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どうしてその宗教を信じているのですか?(他の宗教は勉強しましたか?)

ある特定の宗教(キリスト教、仏教etc)を信仰されている方にお聞きします。 あなたはその宗教を信じようと決心された時、他の宗教の教典を読んだりして比較検討はしましたか?しなかった場合、それはなぜですか? 質問の意図を明確にするため私自身の事を説明しますと、私は特定の宗教は持っていない、そこらへんによくいる日本人です。が、最近クリスチャンの知り合いに少しずつ聖書やキリスト教について教えてもらい始めまして、神について考える事が多くなってきている状態です。私は、神様(私のイメージではこの宇宙や人類を作り、全てを知っている絶対的な存在)はいてもおかしくないとは思いますが、それがキリストだとかアッラーだとか言われると、果たして何を根拠にしてそう言えるのだろうと考え込んでしまいます。例えばもしもこの先、聖書を熟読したり教会に通ったりした結果キリストが創造主であり救い主であると思えたならクリスチャンになってもいいとは思いますが、その場合でも、他の宗教についても相当勉強して、やはり他の宗教の主張は誤っている、キリスト教が正しいと確信できてからでないと洗礼は受けないと思います(真面目にやろうと思ったら一生かかっても無理っぽいけど)。 私が最近行っている教会には敬虔なクリスチャンが沢山いらっしゃいますが、仏教やイスラム教なども一通り勉強された方はあまり(全然?)いないようです。信仰を持つという事は一生を(その人にとっての)神に捧げる、神と共に生きるという事ですよね。そんな一大事を決めるのに、たまたま身近にあった宗教が良さそうだからと入信してしまえるのはどうしてなのだろうと思うのです。理屈ではなく、神の声を聞いた、神を感じたとかいう体験をしたとしたらそれが強い入信動機になるかとは思いますが、それにしたって、それが気のせいや脳がもたらした作用の結果(脳科学の分野になりますかね)でないとどうして言い切れるだろうとも思ってしまいます。(大変失礼な物言いですが) 長くなってしまいましたが、他の宗教と比較検討しなかった方を批判したいのではなく、ご自分の持っている宗教を信じるに至った理由や心理、お気持ちなどを本当に純粋に知りたいのです。気長にお待ちしてますのでご親切な方からのご回答心からお待ちしています!

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  • dell_OK
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回答No.5

回答とは言いがたいけど。 ウチには仏壇があるので、たぶんどこかの宗教の類だと思うけど、 これと言って、宗教を信じているわけではありません。 私自身で言うと、無宗教のような気がしています。 どこかの宗教を信じようと言う気はまったくありません。 それとは別の次元で、興味から、 キリスト教の聖書や、お釈迦様の事を書いてる本をよく読みました。 ビジネスホテルとかに泊まると、どちらかか、両方が置いてあるのです。 これらの書き物をマニュアルのように読むのではなく、 小説のように読みました。 なので勉強と言うレベルではありません。 私にとって、宗教とは、単なる「教え」でしかありません。 例えば、人はこうして生きるべきなのだよ、と言った事がかかれているのです。 信じると言うよりも、教わるものなのです。 ですから、ありとあらゆる宗教から、 いいところだけを学び取っていけば、きっといいはずなのです。 どうして、ひとつの宗教にこだわるのか、 そう言う人の気持ちや考えは、私にはわかりません。 けれども、想像するに、 私のようにウチの宗教のままおそらく所属している、と言うのを除いて、 その宗教に没頭している人は、 そこに自分の生き方の完成形や最終形が見えたのではないでしょうか。 確かに、それがただひとつの形ではないけれども、 明らかにあるひとつの形を見た。 これが見えると、他のものは見えにくくなるものです。 勉強も何も何もないのです。 それで十分なのです。 と思う。

nikibin
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 聖書などを小説のように読む・・・面白いですね。 各宗教からいい所をとって生かすのは私にも魅力的に聞こえます。 >そこに自分の生き方の完成形や最終形が見えたのではないでしょうか。 なるほど! >それで十分なのです。 なるほど~。 ただやっぱり私としては、その宗教が自分の心に響くか、心から良いと思えるかももちろん大事だけど、その宗教が言っている事は全部客観的事実として正しいと言えるのかもとても大事な事のように思います。(そんなの調べようがないじゃん・・・とも思うけど) なので"これで十分"と思える心境はまだまだ解らないですね。 説得力のあるご回答をありがとうございました!

nikibin
質問者

補足

皆さま改めてご回答ありがとうございました。質問を投稿してから1ヶ月ほど経ちましたし、そろそろ締め切らせていただきます。全員にポイントを差し上げたいところですがそれも叶いませんのでここでお礼を述べさせていただきます。ありがとうございました。

その他の回答 (4)

noname#97007
noname#97007
回答No.4

こんにちは。 実家の故郷が仏教の寺なので、当然のように仏教になりそうですが、姉はキリスト教信者でした。 ところが最近、姉は仏教に触れる機会があったらしく(勧誘ではない)、仏教を勉強し、改宗してしまいました。 何宗かは、まだ聞いていませんが、宮崎哲哉さん(仏教徒だそうです)と同じところのようです。 こんな風に、ある宗教を信仰していても、他の宗教の勉強を通じて改宗する人はいると思います。 こういうのを、比較検討と呼んでよいかどうかはわかりませんが。

nikibin
質問者

お礼

お姉様すごいですね!そういう事もあるんですね。 色々な宗教を勉強するといっても実際に信者にならないと解らない事もあるでしょうし、お姉様は身をもって代表的な宗教を複数体験・勉強したという事で、きっと深く洞察する事ができたでしょうね。 (それにしても宮崎哲哉が仏教徒だとは恥ずかしながら初めて知りました) ご回答ありがとうございました!

