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フェアじゃない!?

先日友人が 「生まれて間もない無防備な子供の脳に宗教をツメコムのはフェアじゃない」 というので、なるほどなと思ったんですが、あとで考えてみるとどうかな?と分らなくなりました。 たぶん彼は、科学VS宗教という図式で言ったんだと思います。 「だったら、科学をツメコムのもフェアじゃないじゃん。」 と思いました。 例えば、「お水を冷やしたら氷になりますよ」と教えるのは、まあ必要というか便利な知恵だから教えるんだけど、もし神様とかについてを全く教えないでそういう因果関係みたいなことばかり教えた場合、これはやっぱ科学を刷り込んでることになるんじゃないでしょうか? 「分ってることから始めよう」というのが科学ですよね? 宗教は「信じることから始めよう」です。 やはりフェアじゃないという結論になったんですが、どうなんでしょう? ご意見を頂けたら嬉しいです。 また、この問題にはもう世間では解答が出てるんですか? よろしければ、それも教えて下さい。

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  • kube
  • ベストアンサー率30% (49/159)
回答No.1

sowowさんこんにちは。  フェアかフェアでないかというより、個人の判断力が養われないうちに一方的な主観を与えるのは有害でしょうね。  例えば物理の法則は客観ですので誰がどこでどうやっても、過程が同じなら結果も同じになります。  でも、宗教は主観であってそれぞれ主張が異なり、それの善悪の判断をするのは個人の主観や経験によります。  個人の主観は経験によって養われるものですから、その経験が無い状態でひとつの価値観(主観)だけを与えるのはやはり問題ではないでしょうか。  カルトに入信するとしても、大人が入信するのと赤子から教育するのとでは意味が全く違います。  でも、物理の法則は赤子から教えても大人になってから勉強しても同じことです。  そういう意味で友人は「フェアじゃない」とおっしゃられているのではないでしょうか。

sowow
質問者

お礼

なるほど、主観と客観ですね。 >物理の法則は赤子から教えても大人になってから勉強しても同じことです。 このへんの違いが大きいんですかね。 たしかに宗教は一度疑ってしまうと、戻りにくい感じがあります。だから小さなうちに教えるんでしょうか。 >個人の主観は経験によって養われるもの そうですよね。 でも、主観も客観も紙一重な気もするから厄介です。

sowow
質問者

補足

ご回答ありがとうございますm( _ _)m

その他の回答 (14)

noname#7082
noname#7082
回答No.15

【・「生まれて間もない無防備な子供の脳に宗教をツメコムのはフェアじゃない」 …「だったら、科学をツメコムのもフェアじゃないじゃん。」 …もし神様とかについてを全く教えないでそういう因果関係みたいなことばかり教えた場合、これはやっぱ科学を刷り込んでることになるんじゃないでしょうか? 】 こんばんわ、『フェアは 無い!』 または、『フェアじゃない。』 …聴いた話と私見による 独断です。 (聴いた話) 現在の 占星術は、昔々の 宇宙(科)学 で在った。 その宇宙学は、宗教学に 内包されていて、 その宗教学は、宇宙学に 内包されていた。 「科学&宗教は ひとつだった。」 {いつ、どこで、だれが、バラバラにしたのかは、聴いてません。} で、(私見) 「科学&宗教の 両方を バランスよく “こども”に“刷り込む”のが ベターだと理解してます。」    ***   ***   ***  【蛇足ですが…】 (聴いた話・独断) 赤ん坊が、記憶する“言葉自体”も、ある意味では “フェアじゃない”。 ******* ******* ******* …母親が同じ言葉を 繰り返すことにより、赤ん坊は それを記憶する、ほとんどの赤ん坊が 最初に覚える言葉が、多分『まんま』だと、思われます。 まんまの つぎは → “ママ”←「パパではない!」 ※【資料】 *** *** *** 【フェア】 公明正大 なさま。公平なさま。 【公明正大】 私心が さしはさまれず、正しく事の行われる・こと(さま)。 【私心】 (1)自分ひとり の利益をはかろうとする気持ち。 「―を去る」 (2)自分だけの 考え。

