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ドイツに勝ち目はあったのか?
第二次世界大戦 欧州戦線で ドイツは連合国に 勝つことができたのでしょうか?
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#5です。 ヒトラー政権の内実については、当時の国民は知らされていないことも多かったでしょう。ナチスドイツは独裁国家であったことを忘れずに。特にヒトラーの健康問題は当時は側近中の側近しか知らなかったことで、それが公けになったのは戦後になってからでした。 だいたい今の日本だって予算はすげえやりくりだし、安倍首相の健康(お腹ピーピー)問題は割と世に知られているにも関わらず安倍政権は維持されてるじゃないですか。 またイギリスが対独宣戦布告をした直接のきっかけはドイツのポーランド侵攻からでした。じゃあ、ポーランドに攻めなきゃよかったじゃん、となるわけですが、これはこれで難しい。 なぜかというと、どのみちソ連がポーランドに侵攻することは間違いなかったからです。ポーランドとソ連の国力と軍事力の差を考えると、ポーランドが勝てる可能性はほぼゼロです。現実的に対戦車兵器を充分に持たないポーランド軍はドイツの装甲師団の前にたった1ヶ月でほぼ全土を占領されてしまいました。 もしポーランドがソ連領になったら、ベルリンの喉元に匕首が突きつけられたも同然になります。しかもドイツ・ポーランド国境とベルリンの間の地形は平坦で防御に適したところがありません。対策方法としては「機先を制してポーランドに攻め入り、先にこっちが国境線を向こうに押しやっておく」のが一番です。というか、それしかない。 ヒトラーの本音は、イギリスとは講和して「対ソ包囲網」を作りたかったのです。チャーチルは反共主義者でもありましたからね。ヒトラーはそこに期待したのです。だけどチャーチルは決してヒトラーに融和しようとしませんでした。チャーチルの前にイギリス首相だったチェンバレンはヒトラーに対して融和政策をとって、それがナチスの増長を招いた、つまりチェンバレンの政策は失政だったというのが現代でも主な評価です。チェンバレンが失脚したのも融和政策の失敗を責められてのことでした。だからヒトラーは、外向的には必要以上にイギリスを刺激してはいけなかったのです。相手が融和政策に出たのだから、こちらも譲歩する必要があった。 しかし、内政的には前回回答したように「領土を拡大しないと国家予算的に非常にマズいことになる」のです。ここが二律背反しているんですね。右に曲がっても、左に曲がっても先は行き止まりなのです。 また、ヒトラーのソ連侵攻は二正面作戦になった失策だとされるのが主流です。しかしソ連崩壊によるロシア側資料の公開によって、第二次大戦前後の様々なことがわかってきました。 その中で近年囁かれているのが、「どうもスターリンは、対独侵攻を目論んでいたのではないか」ということです。 実は当時のソ連軍というのはドイツ国境付近に異常なまでに大軍が展開していたのです。ソ連というのは非常に広大ですから、「防御」という視点から考えれば後方に予備部隊を何重も配置し、仮に一線が突破されても食い止められるようにするのが常識です。しかし、当時のソ連軍は後方に予備を配置せず、異常なまでに国境近辺に部隊を展開していたんですね。そのため、ドイツ装甲師団に突破されてものすごい大損害を出しました。「なぜソ連軍はこんなに国境付近に展開していたのか」は長年謎だったのですが、「スターリンが先制攻撃を考えていた」となると腑に落ちるわけです。 独ソ開戦に遡ること2年前の1939年、アジアでノモンハン事件が発生しました。このとき、スターリンはかなりの部隊と資材をノモンハンに投入しているんですね。つまり、単なる国境紛争に対してものすごいお金をかけたのです。しかしこの戦いで大損害を出した日本軍は「ソ連軍は数も多いし、火力も我が軍より上だ」と戦慄するんです。それまで「ソ連に攻める」ってことを考えていた関東軍は「攻めるどころじゃない。それどころか、攻められたら守り切れるのか」と方針を転換するんです。 