あれがなければ勝てたか」というとそうでもなかったのが難しいところですけどね。 こういう話ってまあだいたい「負けた側のミス」ってのが批評されるところですが、勝った側つまりスターリンとてミスをしていないわけではありません。バルバロッサ作戦のキエフポケットでソ連軍は45万もの捕虜を出しています。普通の軍隊ならここで「勝負あり」となってもおかしくないレベルです。また1941年から42年にかけての冬季反攻作戦で、ドイツ軍全軍崩壊を狙ってスターリンは全戦線での総反撃を命じましたが、これはいくらなんでも時期尚早で貴重な戦車戦力を使い潰してしまってこれが翌年の青作戦を呼び込むこととなります。もしこのときの反撃をドイツ軍の中央軍集団に限定していれば、そのときの1942年の状況は史実の1943年の状況となった可能性があります。まだこのときはドイツ軍は5号戦車も6号戦車も用意できませんでしたから、かなりドイツ軍不利だったでしょう。 また「補給線」という視点から見ると、鉄道網や道路網が貧弱だったソ連ではドイツ軍の装甲集団の補給を支えられるルートとなるとほぼ史実通りのものしかなくなるので、思うほど選択肢もなかったと思います。 結局のところ「対ソ戦を始めた時点で負け」ということになるわけですが、では「対ソ戦をやらなければドイツが勝てたのか」というとこれまたそうとも言い切れないと思います。 バルバロッサ作戦のときのソ連軍の最大の謎が「国境地帯に異常に部隊が集中配備されていたこと」です。このため装甲師団に突破されてしまって一網打尽にされて大損害を出したわけですが、ロシアというのは広大なので、国防という視点から見れば部隊を縦深的に配備するのが原則です。しかしバルバロッサ作戦のときにソ連軍には後方に予備部隊はほとんど配備されていませんでした。特にこういったときに機動予備となるにふさわしい戦車部隊も国境近辺に展開されていました。 しかしこれ、「防衛」という視点から考えるから腑に落ちないわけで、「むしろ攻撃を考えていた」ならそこはおかしな話にはならなくなります。特にソ連は1939年にノモンハン事件で日本軍に対して「ソ連ショック」を与えており、そういう意味では後顧の憂いを断ってもいたわけです。もちろんもう今となってはスターリンが何を考えていたかを知る術がないので本当のところは分かりません。しかし近年の研究ではこの「ソ連先制攻撃(を目論んでいた)説」は注目を集めているようです。 しかしだとしても、いやだとしたら、あのゾルゲが恐ろしいほど正確にドイツがバルバロッサ作戦の内容をスターリンに報告していたのに、スターリンがそれを全く無視した理由もまた分からないのですけれどもね。
お礼
回答ありがとう。 最初の質問とは離れてしまいますが、 スターリンの判断も謎ですね。
- whaihansei
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NO1です。 モスクワを占領したとしてもさほど 大きな意義はなかったでしょう。 と言うのは、工場等疎開されていたし、さらに スターリンをはじめとして疎開しただろうから。 政治的効果はありますが、降伏させられたわけ ではないでしょうから。 街が燃やされたか? かも。 がモスクワ占領が目的でもなし。 ナポレオン敗退に近いのはスターリングラード 攻防戦かもしれませんね。 逆包囲され降伏した兵士はシベリアまで徒歩で モスクワ経由で移動させられました。モスクワ では市民から石を投げつけられました。 帰国できたのは40万人のうちの確か5千人ほど でした。 独ソ戦は歴史上最大の地上戦でした。 41年 ドイツ軍、ソ連奇襲。奇跡的に持ちこたえる。 42年 ドイツ軍、再度の攻勢。 43年にかけての冬季、スターリングラードで 大敗。 43年 クルクスで夏季でも大敗。 以降、西へ撤退(押し戻される)。 44年 ドイツ国境に迫る。英米連合軍フランス上陸。 (この年、スターリンは戦争よりも東欧に親ソ 政権作りに奔走。) 45年 ドイツ領に侵入。 4月、ベルリン包囲。市街戦。ヒットラー自殺。 5月、ドイツ降伏。 英米連合軍はエルベ川(ベルリン西方) まで来ていた。 (余談ですが、歴史上初の、そして最大の空母決戦が 太平洋戦争でした。)
お礼
回答ありがとう。 モスクワを落としても、無理。 南方も兵力が足りない。 結局無理と。
- zep19
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はじめまして アメリカでも有名な戦史家・ゲームデザイナーの山崎雅弘氏の『宿命のバルバロッサ作戦』という良書が出ているので御一読あれ 要約すると ドイツ軍の勝てなかった理由として 【兵站の破綻】 ドイツ軍はソ連の鉄道、道路網の実状を誤認していた 開戦後、ソ連の鉄道・道路網が主要幹線以外全く整備されておらず 雨でも降ると主要街道以外での装輪車両の通行が極めて困難になった ドイツ軍はしばしば数倍の敵を撃破していたが 例えば1両の戦車を撃破するのに数倍の弾薬を消費する (特に撃破するのに困難なT-34なら更に消費弾薬が増大する) その為、補給は弾薬が優先され、今度は燃料や修理用部品が不足し、稼働率が落ちた モスクワ攻略のタイフーン作戦で装甲師団の受領した燃料は2単位(通常大会戦前は4単位)で2分の1 衣類が優先順位が下位であった為、冬季戦で凍傷者が続出した つまりドイツ軍の補給網整備が主要鉄道の改軌で手一杯だった 【陸軍内の見解不統一】 陸軍は開戦20日以降の具体的な作戦を漠然としたものしかもっておらず、陸軍参謀本部の失態であった(当然の如く上記の兵站の破綻も責任がある) しかも総統指令21号で戦略目標をモスクワからレニングラード、キエフに変えたにも関わらず キエフ戦終了後にレニングラード攻略を諦め、モスクワ攻略に変えた為 特に陥落寸前のレニングラード前線の北方軍集団の将兵の士気を著しく下げてしまった等 他にもバルカン作戦で開戦時期が遅れた、1941年の秋雨、冬の到来が例年より早かった等挙げられるかも知れませんが…
