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日本人の歴史観にもとづく日本史辞典はありませんか
ずいぶん前から或る出版社の「日本史辞典」を持っていましたが、あまり使って はいませんでした。最近気になって「任那」の項を見たところ、日本との関わり についてずいぶん朝鮮寄りの記載であることを発見しました。その他の項目につ いても同様だろうと思い、この本はすぐに捨てました。 歴史観や歴史的事実の解釈は国によって変わって当然ですが、日本史に朝鮮寄り の解釈・研究が介入するのは許せません。 日本人としての歴史観を踏まえて編纂された日本史辞典があれば教えてください 。
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- chiha2525
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日本人の歴史観にもとづく日本史って、エジプトの古代王朝が天皇の親戚だったってやつでしたっけ?w ニナあたりは資料も少なく考古学的な調査もそれほど進んでいないので、はっきりとは良く分かっていないというのが本当でしょう。 対馬海峡を生活拠点とした文化圏が形成されていたのは確かでしょうが、文化の伝播は勢力のそれとは一致しないこともあります。現代の土地ありきの視点で見てると誤るかもしれません。 (No.2さんの回答も、どれほど正しいものかは分かりませんでした。) エジプトの古代王朝が天皇の親戚って読んだの、何て本だったかな・・え、いらない?
- kantansi
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私が持っている山川出版の「日本史小辞典」には、「任那」は以下の通り記載されています。 質問者さんが何を基準に「朝鮮寄りの記載」、「日本人の歴史観を踏まえて」と言うのか解りませんが、以下の内容は私が学校で学んだり、本で読んだ内容とほぼ同じだと理解しています。 朝鮮半島南部に置かれた倭人の領土。 倭人は3C半ばごろから半島南部に勢力を及ぼしていたが、4C半ばごろ高句麗南下の情勢に対抗する百済の要請により国内統一を終えた大和朝廷は大規模な出兵を行い、洛東江流域を攻略してここを任那とする。 5C初頃がその最盛期。 官家(みやけ)を置いてこれを治め大和朝廷の財源となる。 その後新羅の勃興、朝廷内部の動揺、外交上の失策等により、現地人離反し562最後の拠点加耶が新羅に滅ぼされる。 その後回復の計画成功せず、倭人の勢力は遂に半島から駆逐される。