「スターリンは対独戦に先んじて後顧の憂いを取り去りたかった」と思えば、ノモンハンでスターリンが大軍を投じた理由も腑に落ちます。 この「独ソ戦スターリン先制攻撃計画」はまだ決定的資料が出ない(おそらく永遠に出ないでしょう。スターリンは自分の本音を誰にも明らかにしませんでしたから)ので、現段階では「一説」の域を出ていません。 しかし私は、これを信じています。「スターリンは、対英戦で西を向いているヒトラーの背中を斬りつけてやろうと思っていた」とね。 つまり外交、経済、軍事を総合的に考えれば、ヒトラーの交差点は「右に曲がっても、左に曲がっても、真っ直ぐ進んでも行き止まり(破滅)だった」のではないかなと思っています。
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では 内的事情を 少しだけ・・・ そもそも 戦争勃発は 互いが和解し合えば 武器の使用で 残虐な結果を残さずに集結します・・ 神は それを「善」とします しかし 人間の自由意思と責任に拠り 武器を使用しての戦争になります・・ けれど その 戦争後の悲惨さ 酷たらしさは 後世に伝わり 戦争をしても意味が無い と言う結果が残ります 此処が 良心の痛みの大きさが 過去より大きくなるのです・・ 見えない心が 良心に拠り 見える様になる・・・ 徐々にではあるが 良い悪いの判断が 人間だけで出来るのです・・これこそが「内的事情」なのです・・・
お礼
何故今でも戦争が起きているのでしょうか。
- whaihansei
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シニア男性です。 1939年9月、独ソが密約の上、ドイツのポーランド 侵攻により英仏との戦争になりました。 これが第二次世界大戦の始まりです。 (その後ソ連もポーランド東部占領。後、フィンランド と戦火を交える。) 欧州戦線はその後1940年5月、ドイツ軍の電撃戦に より英仏軍はダンケルクで大陸から駆逐されました。 6月、フランス(ペタン内閣)降伏。 全ドイツ人は先の大戦の報復戦の勝利に酔いました。 ザマアミロ、というわけです。 ここで止めておけば歴史は変わったかも。 つまり英国を攻撃せず、一方的休戦。 そしてフランスから撤隊し終結提案したら、万が一 英国との戦争も終わったかも知れません。 、、、が質問の「連合国」にとなると、英米連合国と なると米国の参戦後ですから、この時は既に独ソ戦が 始まっていたので「勝つことはできない」となります。 ヒットラーの誤算は独ソ戦が泥沼化したことです。 ドイツ(国防)軍は反対していました。が、独裁者 ヒットラーは攻撃を命じたのです。 ヒットラーの目論見は1941年の年内にソ連降伏、 その後再度全軍を西部に投入し英米軍を迎え撃つ というものでした(時間差二正面作戦)。 目論見がはずれたのは、フィンランド戦でソ連軍が もたついたせいです。西部にいたソ連軍は旧式の 軍でした。ヒットラーは弱い軍だと見たのです。 主力、粛清したソ連電撃戦の創始者トハチェフスキー 配下の軍勢は極東シベリアに左遷されていたのです。 この軍は独ソ開戦後、そして日本南進後、西部戦線に 投入されました。 この頃はスターリンも電撃戦の有効性を理解したから です。
お礼
ありがとうございます。 フランスには勝っても。さすがに東西2正面作戦になってしまったら 勝てるとは思えないですね。 そこまでヒットラーを狂気に駆り立てたものはなんだったのか 気になります。
- eroero4649
