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秀吉の伝記に出てくる
小学生の時に読んだ、豊臣秀吉の伝記に『野武士』が出てきました。 盗賊とか、山賊の事らしいということは、WIKIで過去問がでてきます。 彼らには、戦国武将が争っていることは関係無かったのでしょうか? 影響なかったのでしょうか? 『野武士』は、いつ頃~いつ頃まで、存在、呼称されたのでしょうか 面白いエピソードはありますか? 以上をお願い致します。
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野武士ってえのは、今の言葉でわかりやすくいえば「派遣会社」です。 ある程度以上の規模の戦いになれば、大名としてはより多くの兵を集めたいこともあります。しかし、普段はそんなに兵を雇う余裕もないし、必要でもない。一時的に人を集めたいこともしばしばあるんですね。 で、当時はこれといってどこかの家に直接雇用をされていない短期雇用の「フリーター武士」ってのが数多くいたのです。宮本武蔵がこのフリーター武士の典型で、他には滝川一益もフリーター武士出身です。滝川一益は信長に「お前、優秀だな」と見出されて軍団長になるまで出世しましたが、典型的な「選手としては超一流だけど監督コーチとしてはヘボ」だった宮本武蔵は仕官が叶わずにフリーター武士で終わっています。 このフリーター武士がわかりやすく登場する映画が「七人の侍」です。 しかしフリーター武士を集めるといっても、個別に一人一人集めるのは大変です。できれば業者みたいなのが何十人なり何百人なりを連れてきてくれると助かるわけです。その業者が野武士集団なのです。 食い詰めた連中からすれば、親分に従っていれば生活の面倒をみてくれます。戦国大名からすれば、とりあえずその親分を雇えば頭数は揃えてくれるわけです。 しかし法律もへったくれもない時代ですから、彼らとて生きていくにはメシは毎日食わなきゃいけませんが、そうそう毎日仕事があるわけでもない。仕事にあぶれれば略奪して生きていく、ということになるのです。
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- ithi
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mm058114 さん、こんにちは。 野武士の頭目として有名な蜂須賀小六は実はその地方の土豪とか国人と呼ばれる小領主であり、二つの戦国武将がいる場合、勝ち味のある方に味方して恩賞にあずかるというようなことをしていました。 当時はまだ、農民と武士との身分差が分かれていない兵農未分離の状態でしたので、農民も戦時の兵隊として駆り出されていました。俗に野武士というのは江戸時代の郷士身分や武装農民であります。俗に郷士は地侍とも言われていました。秀吉のときに刀狩が行われ、兵農分離が完成すると武装農民はほとんどいなくなりました。 また、郷士は一般には農事を行うため郷中におり、戦時における従軍義務以外には城中での義務がないのが特徴のようです。 江戸時代の初期まで野武士という呼称が使われていたようです。 土豪 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E8%B1%AA 蜂須賀小六 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E9%A0%88%E8%B3%80%E6%AD%A3%E5%8B%9D 郷士 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B7%E5%A3%AB
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大変勉強になりました。 ありがとうございました。
- lv48
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関係ありました。 http://www.weblio.jp/content/%E9%87%8E%E6%AD%A6%E5%A3%AB 蜂須賀小六 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146158846
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大変勉強になりました。 ありがとうございました。
- hamazo2004
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野武士とは必ずしも盗賊や山賊とは限らず、戦乱の世の中、主家を失った武士も指します。あるいは腕の立つものは自ら主人を変えたケースもあります。恐らく江戸時代の安定する時期まではあったのではないですか。黒澤監督の「7人の侍」と言う有名な映画がありますが、1586年ごろ、つまり秀吉のころです。
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そうなんですか。 大変勉強になりました。 ありがとうございました。
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とてもわかり易い説明ありがとうございます。 大変勉強になりました。 ありがとうございました。