sowow
質問者

お礼

>科学&宗教の 両方を バランスよく “こども”に“刷り込む”のが ベターだと理解してます。 これが実際、難しいですよね。 難しい時代になった。 「正解がない問題」を解くことができるのが脳ならば。 子供にあまりテレビゲームをさせないというのはかなり正しい判断かもしれません。 「正解あり過ぎ」ですアレ。オモシロ過ぎですし。 そして「選択肢」少なすぎ。 人生が「四択」な訳がない。ましてや・・・

noname#15238
noname#15238
回答No.14

こりゃ~でおくれてしまった。 これって、イラクとかに生まれた子は、フェアじゃないって事ですかね、祖国も親も選べませんが、自分の顔の「しわ」には責任を持たねばと考える今日この頃です。 楽しい質問、皆様の回答参考になりますね、それでは失礼します。

sowow
質問者

お礼

fishbowl66様こんにちは。 すこしタイミング悪かったですね。 またぜひよろしくお願いしますm( _ _)m 良いシワには憧れることすらできる「男」って気楽! フェアじゃない!

  • izaya
  • ベストアンサー率35% (51/144)
回答No.13

いや~面白いご質問ですね。 思うに、信仰の問題は本人の意思において決定されるべき領域の問題であり、自我が確立されていない子供にはその判別がつかないから、フェアじゃない・・本人が自分の判断においてどうするかを決まれるようになってからすべし、ということでしょう。 また、科学はフェアかどうかと言うと、一応それは意思判断に関係なく「事実」として子供にも大人にも同一の内容であるのだから、フェアである、と言えるのではないでしょうか。 「信じる」という言葉自体は明証されたものには使わないから、それこそ宗教は確かでなくてもいいのです。だから余計にその判断できない(何でも疑わない)子供には扱えないし、扱わせるべきでもない。 いかが?

sowow
質問者

お礼

上手くまとめて頂いて、ありがとうございますm( _ _)m >信仰の問題は本人の意思において決定されるべき領域の問題であり、自我が確立されていない子供にはその判別がつかないから、フェアじゃない・・ そうですね。 今の「信仰の自由」は自由ではないと言えるかもしれません。 >科学はフェアかどうかと言うと、一応それは意思判断に関係なく「事実」として子供にも大人にも同一の内容であるのだから、フェアである 「一応」がイイと思いました。あまりにも突き詰めちゃうと分らなくなるから(笑)。 そもそも宗教と科学では「方法」が全然違うので比べようがない部分のほうが多いです。 小さい頃から毎日「お祈り」をして「聖書」を読んできた、という生い立ちの人は今では少ないと思いますが、 こういう体験は、少なからず人生全部に影響があります(年齢を重ねるほどそれが明確になってきます)。 良い面も悪い面も混在してるんで、慎重に判断したほうがいいと思います。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.12

日本人が宗教というと、教祖様がいて、その人が説いた教えが あり、その教えを信者が組織を組んで信じている、そういう 図式が無意識のうちに頭の中にあるような気がします。 しかしそれ以外に、自然発生的な宗教があり、教義も整理 されないまま、何となく伝統や生活習慣となって後世に受け 継がれている宗教もあります。 代表的なところでは、インドのヒンズー教・日本の神道なんか がそうですね。 質問者の方は、道徳と宗教は別との考えをお持ちのようですが、 実は日本人のもつ道徳観ないしは善悪観の多くは神道から きています。 「殺生はいけません」とか「親や先生を尊敬しましょう」 といった、あきらかに仏教・儒教からきている道徳観以外 は、神道的な発想が多いです。 代表的なところでは、日本では食堂に行くと割り箸でご飯 を食べますよね。 ところが中国や韓国ではそうではありません。 日本の割り箸文化は、穢れをきらう神道的な価値観から きたものだと、考えています。 まあ、第三者がどうのこうの言ったところで、結局子供は 両親の価値観を生活の中で学んで育ちます。 両親が宗教を信じていれば、自然とその宗教の価値観に触れ ながら育つでしょう。 仮に特定の宗教の信者でなくても、日本人の歴史に無意識 のうちに伝えられてきた、神道的価値観から逃れることは まず不可能です。 ただ、近年の少年犯罪が多発しているのは、親による家庭 教育が不十分だからだと考えられます。 江戸時代などでは、寺子屋の教師が、その寺子屋に通う子供 たちに、読み書きを教えるとともに、儒教や仏教に基づいた 人の生き方についても教えていました。 (実際、寺子屋の教師は、寺のお坊さんや、儒学を学んだ  浪人などがなることが多かったようです) 特定の宗教に偏らずに、伝統的な日本人の倫理・道徳観を 整理した上で、人生経験豊かで品性のある大人を教師に選び (ここが一番難しいかも)、小学校で道徳教育を施すのも、 時勢としてやむをえないかもしれません。

