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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:仏教の五戒に賭博禁止がないのはなぜ?)

仏教の五戒に賭博禁止がないのはなぜ?

このQ&Aのポイント
  • 仏教の五戒には、賭博禁止の戒めが存在しない理由について考えます。仏教の五戒とは、不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒の五つの戒めを指します。
  • 賭博が重要な問題であるかどうかについて、飲酒との比較に焦点を当て、議論します。飲酒と賭博、どちらがより善い人生を送るための戒めかを考えていきます。
  • これは仏教の五戒に賭博禁止がない理由を問うものであり、様々な人生観や哲学を持つ方々の意見を聞きたいとのことです。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.7

木造百年さん遅くに失礼します。 前の般若湯の所は私の説明不足でした。 廃仏毀釈以前の高野山は 女人禁制!絶対修行の場! でありまして、明治の廃仏毀釈により坊さん達は強制婚姻させられ既に「破戒還俗」してるので今や大師伝統の僧侶は居ないです。ですので今や実態観光地化しており 良く言えばあまねく庶民に解放? 実際は大師伝統禁断の聖地は堕落! しておるのです。従って、厳寒期に暖を取る目的での養命酒的な薬用途としての一杯が許されていた名称般若湯(熱燗)は…観光地化したかつての名勝聖地へわざわざいらっしゃる寄進元信者檀家観光客はあくまで「お客様」扱いなので。そちらの方々にはビールでも日本酒でもFreeとなるのDeath。 そして戒律に記載なくとも坊さんは博打や大凡仏道修行に弊害となる行為は出来ない環境、道場、聖地、だったので。隔絶地の高僧が一般庶民や信者へ御高説と戒律は 大凡出来ない禁酒、や 記載なき博打 という節穴だらけの提示となるのDeath。 本来坊さん用途の規則を、市井の善男子善女人が賢く理解し積徳として活用するかはまさに本人自分次第! 沙門遍照金剛こと弘法大師空海は般若心経秘鍵に曰く それ仏法遥かに非ず、心中にして即ち近し。 真如外に非ず、身を棄てて何んか求めん。 迷悟我に在れば発心すれば即ち到る。 また近所の柴田組棟梁の言 目の前に道具あんのに二日酔いしてやんない奴が屁理屈捏ねても家は建たねぇやなぁー 酒と博打のどちらを戒める?高祖大師他の大徳上人からすれば卓上の空論でしょう。我ら凡夫の「気取り格好つけ」には相応しい酒肴です。 でも お酒は程々に他に迷惑は掛けない 博打賭事は絶対しない 木造百年さん我が仕事を通じて自分の積徳と精神鍛錬を実行して 我が身と道に真如を体現なさればよいのです。 これがまともな人の道であり、名を威勢と傲慢を以てモテアソブ不埒な輩とは異である事は既に御承知の事です。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

まあね。 我は、仏教徒にならずに、仏法を極め、あらたなる「酒は飲むべし、飲まれるべからず教」の開祖として、この世で成仏してみせよう、かな。 有難うございました。

その他の回答 (10)

  • Tefu_Tefu
  • ベストアンサー率27% (87/322)
回答No.11

こんばんは Mokuzo100nennさん >酒は飲むべし飲むべからず 人生を楽しくするとか、人との付き合いに必要だとかいう意味では酒は飲むべきである。しかし、飲みすぎて醜態をさらしたり、体をこわすという意味では飲むべきではない。人それぞれの選択で決めればよいということ。 という意味ですので、 人との付き合いで飲む場合は、酔う前に自分の伝えたいことを話して、酔ったと思ったら、早々に、用事にて退場することで解消できます。飲み代は払いましょうね。 そして、定期健診をされれば問題ありませんし。病気の予防として、適度な運動と適度な食事に気をつけられたら問題ないかと思います。 以上のことを、いつも考えて実行するより、酒を飲まない方が簡単だと思うのは、私だけでしょうか。 酒でなくても、美味しい飲み物や食べ物はたくさんありますよ。 暴飲、暴食でも病気になります。程ほど、宗教も、また、然りでは。(^-^)

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

>以上のことを、いつも考えて実行するより、酒を飲まない方が簡単だと思うのは、私だけでしょうか。 はい。そうだと思います。 体質的に飲めない人は別として、日本男性の多くの人は、「酒は飲むべし、飲まれるべからず」の警句を尊重し、酒を嗜みます。 どうもありがとうございました。

