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日本はどこと戦っていたのですか?

第二次世界大戦の時 日本はどこと戦っていたのですか? 日本の敵はどの国だったのでしょうか? アメリカとソ連でしょうか?

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回答No.6

こんにちは。 中々、あなたの希望通りの回答がないのでしょうか? 私は、自称「歴史作家」です。 まあ、簡単に言ってしまえば、アメリカやイギリス、ソビエトetcと言う答えになってしまうのですが、背景から見て行きましょうか・・・。 これは、一番分かりやすいところから話を進めましょう。 <ドイツの情勢> 1914年から始まった第一次世界大戦で、ヨーロッパでは1919年に締結された「ヴェルサイユ条約」により、ドイツやオーストリアは領土の一部を損失し、新たに誕生したポーランド、チェコスロバキア、リトアニアなどに組み込まれてしまいました。そして、1922年にフランスがドイツに賠償金支払を要求して、金で払えないならとルール地方を占領したことにより、ドイツ国内では、社会不安が増大して急激なインフレが発生してしまいました。また、ヨーロッパ各国でも、世界情勢の不安から「世界恐慌」とまでいわれたように、経済状態は悪化の一途をたどっていました。そんな中で登場してきたのがドイツのアドルフ・ヒトラーで、1933年にヴェルサイユ条約の打破と国家が一丸となって経済を立て直す「国家社会主義」(=ナチズム)を提唱して首相に就任し、1933年、「国際連盟」を脱退。翌1934年には総統に就任し、軍備増強と公共事業の拡大政策を打ち出して、1935年にはヴェルサイユ条約にあった軍備縮小項目を破棄して再軍備を拡大していきました。 <イタリアの情勢> イタリアでも、第一次世界大戦の後、国内経済状態は悪化していましたが、1922年ファシスト(結束主義)党を率いるベニート・ムッソリーニがローマに進軍、そして、経済の立て直しのために輸出を拡大しようと1935年にはエチオピアを侵略しました。この行為に対して「国際連盟」が猛反発したため、1937年国際連盟を脱退。 <日本の情勢> 一方、日本はというと、第一次世界大戦でアジアで唯一の戦勝国で好景気が訪れました。ところが、そんな時代も長くは続かず、1923年に関東大震災、1927年には金融恐慌、1930年には昭和恐慌と続いていきました。そんな中で、狭い日本の国内から大陸へ活路を見出そうとする動きが活発化し、1931年9月「満州事変」を契機として、1932年には日本は「満州国建国」を宣言し、中国の清王朝最後の皇帝であった愛心覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ)を満州国「執政」としました。 しかし、中華民国(清王朝が倒れた後の中国)は満州国の存在を認めず国際連盟に訴えたのです。そこで国際連盟はイギリスのリットン伯爵に命じて調査をさせた結果、リットンは「侵略に間違いない」と回答しました。 1933年2月、国際連盟は日本の満州からの撤退勧告案を可決。反発した日本は3月に国際連盟脱退を通告し、翌1934年には批判を浴びながらも溥儀を満州国「皇帝」に据えて、満州国の維持に努めました。 <経済状態から見た各国の事情> 世界恐慌の中、インドやフィリピン、ビルマ(現・ミャンマー)などの広大な植民地を持つイギリス、フランスなどは「ブロック経済」と呼ばれる、輸入品には高い関税をかけ、輸出には軽い税とし国内産業の育成に力を入れていました。また、第一次世界大戦で初めて使用された飛行機へのガソリンや軍艦も石炭からディーゼル・エンジンの開発により重油へと様変わりをしたため石油を必要としましたが、植民地からの補給の道がありました。 アメリカも広大な領土を持っており、国営事業を興したり公共事業の拡大で不況の脱出に懸命でした。そして、石油も自国の産出を拡大していきました。その結果、軍需産業が活発化すると共に軍備も強大となっていきました。 ソビエトも広大な領土を有しており、石油は自国で賄え、軍備の拡大を推進していました。また、日本の建国した満州国が国際連盟で認められなかったことを踏まえて、中国方面への進出ももくろんでいました。 ドイツ、イタリアは、第一次世界大戦で敗れたため、それまで持っていた植民地を全て失ってしまい、石油の補給の道を閉ざされていました。 日本も、満州国を建国したものの国際的非難を受ける情勢となってしまいました。そして、石油の備蓄や産出地の獲得が死活問題となってきました。 <日独伊三国協定> こうして、いわゆる「持たざる国」の日本、ドイツ、イタリアは、当然のように隣国の脅威にさらされることとなり、1938年~1939年にかけて、まずはソビエトの脅威に対抗するために「日独伊防共協定」を結び、ドイツやイタリアがソビエトに侵略されたら、日本も加勢することを約束しました。続いて、1940年には、今度は日本がアメリカに攻められた時にはドイツ、イタリアが加勢するという「日独伊三国同盟」を締結しました。 <第二次世界大戦へ> ドイツは、<ドイツの情勢>でもお話した通り、第一次世界大戦後、大半の領土をポーランド、チェコスロバキア、リトアニアなどに組み込まれてしまいましたが、それらの国民の多くはドイツ民族の誇りを持っており、そうした人々を救済するという名目で、1939年9月1日、ヒトラー率いるドイツ軍がポーランドに侵攻。それを受けてイギリスやフランスが「戦線を布告」し、ここに第二次世界大戦の火蓋が切られたのです。 日本も第一次世界大戦での勝利により、グアム以北の東南アジアと東アジアを実質的に支配しており、それらの国々から石油や食料品などを調達していましたが、年々増大と強大化することに対して面白くないのはアメリカでした。 また、「支那事変」(1937~1941.12.8)においてはアメリカが中華民国(中国)に武器の援助をしており、日本はアメリカと支那事変終結に向けて話し合いを何度もしていましたが、中々進展しませんでした。そんな中、1941年(昭和16)10月18日に軍人である東条英機が首相に就任。当時、昭和天皇は何とか「日米戦争」は回避したいと願っていましたが、東条は「この時期を逃したら後はない」と言い切って、1941年12月8日にアメリカとイギリスに宣戦布告をし、真珠湾を攻撃しました。 これにより、ヨーロッパではドイツ、イタリア対イギリス、フランス、オランダ、オーストリア、スペイン、ソビエトなど、太平洋側では日本対アメリカという全世界を巻き込んだ戦争(第二次世界大戦)が始まったのです。 この戦争の最中の1943年11月~12月には、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソビエトのスターリンが会談(テヘラン会談)を持ち、三国が協力しあうことで一致しました。 日本は、主にアメリカと対戦していましたが、1941年に「日ソ中立条約」が締結されていたにもかかわらず、1945年4月5日、ソビエトは「日ソ中立条約」の破棄を日本側に通告し、8月11日、国境を侵犯して南樺太へ軍を侵攻させ、さらには、1945年8月15日に日本が「ポツダム宣言」を受諾して終戦を告げていたにもかかわらず、8月25日には南樺太を占領し、8月28日~9月1日までに、北方領土の択捉・国後・色丹島を占領、9月3日~5日にかけて歯舞群島を占領した。 大分、長文になりましたが、第二次世界大戦は色々な角度から見ていくことが大切かと思います。

