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【哲学者】哲学者の西田幾太郎ってどういう人物ですか
【哲学者】哲学者の西田幾太郎ってどういう人物ですか?
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昔、ちょっと西田の哲学を読んだことがありますが、たしか生れは金沢あたりで、四男坊だったけど、兄弟姉妹が次々に死んで、しかも父母も若い時に死んで孤児になり、親戚に養子に出され、小さい時は貧乏して苦学して金沢高校から京都帝大に進学して、どこか地方の高校の先生になり、生まれた子供は次々に死に、そして哲学を始めた。 「善の研究」を著わし、注目を浴び、母校、京都帝大の教師に迎えられた。 うろ覚えだから、間違っているかもしれないけど、そんな生い立ちです。 金沢高校の同僚、鈴木大拙によって禅の修行を勧められ、金沢の禅寺で禅の修行を始め、京都では妙心寺で、禅の修行に励んだ。 日本で初めて日本的な哲学を始めたと言われ、その弟子である出隆、田辺元、三木清、和辻哲郎など、後に京都学派といわれる学派を結成した。 「善の研究」では、主客対立の前に、主客未分の、主客合一の「純粋経験」があると言い、哲学はその「純粋経験」から出発しなければならない、と主張した。 これは西欧の主客対立の二元論に対する、日本的な主客未分の一元論の主張だった。 日本語というのは西欧語と違い、主語が要らない構文で、たとえば西欧だったら、I love youというところを日本語だったら、愛しているよ、で立派に文章として通用します。 ここから西田は、肝心要の主語がない、中心が空っぽという日本独特の文法から、「無の哲学」とか「無の場所」という思想を唱え、また華厳経の「即非の論理」を用いて、「絶対矛盾的自己同一」の哲学を唱えました。 華厳経は金剛般若経と並んで禅の思想を述べた経典で、「即非の論理」とは、次のような論理です。 「山は山にあらず、ゆえに山なり」 つまり最初に主題を否定し、その上で主題を肯定するというもの。 これは大乗仏教の「空の論理」です。 良く仏教では、「生死は生死にあらず、ゆえに生死なり」といったり、「仏は仏にあらず、ゆえに仏なり」といったりします。 西田は禅の修行の中から、「即非の論理」を学び、そこから「絶対矛盾的自己同一」といったのです。 つまり、「私は私にあらず、ゆえに私なり」という意味です。 矛盾しているけど、同一という意味。 日本では「空気を読め」といって、日本人はその場の空気によって自分の行動方針をコロコロ変えます。 その点、西欧の場合は自己の中に神が存在するから、道徳的に行動したりするときはその神の声に耳を傾け、神の命令に従って行動するから、「空気を」読まずして、自己の信念によって周りの空気など関係なしに、自己の方針を貫徹します。 ところが日本人は自己の中に神なんていないから、「空気を読んで」、周りの人たちの顔を窺い、その場の空気に従い、非・主体的に行動します。 主体性よりも、「場」が大事です。 それを西田は「無の場所」といったのです。 中心が無いから。 主語が無いから。 主語よりも述語が大事だから。 まあ、そんなところかな、でも、うろ覚えだから、間違っているかもしれません。
お礼
みなさん回答ありがとうございます 詳しく解説して頂きありがとうございます