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新型爆弾が落とされることを事前に知っていた市民
広島では6日に新型爆弾の実験が行われるという情報をかなりの人が知っていたそうです。 わざわざ近隣の市町村から見物に行った人もいると聞いています。 この話はその日に都合がつかず見物に行けなくて被爆しなかった人から聞きました。 その人は呉にいて『残念だなあ』と言いながら山の向こうを眺めていて強い光を見た数時間後に鉄道で炭の塊みたいな人形のようなものが運ばれてきたのを見た。 それが新型爆弾に焼かれた人たちだと聞いたと言っていました。 とはいえその人も海上特攻の命令が下っていて終戦がなければ数日後には死ぬことになっていたのです。 市民を始め軍関係者の間でも新型爆弾が味方のものか敵のものかということは知らなかったようですが、 どこからこんな情報がどのように伝わっていったのでしょうか。 そして市民はどのように受け止め理解しどのような行動をとったのでしょうか。 この疑問は繰り返し報道機関に投げかけられていながら 中央紙はもちろん地方新聞の記者に至るまで 今までに何の取材も報道もした事が無いと記憶しています。 これは業界のタブーなのでしょうか。 どのような理由があるのでしょうか。
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- titelist1
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随分と前にエノラゲイ搭乗員の証言ドキュメントをテレビで見たことがあります。記憶にあるのが、原爆は飛んでいる飛行機の中で組み立てられるのです。完成品だと運搬中に爆発すると基地が吹っ飛ぶからです。それから、天候調査のために3機の飛行機が先に飛び立ち爆撃する都市を調査したのです。その結果で広島に決まったと記憶しています。 質問を見て添付したウィキの資料を読んで思ったのですが、3機は広島と小倉と長崎に飛んで行ったようです。第1候補が広島であったらしい。新型爆弾が日本に落とされることはポツダム宣言で日本は分っていたし、日本も原爆の研究をしていたので、それが原爆であることは知っていたはずです。 米軍の原爆実験都市は京都、広島、小倉、長崎であり、この都市は空襲が制限されていたので、市民の中には近いうちに新型爆弾投下を薄々感じていた人も居たかもしれない。しかし8/6が広島であるとはエノラゲイの当日の証言から特定日と断定できないと思う。また事前に米軍が特定日を知らせる原爆ビラを広島に撒くとは思えない。ウィキにビラのことも書かれているが、8/9の原爆ビラと混同しているのではないでしょうか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%84 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B
- Pinhole-09
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元軍国少年です。 当時政府、軍の関係者以外は短波放送の受信は 堅く禁止されていましたが、結構民間でこっそり 聞いていた人はいたと思います。 勤労動員で通信機メーカ-に配属されましたが そこではお手のもので、こっそり聞いていた ようです。 勿論私が聞いたり、聞いた人と話をしたわけでは ありませんが、研究室が仕事場だったので係員の 話がそれとなく耳に入りました。 オーストラリア放送を聞いていたようです。 (日本と時差がないからでしょう) 大本営発表と大分違うなとかは判りました。 そんなこと、うっかり外でしゃべれば憲兵に つかまりひどい目にあわされます。 あの頃は無線ブームで短波マニアも少なくなく あの手この手で取り締まりを掻い潜り聞いて いたと思います。 情報を知りたいの世の常です。 原爆投下時は進学して勤労動員も飛行機工場に 変わりましたが、工場は空襲で破壊され、仕事は 洞穴掘りと芋掘り(農家の人で不足で)です。 午前中は学習で、午後から作業です。 広島に新型爆弾投下の翌日の物理の授業で、 先生があれは原子爆弾だといい、説明したのには 驚きました。 知る人は知っていたのです。 先生は東大出で、当時日本でも原爆の基礎研究は 軍や東大など協同していたから当然でしょうか。 次の話は終戦後伝え聞いたもので信憑性は不明。 米国は8月5日短波放送で原爆投下を予告し、 避難勧告をしたが、日本軍部は混乱を恐れ、一般に 知らせなかった? この噂はかなり流布していました。 本当だとすると軍は原爆の威力を、誤ったのでは ないでしょうか。 また日本の原爆開発を恐れ投下を急いだ? いずれも怪しいものです。
- makocyan
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>広島で新型爆弾の実験が行われるという情報をかなりの市民が知っていた いやあ、皆さんがおっしゃるようにガセでしょう。回答の中で紹介されたビラだって、「ソ連が宣戦布告」って書いてある。ソ連の対日宣戦は広島に原爆が落とされた後の8月8日ですから、このビラはどう考えたって原爆使用後に撒かれたもの。 「広島に新型爆弾」の情報があった時に、科学者の多くは原子爆弾だと直感したそうですから、そういう方が投下後に撒いたものではないかなと思います。 また、広島への原爆投下時間は8時15分、学校では校庭で朝礼があり、労働者は工場や会社に向かう通勤途中。明らかに「ヒトが屋外に多数いる時間」を狙ってます。ビラで避難を呼びかけるのは実際のこの作戦行動とは矛盾していますね。 実は原爆攻撃の確たる情報はあった、日本軍は知っていて市民に知らせなかった、って説を広めたいがために流用された話だと思います。さすがに旧日本軍を貶めるための話をいわゆるネトウヨが広めるとは考えにくいですね。 もしかしたら、戦後に行われたGHQによるNHKの宣伝放送「眞相はかうだ」「眞相箱」からきた話かもしれません。
- SPS700