sowow
質問者

お礼

>日本人が宗教というと、教祖様がいて、その人が説いた教えが あり、その教えを信者が組織を組んで信じている、そういう 図式が無意識のうちに頭の中にあるような気がします。 そうですね。 しかし事実は、 宗教のない国は無いと言い切ってもいいとおもうし、 そのうちの「組織宗教」の数はむしろ全然少ないでしょう。 もともとその土地あったものを改宗させて勢力を拡大させているだけだと思います。 道徳こそは一律ではないにもかかわらずです。 >質問者の方は、道徳と宗教は別との考えをお持ちのようですが 道徳の意味、価値、成否と、宗教は関係ないという意味です。 すいません。 人間の生活には仰るように、宗教に影響されない部分が少ないので、自動的に「宗教から」というかたちになってるんですが、必ずしもこれからも宗教が受け持たないといけないということはないかと思います。 例えば、動物にはまだ宗教はない(自然宗教となると厳密にはあるのかな?)ですが、すでに道徳は持ってるように思えます。(自信なし) >第三者がどうのこうの言ったところで、結局子供は 両親の価値観を生活の中で学んで育ちます そうですね。 これがいいですね。ほんとは。 フェアとかなんとか言うのは正直めんどくさいですよね。 もっと、子供自身に対して考えることやできることがあると思います。 回答ありがとうございますm( _ _)m 勉強になりました。

noname#155689
noname#155689
回答No.11

#5です。こんにちは。 下で私が挙げた参考URLのQ&Aですが sowowさんも回答を寄せられていましたね。 すいませんでした。 さて、話を戻しまして フェアじゃない、というのは「偏りがあって平等じゃない」 ということだと思いますので ご友人の主張は「生まれて間もない無防備な子供の脳に宗教をツメコムのは 今の時代に於いては非常に偏った/私心に満ちた、不正な行為である」 というようなことを意味するのだと理解します。 >判断に任せると仰るンなら『判断力』が育つまで待てよっ!! とツッコむのであれば 生まれて間もない子供=赤ん坊に宗教を詰め込むなんでムリじゃぁ!! とツッコミ返したくもなるのですが それはさておき、私が思うに 問題は「ツメコム」とか「刷り込む」といった教え方であり それを問題にするなら、現代の科学の教え方だって 「ツメコム」とか「刷り込む」ようなモノじゃないか?と sowowさんは疑問を呈しているわけですよね。 そうであるならば、私は「その通り」だと思います。 さらに私は >「分ってることから始めよう」というのが科学ですよね? >宗教は「信じることから始めよう」です。 っていうのは、この場ではあまり関係ないことのように思いますし 突っ込めば「分かっていることは本当に分かっているの?」 みたいなビミョーな疑問が出て来る筈です。 起点が何であれ、ある考え方を絶対化して教えること 他の立場や他の視点・説があることを教えないこと 選択肢と選択に必要な情報を与えないことは 今時フェアではないと思います。 ただ、小さな子供に 社会で生きる上でのルールやマナーなど道徳的なことを教えるのに 宗教をモチーフにするのは悪くないのではないかとも思います。 もうひとつ。 この質問には、教え方がフェアか?という疑問と 科学はフェアか?という疑問が混ざっているように思います。 科学はフェアか?については結論が出た/出ないではなく フェアたろうとしている、ということで その証拠に「科学哲学」なるジャンルが出てきたのだと思います。

