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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:右とか左ではなく、平和を目指せばいいのでは?)

右や左ではなく、平和を目指せばいいのでは?

このQ&Aのポイント
  • 最近の日本は右傾化していると言われていますが、私たちは単純に右や左の思想に縛られるべきではありません。日本は平和憲法を持ち、和を重んじる島国です。世界大戦の時のような同調ではなく、独自の平和思想を持つべきです。
  • ラッセル・アインシュタイン宣言や湯川・朝永宣言などの歴史的な出来事からも学び、日本が世界唯一の被爆国であり、第二次世界大戦敗戦国としての反省を持つことも重要です。私たちは平和な思想を発信し、世界に示すべきです。
  • 哲学の世界ではさまざまな平和宣言があります。これらの宣言は短い文章で端的に平和を表現しています。私たちは哲学の視点からも平和な思想を模索するべきです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.17

yuniko99様、こんばんは。 「人間の安全保障」とか。

yuniko99
質問者

お礼

人間の安全保障 賛成ですねえ。殺人は殺人 戦争でも殺人罪です。 どんな民族のどんな国の人でも安全が保証されるべきです これはどうも大変ありがとうございます。

その他の回答 (16)

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.16

先制攻撃して戦争に勝った方は 被害全域が自立できるようになるまで倍賞することを 国際法で定める。 もちろんこれは両者が和解するまでで 加害者側が一方的にいくらでとかいつまでと定めることは出来ない。 勝っても後が苦しくなる戦争なら、 余程の大義がなければ戦争する意味がなくなる・・・はず。

yuniko99
質問者

お礼

いっそのこと戦争を禁止して戦争で人を殺しても殺人罪に問う。勿論命令を下した者に強く問うのはどうでしょう。 戦争が禁止されれば勿論武器も禁止です。銃刀法違反で多額の罰金です。 そうなって欲しいものです 早く。 どうも大変ありがとうございます。

回答No.15

 こんにちは。  《くにゆづり》の思想です。  ただしこのためには 世の中のゴミというゴミをすべて引き受けて あいつはこの世の屑だとののしられます。ののしられてもこれに甘んじる。見方によっては弱虫・腰抜け・意気地なしそしておまけに卑怯なやつと落としめられる世間の仕打ちに耐えなければなりません。  どこまでも民主的に互いの自由において話し合いをおこない続けるということですが 話し合いが決裂したときには 相手の要求を丸呑みするという腑抜けのしわざをおこなわねばなりません。  相手が気が違っているのだから 話し合いは成り立たないと見取ったときには そこまでの心のゆづりが必要になります。  かつてそのむかし スサノヲ市民は アマテラスのえらいさん方が自分たちにしたがえと言って来たとき それはすでに気が違っているのだから 話し合いは成り立たないと知って 全面的にくにゆづりをしました。その人たちには くににも神棚をこしらえてその言わばお二階に鎮座ましましてもらうことにしました。  そのあと 千五百年経ったいまに到るまで このくにゆづりは続けられています。  そろそろ一階の人びとに大政奉還してもよいのではないかと いぢの汚いわたしなどはつぶやいています。

yuniko99
質問者

お礼

成る程面白い話ですねえ。現実ですか?心理でしょうか? 千五百年前?縄文人と弥生人かな?男と女でもないし? しかし確かにそう言われてみればそういう気がしますねえ どうも大変ありがとうございます。

回答No.14

戦争は、必然があるのです。経済社会は、お金で生きようとします。しかし、衣食住無しには生活出来ません。そこで奴隷を求める戦いが始まったのです。奴隷コントロールに金貸しができ経済社会は、戦争を求め奴隷を求めたのです。そんな社会で暮していますから戦いは、必然なのです。