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僕は当時海軍に居て、入隊するまで普通の民間人の知る限りでは戦況は知らされておらず、連合艦隊の実情(例えば、戦艦級は武蔵、大和を含め、殆ど壊滅状態)は、知りませんでした。 1941年以前に短波受信機はすべて供出を義務づけられ、民放はなく、大本営発表以外は信じるな、と言う時ですから、ビラが撒かれたとしてもを信じる人は極めて少なかったと思います。 ただ、投下後「新型爆弾」という用語はニュースや新聞で使われました。 でご質問ですが 1。どこからこんな情報がどのように伝わっていったのでしょうか。 分かりません。多分投下「後」に得た知識を「前」に聞いたと勘違いした可能性が高いと思います。 2。そして市民はどのように受け止め理解しどのような行動をとったのでしょうか。 予備知識が無いので寝耳に水です。 3、これは業界のタブーなのでしょうか。 いいえ。 4。どのような理由があるのでしょうか。 答が無いからです。
- あずき なな(@azuki-7)
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アメリカは知らせるでしょうか? 原爆投下の理由は 表向きは戦争の早期終結と日本の戦意喪失ですが 実際は原爆の性能実験です 事前に知らせていたら逃げる人多数で正確なデータは得られないでしょう(まぁ当時ですからアメリカが発表してもデマだと思って信じないかもしれませんが) 日本は完全に「被害者」の立場です(戦争を仕掛けたのは日本であり原爆投下はその延長ですから実際は日本は加害者) なのでこんな話をマスコミが報道したら被害者で居られなくなる恐れがあるからです
- rabirabi88
- ベストアンサー率10% (14/128)
>このようなものを”原爆前に撒かれたビラ”としてウソを広めようとするのは、ネトウヨのよくやる手ですね。 ネトウヨねぇ。 ブサヨさんの手法と言ったほうがしっくりきますが・・・
- chiha2525
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他の質問の話もあわせると、質問者が聞いたという話し手の話がかなりあやしいように思います。 うちの近所でも、総理大臣(今なら安部)が月一で電話かけてくる、とか言う人がいます。そんな感じの方なのでしょう。呉にいたのは本当かもしれませんが、後は『実は自分だけが知ってる』的な妄想話だと思います。 ビラの話、リンク先の写真の上のほうの「ヒロシマ・ナガサキ・オリンピックの記事へ」といったようなリンクから元のページに飛べます。このビラは通常爆撃の前にまかれたものであることと、原爆前にはビラは撒かれていない旨の話が載っています。 このようなものを”原爆前に撒かれたビラ”としてウソを広めようとするのは、ネトウヨのよくやる手ですね。
お礼
ありがとうございます。 話題の提供者は実は私の親族です。 普段はあまり何も話してくれない人ですが、私が熱心に尋ねてやっと口を開いて話してくれました。その内容ですので、妄想や作り話しの類ではないと思います。本人の性格上そういうことを好まない人ですので。 こと戦争に関しては両国政府の言う事はまずあてになりません。西洋の言語では歴史と物語は同じ語彙を使って表現するので、歴史は勝者が書き綴った物語です。 引き続き情報を集めてみます。
- rabirabi88
- ベストアンサー率10% (14/128)
アメリカ政府がビラなんか巻いてないって公式に発表していますし、広島や小倉にはビラなんかまかれてないって当時の話でもあるので、ビラは巻いてないんじゃないの? 昔からの小倉在住者ですが、そんな話聞いたことないですねぇ。 通常の吸収の時にばらまかれたビラと混同した都市伝説ではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 引き続き情報集めてみます。
- m-tahara
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直接の回答でなく申し訳ないのですけれど。 No.4の御回答にあるブログを拝見すると、その御回答の趣旨とは全く逆で、通常の空襲の際にはビラで警告していたけれど、広島・長崎では何の警告もなかった、とあります。 引用の蔡にここまで反対になる、というのはそそっかしいのか意図的なものなのか。 念のためご注意下さい。
お礼
ありがとうございます。 リンクを開いてみましたが写真しか出てこなくてよくわかりません。 私は先ずインターネットの使い方から勉強しなければならないようです。 すみません。
- ikuzecia
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アメリカは原子爆弾を投下する数日前に 原子爆弾投下予定のビラを多量に撒いたようです。 http://ameblo.jp/tokorozawa-weekendfarmer/image-11323560674-12123462185.html かなりの市民が読んだようですが、それを読んだと口外することや 持っていると非国民呼ばわりされたようです。 もし読んだとしても今でこそ核兵器の恐ろしさは解りますが 史上初めて使われた兵器なので一般の人は十分理解できなかったと思います。 それで逃げ出すとかすれば臆病者とか非国民とののしられたでしょう。 また報道管制が有りましたのでビラの内容を新聞に載せることは出来なかった筈です。
お礼
ありがとうございます。 知らされない。 逃げる場所さえ用意してくれない。 本当のことを言えない。 聞いても理解できない。 反対できない。 まるで現代の”同じ原理の発電所”のような話ですね。 後の世のために記録を残すことは必要ですね。 歴史を学ばなければ同じ過ちを繰り返しますから。
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お礼
ありがとうございます。 人々に予備知識がなかったのは当然だと思います。 海軍にいて爆薬を専門に勉強していた人でもその爆弾を見に行こうと思った位ですから。 そんなに大きく受け止めることもなければ何の行動に反映されることもなかったのかもしれません。 ただ原爆投下以前に新型爆弾の実験が行われると言う情報は確かに存在していたと聞いています。 一般市民の中に広く伝わっていたかどうかはわかりませんが海軍の人は知っていたようです。 さてその情報がどこから出てきたのかこれを知りたいと思っています。 これを新聞社の人に話しても「そうですね不思議ですね」という反応はありますがそれが取材と記事の掲載と言う行動には反映されませんでした。 これもなぜなのかか知りたいと思っています。 報道に携わる人は答えがわからなければ答えを探すというのが普通だと思います。 引き続き回答を待ってみます。