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マケドニアのファランクスとスイス長槍兵の違いは?

古代マケドニアのファランクスと、 中世のスイス長槍兵の戦い方の違いはどのようなものがあるでしょう? 両者とも長槍を攻撃的に運用した事はわかるのです。 他にファランクスは長槍を並べてひたすら押圧するのと、 スイス傭兵は状況によって上から槍を叩き付ける戦法をとった、ぐらいしか分かりません。 他にどんな違いがあるのでしょう? また仮に平地で障害物もなしにマケドニアファランクス300人と スイス傭兵300人が戦ったらどちらが勝つでしょうか?

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  • eroero4649
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回答No.2

#1です。 パイクとハルバートを間違えました。ごめんなさいね。ご指摘のとおりです。 んで、スイスがこれといった産業がなかったから傭兵稼業になったという話に異論はないですが、なぜ傭兵だったのか(他の職種ではなかった)ということを考えてみるといいと思いますよ。例えばフィリピンは今もこれといった産業がなく、世界各地にフィリピン人が出稼ぎに出ていますが、「フィリピン傭兵」ってあんまり聞かないじゃないですか。グルカ兵ってのは聞くけど。つまりスイス人は「強かった」わけです。スイス兵が精強だったことには質問者さんも異論がないわけでしょ。じゃあなぜスイス兵は精強だったのか、ってことです。精強な兵士は平和な土地には生まれません。「戦い慣れていた」から各地でひっぱりだこになったわけです。 じゃあ、なぜスイス人はそんなに戦い慣れていたのかというと、フランスやハプスブルク家と自治(独立)を求めて戦っていたわけです。んで、戦いに勝って自治を手に入れたはいいけれど、産業がない。だから傭兵が輸出品になったのです。「あのフランス軍もハプスブルク軍も負けた」というのがヨーロッパに轟いていましたからね。 まず最初にスイス独立にまつわる戦いがあって、その戦いの過程で「スイス兵が強い」ということがヨーロッパ中に伝わって「ぜひ雇いたい」という声が高まったのです。 またスイス長槍兵全盛の時代は、意外にも100年あったかどうかです。アルベドの戦いってのは1422年ですよね。だいたいそのくらいからヨーロッパで火縄銃が出回り始めるんです。んで、100年後の16世紀半ば近くにスペインが長槍兵と火縄銃兵を組み合わせたテルシオを完成させて、17世紀にオランダ軍がテルシオと対等に戦えるまでは西ヨーロッパではテルシオが無双状態となります。私はその時代のヨーロッパ軍事史は疎いけど、スイス長槍兵が単独で無双だったのは実質的に50年あったかどうか(それ以降は火縄銃兵との混成になる)だったんじゃないかなーと思います。また、今回のテーマとするスイス兵の数々の伝説は北イタリアで生まれたものが多く、この当時のスイス人以外の傭兵の弱さときたら第二次大戦のイタリア兵レベルですからね。スイス兵の精強さにはもちろん異論はないですが、16世紀以降は銃や大砲のような火器が主流になっていくので、「短い栄光の時代」だったんじゃないかな、とは思います。 それと、強いこだわりを見せるファランクスvsスイス兵ですが、古代ギリシアの重装歩兵は、青銅製の鎧だからなあ。ただ、そもそもスイスの長槍は私が前回の回答でも書いたように「対騎兵戦術」から始まっているのですよ。一方のファランクスは対歩兵用戦術ですから、単純に歩兵に強いのはファランクスになりますわね。その分ファランクスは騎兵の突撃には弱く、特に側面から騎兵に突かれるとどうにもならなくなります。 ファランクスじゃなくてレギオンの時代だけど、カンナエの戦いでローマ軍はハンニバルの騎兵に側背を突かれて戦史上空前絶後の全滅をしたでしょう? ちょっと話がズレるんですが、第二次大戦当時、小隊レベルだと日本陸軍とアメリカ海兵隊ってほぼ火力が互角なんですよ。んで、日本軍に擲弾兵がいると日本軍有利になるんです。だけど、実際の戦争は日本が負けたわけですよ。中隊レベルになると迫撃砲がある分海兵隊が火力で勝り、師団レベルになると砲兵火力に圧倒的な差がつきます。 だから、現実的には起こり得ないシチュエーションを無理やり作って「どっちが強いか」ってのには私はすごく否定的なんです。もし現実的にそういうのをやったとしても、いつも必ずどちらかが勝つということはないと思います。「読売ジャイアンツと阪神タイガースどっちが強いと同じ」というのは、そういうことです。 またどちらにしても「とてつもなく長い槍を用いて槍衾を作る」ということには変わらないので、やれることといえば「突く」か「叩く」かどちらかくらいしかできないと思います。傍目にはどちらも同じに見えますが、「同じような集団歩兵部隊を撃破するために発達した」のと「対騎兵戦術として発展した」という違いはあるかなと思います。

