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嫌悪感との付き合い方
人や自分やモノや出来事に対する様々な嫌悪感に対して 皆さんはどのように折り合いをつけていますか? また嫌悪感の正体って何なんでしょうか??
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- JestersBook
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嫌悪感って何も手につかなくなるし、そればっかり考えて気分がどんどん落ち込みますよね。ホント、鬱陶しいことこの上ないです。 私の場合の対処法は 1)物理的に離れられるものであれば近寄らない 2)離れられないなら、嫌悪感を仕方ないものとしてあるがままに受入れる ですね。 特に自分に対する嫌悪は直そうとして直るものではないし、嫌悪しているモノもされているモノも自分なので引き離せないですよね。結局、「どうしてこうなんだろう」「どうしてこうなっちゃったんだろう」は、それが一番自分らしいから「そうなった」のです。そしてそれを嫌う自分とは、親や社会から受け継いだ厳しさであったり、自分自身のもつ理想像であったり、上手くやりたいという願いであったりします。自分が持つ「こうなって欲しい」が「ならない」だから「嫌い」。その気持ちが深く深く大きいから、苦悩になってしまうんでしょう。 「嫌いな自分」って子供の頃から変わってないんですよね。子供と一緒です。子供のまんまなんです。ある意味、もっとも自分らしくて素直な部分でしょう。 そして「嫌う自分」とは理想像や願い、向上心という「どちらかいえば指導する自分」です。これは今まで培ってきた価値観をもつ自分です。まあ、言って見れば「子供らしい自分」を「どやしつける親」のようなもんです。 なので「あるがまま」に受入れるというのは「子供の自分」「自分らしい自分」を受入れるということ、そしてそれを嫌う自分は「成長しようというあかし」として喜ぶべきものだとして受入れるってことですかね。子供がすぐに立派な大人になれるわけじゃないし、人って一生を掛けてゆっくり成長するもんでしょう。なかなか変わらない子供にイライラする親は多いんですが、自分自身にもイライラしちゃうわけです。なんともやっかいなもんです(笑) つまり「嫌いな自分」も「嫌う自分」も一生懸命なんだ。ということですね。そろそろどちらも受入れてあげても良いと思います。 ただ「受入れなければならない」とは考えない方がいいです。何事も「完璧にはできない」ですし、全てはそうあれかし、「あるがまま」として「そんなもんかな」程度で、ゆっくり眺めるような気持ちで少しずつ受入れるのが良いと思います。 ーーー 嫌悪感って身体的・生理的な嫌悪(不潔なものなど)と、倫理的・道徳的な嫌悪(気持ち的なもの)があるとのことですが、苦労するのはいつも後者ですよね。 よく「嫌い」が積み重なると「嫌悪」になると言う人がいますがたぶんそれだけではないですね。「別段悪いところもないし初対面なのに嫌悪を抱く」ことは結構あるようですので。 まあ、上の記載は特に「自分に対する嫌悪感」に絞りましたが、的を外していたらすみません。
- tsufujifuji
- ベストアンサー率15% (213/1332)
あれま。#1さんとは、全く逆。うつだった私からしてみれば嫌悪は、うそをいってる自分。そんな自分をうけいれる。 #1さんの考え方すごく可愛くて好きだ。いいなー。
- oignies
- ベストアンサー率20% (673/3354)
かんがえすぎないことです。 とくに他人のことについては、きにしすぎないことです。 他人は他人、うちに帰って一人の部屋にこもればもうだれもはいってこられません。 いずれにせよ、嫌悪感というのは、頭のなかでかんじるものです。勝手に大きくさせたら自分がそんです。かんがえすぎない、のひとこと。 あとは、かるくながせるものについてはながす。 みにくいものについてはみつめない。