sowow
質問者

お礼

ツッコミありがとうございますm( _ _)m 「生まれて間もない」というのは大袈裟に言ったんだと思います。 科学的な論理回路が脳に形成されるよりも、 ほとんどの(厳密には全て?)動物に必要な感情的(←誤解を生みそうだがあえてこう言う)な回路の形成には、おおきなタイムラグがあるとおもいます。 だから、やはり宗教のほうが有利な気がします。 考えなおしました。 でも、僕もけして宗教の価値を否定しようなどとは思ってません。 >ビミョーな疑問 ですね。なんかスッキリしなくて気持ち悪いけど、ついつい面白いと思っちゃう問題です。 >sowowさんも回答を寄せられていましたね。 いま読み返すと、もろ他人の(まさに質問のなかの友人の)影響うけまくりな書き込みで、かなり恥ずかしいです。 >宗教をモチーフにするのは悪くないのではないかとも思います。 そういうのもありですね。 >科学はフェアか?については結論が出た/出ないではなく フェアたろうとしている、ということで なるほど!そうかもしれません。 他にも、いろいろありがとうございましたm( _ _)m

  • kube
  • ベストアンサー率30% (49/159)
回答No.10

#1および#8です。  なんだか何度も書き込む事になってしまいました。ちょっと本題とズレそうなのですが、sowowさんが書いてくださったレスに対してだけ返答させて頂きますね。 >>主観と客観についてですが、これは厳密に分けられます。 >これは、ある枠内では明確に分けられるが、厳密には分けられないのでは?と思います。 >客観だと思ってた科学的事実も、思い込みだったと解ると主観の方によっちゃいませんか? >宗教の教えの中にも十分客観的な部分が見られます。  この理解は少し、私の文の意図と違う意味になってしまうので、ここだけ補足致します。  科学も、全てがわかっているわけでは無く、もちろん仮説や仮定、主観によるシミュレーション値の変動、など、いろいろとあります。  ですが、科学においては最終的に「正しい」とされる根拠は、「客観的事実」なのですね。  例えば「実証」。誰がやっても実験結果が同じであればそれは「正しい」のです。りんごは地球上どこでも落ちます。だから地球上ではニュートンは正しいと言えるわけです(ちょっと違うか?(笑))。  ですが、宗教はこの「正しさ」の根拠を「教義」とか「神(あるいはグル)の教え」とか「信仰心」などに求める事が多い。古い話で恐縮ですが(新しい話は被害者が生存しているので言いにくい)ガリレオは望遠鏡による天体観測で天動説を否定する十分な証拠があったにもかかわらず、「宗教裁判」でその「客観的事実」を否定しなければなりませんでした。つまり、太陽が回っているように見えるという「主観」の方が、ガリレオが天体を観測して得た「客観的事実」より「正しい」とされたのですね。  ひるがえって現在を眺めてみると、「客観的事実」を元にした(最も高い価値においた)宗教はひとつも無いはずです。まずは「教義」「教祖」「神」「信仰心」などに価値を置くでしょう。でないと神の存在が真っ先に否定されてしまうからです。  私はそういった主観的価値観を否定しませんし、人の心を救うにはそういう方法が必要だとも思います。が、やはりそれは「客観的事実」ではありません。釈迦の言葉を読むとそれは非常に鋭い観察によって得られた智恵で、人の心に迫りますが、それを改めて検証して何が正しくて何が正しくないかを「客観的事実」から明らかにしようとする人はおよそ「宗教人」にはいないでしょう。いるとしたらその人はすでに「科学者」です。  そういう意味で前回の私の書き込み 「従って客観に基づく「科学」というものは、「信仰」するようなものではなく、ただそこにあるものを「発見」して、それを利用していくだけです。」  に繋がるのだと言う風に意味を理解して頂けると幸いです。

