キリストが人殺しを許すのは何故
昨日、短気なアメリカ人クリスチャンの彼と喧嘩した時に、聖書の教えを守る守らない以前に、もっと人として大切なことあるんじゃない?と聞きました。彼は婚前前交渉NGとか、イエス様がヤキモチやくからイエス様以外への祈りNG、とか禁止事項的なものを頑なに守り抜いていますが、人として何か大切なことを欠いている気がすると前々から思っていました。クリスチャンじゃない日本人のほうが考え方大人だなと感じたこともあるし、心が広いと感じたこともあります。(人を許せなかったり怒りやすかったり。それなのに彼と付き合っているのには、それ以外で彼の魅力があると感じているからです)
すると、人間は完璧にはなれないからいい人になんてなれない、と言い張ります。
私の言っているのはそういうことではありません。神と比べてどうこうじゃなくて、人として、人間レベルでのことを話していたのです。
殺人者も自分も、罪を持つ人間には変わりはない、と言っています。
もう呆れました。
人間は罪を持っているけど、神は慈悲深いから人間が神に許しを求める限り、救われたいと思う限り、神は許してくれるのだそうです。
この考えは知っていましたが、
じゃあ人殺しの人はどうなるのか、
と思いこんな質問をしました。
なぜ、許しを求める限り殺人者は神によって許されるのか。
被害者の人生はやり直せないのに
殺人者の人生は何度でもやり直せるのは何故か。
シェイクスピアの言葉で、
人殺しを許す慈悲は人殺しを育てる、みたいなのがありますが、
これを支持する私にとって、
殺人をも許す神は慈悲深いとは言えない、と思います。
むしろ神のしなければいけないことは、殺人を許すことではなく被害者の命を殺人者から守ることではないのですか?
それができない神がなぜ全知全能なのですか?
また、キリスト教者であればどんな人でも救われるが、キリスト教者によって殺された人は救われないのですか?
とにかくこの問題について納得したいです。これが解決されない限りキリスト教を好きになれません。それが意味することは、キリスト教を好きになれなければ彼のことも完全に愛せないということだと理解しています。別れないために解決策を求めているので別れたほうがいい、というご意見はお控え頂けると嬉しいです。
特にクリスチャンの方、よろしくお願い致します。
散文で大変申し訳ないです。
お礼
回答が遅くなりました。 基本的に離婚は駄目でもどこかで折り合いをつけてという現実的な考えはノンクリスチャンと ほとんど同じですね。夫婦で大切なのは自分たちの努力というのも同じように感じます。