ニイチェの「ニヒリズム」を虚無主義と同一視する人がいますが、ちょっと違います。
ニイチェは主著「力への意志」で、ニイチェの生きた時代、またぞろヨーロッパに「ニヒリズム」が訪れようとしていると警告しているけど、「ニヒリズム」とは虚無ではなく、むしろ反対なんです。
ニイチェに言わせれば、「ニヒリズム」は古代ギリシャのプラトンからずっと続いているヨーロッパの哲学・思想の根底に流れている通奏低音であり、ヨーロッパの哲学の歴史は「ニヒリズム」の歴史なんです。
どういう意味かというと、プラトンは「イデア」を天にある永遠の世界であり、地上の世界は仮象の世界、「イデア」が本当の真実の世界とすれば、地上の世界はニセモノの世界と言いました。
この天にある「イデア」が超・感性的世界とすれば、地上の世界は感性的世界、そして超・感性的世界から地上の感性的世界を眺めるのを古来、形而上学と言ってきました。
何かこの世界を超えた超・感性的な原理を設定し、そこから感性的な世界を演繹的に導き出す、それはみんな形而上学です。
そしてこのプラトンの「イデア」は古代末期のプロティノスによって、「一者」「イデア」の発出による世界の創造という新・プラトン主義に受け継がれ、さらに聖アウグスティヌスによって、ユダヤ・キリスト教の神による世界の創造というドグマ・教義に受け継がれ、プラトンの「イデア」は神に言い換えられた。
こうしてプラトンの「イデア論」は中世の神学に受け継がれ、神が天にいて、その神が人間や自然を創造したとされ、人間は神の被造物とされて、神の前にひれ伏し、神に従属するものとされた。
そして神が地上の世界を秩序あるものとして作ったとされ、王侯貴族が庶民・農民の上に君臨し、そのような身分制度を神が作ったのだから、その身分制度を変更したりできない、永遠のものと言った。
こうしてプラトンの「イデア論」は中世の秩序を恒久的なものとして合理化する神学に利用されることとなった。
ニイチェはこのプラトンのいう「イデア」の世界こそ、真の世界であり、地上の世界はニセモノの世界であるという思想を「ニヒリズム」と言ったのです。
ニイチェにとってキリスト教は「ニヒリズムの宗教」だった。
なぜかと言えば、天には神がいて、その神が人間を創造し、人間にとって人生の意味はその神から来なければならないとされたからで、本来人生に何の意味もないのに、その人生に意味があると言って人生の真実を「隠ぺい」し、人々から人生の真実に目を向けるのを妨げてきたからです。
キリスト教は人間の生をダメにした、というのがニイチェの言い分です。
ニイチェにとって、人生とか世界というのはもともと「ニヒル」なんです。
「ニヒル」というのは虚無ではなく、むしろその逆、人生の本当の姿のこと、人生に何の意味もなく、目的もないということです。
ところが人間は人生に何の意味もなく、目的もないという真実に耐えきれなくて、意味を求める、だからキリスト教はその意味を人々にもたらすものとして、崇拝された、そして神の前にひれ伏した。
ニイチェに言わせればキリスト教は弱者の宗教、弱者の強者に対する「ルサンチマン・憎悪」の宗教なんです。
本来、強者が弱者の上に立つべきなのに、キリスト教はそれをひっくり返し、弱者こそが本当の人間なのだといって、人間をダメにした。
だからキリスト教の道徳は「ルサンチマン・憎悪」の道徳、人類の健康な道徳をひっくり返し、貧しい者こそ幸いである、富める者は天国に行けない、という。
こうしてニイチェにとって、ヨーロッパの哲学の歴史はプラトン主義の歴史であり、そして形而上学と神学の歴史です。
それをニイチェは「ニヒリズム」と言ったんです。
だから「ニヒリズム」とは虚無主義ではなく、むしろその逆、人生の真実が何の意味もなく、目的もない、それから目を背けることなく、またキリスト教の神学によって、神がその人生の意味をもたらすということで「隠ぺい」するのではなく、人生を直視することなんです。
ニイチェは「ニヒリズム」を二つに区別します。
ニイチェ以前のそれを「消極的ニヒリズム」、その典型がキリスト教だとすれば、ニイチェのいう「ニヒリズム」は「積極的ニヒリズム」なんです。
感性的な世界の上に超・感性的世界があるのでも、地上の世界がニセモノの世界でもなく、感性的世界こそ、真の本物の世界であり、弱者の弱者のための「ルサンチマン・憎悪」の道徳でなく、古代ギリシャのキリスト教に「汚染」される前の人間の健康な道徳、キリスト教の弱者の「畜群」のための道徳ではなく、強者の「超人」のための道徳、それを復興すべきである、というのがニイチェのいう「積極的ニヒリズム」。
ニイチェの生きた時代、そこでようやく「神が死んだ」から、これからのヨーロッパは神などいない、神など必要としない、キリスト教以前の時代、古代ギリシャの健康な時代が訪れようとしている、それをニイチェはヨーロッパに「ニヒリズム」の時代が訪れようとしていると言ったのです。
それは歓迎すべきことであって、拒否すべきものではない。
以上がニイチェのいう「ニヒリズム」、しかも「積極的ニヒリズム」です。
ニイチェは主著「力への意志」で、「最高価値の価値転換」を主張しました。
最高価値とは、キリスト教の神のことでした。
だからキリスト教の神を排除し、それに代わってみずからの唱える「超人」の強者による強者の価値を復興することなんです。
「ルサンチマン・憎悪」という、弱者の強者に対する嫉妬と憎悪による道徳ではなく、そして天に本当の世界があり、地上の世界はニセモノの世界だというのでもなく、地上の感性的な世界こそ、唯一の世界であり、そして人生には意味もなく、目的もない、無意味が永遠に繰り返す「永遠回帰」の世界、それを拒否するのではなく、絶対的に肯定すること、直視することという価値に転換しなければならない、それがニイチェのいう「最高価値の価値転換」です。
お礼
無自覚な人々を「虫けら」と詰り、 自覚的な生を心がけろ、と ニーチェは読みました。 私見です。ユーライア・ヒープ「対自核」