• ベストアンサー

ディオニュソスは オウムの創始者ではないのですか

 ディオニュソスは オカルト・シュウキョウの類型として オウムの創始者ではないのですか。  恐怖と恍惚感と陶酔が そしてなかんづく ひとごろしが絡んでいます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#214841
noname#214841
回答No.4

>往生際のわるいやっちゃなぁ。 何か他者のせいにできるから、いいのです。哲学といふよりも、文学の世界になつてしまひますけれど。神のせいにしておけば、人間の姿をどんなものでも描くことができます。ギリシャ悲劇と、シェークスピアやラシーヌと比較してみれば明らかです。後世の悲劇では、登場人物への気づかひが必要になつてきます。

bragelonne
質問者

お礼

 だからその修辞学が アサハラの神の場合と同じでしょう。  《自分たちに抵抗するものはみなごろし》なる定言命法っちゃうの?  ご回答をありがとうございます。  デウス・エクス・マキナがみんなわるいというのは言い過ぎでしょうね。しょせん虚構作品であることが前提なんだし。  アサハラニュソスがわるい。

bragelonne
質問者

補足

 ▲ (朝鮮半島での出来事:和夫一家惨殺物語) ~~~~~~  (親日派のための弁明より)未翻訳部分   http://ccce.web.fc2.com/ti.html  私は生粋の韓国人だ。  でも、韓国人というものがあまりにも情けなく、えいっと殺してしまいたいときがある。  なぜ日本の蛮行は暴くのに自分たちの汚い利己心と低劣な鍋根性には目をつぶるのか?   日帝時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には,明らかに立派な人々も多かった。  ところが、和夫一家殺害事件のように韓国人は自分たちの間違いを  日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し事件を矮小化、隠蔽しようと躍起になっている。  以下は和夫夫婦が死んだ日ふだん彼から深い恩を受けていた  金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。  事件当時、金ソンス君も加害者だったが殺害行為には同調しなかったそうだ。  和夫氏は日帝時代によく見られた慶尚道地方の日本人地主だった。  地主とはいうものの和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって  乗り気ではなかった朝鮮生活を始めたものだ。  公務員だった和夫は政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。  そのころの日本は一種の軍事独裁体制で政府の命令に従わなければ  すぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという。  当時、朝鮮にいた日本人地主のなかには朝鮮人の小作人たちから  法の規定以上の小作料を取り立てる怪しからぬ人々もいたが、ふだんから人情味の厚かった和夫は  小作料を収穫全体の十分の一とし村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。  自分たちの生活が困らなかったので総督府の法令にしたがってやむをえず受け取らなければならない  最小限の小作料だけをとったのだった。  貧しい小作人が食料がないと泣きつけば喜んで食べるものを分けてやったし村で誰かの葬礼があれば  家族総出で駆けつけ食事の支度はもちろん自ら慟哭して悲しみを分かちあうこともあった。  このように,和夫は人間への温かい愛情をもった真の人間だった。  また、和夫は近くに行き場のない孤児がいると連れ帰って面倒を見ていたが  その数は一人、二人と増え四、五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。  けれども和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し自ら喜んで彼らの父母を称した。  和夫の家族は、ふだんこのように朝鮮人を愛し日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。  しかし彼らは,日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日  自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより凄惨に殺害されたのだ。  その日から、万歳(マンセー)の声とともに太極旗が翻り、ついに朝鮮人の世がやってきた。  神は自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと、和夫君に嫉妬したのだろうか。  和夫が実の子のように育て、東京帝国大学にまで留学させたAを中心に、  和夫の家で教育を受け成人するまで育ててもらった青年たちが、  鎌とツルハシ、シャベルをもって和夫のもとに押しかけた。  当時、その場にいたキム・ソンス君は、このときのことを次のように証言している。  和夫:(優しい目で)なぜこんなことを。お前たち。  A:チョッパリ!日本へ失せろ。失せろってんだ。  和夫:(わざと怒り声で)私がお前たちに何か間違ったことをしたかい?   お前たちはみんな私の子供だし、私はこの家の家長でありお前たちの父親だ。   お前たちの祖国が独立することは、私も日ごろから強く望んできたことだ。   踊りたくなるような嬉しい日に、なんだって凶器をもって私のところに詰め掛けてきたんだい。   私はお前たちをこんな風に教育した覚えはない。(涙を流して)本当に哀しいよ、朝鮮の子供たち。   私は愛情を注いで育ててきたが、結局、日本人と朝鮮人は交じり合うことはできないということなのかい。   お前たちが望むんなら、帰ってやろう。  A:意味深な目配せをBに送る(財産を全部処分して帰ったら、俺たちはどうやって食ってくんだ?)  B:死ね、チョッパリ、この糞野郎!  次々にツルハシが和夫の後頭部に振り下ろされ、それと同時に  たくさんのシャベルと鎌が体をずたずたに引き裂きはじめた。  和夫の妻は耐えられずに飛び出してきた。それまでじっとしていたCは和夫の妻を見ると、  彼女の髪をつかんで庭の片隅まで引きずっていった。そして、なんと  十三人は、 一週間前までお母さんと呼んでいた彼女を強姦しはじめた  (キム・ソンス君はこの場で自分が止めたなら、自分も殺されていただろうと語る)。  彼女はひどい集団強姦の途中で死亡した。  Dは普段お母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにし、  それでも内臓を掻き出して撒き散らした。  和夫にはひみこという娘が一人いた。普段、模範的でよい子だったひみこは、  学校が終わって家に戻り両親に起きた惨状を見ると、気が触れてしまった。  当時、ひみこの慟哭が何日も続き、近所の住民たちは眠れなかったという。  その後、孤児となったひみこは食べ物乞いに村を回ったが、誰一人見向きもせず、知らないふりをした。  結局、彼女は九日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。ひみこは小学六年生だった。  和夫の財産は「勇猛で愛国心に燃える」朝鮮青年たちの手に丸ごと渡り、  この事件は村人たちの沈黙の中で徐々に忘れ去られていった。  (親日派のための弁明)金完燮  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