sowow
質問者

お礼

なるほど。 お話、よく分りました。 >釈迦の言葉を読むとそれは非常に鋭い観察によって得られた智恵で、人の心に迫りますが、それを改めて検証して何が正しくて何が正しくないかを「客観的事実」から明らかにしようとする人はおよそ「宗教人」にはいないでしょう。いるとしたらその人はすでに「科学者」です。 そのとおりですね。科学者ですね。 ほんとに何度もありがとうございますm( _ _)m 勉強になります。

  • hanakago
  • ベストアンサー率6% (58/851)
回答No.9

今度、子供が生まれます。彼女には子供が成人したら入信するか決めさせろと言っています。科学を刷り込むとかそんなんじゃなく必要な情報を与える必要があると思います。神がいるとかいないとかそんな形而上学的なこと考えても分からないのだから、少なくても客観的な間違いないことで必要なことは教える必要があると思います。

sowow
質問者

お礼

あ、おめでとうございますm( _ _)m! >成人したら入信するか決めさせろ これは面白いですね。 二十年後の二十歳ってったら・・・どんなんだろー・・。 >必要なことは教える必要がある これは間違いないことですよね。人間は教わらないと何も出来ない動物ですから。

  • kube
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回答No.8

#1です  補足です。  「信教の自由」は日本国憲法で保障された権利であって、何人たりとも侵害できません。  従って質問文の中にある「神様について教える」という意味が「特定の神様だけを教える」なら、やはりフェアじゃないでしょうね。  あと、道徳や法律と宗教は別です。同じなら、某カルト教団は正しい事をしたことになりますね。カルトに限らず他者を攻撃する教義があるような宗教はとても道徳的とは言えないでしょう。「宗教」という広い枠で考えた場合、そういうものも含まれる事を忘れてはいけません。  あと、主観と客観についてですが、これは厳密に分けられます。主観は個人の感性や感情によりますが、客観は非個人的なもので、「誰に対しても」同じ結果を与えるものです。  従って客観に基づく「科学」というものは、「信仰」するようなものではなく、ただそこにあるものを「発見」して、それを利用していくだけです。  いわゆる「科学信者」とは、科学に主観を持ち込む人の事で、それは「科学教」という「宗教」で、それは「科学」ではなく「宗教の一種」です(いわゆるトンデモ系)。  従って「信教の自由」からすれば、法律に違反しない限り「科学教」を信じる事も憲法違反ではありませんね。  あと、質問には関係無いですが、回答者のコメントの中でまだ有罪が確定していない人間を犯罪行為を行ったという前提で語るのはどうかと思います。それこそ「主観」的意見です。  あと、「高度に進んだ科学は魔法にしか見えなくなる」という言葉を宗教にからめて語っている方がおられますが、「魔法」は「宗教」ではありません。「錬金術」に見られるように、それは「科学の前身」です。魔法が進化すると「科学」になります。故に、「高度に進んだ科学は魔法(の究極)に見える」のです。  宗教は証明できない前提条件を元にする時点で科学とは違うものです。  ここで宗教を語る方にお願いしたいのですが、できればどこの何という宗教について語っているのか、ハッキリさせてからご発言下さい。でないと単なる宗教擁護の話にしかなりません。  以上、補足でした。

sowow
質問者

お礼

kubeさま、補足ありがとうございますm( _ _)m >道徳や法律と宗教は別です。 別ですよね。宗教は一つの方法ですからね。 たしかに何かを「信じるという行為」は道徳にとって大切そうですが。 >主観と客観についてですが、これは厳密に分けられます。 これは、ある枠内では明確に分けられるが、厳密には分けられないのでは?と思います。 客観だと思ってた科学的事実も、思い込みだったと解ると主観の方によっちゃいませんか? 宗教の教えの中にも十分客観的な部分が見られます。 「科学」とは主観と客観の中間にもあるものだと思っています。というかソコが最先端であり元気のある所です。 (進化論が、刺激的な理由の一つには「まだ仮説だから」ってのがあるんじゃないでしょうか。) で。本題ですが、その「客観」能力が身に付かないうちに、恐怖的要素(キリスト教では「信じる者だけ救われる」など)でもって刷り込むことがフェアじゃないような気がします。 世界観や道徳うんぬんよりも、まず「やり方」に問題がありそうですよね。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.7

