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個人の計画統制してもよい範囲
不確実な環境下でも、国家は省庁など企業では経営企画室など立案して統制されていきます。 権限と大きな財源で動く国はグローバル経済の中では統制できるものは以前より低くなってますし、計画というのは環境の不確実性や完全情報でないので失敗を伴います。 企業は自分の市場関連のみになって限定されますが、国家より力は弱かったりします。 個人はさらに知れる情報が小さいのでもっと正確な計画を組める可能性も減りますし、実行できる資源も小さくなります。 個人のルールは他人に押し付けると強要ですし、組織が間違えた人に統制を委任するのは破たんになります。資質もあるのかもしれません。 計画統制は意味のないものではなく、やはり方向性はもたないといけないですね。 他人に影響してはいけないとしたら、誰かが組織を動かしてますし計画もしてます。 また組織の場合はマートンのアノミー論がらみになるかと思いますけど。 個人で計画、統制ってどこまでであるべきなのでしょう?かといって、自己実現と調和性の問題もありますね。哲学の格率?といわれるものはどこまでやっていいのでしょう? マイルールの計画の成功性と他人への影響の2つの問題があると思いますけど。
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- kurinal
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おはようございます。 「優勝劣敗」ですか。 まあ、経済的な規制は、掛け易いのでしょう。 (人権を侵害しないように、心掛けたいものですね)
- trytobe
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個人や会社の活動は、それぞれの信念で実行させ、 その集合体としてでは、社会として足りていない部分の事業を、自治体や国家が「税金で」補う、 というのが、資本主義に社会保障の制度を足した、「修正資本主義」という現在の主流の国家運営です。 修正資本主義 - Google 検索 http://www.google.co.jp/search?q=%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9
お礼
>個人や会社の活動は、それぞれの信念で実行させ、 その集合体としてでは、社会として足りていない部分の事業を、自治体や国家が「税金で」補う、 良い言い方だと思います。 ご回答ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
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今や衣食住、身の回りのあらゆる物が世界中からやって 来ており、個人の生は世界の順調な営為に依存しており、 世界は一個の生命体になりつつあると言える。 一個の個体であれば、意志は一つである。 自己の生の社会的拡張=社会生命性の自覚化による 他我(博愛)において、生きる喜びにおいて自律的な社会 行動を導ければ、そこに「自と他」、「個と全体」の目的の 対立はなく、統制の問題も、所有の問題もない。 個は全体のために生き、全体の成果は個の喜びとなる 事で、完全な平等と最高の成果が可能となる。
お礼
つながっているのは確かです。 ご回答ありがとうございます。
- kurinal
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pkuobe99様、おはようございます。 >「個人で計画、統制ってどこまでであるべきなのでしょう?かといって、自己実現と調和性の問題もありますね。哲学の格率?といわれるものはどこまでやっていいのでしょう?」 「哲学の格率」ですか。初めまして、です。 (「格率」って、あるんですね) >「マイルールの計画の成功性と他人への影響の2つの問題があると思いますけど。 」 「自由主義経済」ですか。 ・・・日本国憲法が、あるじゃないか。 人権を侵害しないように、心掛けたいものですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。
お礼
ご回答ありがとうございます。