- ベストアンサー
第一次世界大戦 ・強いの?
アメリカとソ連は冷戦状態でしたが、第一次世界大戦のときは仲間だったのに、そのあとドイツを2つにわけて なぜ冷戦状態になったんですか? 一時は一緒に組んでドイツや日本と戦っていたのに、なぜですか?教えてください。 あと、歴史をみてみると確かに虐殺や奴隷など今では考えられない事が行われていましたが、 中国や韓国の歴史をみていると昔の日本は極めて残酷なことをしているように思ったのですが・・・。他の虐殺や残虐な歴史と比べるわけではありませんが、特にひどいのかなと思ったのですがそんなことはないのですか? 日本も昔レイプなどされた時期あったんですよね?(アメリカ人に) 戦争や侵略は金もちの国が勝つのですか?戦力の強い国が勝つのですか? 昔、日本は強かったのですか?なぜ第一次世界大戦で負けたのですか? わかりづらくてスイマセン・ おねがいします。
- みんなの回答 (19)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
戦争の時に協力するのは利害が一致した時です。今、日本がアメリカを支持してイラクに自衛隊を派遣していると同じです。国益という言葉であらわしたりしますね。 第二次世界大戦の時は、日本をつぶす利害で一致したから、アメリカはソ連をほのめかして、協力して攻めたのです。仲はその時も悪いです。 逆にその前はイギリスがロシアと仲が悪かったので、日本と利害が一致して日英同盟を組んでいましたし、第二次世界大戦の時はドイツとイタリアと利害が一致したから同盟したのです。国家の軍事同盟は、仲が悪いとかじゃなくて、利害なんですよ。 戦争はもちろん、国力、軍事力のある国が勝つことが多いでしょう。ただし、国民感情など色々な問題があるので、一概にはいえません。ベトナム戦争ではアメリカといえども撤退しました。 過去の世界史を見る限り、日本はそれなりに強かったのでしょう。 歴史は見る人によって考え方が異なります。何冊か戦争関連、歴史関連の書籍を読み比べてみるのがよいと思います。
その他の回答 (18)
- booter
- ベストアンサー率34% (269/769)
自分も浅学、勉強中の身なのですが、参考になれば、と思いまして、回答致します。 1. >アメリカはなぜ日本が憎かったのですか?ハワイを攻めたからですか? 簡単に言うと、そうだと思います。 ですが、もっと突っ込んで言うと、 アメリカが日本を攻略する必要と、攻略すべき時期が来た(真珠湾攻撃等で)。 つまり、日本がアメリカ攻略を目標としているので、対抗しなければやられる、という危機感があった。 →アメリカは日本を戦争で負かさなければならない。 →だが、外国(日本)への派兵には、自国民の反対が少なくない。 (戦争するには、派兵しなければならない。自国民が外国で死ぬ可能性がある派兵に対しては、米国民は消極的。) →そこで、リメンバー・パールハーバーなどのスローガンにて反日感情を煽る。 →アメリカ国民は、日本が憎くなる。 →戦争への大義名分ができる。 という流れで、米国民の反日感情ができた、と聞いています。 間違いがありましたら、ご指摘下さい。 2. 原爆を落とした理由は他にも諸説あります。 ・ソ連の日本侵攻を、言葉を変えれば、共産主義国家の太平洋進出を抑える為、日本を早く降伏させる必要があった。 3. >ソ連はなぜ日本をつぶしたがったのですか? 理由はあるのですか? 以下↓は回答になっているか分かりませんが・・・。 ソ連でのドクトリン(基本政策)の一つは、共産圏の拡大になります。 共産圏南下政策を推し進めた結果、日本も標的に入ったのだろうと思います。 4.補足 アメリカにも似たようなイデオロギー:マニフェスト・ディスティニーがあります。 これは、第一次世界大戦が始まる前の言葉で、 民主主義を広める事は、神から与えられた天命だ、として、隣国侵略の正当化をはかっています。 しかし、今日までそういった考え方がまだ生きているのを知って、ぞっとします。
- o24hi
- ベストアンサー率36% (2961/8168)