yuniko99
質問者

お礼

成る程です よく分かります。確かにそうですが、残念なことですねえ。 金の為に働いてるのですから 奴隷ですねえ。 どうもありがとうございます。

回答No.13

#8の者です。 >それでは何故貴方はここに書いているのでしょうか? 私は、このカテでだけ回答しているのではない。 カテゴリーによらず、答えられる質問に答えているだけだ。 逆に、比較的ここでの回答が多いのは、他の回答の多くが、 私にとっては問いに答えていないと感じるからだ。 これまで哲学が、哲学上の問いに決定的な答えを見出せ なかったのは、それが哲学的であったからだろう。

yuniko99
質問者

お礼

哲学という言葉がおかしな事になってますねえ。 哲学的というのが変なことと言う様な意味になって残念です。 先生の答えは科学的には優れていますが 人文的には?マークが付いてきます まあお互いに頑張りましょう。 どうもありがとうございます。

  • barutokai
  • ベストアンサー率35% (14/39)
回答No.12

平和思想で平和になれたら戦争なんかおきないとか言う人いますが、それは思考停止してしまうので、平和思想だけは大切に育てていく必要があります。 欲の塊であり欲を満たす為なら残酷な事もしでかすそんな人間でありながらも人付き合いも両道している人がいる。そういう人が戦争を起こす。 欲には忠実で残酷にも関わらずそういう人と人付き合いをする人がいるのは格だとか上下関係という概念が人にはあるからなのだと思います。 上下関係や格だとかいうものをなくしていくには誰とでも感性や幸せ笑い新鮮な気分を共感しあう人間関係を作る必要があるのだと思います。新鮮な気持ちを共感し合っている時って上下関係なんてないと思います。 小さいことと思われるかもしれませんが偉大な総理大臣であった田中角栄は政治とかそういった大きいものも原点は日々の小さな幸せでなければならないといわれていました。 アドラー哲学の思想を世界に広めれば平和も近くなる気がします。

yuniko99
質問者

お礼

試してガッテンです。確かに欲が強い人が人の分まで横取りしたり 他所の国を侵略したり、植民地化したり、敵対したりするように思います 田中角栄が偉いかどうかは知りませんが 日々の小さな幸せが原点ですよね 上下関係も権力も戦争になりやすい 確かに どうも大変ありがとうございます。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.11

日本に限って言えば、既にアメリカとの間にはほぼ平和が築かれています。 韓国、中国とも平和条約が出来ていますよ。 ロシアとの間がまだ確定していません。 これを早く解決するべきです。 新しい哲学を考える前に、既存のもので使えるものをまず探したほうが早いとは思いませんか。 私は非戦、専守防衛の第9条がそれだろうと思います。それと武器の売買禁止、廃棄を進める、ジェニ指数をさげつつ経済至上主義、自由貿易、市場開放、そういった既定路線をさらに進めることで恒久的な世界平和は実現するだろうと思います。さらにいえば宗教の撲滅と民族主義の否定でしょうか。 まあ、無塚しいことだと思いますが。

yuniko99
質問者

お礼

成る程そうですね 良いと思います。ただ宗教の撲滅は相当時間をかけて 最後はクリスマスを残すような感じでやるといいと思います 民族主義の否定もそうそう簡単でないので 高い思想を掲げて引っ張らなければなりません 成る程どうも大変ありがとうございます。

回答No.10

 国内の不満が蓄積して外へ暴発、そのあとは売り言葉に買い言葉の実力行使。みたいになるのが戦争だと思います。  とすれば国内で不満が蓄積しないために、限界を越えにくい世の中を実現することがカギになります。    そのために豊かさとゆとりを創り出して適切に分配する。  そのためにスムースな自己発現ができる社会の実現。  そのために安心して暮らせる社会の実現。  そのために人対人の人間扱いが常識の世の中。  そのために人間性否定は良くないということを前提におく。(1)  そのために人間性を理解する。  そのために教育の充実。  そのために治安と福祉の充実。  そのために豊かさとゆとり。  とりあえず上記のような「豊かさとゆとりのいい循環」というのが実現できればいいなと考えています。  第一歩は少なくとも意識の上で(1)を常識にすることだと思います。  そうやって世界中の各国で限界を越えにくく不満が蓄積しにくい社会が実現できれば世の中は平和になりうるのではないでしょうか。  青臭いたたき台程度ですが参考までに。

yuniko99
質問者

お礼

青臭くても理想があった方が、無いよりは良いです。 僕も急速な進化は危険だと思っているので ゆとりの必要性もわかります。 豊かさは今でも有りますが 格差があるので貧しさが多くあるのです。 成る程どうも大変ありがとうございます。

