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なぜ日本人は死体に嫌悪感、恐怖感を感じるのか?
どうやら、日本人は死体を あまり見慣れてらしくて、 死体の写真を見ると 嫌悪感を示すのか? 死体なんて、肉屋やデパートに 行けば普通にあるのに、 何を恐れるのだろうか? 嫌悪感とは? 美人、歴史カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております!
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フィリップ・アリエスの「死と歴史」という本の「タブー視される死」の章で、西欧で1930年から、1950年頃に人々の死に対する態度が変わったと言っています。 それまでは、人はみんな家族に囲まれて、我が家でみんなに見守られて死んで行ったものだったが、それ以降、死はタブー視されて、みんな病院で死ぬようになった、つまり死は人々に見えないものになった、その結果、死はまるで交通事故にでも遭ったように考えられるようになった、と言っています。 それ以前の、自分の家で死んでいた頃は、死は身近な出来事で、生と死は断絶ではなく、連続で、つながっているものでした。 子供たちは、自分の祖父母や、自分の両親の死に立ち会うことで、死になじみ、死を親しいものと考えていましたが、今は死はみんな病院で死ぬので、死がまるで病気の一種のように思われ、死は見慣れないものになりました。 社会の中から、家族の中から、死は排除されたのです。 出来るだけ見ないように、見えないように。 その結果、死は突然やってくる交通事故のように思われるようになりました。 あたかも「自然災害」のように。 死は「理不尽」とか「不条理」だとか見做されています。 昔は人が死ぬと家まで運び、町内の人々も訪れ、家族だけでなく、町内の人々も生前の世話になったことを感謝しながら、家族の後ろで死を見守ったものでしたが、今は病院で死ぬと、まるで不潔なものでもあるかのように人々の視線から隠し、火葬場に直行しています。 町内の人たちはいつ死んだか分からず、死んだ後から知らされる。 こうして死は人々の目から「隠蔽」され、タブー化されました。 古代の昔から、死はタブー視され、「死穢(しえ)」と言って、死者を忌み嫌ったものですが、今の時代、死は身近なものでなくなって、私たちの視界から排除され、あたかも生が永遠に続くかのような錯覚に陥っています。 死が存在しないから、緊張感が無くなり、覚悟もなくなっており、自分が死に直面すると、「なぜ、私なの? どうして他人でなく私なのか?」といって、怒り出します。 あなたは、「日本人は死体を見慣れていなくて死体の写真に嫌悪感を示すのか?」と言いますが、日本人に限らず、それは世界的な現象です。 「死体なんて肉屋やデパートに行けば普通にあるのに何を恐れるのだろうか?」と言いますが、肉屋やデパートで人間の死体が売っているわけではありません。売っているのは、豚や牛や鳥の肉だけ。 恐れるはずはありません。 人間の死体が売っていたら、恐れるでしょうが・・
その他の回答 (3)
>死体なんて、肉屋やデパート ですが、遺体はないでしょう。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
- catpow
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海外の刑事ドラマをみていて、日本人以外でも、死体を見ると普通に驚いていますし、嫌悪というか怖がっています。 ですから、死体の写真に対しても、日本人以外も似たような反応だと思いますけどね。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
- 20160101
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回答とは少し遠いかもしれませんが、井沢元彦さんという作家は、日本人は死を嫌う穢れ思想を持っていると言っていました。 井沢元彦さんの本を読むとヒントがあるかもしれません。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
お礼
ご回答のほど、 頂いたのでベストアンサーを差し上げます!