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うるう年を計算に入れると?

---一部引用--- 「世紀の計算ミス」の内容を大まかに説明すると、マヤ長期暦の1周期を約5000年としてグレゴリオ暦に換算した場合、4年に約1日増える“うるう年”を計算に入れていなかったというのだ。つまり、5000÷4=1250日もの誤差が出ており、誤差を修正すると、マヤ長期暦の終わりの日は、西暦2012年12月23日から1250日後の2015年9月3日になるというのである。 ---引用終了--- 引用元:http://news.livedoor.com/article/detail/7258100/ この計算がよく判らないので、なぜこうなるのか教えてください。 ↓私はこのように考えました。 うるう年が無いときとあるときで比較すると、うるう年がある時の方が単位年数あたりの日数が多くなります。 マヤ暦と西暦で起点となる日を決め、そこから日毎に一対一で対応させていったとき、対応させる日が無くなる年が早いのは、うるう年を計算に入れた場合です。 もし仮にうるう年を計算に入れないことで1250日の誤差がでたのなら、2012年12月23日の1250日後ではなく1250日前、2009年中頃がマヤの暦の終わりの日になっていたはずです。 しかし記事ではうるう年を計算に入れることで2012年12月23日から延長されて2015年9月3日ということになっています。 なぜこうなるのでしょうか?

みんなの回答

  • staratras
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回答No.4

ご質問に引用されたサイトの記事はまったく意味不明です。天文学などで離れた期間の日数計算を行う際には、下に書いたように紀元前4713年1月1日世界時12時を計算の起点とした「ユリウス日」を使用します。このユリウス日は閏年も考慮した現在まで連続した通日であり、いちいち間に閏年が何回あるから合計○○日などと日数計算をしてしているわけではないので、閏年を考慮していなかったから、日付が3年もずれるという説はにわかには信じがたいものがあります。さらに記事には以下の明らかに誤りと見られる記述があります。 >つまり、5000÷4=1250日もの誤差が出ており、誤差を修正すると、マヤ長期暦の終わりの日は、西暦2012年12月23日から1250日後の2015年9月3日になるというのである。 まず、閏年は厳密に言うと「4年に1回」ではなく「400年に97回」ですので5000年間の閏年は1250回ではなく1212回か1213回ですが、それはひとまず置くとしても、2012年12月23日の1250日後は2015年の9月3日ではなく2016年の5月26日のはずです。1250÷365=3.42 で3年半近くあるのになんで2年9か月後になるのでしょうか、明らかにおかしな計算です。 またご指摘のように閏年がなかったとして計算すれば、過去のある日からいままでの日数は、閏年の存在を考慮した現実の場合と比較すれば、日付が進んでしまいます。以下詳しく検討しました。 もともと「マヤ暦」には以下の異なった周期的な期間を表す単位の組み合わせで、起点となる日から経過した日付を表す「絶対暦」ともいうべき「長期暦」がありました。 1キン:日(=1太陽日) 1ウィナル=20キン 1トゥン=18ウィナル=360キン 1カトゥン=20トゥン=7200キン 1バクトゥン=20カトゥン=144000キン 1バクトゥンは14万4000日ですので、現行の暦では約394年です。肝心の起点となる日について、古代マヤ人は「13バクトゥン0カトゥン0トゥン0ウィナル0キン」としていました。これは私たちが午前0時のことを夜中の12時と呼ぶようなもので、13バクトゥン(187万2000日:約5125年)を一大周期と考えていたことになります。この起点となる日付は現在もっとも有力とされている「グッドマン・マルチネス・トンプソンの説」(GMT説)によれば、紀元前3114年8月11日(グレゴリウス暦)です。 もちろんこのことはマヤの長期暦が紀元前3114年に作られたという意味ではありません。長期暦の「日付」で現在見つかっている最古のものでも7バクトゥン以降しかありません。長期暦の日付を逆算すれば起点が計算上は紀元前3114年になるというだけのことです。 またこの13バクトゥンは単なる一つの周期に過ぎず、これ以上の長さの周期もマヤの暦にはありますので、古代マヤ人が13バクトゥン経てば世界が滅びると考えていたなどとするのはこじつけであり、まして「2012年人類滅亡説(?)」などは根拠のない迷信のようなものです。 それはともかく、紀元前3114年8月11日(グレゴリオ暦)のユリウス日(天文学などで日数計算に使う通日)は584283なので、その187万2000日後はユリウス日が2456283で、2012年の12月21日になります。この起点を2日だけ微修正した説によれば12月23日です。 これが3年もずれるとすれば、それは記事のようにマヤ長期暦の約5000年の周期をグレゴリオ暦に換算するときの日付のずれではなく、起点となる日そのものがその分だけ変更(修正)された場合しか考えにくいです。というのは、周期である13バクトゥンの日数(20×18×20×20×13=1872000)は変わりようがないからです。 マヤにはこの長期暦のほかにも260日や365日、さらには819日などの別の短い周期の暦があり、長期暦が使用されなくなった後もこの短期暦の一部がスペインによる征服時まで使用されていたおかげで西暦との換算が可能になったという事情があります。基準となったのはこのスペイン征服後のある時点でのマヤ暦と西暦との日付の対照換算です。マヤの長期暦の起点が紀元前3114年8月11日になるという説はこれから逆算しています。このあたりの理屈は極めて興味深いのですがここでは書ききれません。 ともあれGMT説が有力となるまでにはさまざまな検証を経ており、「3年ずれる説」は引用された記事の限りではにわかには信じがたいです。

