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死後の世界とは?考えてみました
- 死んだらもうそれっきりで自分の存在は消えさり、「無」だけが残ると思う
- 死後の存在は人間の脳がつくりだした幻に過ぎないと考えられる
- 死後の世界の存在を願いつつも、その存在に混乱している
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科学って仕組みは解明できるけど理由は解明できません。 簡単な話、殺人事件が起きて、科学ではどうやって殺したかは解明できますが、なぜ殺したかは絶対に解明できません。脳の記憶をたどることが出来るようになっても、そこから推測するだけで、本人の考えや気持ちは解明できないんです。ダーウィンの進化論すら断定には至っていません。 自称科学者が様々な実験から神や霊・霊現象を否定しているけれど、そもそも神や霊の定義すらないのに否定も肯定も出来はしない。日本人は肩書きに弱いから「教授」という肩書きで信用するけど、教授とか博士はその分野においてでの話で、他分野ではド素人以下だということですよ。それを理解できないからノーベル賞科学者に対して恋愛の質問などするんです。つまり神や霊に関しても、それについて学位を持たなければ専門家ではない。否定している者はすべて素人です。またアインシュタインでもホーキンズでも彼が言ったから信じるなんていう学者は居ません。それを鵜呑みにするのは素人です。 【本題】魂の証明は無理です。(大変長くなるのでかいつまんで話します) でも人間は全く糸口も経験の無いものを想像するのは出来ませんし、世界中の人類が古代において神や幽霊を信じているのも何かしらの経験に基づくものだとしか考えられません。 若い人が死を恐れるのは当然。なぜならそれは防御反応だからです。恐れるから危険な事をしないで済むんです。スタントマンや冒険家は怖がりだから万全の準備が出来るんです。死を怖がらないのは馬鹿です。だから無謀なことをして失敗して死ぬんです。つまり死を怖がるのは正常な証拠。 死期が近づいてくると自然に準備に入ります(病気や事故は別ですよ)。考えてください、死の瞬間意識がしっかりしていたらどうですか?恐怖のきわみじゃないでしょうか?だから死の恐怖を与えないように天は“ボケ”を与えてくれるんです。 高齢者医療の先駆者が言っています。「我々の仕事は生かす事ではない。以下に死に向かってソフトランディングをさせるかです」と。 魂は核のようなものです。生きているときの行動によってその重さが重くなったり軽くなったりします。 最近重さというのはそのものが持っているのではなく「場」によって与えられるということがほぼ証明されました。ヒッグス粒子というのを聞いたことあるでしょう。 同様の原理で魂は生きているときの行動で、所謂善行で軽くなり、慾は重くなるということなんです。 重くなれば低次元・・餓鬼道や畜生道におちる。軽くなれば仏界、天界と呼ばれるところに上がれるということです。その天界などがどういうものか、その世界が宇宙の外側にあるのか中心かはまだ判りません。 魂という核は不変です。地球が多くの元素の塊であるように、人間は魂を核として多くの元素が固まったものです。ブラックホールが星のエキスであるように魂は生命のエキスなんです。 元素が宇宙がある限り存在し続けるように魂も存在し続けるんです。 そして最近、素粒子研究によって異なる次元論が始まりました。これは俗に言われている異次元とは異なりますけど、魂も今の宇宙を越えて存在する可能性もないではありません。 証明されるまで信じないなんて寂しいと思いませんか?もしそれが正論なら科学は発達などしませんよ。この考えはあくまでも「信じて、それを証明しようと努力する人」が居て、初めて存在できるおまけでしかないのですから。 見た事がなければ信じないなら、その人の世界は実に狭いものではないですか。その人が目を離した瞬間、周囲のものは変化します。つまりその人の信じられるものは視野の中にしか存在しないということですから。
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- mojitto