参考までに 友人のおっしゃる「生まれて間もない無防備な子供の脳に宗教をツメコムのはフェアじゃない」 は明らかな間違いですね。このようなお人が増えたので少年犯罪が激増しているのですね。 モーゼの時代、イエスの時代、釈尊の時代いつの時代でも宗教指導者が一般の民衆に説いたのは戒を守って生きなさいということでしたね。生まれた子供に戒を教えるのは両親の義務ですね。現代風の5戒:汝殺すなかれ、盗むなかれ、嘘をつくなかれ、麻薬などやるなかれ、援助交際するなかれ を教えるのが当然ですね。これが出来ていないから小学生や中学生が殺人事件や万引きをやるのですね。学校ではこのような宗教観に根ざした道徳はおしえないんですね。勉強がいかに出来ても人を傷つけて平気な子供が世にあふれたらどうしようもないですね。大人になっても元早稲田の教授のように鏡を持って歩くようでは何をかいわんやですね。それから少年犯罪は親の責任ですから子だけ問題にするのはそれこそフェアーじゃないですね。親も鑑別所に送るのがフェアーですね。学校では宗教教育をしないと決まっていますので親が責任を負うべきものなんです。そこが明らかにずれてますね。

sowow
質問者

お礼

ありがとうございますm( _ _)m たしかに仰るように、少年犯罪が増えていますね。 ですが、基本的道徳を教えることは、宗教じゃなければ出来ないとは言えないようにおもいます。 立派な宗教指導者ならばそれが可能であり、たいしたことない指導者ならば出来ないと思います。 たしかに「地獄に落ちて閻魔様に舌を抜かれるんだよ」とか言われたら子供は恐怖でウソつくことも悪さすることもしないから簡単かもしれませんが、他にも方法はあるはずです。 ほかの方法を試したり、探したりしたいひともいると思うのです。僕もそうです。

回答No.6

 ある数学者は、「高度に進んだ科学は魔法にしか見えない」と言ったそうですが、 個人的にも科学と宗教は実のところ紙一重だろうと思います。 この資本主義のシステムに寄生して勢力を伸ばしている様なカルト教団ならば、実態は既存の科学理念を借りてお金儲けをしている会社と似た様なもので、会社と違うのは借りているものが宗教理念だということでしょう。 しかし、分かっていることから始めた科学が、必死にになって普遍的法則性を積み上げ、いつか非常に高度に進歩できたなら、 信じることから始めていた宗教が(と言うよりは信仰が)実は非常に科学的だったことを知るでしょうね。 無知な者がより善く生きるためにはこうしなさいと、超マクロな視点で幸福の大まかな方向性を提示しているのがおそらく宗教というものだろうと思います。 ちなみに、この間メキシコ軍が公式にUFOの存在を認める会見を行いましたが、それを既存の科学の枠内で何とか分析し説明しようとするアホ知識人の発言には笑えました。無知の知という言葉を知らないらしい。 

sowow
質問者

お礼

>この資本主義のシステムに寄生して勢力を伸ばしている様なカルト教団ならば、実態は既存の科学理念を借りてお金儲けをしている会社と似た様なもので、会社と違うのは借りているものが宗教理念だということでしょう。 面白い見地ですね! 資本主義というのが絶大すぎて、宗教も科学も霞みます。 >超マクロな視点で幸福の大まかな方向性を提示している なるほど。宗教の良いところですね。 科学も、真似してマクロな視点から、すこしは道徳などに口出ししても罰は当たらないと思うんですが。 危ないですかそーですか。 ご回答、ありがとうございますm( _ _)m

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