noname#224207
noname#224207
回答No.3

何処をどう混同されたのかよく分かりませんが 「もし仮にうるう年を計算に入れないことで1250日の誤差がでたのなら、2012年12月23日」 とお書きになられている2012年12月23日は西暦表示した日付ですか、マヤ暦で表示した日付ですか。 ご提示の文章が分かり難いのはマヤ暦の○○○○年△△月◇日は西暦で表示すると2012年12月23日だ、というのは間違いでそれは西暦で2015年9月3日に相当するというのが正解である、ということではありませんか。 マヤの占師がどのような基準で終末を予言したのかは、分かりませんが、 西暦の12月23日というのは冬至の前後ですよね。 マヤの占師は正確に冬至の日を割り出していて、それから5000年後に暦が一巡するので、ゼロに戻る即ち終末である、としたのではありませんでしょうか。 冬至を1年の基準とするのは洋の東西を問わず古代人の共通の認識です。 クリスマスも元々はこの冬至祭りです。 正月即ち立春も冬至が基準となっています。 今でも年賀状に初春とか立春と書くのはこれが元です。 それをご提示の文章にある学者は単にマヤ暦の5000年と西暦の5000年とでは1250日の差がある(西暦のほうが長い) これで計算すれば5000年後は西暦2015年9月3日になるとやったのではありませんでしょうか。 マヤ暦365日×5000年=1825000日 西暦 365日×3750年+366日×1250年=1826250日 「1年の基準は冬至である。5000年で暦は一巡する」というマヤの占師の考え方を無視して、単純に5000年という言葉にしがみついて日数計算だけして、終末はこの日だ、と大騒ぎするのは如何なものでしょうかね~。

回答No.2

>なぜこうなるのでしょうか? 頭の良すぎる人の作った与太話だから。 グレゴリオ暦だったら5000÷4 ではなく 5000÷4 - 5000 ÷ 100 + 5000 ÷ 400 ですね。

  • Nouble
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回答No.1

>マヤ暦と西暦で起点となる日を決め、… 其の通りだと思います ですが、今は 太陽暦 と、でも いうのでしょうか? 地球の運行に基づいて 暦を決めています 更に原始時計等よりも 算出しています 閏年を加味した位では 合いませんよ 邪推をすれば もう一儲けしたい方々が わざと説得力のありげな 間違った日を指定する 其の後、 また同じことを繰り返し 其の度に利益を得る と、いう構図では? 邪推ですがね 貪られていませんか?

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