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20世紀のドイツについて
ドイツって世界地図で見ると、ごくありふれたヨーロッパの一国ですよね。こんな狭い国(当時はポーランドもだいぶ含めていたにせよ)なのに、よく20世紀に2つの世界大戦を中心的に戦ったものだなと思ってしまいます。なぜ、そこまでやれたのでしょうか?その底力はどこから来たのでしょうか?
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こんにちは。 多分、国民性ではないでしょうか? 中世ドイツは、領邦と呼ばれる小国家の連合体でした。 戦争も、領邦同士の戦いにとどまって小規模なもの。個人プレーが中心の戦いです。 植民地支配も、地図上でいえば、国という「面」ではなく、拠点という「点」をとれば良かった。 だから、軍艦一隻で、未開拓の土地を占領できました(大航海時代)。 この後、ヨーロッパ諸国は帝国主義と呼ばれる膨張時代を迎えます。 こうなると、ヨーロッパ領土内での戦争が、インドでも起きたり、アメリカで起きたりします。 こうなると、中世の戦争のように、個人プレーで戦争に勝利できる時代ではない。 海軍は数隻の軍艦を行動の一単位とする「艦隊」を組織し、陸軍は自国領土外で組織的に陸上戦闘を行う「師団」を結成しなければならない。 中世ヨーロッパの時代とは戦争の規模が異なります。 一方、もともとドイツ人は論理を好み、全体の秩序を強く守る人種です。 すると、組織だった艦隊戦や師団を利用した陸戦にめっぽう強い。 強力なフランス軍をセダンの戦いで、国王ナポレオン三世を捕虜にしてしまったこともあります。だから、近代ドイツは強かった。 ドイツが急成長したのは、国民性も大きいと思います。
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- rabbit_cat
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ドイツは、19世紀末から、工業生産力が急激に伸びましたからね。重化学工業は第1次世界大戦時は世界トップ、第2次世界大戦時もアメリカについで2位ですから。
お礼
そうですよね。あんな小さな国なのに工業力はすごいですね。
指導者層の政治家・将校・高級官僚の能力が高かった事。 特に、ユンカーという中小貴族の出身者で、家を後継できない次男・三男・四男たちが政界・財界・軍部・官界・教育界で、ブイブイ言わせたこと。 余談だが、ドイツ人の名前に、「オットー=フォン=ビスマルク」などのように、「フォン」と突いている者が、貴族やユンカーである。 教育制度が、周辺諸国よりもはるかに優れていて、一労働者・一農民・一兵士に至るまで高度の教育を受けていたこと。 日本は、明治維新後はドイツを中心に、近代化・西欧化の模範としました。 しかし、ヒトラーやナチスみたいなのを生んでしまった悲劇もあるけど・・・・・
お礼
教育のさもあったのでしょうね。教育って大事なんだと言う見本になるのかもしれません。
お礼
ドイツの国民性が、近代にマッチしたと言えるかもしれないですね。中世近代では花開かなかったのが一気に開花したような。それの方向性はどうだったか問題ですね。