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.9

平和は歴史の結果なのです。聖徳太子の『和をもって尊し』とはあまりに戦乱が起きるので平和を願ったのです。左翼と右翼で戦争が起きるのではありません。左翼も右翼も無かった時代から戦争は起きていたのです。人類の発展は戦争によってもたらされたものであるとも言われます。 他の哺乳動物と人類を見比べてください。人類は圧倒的に優位であり、もはや敵無しです。他の哺乳動物は集団で殺し合いはしません。ボス同士の殺し合いはあっても戦争はしません。戦争は人類の習性なのです。戦争を否定することは人類の存在を否定することなのです。戦争で勝てば人口が少し減っても直ぐに回復します。負けた方は絶滅するかも知れませんが、勝った方はそれを補うだけ人口増加して人類は発展してきたのです。戦争は人類にとって何も怖くはないのです。

yuniko99
質問者

お礼

そ そんな そういう事でいいのでしょうか? 殺人事件では死刑判決まで出る事があるのに 戦争ならいいとは そのギャップについて行けませんね 戦争であなたが死んでも 怖くはないですと言えるのでしょうか?? どうもありがとうございます。

回答No.8

平和の“ための”哲学というのは存在し得ない。 どのような哲学であれ、その社会組織の外との戦う力 の弱化、内における生産性の低下を招くような哲学は、 それを守れば守るほど、その組織全体の淘汰によって、 結局守れないからだ。 逆に言えば、平和は目指すものではなく、その「社会 組織」を最大限に拡大し、その内における生産性 (持続性も含む)が最大になるように分業化を促進し、 外と戦う力(組織化が全人類に及んでも自然との戦いは 残る)や内にランダムに発生する反抗勢力を抑える力を 最大限にする=最強を目指す事で、結果的に得られる ものなのだ。 それは、社会生命としての自己の生命性の社会的拡張を 自覚化する事で、自然に(根源的な生への欲求の延長と して)得られるものであり、そうした認識深化による 自律的生の労を怠り、肉体的な自己チューな意識のまま、 物欲や自己顕示欲、お金や出世などの“馬車馬の目の前 のニンジン”によって他律的に生かされる方法をとった 時、そうした日常的感覚のまま世界観を構築する所に、 宗教や哲学は派生するのだ。 自我の環境への拡張とは、物理学~化学~生物学~社会 学~地学~天文学など一連の精緻な環境認識(世界を 構成する情報にそうした区分はない)を行うだけで良く、 ドグマティックな哲学など無用だ。

yuniko99
質問者

お礼

それでは何故P先生(貴方)はここに書いているのでしょうか? ここは哲学の質問コーナーですよ 哲学という学問も哲学かもしれませんが。私は人間が考えて地を愛することは誰がやっても哲学だと思っています。 貴方は物理が専門なのではないでしょうか?それとも何でもござれの智者でしょうか? いい事書いてるとは思いますが 読みにくいのが残念ですえ どうもありがとうございます。

  • raiden787
  • ベストアンサー率37% (179/473)
回答No.7

非暴力主義もやり方次第ということです。 わざと自国民の一部を敵国の人間に虐殺させて世論を操作し、敵対国を別の国と戦争状態に追いやるということも可能です。 ガンジーはこれに近いことを巧妙におこなっています。 非暴力だから血を見ないとか人死にはないとかそんな甘いものではないです。

yuniko99
質問者

お礼

虐殺させて・可能です・これに近いことを巧妙に。 これはどこまで本当なのでしょうか? 温暖化の論争の時も地球は寒冷化するという意見も多く聞かれましたから 南京事件や従軍慰安婦ではありませんが どこまで本当かはわかりませんねえ どうもありがとうございます。

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