お礼
回答ありがとう。
- ithi
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sg10000 さん、こんばんは。 1941年6月にバルバロッサ作戦は独ソ不可侵条約をヒトラーが破ってソ連領内に進攻した作戦です。 モスクワ方面攻略と南方資源地帯攻略で兵力を絞り切れず 国防軍の将軍たちはいち早くモスクワを陥落させるというクラウゼビッツの戦争論を地で行くような作戦を主張しましたが、ヒトラーはドイツには石油を含む地下資源が不足してたので、こちらの確保が優先だと考えました。おかげでモスクワ攻略は1か月遅れの9月になってしまい、泥沼の道などで難渋することになり、補給船も伸び切っていたため、結局撤退することになりました。 死守命令を連発して 機動防御をせずに兵力を無駄にしてしまった、 これはおそらく、スターリングラードの攻防戦でしょうね。撤退を許さずその場を死守するんですから、ドイツ得意の機動防御ができません。 どうすれば勝てたのかというのは実はわかっていません。 モスクワを占領しても、ソ連軍が健在では奥の方からいつ出没してくるかわかりません。 また、ドイツ本国からの補給線も伸び切っており、ウクライナの地下資源を当てにしてもせいぜい、ウクライナを維持するくらいでしょうか?いずれにせよドイツの国力ではソ連に対抗するのは1年以上は無理だったでしょう。 スターリングラードの攻防戦 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E6%94%BB%E9%98%B2%E6%88%A6#.E3.82.B9.E3.82.BF.E3.83.BC.E3.83.AA.E3.83.B3.E3.82.B0.E3.83.A9.E3.83.BC.E3.83.89.E6.94.BB.E9.98.B2.E6.88.A6.E3.81.AE.E5.BD.B1.E9.9F.BF バルバロッサ作戦 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B5%E4%BD%9C%E6%88%A6 独ソ戦 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E3%82%BD%E6%88%A6
お礼
回答ありがとう。 どちらにしても、無理ということで。
- whaihansei
- ベストアンサー率23% (227/983)
ドイツ国防軍(ドイツ軍)は広大な領土を持つ ソ連との戦いには反対でした(当然ですよね)。 少なくともやる以上は、モスクワを直攻する 戦略を提案しました。 が、既に独裁権を確立したヒットラーは 南方資源の確保を優先し、モスクワ攻略を 後にしました。 6月22日に侵攻して以来、モスクワ進軍は 雪が降り始めた10月に許可がおりました。 そしてモスクワまで40KMに到達した12月、 反撃にあいドイツ軍は初めて押し戻されます。 そして再度モスクワに近ずくことはありません でした。 この12月7日(日本時間8日)、ハワイで 日米戦が始まりました。 これを見越した「シベリア軍団」が移動され モスクワ近郊に配備されていたのです。 (シベリア軍団:スターリンにより無実の 罪で処刑されたソ連機甲師団の生みの 親「トカチェフスキー元帥」の部隊で シベリアに左遷されていた軍団。当時 世界最強の機甲師団であった。 「世界最強」はこの数年後、世界により 認められたものであるが。) もしもヒットラーが当初の作戦月、5月に 中央軍団にモスクワ攻略を命じていたら雪の ちらつく前の8月にはモスクワを占領、または 攻撃を始めていた可能性があります。 ただし「モスクワ占領」は「勝利」をもたらした ものではなかったのではないでしょうか。 スターリンはさらに奥に逃げ込み戦いを止めな かったでしょうから。 それだけ「占領政策」が過酷だったからです。 戦略目標は「スラブ人の奴隷化」だったのです。 こうして「狂喜のナチスドイツ」は自滅した わけです。 一国で東西ヨーロッパ全域を支配できるわけが ないではありませんか。 もし「勝つ」としたらずっと以前、チェンバレン との融和でやめていたら、になるのではないで しょうか。
お礼
回答ありがとう。 独ソ戦でドイツの勝ちは無しですか。 余計なことをしなくても。 違う質問になってしまいますが、もし仮に モスクワ攻略が成功しても、ナポレオンと 同じことになってしまうのでしょうか?
お礼
回答ありがとう。