xemtgbjtntvee
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お礼

ありがとうございました。

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  • wy1
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回答No.7

歴史書とかを読みましょうね。多少支出しないと詳しく知ることができませんが、ご自分で調べること。

xemtgbjtntvee
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.5

まず、日中戦争(対中国)が先行し、そして、英国領(植民地支配)だったマレー半島、コタバル上陸侵攻、やや遅れてアメリカ領ハワイの「真珠湾奇襲」が出発点。「鬼畜米英」がスローガンだったから、当時の一般国民的には、アメリカとイギリスが最大の敵。他は、連合軍として米英側に加わったということ。ソ連は日本の同盟国(中立的立場)として、戦争終結に向けての「調停役」になってくれるものと思われていた。

xemtgbjtntvee
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.4

アメリカ・イギリス・中華民国・※フランス・オランダ・カナダ・オーストラリア・スペイン ・フランス・ソ連 中国以外はほぼ太平洋の国を植民地にしていたので そこでの戦闘ですね 直接戦ったのは アメリカ・イギリス・オランダ・中華民国・オーストラリア・ソ連 ※フランスも開戦相手国でしたが 当時既にナチスの支配下にあり フランスのビシー政権はヒトラーの傀儡でしたので 事実上フランスとは戦ってない

xemtgbjtntvee
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.3

後に「第二次世界大戦」と呼ばれるようになった戦争が開始されたのは、1939年9月にドイツがポーランドに侵攻したことが発端です。 そして仏英の対独宣戦布告でヨーロッパ戦争が始まります。 その後、1941年12月に日本と米英が開戦となり、全世界に拡大しました。 大別すると、ドイツ・イタリア対イギリス・フランス・ソビエト連邦・アメリカが戦った欧州戦線と、日本対アメリカ・イギリス・中華民国・オーストラリアが戦った太平洋戦線ととが中心でした。 また、太平洋戦線は、日本対アメリカの太平洋戦域、 インドネシアでの日本対オランダ軍を中心とした連合国軍とが戦った南西太平洋戦域、 ビルマでの日本対イギリス軍などとが戦った東南アジア戦域、 中国大陸における日中戦争に分かれています。 ソビエト連邦とは、日ソ不可侵条約を結んでいたため、大戦中の実質的な戦闘はなかったのですが、戦争末期のポツダム宣言受け入れ時に、突如なだれのように侵攻してきて、満州を始め、日本領であった朝鮮半島や南樺太、千島列島を支配下においてしまいました。 以上のような経緯から考えると、日本の敵は、 アメリカ、イギリス、オランダ、中華民国、オーストラリア だったと言えるように思います。 ソビエト連邦とは戦っていませんし、単なる火事場泥棒に過ぎません。

xemtgbjtntvee
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • type096
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回答No.2

交戦したのはアメリカ、イギリス、中華民国、オランダ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド 終戦前後に攻めてきたのはソ連(蒙古兵含む) フランスとは直接戦闘しなかったかと… 抜けや記憶違いがあったらすみません

xemtgbjtntvee
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • tosihiro
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回答No.1

主に戦闘をしていた国は 中国(共産軍ではなく蒋介石率いる国民党軍) 第二次世界大戦の時 アメリカ率いる連合軍です  ソ連は日本の負けが決定的になってから 日ソ中立条約を一方的に破棄し その当時、日本が統治(名目上は中国の皇帝「溥儀」が君主)していた 満州国、北方領に進行してきたのです。

参考URL:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E8%83%8C%E6%99%AF
xemtgbjtntvee
質問者

お礼

ありがとうございました。

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