>やはりある程度は国によってコントロールされているのでしょうか?
日本は、言論の自由がある程度保証されていますから、国によるコントロールは良くも悪くもありません。
極端な話、根も葉もない証拠をでっち上げて、あたかも真実であるかのように吹聴しても罰せられることはありません。
事実、「トンデモ本」と呼ばれるモノが本屋には溢れています。
さらに悪いことに、そういった本の方が気軽に読める作りになっているので、ベストセラーになることさえあります。
まぁ、情報リテラシーがしっかりしていないと簡単に欺される分野が歴史と言えます。
>できるだけ客観的な立場で歴史を勉強したいのですが…
さて、これは難しい問題です。
日本の歴史学は、実証主義に基づき一言目には「客観的でなければ!客観だ!!」と叫ばれますが、実際に「客観的に」書かれた歴史なんて一つもありません。
せいぜい「客観的になろうと努力する」程度です。
これは、歴史の特徴であるため仕方ない事です。
手前味噌ではありますが、こちらの2番でその辺りを回答しています。
http://okwave.jp/qa3672975.html
少し補足しますと、歴史研究(認識)は3つの段階に分かれます。
1・興味を持つ、問題意識の設定
歴史を認識するには、まず興味や問題意識を持つことから始まります。
例えば、「織田信長はどんな人物だったのか?」「女系天皇は認められるべきか?」「江戸時代は何故200年も続いたのか?」などなど。
そして、こうした興味や問題意識は主観的なモノです。
とはいえ、完全に個人だけに帰せられるかというとそうともいえません。
例えば、「女系天皇~」なんかは最近の社会の動向(天皇家の跡継ぎ問題と、女性の地位向上)というのを受けて問題設定されたと言えなくもありません。
「社会の総意」が「客観的」であると定義すれば、「女系天皇~」という問題設定は、客観的といえるでしょう。
2・事実認定の段階
こちらは、興味・問題設定の回答を求めて事実を探っていく段階です。
ドイツの歴史学者ランケ以降は、史料(資料ではない)に拠って事実認定をするのが主流となっています。
主に実証主義といわれる立場なのですが、この立場では「史料のないところに、歴史は無し」が基本となります。(但し、史料が無いからと言って事実が無かったとまでは、考えません。あくまでも、証明可能かどうかの問題です)
そして、その立場にたって「史料は本物か」「史料が示す事実は何か」と言ったことが行われます。
しかし、どんなに史料を集め分析しても、どうしても埋められない「空白」部分が生まれてきます。
例えば、ある法律を示す文章が見つかり時代考証などを経て本物であると認定したとします。
しかし、その法律がどのように運用されたかは、その法律文章だけでは分らないんです。
その法律基づいて裁かれたり、何らかの行動が行われた事を示す証拠がなければ、その法律を示した史料は、タダの「死んだ史料」でしかありません。
しかし、明確に記されることは少なく、殆どはその事実を「匂わす」程度です。
その匂いをかぎ取って「想像」することしか、現代の私たちにはできません。
3・歴史記述の段階
この段階で、(1)興味・問題意識に基づいて(2)史料に基づいて調べ想像で空白を埋めた内容を(3)論文や一冊の本に纏める段階です。
(1)(2)で見たように、客観的な記述がどれだけ難しいかが分かると思います。
というのも(1)(2)の結果の段階だからです。
(1)(2)の段階で、出来るだけ主観を排除しようとすることはできますが、完全に取り除くことは出来ません。
なので、「客観的な立場」というのは非常に難しいと言えます。
まずは、自分がどんな「歴史観・価値観・思想的立場」を持っているのか認識することから始めて下さい。
以下に実証的研究に入る前に読んで欲しい参考書を少し。
図書館なんかには置いてあると思うので、活用してください。
『歴史の哲学―現代の思想的状況』 (講談社学術文庫)
渡辺 二郎 (著)
ISBN-13: 978-4061594067
『歴史とは何か 』(岩波新書) (新書)
E.H. カー (著), E.H. Carr (原著), 清水 幾太郎 (翻訳)
ISBN-13: 978-4004130017
『歴史学序説』(大明堂)
上原専禄 著
ISBN-10: 4470940003