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歴史教科書問題について

内容についての質問ではありません。 日本と外国との間でよく問題になりますが、小学校でも中学校でも高校でも授業が問題になるところまで進んだ記憶がありません。 皆さんはどうでしたか? どちらかと言うと授業の進み方の遅れが「歴史教科書問題」だと思うんですが。

質問者が選んだベストアンサー

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  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1057/1649)
回答No.5

自分の場合は、そうでもありませんでした。一応、小中高とも第二次大戦くらいまでは進んでいたように記憶しています。まあ、中学校では、穴埋め式プリントをどんどん埋めていくだけという、かなりの駆け足授業で近現代史をやっつけていましたが、高校では、日本史の近現代を3年生の選択科目として独立させていて、けっこうちゃんと勉強しました。

OYADI013
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 きちんと教えている学校も沢山あるんですね。 参考になりました。

その他の回答 (4)

noname#224207
noname#224207
回答No.4

>どちらかと言うと授業の進み方の遅れが「歴史教科書問題」だと思うんですが。 遅れというよりも、遅らせている、というのが実態です。 近現代史の何をどのように教えるか、という点について、戦後論争が絶えませんでした。 現在はほとんど使われませんでしたが、イデオロギーなるものが日常会話にも上がるほど盛んに議論されました。 ソ連は社会主義思想を浸透させようと活発に活動していました。 これに呼応する組織も沢山ありました。 「うたごえ喫茶」などというのもその活動の一環です。 ロシア民謡が盛んに謳われました。 60年安保闘争、70年安保闘争などの学生運動家たちも同調していました。 ベトナム戦争反対運動には芸能人もひと役かっていました。 労働組合運動も盛んに行われていました。 鉄道のストライキなど年中行事でした。 教育界では日教組が極めて強い影響力を持っていました。 自由主義、資本主義経済を基本とする、財界や保守政権は抑え込みにかかります。 学生時代は社会主義思想、会社へ入れば自由主義思想ということが極普通のことでした。 二十歳でマルクスにかぶれない奴はバカ、三十歳でマルクスにかぶれている奴は大バカと言われていました。 このような社会情勢が長く続き、教育界も混乱していました。 現場の先生もうっかりしたことは言えませんでした。 社会主義国家の原爆は善で自由主義国家の原爆は悪、などという議論がまかり通り、広島、長崎への原爆投下すら教えることが難しい時代が続きました。 結果として、高等学校や大学の入試問題の範囲から除外されました。 うっかり問題をつくると大学内部で激しい論争が生じてしまいます。 結果として近現代史を教えなくても済むような時間配分をします。 この習慣が定着して現在も続けられています。 教育界というのは恐ろしく権威主義で保守的です。 >皆さんはどうでしたか? 私立の学校や公立でも校長以下先生の考え方次第で、最後まで教えていた学校もあります。 蛇足 社会主義思想というのは思想、制度の拡大を目指す考え方を基本として持っています。 現代中国が覇権主義と言われるのは、個々の中国人の問題ではなく、共産党政権の必然的な結果です。 ソ連という体制が崩壊した今日、中国政府の言動が目立つというだけのことです。 毛沢東思想を浸透させるために、日本へ運動員を送り込むなどという手段は採られていません。 資源などの経済権益を目的に金にあかしてアフリカ諸国を抱きこむという程度です。 かつては、ソ連の爆撃機が連日日本列島を周回していました。 東京急行と呼ばれていました。 スクランブルをかける自衛隊機のパイロットと顔なじみになっていました。

OYADI013
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ちょうど私が子供の頃が仰っているような状況でした。

  • gesui3
  • ベストアンサー率50% (95/187)
回答No.3

おっしゃる通りです。 家永三郎氏が、遠近法的叙述で古代はあっさり、近現代を詳しく書く教科書をつくられたのに、文科省の検定で不合格にされてずいぶん経ちました。あの昔から、わが国の支配者たちは近現代史を隠し、次世代に伝えたくなかったのでしょうね。なぜって、知られるとまずいことをした支配者たちの子孫が支配層に居座り続けたからです。それが日本の歴史問題の不幸のそもそもの始まりです。

OYADI013
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「家永問題」とは記述の内容だけではなく、教科書のあり方までトータル的に見なければならなかったという事ですね。

  • notnot
  • ベストアンサー率47% (4900/10358)
回答No.2

質問内容とタイトルが合ってないですね。タイトルに吊られて質問と関係ない回答が付いてます。 私の経験でも同じです。歴史の授業を石器時代から始めるという順番が悪いのかと思います。 もっと前半は集約してもいいかと思います。例えば、公地公民が荘園化でくずれて、それが武士の時代につながるという授業は、いいと思うのですが、それが三世一身法と墾田永年私財の法と二段階で進んだと言うことの理解が要るのかどうか。 ただ、入試では議論の分かれるシビアな時代はあまり出ない気がするので、受験勉強と言うことで言うとそれでいいのかもしれません。

OYADI013
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ちょっと質問の立て方が適切ではなかったかもしれない点は反省しています。 確かに、順番に学ぶ必要はないかも知れません。 「歴史の授業」という先入観から離れた教育が必要かも知れません。

回答No.1

教科書ではなく、戦後70年が経過してもまともな戦後教育ができない体制こそが主病巣と言えます。教科書なんてその一部に過ぎません。寧ろ、歴史をせめて政治史、文化史、戦史ぐらいに分けて独立させなければならないが、日本の大学の現状を見るとお話にならない。 授業なんてのは氷山の一角に過ぎない。

OYADI013
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 歴史の学び方を見直す必要がありそうですね。

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