>地下資源とはどんなものですか?石油ですか?経済制裁をうけたのはアメリカからですか? 「ABCD包囲網(ほういもう)」って日本史で習わなかったですか?もう忘れたかなー? ABCD包囲網とは、第二次世界大戦前の1941年、大日本帝国のフランス領インドシナへの進駐への制裁と、拡大政策を牽制するためにアメリカ (America)、英国 (Britain)、中華民国 (China)、オランダ (Dutch)という東アジアに権益を持つ国々が貿易を制限していることに対する日本側からの呼称ですね。国名の頭文字をとってABCDです。 このABCD包囲網により日本には石油や鉄など生活に必要不可欠な物資が入らなくなったんです。経済的圧迫は地下資源に乏しい日本を追い詰めました。日本国内での石油貯蓄分も平時で3年弱、戦時で1年半といわれ、早期に開戦しないとこのままではジリ貧になると陸軍を中心に強硬論が台頭し始める事になりました。 日本政府はABCD包囲網解除などをアメリカなど連合国に要請しましたが、イギリスや中国の要請により、中国大陸からの日本軍の全面撤退や日独伊三国軍事同盟の破棄等を要求し、日本はこれを最後通牒と判断、太平洋戦争を決意しました。 つまり、資源の無い日本が、経済制裁を受けて、第二次世界大戦の原因の一つになったんですね。 ちょっと今の、北朝鮮の状況に似ていますね。まあ、お互いに核武装している現在では、そんなに簡単んには戦争できませんが。
- Ryu831
- ベストアンサー率38% (241/621)
#13です。補足にお答えします。 >地下資源とはどんなものですか?石油ですか? 地下資源は、主に石油、それと他の方も書いてくれていますが、鉄鉱石、石炭、すず、ボーキサイト、銅などです。 特に鉄や石油の輸入が止まってしまうと、国民生活に大きなダメージとなります。戦時となると、兵器なども作らなくてはならず、石油の輸出を禁じられた日本は、戦争開始時、1年分位の石油の貯蓄量しか持っていませんでした。 また、鉄も足りなくなったので、戦争の後期では、一般市民から鍋や釜を集めていました(溶かして、飛行機や戦車を作るため)。お金も、銅貨だったのを、陶器製のものに替えました。そのくらい不足していたのです、勝てるわけありませんね。 >経済制裁をうけたのはアメリカからですか? 他にも、中国に権益を持つ国々(イギリスや、オランダなど)からも、貿易を制限され、必要物資の調達が困難になりました。
- ss79
- ベストアンサー率33% (258/765)
補足です。 近代戦とは大体第一次世界大戦以降の戦争を指します。 戦争技術が大規模になり、軍事、経済、情報など銃後も前線も総力をあげて戦わねばならなくなりました。 正確にはドイツのクラウゼウイッツあたりが定義し始めました。 地下資源とは文字どうり地下にある資源をさし、一般には石油の事と理解されますが、正確には鉄鉱、石炭なども含まれます。 鉄なしでは戦争出来ませんから・・・ 製鉄には莫大な石炭を消費します。
- uni1986
- ベストアンサー率26% (50/192)
またまたまた追加です。 >地下資源とはどんなものですか?石油ですか?経済制裁をうけたのはアメリカからですか? 地下資源は大抵石油です。旧日本への経済制裁はアメリカが中心となって行われました。
- o24hi
- ベストアンサー率36% (2961/8168)
>国全体が充実、発展すれば個人などどうでも良い、という考え方です。(現在の北朝鮮みたいな感じ) 枢軸国はいずれもほぼ独裁政権でした 日本は昔そんなだったんですか?国のために自害する話はきいたことありますが、それはそういうことなんですかね・・・? 枢軸国のうちドイツにはヒットラー、イタリアにはムッソリーニがいましたが、日本にはそれにあたる人物がいないんですね。天皇ではないですよ。 天皇は、お飾りで、軍部に担ぎ上げられていただけです。満州国の皇帝であった溥儀みたいなものです(彼は日本の軍部の操り人形でしたね)。北朝鮮のキム・ジョン・イルさんとは本質的に違います。ただ、政治体制は北朝鮮に似てますね。 言うとすれば、独裁政権ではなくて、軍事政権ですね。 それと国の為に自害した人もいたかもしれませんが、戦没学生の手記を読まれたら分かると思いますが、職業軍人は別として、召集されていった人は、勿論、家族のために戦っていたんですよ。まあ、それがひいては国の為にもなるんですが。
補足
なるほど!ありがとうございました!軍事政権と考えればよいのですね!
