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彩色の精神
閲覧ありがとうございます。 社会学者の真木悠介さんが『気流の鳴る音』という本の中で、「彩色の精神と脱色の精神」というテーマで文章を書いています。 おおざっぱに言うと、様々な日常の些細な物事に好奇心を持ち、その一つ一つに意味付けをし、楽しむ姿勢(=彩色の精神)が近代人には欠けているのではないか、権力や勝ち負け・金といった一つの物事・意味に執着する合理的な考え方(=脱色の精神)にとらわれすぎではないか、という趣旨の文章です。 権力や金は、人生の合理的な目標と言われる割には、それらの価値自体が合理的に説明できない、と真木は説明します。 もちろん人が生きていくには権力や金はある程度必要ですが、真木が現代に生きる私たちに何を問いかけようとしているのかが気になります。 皆さんが真木の主張に感じた事を、自由に書いて頂けると嬉しいです!
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- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
foosun様、こんばんは。 ご質問を拝見いたしまして、 「とらわれ」から自由になる、ということを思いました。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
この人は、大嫌いなんですが、この主張には賛成です。 1960年と現在、豊かさは5倍以上になっています。 で、日本人は5倍幸福になったでしょうか。 近代化される以前のアフリカなどの原住民は 自立自尊が出来ており、誇り高く生きていました。 しかし、数字で見れば貧困そのもので、 そのため、先進国から色々な援助がされるように なりました。 その結果、こんな援助じゃ少ない、と不平不満 ばかり言うようになりました。 幸せてのは、日常の生活の中にあるのです。 宝石箱をひっくり返したような朝が来た。 嫁さんの笑顔で癒やされた。 今日のご飯は美味しかった。 そういう日常の積み重ねが一番大切だと 思います。 天地は偉大だ。しかし、最も偉大なのは 食べることである。 必要なモノは総てあるのです。 豊かになろうとして、貧乏になっているのが現代人です。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
あなたに見えている世界は、誰にも同じに見えている訳ではない。 人類の遺伝的特性や個人的な経験など、異なる要因が潜在している。 実際に「見ている」のは、網膜上に到達した光子=量子相互作用で あり、五感の相関した経験の蓄積において、新たな視覚や聴覚など 情報性の高い先行感覚の感受に対して、味覚や触覚などより生理的 な部分を励起させる=そこに行けば何が起きるか予測する事が、 空間の広がりを生んでいるのだ。 人は誰しも、認識力の深まりとは関係なく同じ物を見ていると思い 込みがちだが、実は認識を深める努力を怠る事は、何も考えずに 反射的に動くだけの自販機に近づく事だ。 人の生きる真の目的たる「人生を通算した精神的充足量の最大化」 において、外なる目に見える達成度だけではなく、心の側の自律的な 意志の強さ、結果を把握する認識力など、内なる心の要因も主要な 要因となる。 社会的に使役されるための詰め込みの知識に留まり、お金や出世、 虚栄心といった社会的二次情報に流されるのではなく、物事の原理と 自己の本質を把握し、自己の可能性と環境の可能性の間に自律的生を 描く事で、より鮮やかな世界におけるより深い幸福感を最大化し得る。
- oyatsuya
- ベストアンサー率21% (111/517)
私は彩色の精神で生きてます。それが私だから。 脱色の精神は私じゃないけど、必要な時は発揮します。
お礼
遅くなりましたが、回答ありがとうございました!