回答No.10

追伸 kokuzou 100nennさん 訂正 薬師時→薬師寺 回答No.9は、縁起の悪い数字なので、No.10を確保(笑)。 しかし、十進法では、数字は1か0。 1(有)か0(無)か?真理はどちらか? 薬師寺の五重の塔は、50の塔とも言えます。 私は40代ですが、孔子曰く 40にして惑わず。 50にして天命を知る。 私は、どのような天命を知るのか? PM10時に、なったので、くだらないことを考えず、そろそろ寝ます。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

おやすみなさい。

回答No.9

mokuzou 100nennさん こんばばんは。 私は、仏教の知識は、あまりありません。趣味の茶の湯や、西田幾多郎の哲学の理解のための基礎知識程度です。 本論ですが、仏教の修行には、「三学」、すなわち、 戒:悪をとどめ、善を修すること。 定:心身を静かにして、精神統一を行い、邪念を払い、思いが乱れないようにすること。 慧:静かになった、心で正しく、真実のすがたを見極めること。 が、重要と認識しております。 mokuzou 100nennさんの、おしゃる、「五戒」とは、この三学の一部の、「戒」と認識してよろしいのでしょうか? 私は、仏教の修行とは、戒→定→慧の順番で、悟りに至ると思われ、mokuzou 100nennさんが、固執していらしゃる「五戒」は基本中の基本であり、このことを固執しすぎると「慧」すなわち「知恵」に至らないのではと思います。 「知識」と「知恵」は違います。「知識」なら、インターネットで検索すれば、いくらでも手に入ります。 「知恵」は、その大量の情報の中から、選別し、自分の頭(脳)で噛み砕き、自分の血や肉にするものと思っております。 先に回答したように、「知識」だけだと、人はおごり高ぶることが、多々あります。 しかし、キリスト教の聖書には、シラ書などで、「神を畏れることは知恵のはじまり」とあります。 この、「おそれる」の「畏れる」という漢字は「恐れる」という「恐怖」ではなく、「おおいなるものにへりくだる」という謙虚さを表します。 仏教の「慧」すなわち「知恵」をいかに、現代社会において得るかが、重要と思っております。 さて、本論の酒か賭博かの話ですが、タレントの福山雅治は、お母さんが妊娠中に、パチンコ店に通い詰めたため、胎教によるためか、大のパチンコ好きだそうです。 ですから、ギャンブル依存症の人は、もしかしたら、本人の問題ではなく、親の問題かもしれません。生物学的な専門用語でインプリンティングといいます。 しかし、mokuzou 100nennさんの、酒と賭博は、「定」や「慧」における、静かさや思考をを乱すものです。あまり、やりすぎてはいけない。 私も、ギャンブルをしていなかった、わけではなく、奈良に住んでいた頃、研究の気晴らしに、秋の澄み切った空における、京都競馬場でのG1レースを楽しみました。 なんて言ったって、馬が第4コーナーを周ってからの、大勢の観客との、興奮の一体感は楽しいものです。そして、勝った時の京都競馬場帰りの、淀駅前の定食屋のサンマ定食の味は、たまりません。 しかし、私の競馬の予想では、年間を通して、赤字でもなく黒字でもなく、収支ゼロなので、競馬で飯を食っていくわけには、いきません。娯楽です。 酒も、会社では、普段上司に言えないことを、忘年会などの酒の席だからこそ言えるという長所もあるのでは。 話は変わりますが、今日、スロット付きの自動販売機でジュースを買ったら、「9990」ではずれました。 これを仏教哲学すると「999(苦しみの連続)」の後は、「0(空)」ではないかとお釈迦様が極楽浄土から、おっしゃっているのではと思いました。 自動販売機に、おもわず合掌・・・。 昔の日本は、歩くたびに、お地蔵さんがあったかもしれませんが、現在なら数百メートルごとに自動販売機はあります。 mokuzou 100nennさんの「五戒」の酒か賭博を禁止。ではなく、スロット付きの自動販売機を見たら、合掌する。という、戒めに改めてみては。 かたよらない、こころ こだわらない こころ とらわれない こころ ひろく ひろく もっと ひろく これが般若心経 空のこころなり 奈良の薬師時で般若心経を写経して、薬師時から届いた、葉書より。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

>mokuzou 100nennさんの、酒と賭博は、「定」や「慧」における、静かさや思考をを乱すものです。あまり、やりすぎてはいけない。 週に三回まで、と決めて居酒屋に行くのは「やりすぎ」「飲みすぎ」になるのでしょうか?