- Ryu831
- ベストアンサー率38% (241/621)
あまり深入りせず、説明をしてみたいと思います。 (素晴らしい回答はすでにそろっておりますが) >アメリカとソ連は冷戦状態でしたが、第一次世界大戦のときは仲間だったのに、そのあとドイツを2つにわけて なぜ冷戦状態になったんですか? まず、これは第一次世界大戦ではなく、「第二次世界大戦」の誤りです。 もともと、ソ連が誕生した時から、アメリカとの仲は悪かった(あまりよくなかった)です。 ではなぜ、戦争中は仲間だったかと言うと、ソ連は日本、ドイツと敵対関係にあり、アメリカも日本と敵対関係にあったので、「自然に」仲間になっただけです。 ですから、戦争が終ると、また仲が悪くなりだして、ドイツや朝鮮半島をアメリカと取り合って二つに分けてしまいました。 >中国や韓国の歴史をみていると昔の日本は極めて残酷なことをしているように思ったのですが・・・。 極めて残虐な事をした事実は確かにあります。 他国と比べて特に日本だけが、、と言うことは無いです。 「虐殺」と言われているくらいですから、どの国もそれを経験したなら、相当ひどい、むごいやり方で殺しているのです。比較はできません。 >日本も昔レイプなどされた時期あったんですよね?(アメリカ人に) うーん、、あったかな? 国家レベルで、アメリカ人の集団にレイプされたとか、そう言う大きな事件は私は寡聞にして知らないのですが。。。 戦争に負けて、アメリカの占領軍が日本にきた時、、ひどい事をしたと言うのはもしかしたらあったかもしれないです。 >戦争や侵略は金もちの国が勝つのですか?戦力の強い国が勝つのですか? もちろん、金があり、強大な軍隊があるほうが有利ですが、必ず勝つとも限りません。 アメリカは、ベトナムと戦争して負けています。 (ベトナム戦争の経緯については、#10さんの解答に詳しく書かれています)。 相手の国が「参りました~」というまで戦争は続きます。 また、戦争を続けていると、世界の他の国や、アメリカの場合国内からも、「戦争やめろ!」という声が大きくなります。それで撤退するということも考えられます。 また、強い国の要所要所を攻撃して、早めに講和に持ち込む作戦もあります。 >昔、日本は強かったのですか?なぜ第一次(→第二次)世界大戦で負けたのですか? 日本の軍事力は大きかったと思います。 でも、それ以上にアメリカの軍事力、物資、兵力が大きかったため、負けました。 また、日本は地下資源に乏しく、当時経済制裁を受けていたので、それも影響しただろうと思います。
補足
わかりやすい説明ありがとうございます。 >日本は地下資源に乏しく、当時経済制裁を受けていたので、それも影響した。 地下資源とはどんなものですか?石油ですか?経済制裁をうけたのはアメリカからですか?
- ss79
- ベストアンサー率33% (258/765)
膨大な内容の回答であなたにとっては理解しがたいでしょうから少し解説しましょう。 1.国際間のなかは全てその時々の国益によって判断されて決まります。 従って昨日の敵も今日は味方という事も屡々です。 仲間内のケンカの時手を貸してくれるのは皆友達と見なすでしょう。 2.残虐行為について。 戦争は殺し合いでプロの殺し屋でなければ耐えられません。 召集されて軍人にされた一般人は戦場で一時的に狂気(戦場心理という)になります。 そして敵を憎み、殺さなければ自分が殺されるという境地に追い込まれます。 その為普通ではしないような残虐な事もしてしまいます。 しかも母国の為にといって奨励もされます。 しかし日本が行ったとされる行為には誤解や色々な見方もありますからもっと勉強してください。 3.戦争や侵略は強いものが勝つのは当たり前です。 この場合の強いというのは時代や種々の要素で異なります。 国土や人口が大きい事が条件(ナポレオン戦争におけるロシア)になる事もあり、純粋に軍事力できまる場合もあります。 近代戦は一層複雑になり総力戦ですからどの点でも強い方が勝利するとは言えなくなりました。
補足
まとめて下さってありがとうございます。近代戦とは現代の戦争などのことですか?