その他の回答 (3)

noname#214841
noname#214841
回答No.3

回答番号2のplapotaです。いつも丁寧なコメントをありがたうございます。 >エウリピデスに対して感謝しなければならず はい、おつしやるとほりと存じます。 >神の命じるところだからゆるされるのだと積極的に言うというのであれば これが、ギリシャ古典の良さではないでせうか。機械仕掛けの神について、アリストテレスが『詩学』のなかで非難してゐますが(1454b)、すべてを、神のせいにすることで、人間の姿をどんなことでも描けるやうにしたのだと思ひます。すばらしい発明です。

bragelonne
質問者

お礼

 機械仕掛けの神に対抗するものとしては いくつかあります。  この国が滅ぼした昔の国がわるかったのだと過去の統治の所為にする。  つまりは 前政権の落ち度なのだと言って丸め込む。  あるいは 前世をこしらえて因果応報なる説を広める。つまりは 過去の生や生まれの所為にする。  あるいは秘書の所為にする。  ★ すばらしい発明です。    往生際のわるいやっちゃなぁ。  ご回答をありがとうございます。

noname#214841
noname#214841
回答No.2

>ディオニュソスは オカルト・シュウキョウの類型として オウムの創始者ではないのですか。 オウムはインド由来です。 occultusは「隠れた、秘密の、引つこみ思案の」といふ意味ですから、秘教としてのディオニュソス崇拝は該当するかもしれません。 >恐怖と恍惚感と陶酔が そしてなかんづく ひとごろしが絡んでいます。 ディオニュソスにかぎらず、多くの神神が同類です。 「バッコスの功徳として挙げられる数々の讃美のうちで、最も大事だとされているのは、心に積もる憂いを払う玉箒だということですが、それもほんの束の間のことに過ぎません。......ウェヌスの贈り物である容姿の美しさに恵まれる人は少なく、メルクリウスの贈り物たる雄弁の才にあずかる人はさらに少ないのです。ヘラクレスの好意によって富を得る人もそう多くはありません。ホメロスの詠うユピテルにしても、誰彼かまわず王権を授けようとはしません。マウォルスがどちらの軍勢の側にも立たないこともしばしばです。多くの人たちが、アポロンの三脚台から落胆して下りてきます。サトゥルヌスの子が雷火を投じることもよくありますし、ポエブスは時折矢を射かけて疫病を送り込んできます。ネプトゥヌスだって、命を救ってくださることよりも、海の藻屑となさってしまうことのほうが多いのです。......あらゆる人たちにわけへだてなく、いついかなるときにも恵みを垂れることのできるのは、ただ一人、この痴愚女神のみなのです。」 (エラスムス『痴愚神礼賛』46 沓掛良彦訳 中公文庫119-121ページ) アホの女神こそが、最強だ。