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「勝つ」の定義をどうするかですよね。例えばモスクワを占領したら勝ちなのか、スターリンが死んだら勝ちなのか、それともワシントンDCを占領したら勝ちなのか。少なくとも独ソ戦の前までは「勝っていた」といえるでしょう。また戦後の長いスパンで考えてイギリスが没落しドイツ(西ドイツ)が復興したことで「勝った」といえるかもしれません。少なくとも2015年の単独の国力ではイギリスよりドイツのほうが上回っていると思います。少なくとも自動車産業においては、ドイツにはメルセデスベンツやフォルクスワーゲンといった世界的大手メーカーがありますが、イギリスの自動車メーカーなんてロールスロイスのような超高級車ブランドが残る程度です。少なくとも大衆車メーカーはなくなりました。フランスにプジョーやシトロエン、イタリアにもフィアットがあるというのに。 話しをWW2当時のドイツに戻せば、ナチス政権の政策っていうのは、お金を軍事費に注いで軍事力を高め、その軍事力で周辺諸国を恫喝して領土を手に入れ、それによって得た資金を軍事費に回す、といういってみりゃ自転車操業だったのです。だからナチスドイツが勝つためには永遠に領土を広げ続けないといけなかったのです。 世界征服をしないと勝利にならない以上、それは勝ち目がないということになろうかと思います。 ヒトラーは自動車が好きで(だから戦車にもあれだけ心血を注いだ)、自動車産業及び道路網の整備に力を入れていたのですが、やっぱり彼も典型的な独裁者で、それの何が問題なのかというと、中長期的な戦略に基づくのではなく、天才的ひらめきに頼る行き当たりばったり(と閣下の機嫌次第)のために私たちが想像するよりはるかにドイツ国防軍というのはツギハギの軍隊だったんですよ。破綻しそうなところでチェコスロバキアやフランスから大量の鹵獲車両を手に入れて凌いだりしていたのです。 また、ヒトラーの健康問題というのも、あまり注目されてはいませんがもし順調に進んでいたら懸案になったかもしれないですね。彼の健康状態は1940年になるとかなり悪化していたようで、特にまあ長引く戦争のストレスもあったと思いますが、44年以降はひでえ状況だったようです。しかもヒトラーはモレルって名前だったかな。なんだかおかしな治療をしたがるヤブ医者が妙にお気に入りでそのお抱え医師のトンデモ治療のせいでむしろ状態を悪化させていました。仮に彼が生き長らえることができたとしても、1950年まで生きられたかどうか。
お礼
ヒットラーの健康状態が悪くまた 自転車操業による戦争だったということですね。 それなのにもかかわらず、国民が支持したというのは不思議です。
- kamobedanjoh
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人類史上、世界征服を成し遂げた民族はまだ有りません。 彼のチンギスハーンでさえ、島国日本を攻略できませんでした。 アメリカだけは特別です。ドルを武器に世界の経済に深く影響を与えています。とは言え、制覇しているとまでは云えません。 枢軸三国の敗退は、歴史の必然でした。 勝ち目の無いソ連侵攻を企てたのは、ナポレオンの失敗を学んでいなかったのでしょう。 それがとどめを刺される結果になりました。
お礼
今のなれば歴史的必然なのにもかかわらず、 なぜ立ち上がったのでしょう? 全く勝ち目がなかったのであれば 立ち上がる必要性すらありません。 何らかの目算があったのでは?思っています。
- hekiyu
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ドイツは、英国や米国の参戦は想定していません でした。 英国と米国が参戦した時点で、勝ち目は消えました。 英国の参戦を聞いたヒトラーがうなだれていた、 という動画がありました。
お礼
ありがとうございます!
補足
なぜ米英が参戦してしまったのでしょう!?
- pigunosuke
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勝ち目が有ったなら勝っていると思いませんか?
お礼
勝ち目のない戦争に突入した理由がわかりません。
戦争は 勝ったから良いってものではありません 勝ち負けを決める為に戦争が起こったのでは無い「内的事情」を知れば解かる事・・
お礼
勝たなくても戦争目的が遂行できたのでしょうか。
お礼
スターリンは、日本とアメリカを戦わせることも願っていたといいますし 敵に対する攻撃心は、すさまじいものがあったでしょうね。 あの国の歴史の埋もれた歴史を出すのは至難の業でしょう。