  • eroero4649
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回答No.1

ファランクスの場合、基本的に相手になるのは同じファランクスです。騎馬があまり発達していなかった古代ギリシアでは、歩兵同士の決戦が基本だったんですね。だから相手も同じようなファランクスであることが前提なのです。 一方、スイスの長槍兵の場合、彼らの前に立ちふさがったのは主にフランスの重騎兵です。騎兵の突撃に対して長槍で対抗しようとしたのです。だから、彼らは槍だけじゃなくて矛(パイク)も持っていますよね。パイクの鍵の部分で騎兵を引っかけて落馬させるためです。「長槍で馬の脚を止めて、パイクで引っかけて騎兵を倒す」というのがスイス兵の戦い方です。 なんだ、スイス兵のほうが楽そうじゃないかと思うかもしれませんが、私たちが主に目にする馬はサラブレッドで体重がだいたい550キロくらいです。一方、フランスの重騎兵の馬は北海道のばんえい競馬の馬に近いもので、800キロ近くあります。重さといい、大きさといい、ほぼ軽自動車なみです。つまり、時速30キロから40キロでこっちに突っ込んでくる軽自動車を生身の槍衾で食い止めようというわけで、そりゃ並大抵の度胸ではできません。槍衾にしないと意味がないのですから、もし右隣のやつがビビって逃げてしまい、左隣のやつがそれを見てパニックになって逃げたら、もうアウトですよね。つまりスイス兵は根性があったのです。 >また仮に平地で障害物もなしにマケドニアファランクス300人と >スイス傭兵300人が戦ったらどちらが勝つでしょうか? 時代が違うんだから意味がないし、 「読売ジャイアンツと阪神タイガースが戦ったらどっちが勝つんですか?」って聞くようなものです。勝負事だからどっちが勝つかはやってみないとわからないです。あとまあヤボなツッコミをすれば、古代マケドニアのファランクスのひと塊は大隊(バタリオン)編成が基礎になりまして、1個小隊が64名で2個小隊で中隊で、2個中隊で1個大隊になるので、約500名が1単位になりますね。指揮官がどうなっていたのかとか、別に非戦闘員はどのくらいいたのかはそこまで詳しくないので分からんです。 もっと蛇足なことをいうと、実際の戦争は様々な部隊が組み合わされて使われます。「角と飛車、戦ったらどっちが勝つ?」っていうのは無意味な比較ですよね。古代マケドニアの軍隊は重装歩兵が中心でしたが、重装歩兵は正面の突破力はものすごく強いけど、みんなヘルメットをかぶっていて聞こえないし正面しか見えないから、側面からの突撃にものすごく弱いんです。それをフォローするために、両側に軽装歩兵を置き、更に外側に騎兵を置いたのです。 またスイス兵が精強だったのは、スイス人が独立を願ったからです。独立戦争だったから、恐ろしい騎兵からの突撃にも耐えようという気力が生まれたのです。こと独立戦争となると、プロフェッショナル軍隊が市民の寄せ集め軍隊に個々の戦いでは勝利しながら最終的には敗北した(独立が実現した)、というのは実によくある話です。アメリカの独立戦争なんか、アメリカ軍はイギリス軍と戦うと戦術的には必ず負けたんです。昔、ディスカバリーチャンネルでアメリカ独立戦争の番組をやってましたけど、「どうすればここからアメリカが勝つ話になるんだろう?」って思うくらいアメリカ軍は弱かったんです。

akame200x
質問者

補足

ご回答どうもありがとうございます。 >>彼らは槍だけじゃなくて矛(パイク)も持っていますよね。パイクの鍵の部分で騎兵を引っかけて落馬させるためです。「長槍で馬の脚を止めて、パイクで引っかけて騎兵を倒す」というのがスイス兵の戦い方です。 ここで仰っている矛(パイク)のことは「ハルバード」の事ですよね? パイクに鉤はついてません。 ゼンパハの戦い以前にはスイス傭兵もハルバードを武器に戦っていますが、 アルベドの戦い以降、すなわち西欧での傭兵市場でスイス傭兵が引っ張りだこの盛期には一貫して梯団を組んで、全員パイクを武器にしての白兵突撃で不敗神話をものにしています。 自分が前提にしているのはこの時期からのものです。 時期を曖昧にしてしまい申し訳ないです。 >>古代マケドニアのファランクスのひと塊は大隊(バタリオン)編成が基礎になりまして、1個小隊が64名で2個小隊で中隊で、2個中隊で1個大隊になるので、約500名が1単位になりますね。 大変参考になります。ありがとうございます。 それでは500名のマケドニア重装兵とスイス傭兵500名、 の勝負ではどうでしょう? 「ドイツ傭兵 (ランツクネヒト) の文化史」から読む限り、 初期のスイス傭兵はアルケビュスや弩を持った兵も少なからずいたようですが、 長槍白兵突撃の不敗伝説が磐石になるにつれ、装備は一貫してパイクに統一されるようになったようなので、勝負としてはサリッサ+盾 vs パイク、と言う事になりますが、どうでしょう。 >>またスイス兵が精強だったのは、スイス人が独立を願ったからです。独立戦争だったから、恐ろしい騎兵からの突撃にも耐えようという気力が生まれたのです。 恐れながら、この部分については疑問があります。 スイス傭兵が精強であったのは、特にコレと言った産業もなく、酪農や農業もあまりに山がちで食い扶持には全く不足していると言う当時の状況が主な一つの背景であり、 もう一つは同時期にミラノ公国軍の騎兵突撃にスイス盟約者団の歩兵が立ち向かい、対抗したという契機が決定的となり「戦場での歩兵の価値の見直し」から当のスイス槍兵がスポットライトを当てられる事となり、フランスを初めてして諸外国は争ってスイス傭兵を雇った。。 スイス傭兵は国に戻っても、前述した通りその日の食うものにも困る状況が待っているだけ、また盟約者同盟の取り決めの通り、逃亡してしまったり、敗北してしまったりしては今やスイスの基幹産業と成り上がった「傭兵貸し出し業」の価値が多いに下がる、よって後ろに下がる事はスイス傭兵としては許されず、ひたすら忠実に前進し敵を撃破する事が彼らにとって唯一の「生き残る道」であった、というのが重要な背景であり、 「独立を願った」と言うような機運があったか、それによって彼らを精強とならしめたのか、と言うのは疑問が残ります(そもそも国力自体、傭兵業に頼っている為諸外国に依存している状態。。) こんな感じですが、補足とさせていただきます。

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