  • Tefu_Tefu
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回答No.8

こんばんは  まづは、丁寧なお礼に感謝いたします。 弘法大師を調べていたら、「煩悩即菩提」「菩提即煩悩」や「生死即涅槃」の言葉がありました。 煩悩や生死は、人間から切り離して考える事はできないということです。 仏性についての考え方は当たっているのかと思いました。 私はMokuzo100nennさんに説教などできる者ではございませんが、 >「博打するべし、のめり込むべからず」ってのは言うは易し、行うは難しと判断し、20代のころにやったパチンコを最後に、一切の賭事、博戯からは距離をおいて生きて行こうと発心したのであります なるほど、Mokuzo100nennさんの賭博はしない方が得だという判断が、今のお金に困らないという事に繋がったということが納得できました。 行者のはからいが如来のはからいとなって、仏法を実践することができたのですね。 >「酒は飲むべし、飲まれるべからず」を実践してまいりまして これについては、ストレス解消の効果にはなったと思いますが、週に3日の飲酒が、弘法大師の高野山の寒冷をしのぐ為に、「塩酒(おんしゅ)一杯を許す」に当てはまるのかは疑問だと思います。 肝臓は沈黙の臓器なので、悪くなっても検査しなければ気がつくのは困難です。 また、「即非の論理」を極められた、人の道様もおっしゃっているように内臓が悪くなれば寿命は短くなりますし、腎不全で人工透析にでもなれば、年に数百万以上のお金が掛かります。 政府が生活費まで面倒みてくれるかどうかは疑問ですから。 全労災を賭けごとだとするのは偏見かもしれません。確かに、保険は、病気や死亡でなければ損です。 しかし、80歳を過ぎたら、病気になる確率は高くなりますし、保険にも加入できなくなります。 ここは、将来への備えだとして妥協してください。「備えあれば憂いなし」 西洋医学は早期発見が大事で、定期検査が効果的です。 東洋医学は病気の予防と精神面に効果があると思います。 >イスラム教の人達は、何故、ISILに対して抗議しないのか不思議です。 ただ、コーランの教えについて、イスラム教の人達が議論しないのであれば、思考停止であると思います。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

>週に3日の飲酒が、弘法大師の高野山の寒冷をしのぐ為に、「塩酒(おんしゅ)一杯を許す」に当てはまるのかは疑問だと思います。 当てはまらないと思うからこそ、仏教徒になれないのです。 このままであれば、日本神道の信者といして、肉食妻帯坊主が占有する日蓮宗寺院で葬儀を揚げてもらうことになりそうです。

  • Tefu_Tefu
  • ベストアンサー率27% (87/322)
回答No.6

こんばんは Mokuzo100nennさん 仏教は、ゴータマ・ブッタがカースト制度の基に人々が自分の思うようにならないと四苦八苦しているのを観て、そのことから、人々を解放する事を目指します。 そして、ブッタは知彗と縁起により、誰でも平等に人間として生きられることを悟りました。 人間は煩悩、すなわち、五蘊による認識から偏見(認知バイアス=脳の負担を軽くすること)をもって生きています。 四苦八苦は動態であって、慈悲喜捨という仏性(如来のはからい=「義なきを義とす」)により、偏見を作り変えることができます。 それには、知彗と縁起が前提となります。 よって、五戒は縁起に影響すること、知彗が活かせないことになります。 言い換えると、 >他人との繋がりが修復できないことや自分の健康(肉体、精神)に影響すること等の縁起に関わること。 >知彗で解決できないことです。 ☆仏性が働かないこと=過去の偏見にこだわるために思考停止することが問題です。何故なら、四苦八苦は動態だからです。 ☆纏めて、「不停止思考戒」だけでよさそうです。(^-^) >賭博は、他人との繋がりがダメになることはありません。話し合いやお金で解決できます。仏性により、知彗を使うことができます。誰でも賭博はつまらないという偏見に変えれば解決できます。 >飲酒は、飲みすぎると沈黙の臓器=肝臓に悪影響して、肝硬変になればどうしようもありません。おまけに、酔えば、知彗は働かなくなります。 空海は高野山の寒冷をしのぐ為に、「塩酒(おんしゅ)一杯を許す」としたそうです。 これが、空海が知恵により考えたので般若湯となったとか。「酒は飲んでも飲まれるな」は難しいと思います。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