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んーあんまり真剣に考えるものではないのかも。 まぁ死ねば誰でも等しく無に還る…ってのは、ある程度合理的な考えだと思います。 でも少し遊び心があってもいいでしょう。 幽霊なんて、いいじゃないですか。 もちろんお風呂や性生活中にどこぞの幽霊が見ていたら気分は良くないですから、自分もそんなことはしない。 でもせっかくの幽霊なんですから、観光地や秘境を巡ってみたり、いっそ地球の内部や太陽、宇宙の果てを見てみるのも一興でしょう。 一人で漂うのもいいし、友達を探してみるのもいいし、全てに飽きたら本当の無に還るってのもオツなもんです。 現世に生きている人に呼ばれたら、赴いて守ってあげるのもいいでしょう。 生きることなんて苦労ばかりですから、それくらいのご褒美があってもいいはず。
お礼
ありがとうございます。 あなたの考えで生きていければ、救われる気がします。 わたしも上手に生きていきたいです。
死後は細胞分裂。 有機物は、形を変えて続きます。
お礼
ありがとうございます。 形はなくなっても何らかになって続いていけるのですね。
回答のつもりはありません。私の、普段感じているところを記述してみました。 何か参考になれば幸いです。 「死んでしまった後は、どうなると思いますか? 」……あなたの身体を構成している分子が、広大無辺の宇宙の塵になります。 「あとは「無」だけが残る」……上にも書いたように「塵」が残ります。「無」というのは、あくまでも、「無」であって、残るものではありません。「宇宙の始まり」に関する本や文献を読んでも、私のような素人には「無」というのがよく分かりません。 「人はおよそ自らの力で実現できない奇跡を神と呼ぶのだ。」……私には、奇跡=神とは、少し違うように思えます。「神」とは、「神を信じる者」の心にのみ存在するものだと思います。 「したがって、死後の世界とは人が死の恐怖から逃れるための妄想なのかもしれない。」……そのような面もあると思いますが、むしろ、現世の苦しさから救われるために創造されたものだと考えています。 「自分がもし死んでしまってもその人のことを誰かが覚えていたら、ずっと存在していけるという話があるが、それは生きている人にとってであり、死んでしまったひとにとっては何にもならないのではないかと思う。」……同感です。 「前世や生まれかわりは、もし本当にあり得ることだとしても自分が自分だという記憶や意識がなければ、自分が自分として存在しているといえるのか?例え同じ姿形で生まれ変わったとしても固有の意識がなければただの別人だと思う。」……同感です。生まれ変わりなど「ない」と考えています。 「死ぬことを考えるととても恐ろしい。」……それを乗り越えることが、生きている人間の大きな課題だと思います。 「神の存在や死後の世界を否定することをいったが、それはそう考えられるということで、わたし自身死後の世界の存在を強く願っているし、神も信じているし、信じたいと思っている。」……信じるか、信じないかというだけのことです。信じて現世の苦悩から救われる人もいるでしょうし、信じても、なお救われない人もいると思います。 「先ほどいったことも考えられるのでどうすればいいのか混乱している。」……上にも書いたように、信じるか、信じないかというだけのことです。どうしようもありません。 「幽霊が存在していたら死後の世界は存在している可能性があると思う。」……「幽霊」は現世の人間が錯覚するものであって、死後の世界とは直接関係しないと考えています。「死後の世界の存在の有無」は誰にも分かりません。だからこそ、「宗教」が存在しているとも言えます。「死後の世界」なんてないと分かってしまえば、ほとんどの宗教は消滅してしまいます。 「わたしはひと一倍生に執着しているのだと思う。」……あなただけではありません。 「死んでしまってもそこで終わりではないど、自分の存在はずっとあり続けられる」……そうなったら、ますます苦しくなりませんか? 「死ぬ瞬間なにもかもなくなってしまうのが怖いです。真っ暗な世界が怖いです。」……誰にも救えません。あなた自身が悟るしかないのです。「真っ暗な世界」があるとは限りません。「無」の世界ですから。 「人は死ぬために産まれてくるのでしょうか?」……「生」があれば、必ず「死」を迎えます。「生」と「死」の違いは、「生」は奇跡ですが、「死」は奇跡でも何でもありません。単なる「生を受けたものの必然」です。この意味では、「人は死ぬために産まれてくる」とも言えますが、「生」というのは「死」を目的にしていません。生きている間にやらなければならないこと、やりたいことが沢山あるはずです。それが「生きる」ということだと、私は思っています。 「生きる」ことには、苦労や苦悩がありますが、生んでくれた父と母と奇跡に感謝しています。
お礼
