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宇治拾遺物語 荒所司のわりある、わりなき?
宇治拾遺物語 荒所司のわりある、わりなき? 宇治拾遺物語の 「わりなき者の様体かな」(わりなきがいい意味で使われてる) 「わりあるとは、いかにのたまふ事ぞ」(わりあるが悪い意味で使われてる) わりなき、って、「わりなはし」の連体形ですよね?わりなしの意味は甚だしいとかどうしようもない、道理に合わないとかの悪い意味なのにここではなぜか褒め言葉として使われています。 また、わりあり、というような語を辞書で調べても出てきません。わりありの意味とわりなしがなぜいい意味で使われているのか教えてください、お願いします。
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(1)「わりなし」は、お書きのような意味のほか、「格別すぐれている。すばらしい」という意味もあります(全訳古語辞典)。ここでは、その意味でしょう。 便利な世の中です f(^_^;; 私の解釈確認のため「宇治拾遺物語 わりなき者」で検索したら、『宇治拾遺物語 現代語訳ブログ』に当たりました。 (2)「わりあり」という言葉は「ない」んです。 だから、『アンタ、わりありネ』と言われたほうは、「わりあり、ってどういう意味さ?」と尋ねているわけです。 上記ブログの著者さんもお書きですが、「わりなし」が「すぐれている」の意味なので、「すぐれていない、ダメだ」のは「わりあり」だという理屈になります。 つまり、「わりあり」と言ったほうは、相手を褒めていません。 質問者さんは「いい意味で使われている」とお考えのようですが、「わりなし」は良い意味で使っていますが、「わりあり」は悪い意味で使っています。 上記ブログ著者さんの紹介をもっと砕けた言い方をすると、 Q: 「わりあり、ってどういう意味さ?」 A:「ある人が、ほかの人から『わりなし』と褒められていた。アンタはその人とは違う(ぶさいくな)格好をしているので、『わりあり』だと批評したのだ」 と言い返したことになります。 現代でも、「気が置けない人」という言葉があります。これは「気詰まりではない人」「気遣いしなくてよい人」という褒め言葉です(辞書に載っています)。 じゃあ、そばにいると「気詰まりな人」はなんというのでしょうか? 「気が置ける人」です。が、これは本来は「ない」言葉でした。 で、「気詰まりな人」という意味が定着しないうちに、こちらが「気詰まりでない人、気を許せる人」という意味に誤用されて定着しつつあるようです。