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仏教の考え方とは?遥か古と最新現代のギャップ!

父の葬儀以来、こちらの方で大変お世話になっています。と同時に今まで神仏には正月や行事及び観光程度でしか触れることのなかった自分ですが、父の死をきっかけに仏教に眼を向けるようになり、とういか亡き父の為に何かの形で触れ合いたいという思いもあって、何かにつけ浄土宗(当方の宗派)の書物が眼に入ると、目を通すようになりました。そのうち、浄土宗の世界に吸い込まれるようになるかと思いきや、現実に戻され、科学的、情報的社会の現代で、父の死というもののその後(死後の世界はあるのか?やはり死後は単なる無なのか?非現実的なのか?後に残された人間がどう生きるべきかなど)と考えることがあります。浄土宗の教えを信じれば、その反対にいにしえの時代(情報も科学も存在しない時代)だからこそ、人々の悲しみや苦しみを紛らわせる一つの手段(信じるものは救われるという暗示や、心療内科、悩み相談などのカウンセリングと同等)ではなかったのではないだろうか?また、雨乞い(現在、中国で人工的に雨を降らせると聞きます)をするのも同じ理論ではないのだろうか、なぜお経が日本語化しなかったのか(意味を理解できれば日本人の信仰心も今よりは高まったので?)とも思い、今のお若い僧侶の方も現代人で有るがゆえ、口に出さずともそういった疑問を持ちながら、葛藤の中で仏教の世界で人々のお力になられている方もおられるのではないのかなどと考えたりすることがあります。いや、自分自身、今ひねくれた考えなのでしょうね。本当はそんなことを考えたくなく素直に父の墓前に手を合わせ父とこれからも何かしら不思議な世界で触れ合っていきたいと思っています。ご僧侶などの方がこの文面を見られたら、お説教よろしくお願いいたします。

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  • QES
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回答No.2

浄土宗の開祖の法然が生きていた平安時代から鎌倉時代にかけて、既存の仏教は貴族や武士のものであって、虐げられている庶民のものではなかったという背景があります。 そうした時代に、せめて死後の世界は極楽浄土に行けないものかという庶民の疑問に応えたのが法然です。 浄土宗の教えは、ひたすら念仏を唱えることにありますが、これも当時の彼の布教の対象である庶民が金も学も無いことを踏まえ、誰でもアプローチすることの出来る念仏だけを最前面に押し出したものです。 しかし当時のそうした背景を踏まえず、ひたすら形式(念仏)だけを忠実に継承して形骸化する現代の仏教だけをみても仏教の本質は理解できないと思います。 >>なぜお経が日本語化しなかったのか 法然以前の仏教が貴族等の上流社会の高教養人対象のものであり、中国直輸入の漢字ばかりのお経を解釈することに支障が無かったからです。 一方庶民は漢字はおろか、当時生まれつつあったひらがなも読めず、生きるだけで精一杯の庶民に文字による布教は困難であった当時の時代背景がお経の日本語化を必要としなかったものです。 インドで生まれた仏教は葬式とは無関係だったのに、祖先を大切にする中国に伝わり、また死者を弔うことを重要と考える日本に伝わったことにより独自解釈がなされてきました。 また生きる人の悩み相談は新興宗教でこそ盛んですが、既存の寺からも僧からも見受けられず、葬式を機会に仏教をはじめて考えるのが現実というのは現代の仏教の最も残念なところです。

donkey_200
質問者

お礼

ありがとうございます。正直なところ奥が深いというか、時代や国によって改変されてゆくと言うは、人を救うという意味では大変よいことだと思いますが、では仏教原点から外れていくことやおっしゃられるとおり現代人は何も理解せず、お坊様等に任せきりなどと言うのは、仏教以外でも伝統工芸、伝統武道及び舞踊などでもありがちなことですね。自分なりにQES様のありがたいご回答をよく考えて父の墓前に手を合わせたいと思います。

その他の回答 (2)

  • magga
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回答No.3

初期の仏教である仏教の大元のゴータマシッダッタ(お釈迦様)の教えであると評判のあるパーリ語の仏典を学ばれることをオススメします。 解りやすい言葉で論理的に道徳的に穴無く、根拠・理性を大事にし、反証を受け入れる姿勢を持った反宗教的な科学的な視点を持った教と感じます。 スマナサーラ長老の書籍や、サンガ出版の「仏法」をオススメします。 長老の無料で聞けるポッドキャストもありますのでそちらもお勧めします。 藤本晃さんの功徳の回向の、供養の話「仏教の正しい先祖供養―功徳はなぜ廻向できるの? (サンガ新書) 」もわかりやすいと思います。 大元のゴータマ・ブッダの教えは、スッキリしていて気持ちが善いですよ。 参考になれば幸いです。

donkey_200
質問者

お礼

ありがとうございます。是非、呼んでみたいと思います。 心に疑問ばかり(邪念、雑念?)あり、このご回答を拝見する少し前に 「村井幸三『お坊さんが困る仏教の話』新潮社」と言う本を見つけましたが、読んでみたい反面、何か気が抜けるような内容があればと思い躊躇していたところです。

  • booboox
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回答No.1

まず、仏典は、日本語どころか、世界中の言語に訳されて、販売されてます。もちろん、現代語です。 http://www.bdk-jp.org/ http://enlighten.fc2web.com/bukkyouseiten.htm また、当然、内容も解っていて、パーリー語や中国語のまま、現在、お経を読んでいます。明治時代に、各宗派で、現代語に直したお経は、持っています。 お経は、自分で、探求して、解釈し、悩むプロセスに、人生訓がある場合もあります。問題集の模範解答のないドリルをやるようなものです。 浄土宗と言う狭い範囲から一度離れられ、浄土宗の前の釈迦仏教から、入っていただけば、浄土宗のお経もわかってくると思います。最初から、宗派のお経の理解は、知識だけではわからない、体験や経験で、納得する部分もあり、難しいかもしれませんが、回り道でも、釈迦仏教から、浄土仏教に入られては如何でしょうか?

donkey_200
質問者

お礼

booboox様、ありがとうございます。おっしゃられる通りだと思います。現代語で解説しているものは知っているのですが、お経形式に直されているものが明治時代にあったのは驚きです。原点理解という意味で釈迦仏教を勉強したいと思います。