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日蓮、法華は自己矛盾をかかえてはいないか?

日蓮系(創価学会含む)の方たちはどうこれに非情緒的に反論なさるのでしょうか? 「日蓮は自分は釈迦死後2000年後の末法に生まれたとしていますが、釈迦は紀元前800年にはまだ生まれておらず、それから3~400年後の人物。日蓮はまだ2000年後の末法になっていない時に生まれたにもかかわらず、末法だと誤って断定的に語ってしまった。 また、末法思想は大集経からで、釈迦は生前、末法だの正法だの口にしたことは一度もない。彼の死後数百年後の一集団が作ったフィクションでしかない。あるいは、法華経も「釈尊が説いた法華経」と言うが、法華経は釈尊死後数百年もたったある集団が創作したフィクションであり、紀元1世紀ごろのシロモノ。釈尊生存中に法華経の内容を直接語ったことなんぞない。そもそも本来の釈迦は、未来を予想したり、死後を語ることは、一切話さないという態度をとっている。」 これは現代の文献学、歴史学その他で解明されている最新のものであり、これに反論するには科学的論拠が必要だと思います。 私は、大乗非仏説論者ではなく、知的欲求として聞きたいのです。 どなたかよろしくお願いします。

みんなの回答

  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.1

知的欲求として、参考までに。 釈迦の入滅後1000年(500年説もあり)が「正法」、その後の1000年が「像法」、その後が末法の世といわれています。日本では永承7年(1052年)が末法に入る年とされていました。そのため、この年に関白藤原頼通は宇治の別荘を寺院として、平等院にしています。ですから、日蓮が末法の世に生まれたとするのは当時の人々の認識として考えると間違いではないのです。また、1052年の後には今までの貴族政治の秩序が崩れ、都に保元・平治の兵乱や、源平争乱、地震、飢饉、承久の乱に伴う上皇の配流など、既存の権威や体制の崩壊が、末法の世になったとの認識を後押ししたようです。そこに、日蓮をはじめ鎌倉新仏教が民衆に受け入れられる素地があったと言われています。 釈迦の没年がいつであるのか、末法を説いたのか、末法はいつからなのかについて科学的に追求されることでしょうが、宗教は心の問題でもあるので、信じるのは信じるに足る背景があったと思います。ただし、この場合でも歴史学的追究等は必要ですが。 なお、西欧の中では仏教は純粋な宗教でなく、哲学的宗教と規定する研究者がいます。釈迦の説いた内容は合理的で、哲学的な部分が多くあるとの主張でもあります。しかし、非合理的で雑多な思想を取り入れることにより、より宗教性を高め、一部の宗教から世界的な宗教として発展したのではないでしょうか。 ともかく、末法の世については当時の人々の認識が重要だと思います。 個人的な意見なので参考まで。

ringox
質問者

お礼

単なる個人的なご意見ありがとうございました。 当時の人々の実際は間違っていた認識なんぞ聞きたくなく、現在の事実としてどうなのかということを問いたいことは、おわかりのはず。

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