bragelonne
質問者

お礼

 そうですね。まづは ご回答をありがとうございます。  まづ  ★ アホの女神こそが、最強だ。  ☆ につきましては そちらの質問に回答したとおりに考えております。  程度問題を一般論として論じることにほとんど意味はありません。   またそのときその相対性の世界を超え出ようということで〔――おのれの内面において《固有の時》にあらんとする願いとしてではなくそれ以上に他人に持論を説こうとするために――〕何らかの神を持ち出してくること これにも気休めよりほかの意味はほとんどないものと考えます。    そしてこの問いでの問題は 《最強》かどうかではなく そうではなく 《ひとごろし》が絡む限りでは 《良し悪し》の問題になります。最強なら わるいことをすることが交じっていてもよいかの問題です。  ころしの問題は ほかの神々にもからんでくるのでしょうが たぶんディオニュソスの場合には そのころしについてけっきょく悪びれず開き直り居直っているのではないでしょうか。  信女たちがペンテウスを八つ裂きにしてころしたのは あるいは――その女たちが信じるディオニュソスがゼウス神の子であることをうたがわれ鼻であしらわれたことへの――報復行為であるのかも知れませんが そのような復讐にしろあるいはひとごろし一般にしろ ディオニュソス神をあがめる信者にはそれがゆるされるのだというオシエにまでなっている。のではないでしょうか。  麻なんとか言う存在は まだなおわれにとっては師匠でありその命じるところは 絶対であるという状態がつづくのは オカルト・シュウキョウなのでしょうね。  ペンテウスをころすときには ペンテウスの母親すらもが ディオニュソス神の信徒としてくわわっています。そのとき からだを切り刻むに際してその母アガヱはさすが《引っ込み思案》であったかも知れませんが いづれにせよ《隠れた 秘密の》チカラを植えつけられていたのでしょう。そういうシュウキョウのようです。  ▲ (エラスムス) バッコスの功徳として挙げられる数々の讃美のうちで、最も大事だとされているのは、心に積もる憂いを払う玉箒だということですが、それもほんの束の間のことに過ぎません。.  ☆ その気休めがただの気休めであると指摘することにあまり意味はありません。頓服を欲するのも人の常ですから。  けれどもその《憂さ晴らし》が 誰かさんの専売特許のごとくにかつそれでは畜生の品格にしかならないからという理由で持論において《弱者批判》のための強力兵器としてのように用いられる概念たるルサンチマン このルサンチマンそのものに〔憂さ晴らしが〕発することを省みなければいけないでしょうね。  〔やり返さないことが ルサンチマンについて わるいのであって ルサンチマンに浸ったとしてもそのあとやり返すなら よいのだとなりましょうか?〕  〔けれども このバカタレは いづれにせよルサンチマンは弱者で畜群と呼ばなければならない人間の愛玩物だと説き その一方では 神またはチカラに直結する音楽をみなもととする悲劇は ディオニュソス的なるものだとし かつこの要素を永劫回帰するニヒリズムという不幸なる意識に対して積極的に何度も対処するためのチカラであると説いている。つまり 恨みや悔いをのこしたそのあとに ディオニュソス的なものを心に浴びてやり返しをするなら 褒めてつかわすぞと言っているのかとうたがわれる。――このウスノロくんは そのやり返しをみごとに描いたエウリピデスに対して感謝しなければならず足を向けて寝られないのではないか〕。  それ(その憂さ晴らし)も まだおとなしい振る舞いだとすると そうだとしても 問題は やり返しが最後にまでおよぶということ。けっきょくその仇とした相手に対してはその存在の抹殺にまで思いと行為とがおよぶということ。これが 論証抜きででも指摘しなければならない最大の問題でしょう。  そのことを ほかの神々にしばしば見られるように行きがかりでやってしまったという問題ではなく そうではなく 確信犯となるかたちでシュウキョウとして説いてその夢まぼろしの世界へと人間を送りやるということ ここに問題があります。  神の命じるところだからゆるされるのだと積極的に言うというのであれば それは オウムのオシエといっしょではないでしょうか。

noname#208724
noname#208724
回答No.1

ディオニュソスはギリシア神話だそうです。参考URLをどうぞ。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%82%B9
bragelonne
質問者

お礼

 ありがとうございました。

関連するQ&A