- netcatme
- ベストアンサー率20% (76/371)
あーごちゃごちゃしてる。 >アメリカとソ連は(略)なぜ冷戦状態になったんですか? 第二次世界大戦ね。 チャーチル(英国首相)いわく「ヒトラーが地獄に逃げ込んだら悪魔と手を組んでヒトラーと対決する」と言ってソ連と手を組んでいます。これが、戦争というもの。チャーチルはソ連をずっと警戒していましたが、フランクリン・ルーズベルト(米国大統領)は戦後も協力していけると考えていたようです。しかし、ソ連は戦後東ヨーロッパを支配下におき、自由主義Vs共産主義の対決が始まります。 >あと、歴史をみてみると確かに(略)時期あったんですよね?(アメリカ人に) 残虐さなら、植民地支配の長い欧米の勝ち。イギリスは綿製品の輸出を守るために、インドの絨毯職人の手首を切って回り、タスマニア先住民族を狐狩りの代わりに狩りをし絶滅させ、米国はアフリカ住民を拉致して奴隷にし奴隷を増やす奴隷牧場まで作り、フランスは植民地で、働きの少ない住民の手を切断するは、なんのかんの。中国の残虐さは人を料理する国ですから言わずとしれて、韓国でも中国人の占領時の残虐さは日本人の比じゃないという記述を読んだことがあります。 >戦争や侵略は金もちの国が勝つのですか? 金持ちの方が軍事力を持てるから基本的にはそうですね。 >戦力の強い国が勝つのですか? そりゃそうでしょう。よほど戦略・戦術の差がなければね。例外もありますが・・・時の運や、地理的優位、外向的勝利、内政的混乱などなど。 >昔、日本は強かったのですか? 強かったよ。アジアの列強ですから。 >なぜ第一次世界大戦で負けたのですか? 第二次世界大戦ね。 米国相手に勝てるわけない。(どうにかしたら勝てたと言う人もいるらしい)
補足
ご回答ありがとうございました。うーん、やっぱアメリカって世界最強なんですかねえ・・・変ないいかただけど。
- o24hi
- ベストアンサー率36% (2961/8168)
#3です。 >どのようにですか?3か国ともお互いを嫌いあっていたということですか?というと戦いの中で敵は2カ国ということですよね? ベトナム戦争の場合を例にとりましょう。 ベトナム戦争は、大きく2つに分けられます。 ・第一次インドシナ戦争 1945年にベトナム(仏領インドシナ)から日本軍が撤退すると、コミンテルンの構成員であったホー・チ・ミンはハノイに首都を置いてベトナム民主共和国(北ベトナム)を成立させ共産主義による国造りを目指しました。 ベトナムの再支配を目論む旧宗主国(元植民地にしていた国のことですね)フランスは独立を認めず、ベトナムに進駐すると旧阮朝皇帝バオ・ダイを首班とするコーチシナ共和国をサイゴン市(現ホー・チ・ミン市)に成立させました。 フランスはホー・チ・ミンと鋭く対立したが、1954年5月、ボー・グエン・ザップ将軍が率いるベトナム人民軍に惨敗しベトナムからの撤退を余儀なくされました。戦後、関係国の間でジュネーブ協定が取り交わされベトナム民主共和国の独立が正式に承認されましたが、北緯17度線を境界として南部ベトナムにはコーチシナ共和国が存続しました。 ・ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争) 第一次インドシナ戦争の間、アメリカは一貫してフランスを支持し、フランスのベトナム撤退以降は南ベトナムの歴代政権を軍事・経済両面で支え続けました。 1955年、南ベトナムで実施された大統領選挙でゴ・ディン・ジェム首相が大統領に就任して、アメリカの傀儡国家・ベトナム共和国(通称南ベトナム)が成立しましたが、大統領一族による圧制は国民を苦しめゴ・ディン・ジェムは国民の信頼を失いました。その機に、1960年、北のベトナム民主共和国に指導された南ベトナム解放民族戦線(ベトコン=越共)が結成されゲリラ活動を本格化させたことからベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が開始されました。 1963年1月、アプバクの戦いの敗北によりベトナム共和国政府軍の無力が露呈すると、ケネディ大統領はアメリカ軍による直接的な軍事介入を決断した。さらにアメリカCIAの支援によってクーデターが発生し、ゴ・ディン・ジェムが暗殺され軍事政権が成立しました。