わたしの考えをとても真剣に考えていただきありがとうございます。 あなたの意見がきけて本当によかったです。 わたしも今生きていることに感謝していきたいと思いました。 本当にありがとうございました。
- haimianhaha
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そうですよね、ずいぶん悩んでいる気持ちが分かっています。 私もこのような悩みを持っているところなんです。 私は今23歳で、たくさんしたいことがあるから、死ぬことを考えると怖いなあと思っちゃいます。 死んだ後の世界は一体どんな世界なのかについて世間の人々には誰でも答えられない質問だと思います。 人生は短い、どれだけ考えても答えがピーンと出られない質問もたくさんある。 まあ、死亡というものは私には考えられるものではないんだ。 すみませんね、答えられませんって。 考えると頭が痛くなるからね。
お礼
ありがとうございます。 私と同じような悩みをもったひとがいるとわかっただけで幸いです。
私も死についてよく考えていました。 結論としては 今まさに人生を終える人を目の当たりにした時、 人が生を授かる瞬間、または貴方が女性ならお腹に子を宿した時に自ずと分かると思います。 そこまで言葉を書ける貴方ですから、身を持って経験する事が理解出来るかと。 考える事は素晴らしいです。 ただ『現実』で生きてる以上、その中で『経験』していく事が何よりも答えがでやすいかと私は思います。
お礼
ありがとうございます。 これからもっとたくさんの経験をして考えて行きたいと思います。 わたしはまだ、人生の経験が少ないのだと思います。 あなたの考えが、きけてよかったです。
- 541usavich04
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何かの歌でありましたが、 死んだ後にどこに行こうが 心配するの早すぎやしないか? ですよ^^ まあ、それは置いといて、 人は死ぬために産まれてくるのか。 それは正解でもあり、不正解でもあると思います。 私の個人的な意見ですが、 人は生きている間にいろいろなことを 学ぶために産まれてきていると思います。 嫌なこと、楽しいこと、 つまり魂の向上です。 今世で罪を犯したひとは 来世で罪を償います。 そうやって魂は成長していくと思います。 もちろん産まれた瞬間に 死に向かって生きているので あながち死ぬために産まれてきていると 言っても間違いではないと思います。 死んだら真っ暗な世界にいくとか 死んだら天国と地獄があるとか ひとが考えたことなので実際に死なないと そこは分かりませんが、 死ぬときは本当に何も持っていけないのです。 自分の身体さえ持っていけません。 持っていけるのは魂ひとつです。 魂ひとつだけをもって 誰もいったことのないあの世というところにいき、 あの世で休憩したあとにまた、 修行のためにこの世に産まれるのです。 だから、死んだら終わりではないと思います。 死んだら、次生まれ変わってまた死ぬ。 繰り返しだと思います。 自分という存在は消えるかもしれませんが 魂というのは永遠に残ると思います。 どんなひとに生まれ変わっても 前世のことを覚えていなくても、 魂の部分というのは変わらないと思います。 私もときどき、なぜ輪廻転生なんて そんなことを繰り返すのかと思いますが、 そこは精神世界に生きるひとか 死んだひとにしか分からないと思います。 長々と書きましたが とりあえず私が言いたいのは 死ぬ瞬間は苦しいかもしれないけど 死んでしまったら死ぬ前に 思っていたこととはまったく違ってるかも しれないからそんな先のことは 気にせず、今、死ぬまでを楽しく 悔いのないように生きようってことです笑 あくまで個人的な考えですが( ;´Д`) それと、質問内容と食い違ってたらすみません><
お礼
ありがとうございます。 今生きている中で死のことばかり考えるのはまだ、はやいのかなとわかりました。 とても前向きな気持ちになりました。 ホントにありがとうございます。
- garasunoringo
- ベストアンサー率16% (358/2178)
適度に行間を空けないと、読めません
お礼
アドバイスありがとうございます。 気を付けます
お礼
ありがとうございます。 証明されていないことをすべて否定していたら、寂しい人生をおくることになりますよね。 あなたの考えはもっともだと思います。 わたしも、これから可能性を信じて生きていきたいと思います。 本当にありがとうございました。