私は今まで「酒は飲むべし、飲まれるべからず」を実践してまいりまして、効能が多いので、これを家訓にしようと思ったにも拘わらず、男子、世継ぎに恵まれず、、、。 一方、「博打するべし、のめり込むべからず」ってのは言うは易し、行うは難しと判断し、20代のころにやったパチンコを最後に、一切の賭事、博戯からは距離をおいて生きて行こうと発心したのでありますが、家人が「夫が10年に以内に死ぬ」方に賭けて、月々◎◎円なる賭け金、否、掛け金の全労災なる賭博プランに契約せんとするものじゃから、夫の命を賭けごとの対象にするのは止めてほしいと言ってみてはモノの、「世の善男は、善女の為に自分の命を賭けの対象にするのはあたり前。まして賭け金の少ない全労災でさえも拒むならなば、離縁を含めて考えさせていだたきます、、、、」みたいなことを言われて、結局、自分の命が早くに無くなる方に賭け、毎月の掛け金を銀行引き落としにすることに、、、。 イスラム教が、その原理において如何に優れておるか良く存じませんが、イスラム教の信者に対して「不博打戒」なるものを厳密に適用・要請していると聞くと、肉食妻帯畜髪坊主が跋扈する日本仏教よりもよほどよく民衆を導くのではないか、などと思料しつつ、、、。

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.5

なるほど・・・ 調べると分かると思うのですが調べないのですね まず、検索ワードで「カラマスッタ」というモノを調べましょう で、追加の質問ですが、もともと「仏教の五戒に賭博禁止がないのはなぜ?」だったはずですが、「で、競馬とパチンコにカネを突っ込むのは良いのでしょうか?」という、まったく別の質問となりますので、新しくカテを探して質問されたらいかがでしょうか?

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

飲酒を戒めるのと、博打を戒めるのではどちらが良いとお考えでしょうか。 これを訊いているのであるから、調べりゃわかるってもんではないじゃろ。

回答No.4

仏教を作った(というか、五戒を作った)、どっかの「お偉いさん」は「人生そのものが博打みたいなもんだ」ってのを悟ってたんでしょうね。 人生を送る上で出現する「いろんな選択」は、すべて「博打みたいなもん」ですからね。 なので「博打を否定する」のは「人生を否定するのと同じ」です。 そういうのが判ってる人間だけが「悟りを開ける」のだと思いますよ。 なお「射幸心を煽る一般的に『賭博』と言われる行為」は除きます。「博打」と「賭博」は違います。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

ありがとうございます。 賭博は、賭事(とじ)と博戯(はくぎ)の両方を指して賭博と言います。 賭事 - 勝負事の結果に関与できないもの 博戯 - 勝負事の結果に関与できるもの 公営競技、「野球賭博」「富くじ(宝くじ)」「ルーレット」などは賭事であり、「賭け麻雀」「賭けゴルフ」「賭けポーカー」などは博戯である。以上、Wikipedia ということで、博戯にカネをかける遊びが「博打」とご理解ください。

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.3

なるほど・・・ 調べると分かると思うのですが 不飲酒戒とは、「酒を飲んではいけない」という意味だけではなく、「麻薬や酒、その他何であれ精神と肉体に毒となるものに酔ってはいけない」という意味です つまり、「お酒はダメなのに、麻薬は良いのでしょうか?」というモノも出てくるはずですが、それらも解決しています

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

ありがとうございます。 で、競馬とパチンコにカネを突っ込むのは良いのでしょうか?

noname#210533
noname#210533
回答No.2

賭け事は、古来 吉凶を占う神事だった。 何事によらずご託宣を賜ろうと欲するは 下々の卑しき者ども冠を奉る王侯貴人に 習うなり、故にこれを悪事とはせなんだ。 古のことじゃからのお。 賭け事とは、神と人間の対話であった、 そういうことじゃと思うんじゃ。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます。 歴史的経緯はあると想像しますが、現代社会を生きる善男善女にたいする戒めとして、五つを絞り込むとしたら、どのような五戒が良いとお考えでしょうか。

回答No.1

仏教ができたときに賭け事が知られてなかったということでは。 賭け事は一部の人間のものだったので釈迦が知らなかったと考えるべきではないかと

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます。 歴史的経緯はあると想像しますが、現代社会を生きる善男善女にたいする戒めとして、五つを絞り込むとしたら、どのような五戒が良いとお考えでしょうか。

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