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何々の手前 という言葉の使い方。

教えてください。例えば娘の手前泣くのを我慢した。と言えば泣きたい気持ちの母または父が、娘の前では泣かなかったと言う事で、母または父の立場の人が言っている事だと思います。 では教師の手前そういうことはできません.と言えば自分が教師であるがためにそういうことはできないと言っていると思うのですが。同じ手前と言う語を使っているのに後の文では本人が言っているのに、前の文では本人以外の人が語っている事になりますが、どのように解釈すればいいですか? よろしくお願いします。

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noname#118466
noname#118466
回答No.4

hikaruandreoさんの解釈は微妙に違うような気がします。 「娘の手前」「教師の手前」両方とも話している人が 娘の世間への体裁、教師の世間への体裁を考慮して、 思うとおりの言動が出来ないことを表しています。娘や教師に気を使うことではありません。体裁とは世間が自分をどう見るかということ、俗にいうみえ(見栄)を張ることです。母親は娘に気を使っているのではなく世間に気を使い、結果としてそれが娘のためになると考えています。 このように手前の前に来る人の世間に対する立場、面子などを「考慮」する、つまり気を使うこと、その心は「見栄」です。「xxxの手前」などに気を使わず自分の信念に基づいて生きる人もいます。

hikaruandreo
質問者

お礼

ご丁寧にお答えいただきありがとうございました。両方とも話している人が言っている。なるほどそうですね。説明よく分かりました。

その他の回答 (4)

  • kanpyou
  • ベストアンサー率25% (662/2590)
回答No.5

「手前」が、面と向かって(向き合って)、目前でという意味であるなら、『娘の前で』となります。 「教師の手前」の教師とは、自分を含めた、ある職業意識を持ったグループ(象徴的意味)と考え、実在する教師を指す言葉ではないと考えます。よって、『職業的モラル上、そういうことはできません。』と解釈するのでしょうか? しかし、なぜ我慢しなければいけないのでしょうか?

hikaruandreo
質問者

お礼

ご丁寧にお答えいただきありがとうございました。参考にさせていただきます。

  • o23
  • ベストアンサー率36% (64/175)
回答No.3

ご質問のケースでは意味としては以下に該当するように思います。 (2)他人に対する、自分の立場。面目。体裁。 「友人の―知らないとは言えない」「力になろうと言った―断れない」 自分の立場については言わないのでは? (自分が教師の場合教師の手前とは言わない) 先の例では”娘の手前”と言うのであって”親の手前”と言いませんよね?言った場合”祖父・祖母”の立場を考えてになってしまいますよね。 スミマセンが自信はありません。個人的な意見です。

参考URL:
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BC%EA%C1%B0&kind=jn&mode=0&jn.x=32&jn.y=13
hikaruandreo
質問者

お礼

ご丁寧にお答えいただきありがとうございます。参考にさせていただきます。

  • jj3desu
  • ベストアンサー率34% (291/849)
回答No.2

この場合の「手前」は、他人に対する、自分の立場。面目。体裁。のことだと思います。 ただ、教師の手前・・・というのはちょっと変かもしれませんね。 教師である手前・・かな?教師であるという自分の立場からそういうことはできません。 いかがでしょうか?

hikaruandreo
質問者

お礼

ご丁寧にお答えいただきありがとうございます。教師である手前、そうですね。参考にさせていただきます。

noname#7200
noname#7200
回答No.1

辞書によると前者は 「自分の勢力の及ぶ範囲。また、支配下にある物。」 後者は 「他人に対する、自分の立場。面目。体裁。」 ではないでしょうか。

hikaruandreo
質問者

お礼

ご丁寧にお答えいただきありがとうございました。参考にさせていただきます。

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