本格的な開戦に難色を示したケネディが暗殺されると、アメリカの戦争介入の体制が整い、1965年にジョンソン大統領は、その前年に発生したトンキン湾事件を口実にベトナム民主共和国中枢の爆撃(北爆)を開始しました。 これに対してベトナム民主共和国はソビエト連邦や中華人民共和国の支援を受けて、直接アメリカ軍と戦火を交えるようになった。その後アメリカは、北から南への補給路を断つため隣国ラオスやカンボジアにも攻撃を加え、ラオスのパテート・ラーオやカンボジアのクメール・ルージュといった共産主義勢力とも戦うようになり戦域は一挙に拡大、こうしてベトナム戦争は第二次インドシナ戦争へと拡大しました。 1967年には最大50万人ものアメリカ兵がベトナムに投入されましたが、アメリカにとって戦況の好転は見られず、莫大な戦費調達と内外の反戦運動に苦しむことになった。ジョンソン大統領は任期切れを前に1968年には北爆中止を宣言しました。 1968年、ベトコンは旧正月(テト)に大規模な一斉攻撃(テト攻勢)を開始、しかし米軍・南ベトナム政府軍の反撃を受け壊滅状態に陥る。これにより、今後のベトナム戦争は、米軍・南ベトナム政府軍と北ベトナム軍中心の戦いとなっていきました。 1969年に登場したニクソン大統領は人的損害の多い地上軍を削減して、アメリカ国内の反戦世論を沈静化させようとしました。しかし戦況の好転は微塵も感じられず、あせったニクソンは1972年に北爆を再開しました。これは圧倒的な航空戦力を使って北の補給路を遮断し、地上軍の削減とその南ベトナム化を狙った作戦変更でした。しかし、北爆は国際世論の猛反発を受けて短期間で中止させられました。 1973年1月のパリ協定により、米軍の撤退と外部援助の禁止などの合意が成立し、実質的に南北ベトナム軍同士が直接対決する形になりました。北爆が停止されると補給路を確保した北側は、頻繁に南側に大攻勢をかけるようになりまし。ついにベトナム共和国の指導者であったグエン・バン・チュー大統領やグエン・カオ・キ副大統領がベトナムを脱出して、1975年4月30日、人民軍がサイゴン市(ホーチ・ミン市)に突入、陥落。アメリカの支援も首都も失った南ベトナムは遂に崩壊しました。 1976年7月、ベトナム統一とベトナム社会主義共和国の成立を宣言しました。 (まとめ) つまり、ベトナムに共産側の政権ができ、それに対抗して自由主義側の政権(アメリカが後ろから手を引いていたわけですが)を作ったことから、国を二分した内紛になったわけですね。 これに対し、ソ連や中国が共産側を支援し、アメリカが自由主義側の政権を支援したわけです。いわば代理戦争みたいな物ですね。 そのうち、アメリカは直接介入しましたが、結局、世界の世論に負けて撤退してしまいました。 今までの書き込みに、「負けた」というのが在りましたが、敗北宣言したわけではないですから、正確には「敗戦」ではなく「撤退」です。まあ、実質は「敗北」ですが。 >スーダンの虐殺とはどのような経緯でおこっているんですか?もしよかったらおねがおいします。 スーダンでは83年、政府のイスラム原理主義化策をきっかけに、北部のアラブ人に対抗して南部の黒人のキリスト教徒が反政府勢力を組織し、内戦が起きました。 その和平協議が進んでいた03年2月、西部のダルフール地方で「スーダン解放軍」など黒人主体の二つの反政府勢力が武装蜂起しました。 政府軍についたアラブ系民兵が黒人数万人を虐殺したといわれ、国連は隣国チャドに逃れた難民や国内避難民を計約120万人と推定しています。 これよりひどいのが、ルワンダ大虐殺です。 94年、当時のルワンダ大統領が乗った航空機の撃墜事件をきっかけに、多数派フツの民兵らが少数派ツチとフツ穏健派を襲う大量虐殺が発生。約3カ月で80万~100万人の死者が出たとされています。虐殺後、ツチ主体の新政権が樹立され、報復を恐れた約200万人のフツが難民となっています。 バレンタインデイ商戦(これもデパートの戦争ですね。笑)に600億円も使っている日本人は、平和でいいですね。
- 1
- 2
補足
ありがとうございます。利害が一致ですか。アメリカはなぜ日本が憎かったのですか?ハワイを攻めたからですか?あとソ連はなぜ日本をつぶしたがったのですか? 理由はあるのですか?