  • 6750-sa
  • ベストアンサー率26% (438/1656)
回答No.3

比較しなかった理由 そもそも宗教に入ろうとは考えていなかったが、聖書には興味があった。 神の存在はもともと信じていたし、人間社会の崩壊予感もあった、ノストラダムスの予言の影響があったのかもしれません。 加えて、勧誘する人は「他の宗教は邪教である」と唱えるのでなおさら検討はしなかった。 組織の教えは、早い段階で「アメとムチ」を用います、つまり、祝福と滅び。 かなりの期間信仰していましたが、組織崇拝と、それが生み出す精神的問題(自分も含め、他の崇拝者の価値観の偏りと障害)の多さ に嫌気がさし(これはお客様的視点や盲信では判断が難しい)、禁止されていた組織批判に走りました。 今ではネット情報で自由に客観的意見や経験談を入手できます、少なくとも、その自由意志さえも禁止する宗教は「事実」を否定 すなわち、真実や真理を語る資格が無いはずです。 彼らは、組織以外の情報源を、ひとくくりで「悪魔からの・・」と判断します。 軽い気持ちや、心地よい勧誘による入信は、人生に過大な重荷を負わせてしまう危険があることを肝に銘じてください。 神やキリストを信じることと、特定宗教を信じることは決してイコールではありません、 知らない間に神ではなく、組織を信じて彼らを崇拝させられていることに気づくべきでした、自分の良心を彼らに渡してはいけません。 逆説的ですが、ご参考になれば幸いです。

nikibin
質問者

お礼

おつらい思いも沢山されたでしょうに、貴重な体験を語って下さってありがとうございます。昔付き合ってた人が恐らく6750-saさんのお話の宗教の信者でして、当時は私も悩みました。私はある宗教が他の宗教を否定するのはある意味正しい事だとは思いますが(真理は一つでしょうから他の宗教も認めては自分の宗教の存在意義がなくなりますもんね)、だからといって情報統制をしようとしたり組織の教えに絶対服従を迫るのはやはりおかしいと思います。 >神やキリストを信じることと、特定宗教を信じることは決してイコールではありません、 この一文がとても印象に残りました。ありがとうございました!

noname#120325
noname#120325
回答No.2

んーとですねー。逆だと思うんですよー。 「信じる」人は、「理解する」ことはできない。「理解する」人は、「信じる」ことはできない。この2つは、相反するものだと思うんですよー。 「信じる」と似たようなものに「愛する」というのがありますねー。こっちだとわかりやすいかなー。 例えばねー、「本当にこの人がいいのか、他の人と比較検討して、この人がもっともふさわしいと判断して結婚するものだと思います」なんて、思いますかー? そうやって「この人が最適な人だ」と判断し理解することはできても、それでその人を愛することはできないんですよー。 そして、心から愛する人にもし出会ってしまったら、どんなに他の人と比較検討しても「この人は自分にとって最適な相手ではない」と理解し判断することはできないんですよー。たとえ、どんなに冷静で正確な情報分析を提示されても、その人を愛することをやめることなんてできないんですよー。もしできたら、それはそもそも愛してないということなんですよー。 信じることも、これと同じなんですよー。

nikibin
質問者

お礼

とっても解りやすい例えで大変参考になりました! なるほど、確かに結婚する時他の人と比較検討なんてしませんね(笑)この人が好きで、この人とならやっていけそうだと思うから結婚する。ある意味賭けですかね? (三浦光世さんだったと思うのですが、"クリスチャンとして生きたのに仮にキリストが存在していなかったとしても損する事は何もない。でもキリストが本当にいた場合は、生前キリストを信じていなかったら地獄に落ちてしまう。だから本当に神がいるか確かめようがなくても喜んでクリスチャンでいる"というような発言をされていたという話を思い出しました) 「信じる」と「理解する」が同時に成り立たないのかは私としてはちょっと考えてみたいところですが。 本当にありがとうございました。

  • kametaru
  • ベストアンサー率14% (339/2313)
回答No.1

>他の宗教の教典を読んだりして比較検討はしましたか? 全くしませんでした。 >しなかった場合、それはなぜですか? 先祖代々の宗旨宗派なので・・・ だって父母が亡くなって自分ちの宗旨宗派のお寺さんを選べばコレと言って問題も無いしね。 ココで突然イスラム教やヒンドゥ教やゾロアスター教に改宗したらえらいこっちゃです。

nikibin
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました! もともとご自分の家が何かの宗教に入っている場合はkametaruさんのようにされるケースが多いでしょうね。 自分だけの問題ではない面がありますね。