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日本語、文法、形容詞
俳句などで、 天心の深きに遊び~ の深きについて教えてください。 形容詞のく活用で、きは、連体形かとおもうのですが、先の例句では、連体形深きに、名詞ではないと思われる、にが続いています。これは、文法として合っているのでしょうか。
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連体形はあとに名詞が続く形ですが、後に名詞が続くのは当然なので、大して意味のない名詞は現れなかったり、あるいは、わざと省略して名詞を読者に想像させる、余韻を持たせる、ということがあります。 こういうのを「準体法」と言います。 連体形で名詞の代わりをするのです。 (詳しくは検索してね) たとえば、 「桜の散るはあはれなり」 「女の鬼になりたるを率て上りたり」 現代語では、「の」を入れます。 「の」は助詞ですが、これも名詞の代わりで、形式名詞とも言います。 「 桜の散る『の』は趣深い」 「女が鬼になった『の』を連れて上った」 『枕草子』にもありますね。 夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。 「飛びちがひたる」は連体止め。これも連体形の用法のひとつ。 「行くもをかし。雨など降るもをかし」 「行く」「降る」は連体形ですが、名詞ではなく、助詞の『も』が来ています。 現代語なら、「行くのも」「降るのも」でしょうか。 ほかにも、 「懐より塵紙の折たるを出し」 「自慢をするも無利(むり)ぢやアねへ」 などの用例が、江戸時代まで見られます。 現代語では、わずかにこういう言い方ができるだけです。 「4人で住むには狭すぎる」 「赤ん坊が眠るまで側にいる」
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- ゆのじ(@u-jk49)
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連体形というのは、主語にも成り得る性質があって、つまり、連体形そのものが本質的に「体言的」ということかと思う。だから、「体言」に「に」が付くことに、何ら問題はないということになる。
お礼
早々のご回答ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。 準体法、形式名詞、連体止め、一気に知識が広がりました。