宇宙の法則は、宇宙が生まれてずっと後に人間が誕生し、その人間が作ったわけで、人間が作る前は宇宙は法則が無くても運動を続けていたわけだから、宇宙と法則は一体ではなく、宇宙は法則とは独立に存在していた。
そして宇宙の法則を作ってからも、古代ギリシャのアリストテレス・プトレマイオスの天体観・宇宙観は17世紀に「科学革命」によって、ひっくり返され、それ以前の宇宙法則は間違いだとされ、新しい宇宙法則に取って代わられた。
しかも、17世紀のニュートンの古典力学の法則も、20世紀になってアインシュタインの量子論・相対論によって、否定されて、新しい宇宙論、量子力学的宇宙論に取って代わった。
しかし、宇宙そのものは古代ギリシャから今まで、別に変ったわけではない。
突然、17世紀に天動説から地動説に変わったからと言って、地球中心の天体から、太陽中心の天体に変わったわけではない。
ということは、宇宙の法則と宇宙そのものは別々だということができる。
宇宙の法則と宇宙は一体のものではない。
宇宙の法則は人間が宇宙が法則によって動いているものと認識するために生み出した法則に過ぎないので、宇宙の法則は人間のための法則で、宇宙がもともと有するものではない、ということ。
だからこそ、人間が誕生する前にも、人間が宇宙の法則を作る前から、宇宙はそれとは無関係に運動を続けていたわけだ。
ところで、人間精神というけれども、そんなものが人間のどこにあるというのか?
脳にあるのか?
脳はただの細胞のかたまりで、物質、その物質のどこにも精神なんて存在しない。
脳を解剖しても、出てくるのは細胞ばかり、精神なんてどこにも見つからない。
いったい、その精神とか心って、どこにあるのか?
脳は物質だから宇宙の、世界の一部だというのは分かる。
だけど精神は物質ではないのだから、宇宙の、世界のどこにも存在しない。
おそらく、脳の近く、脳の周辺にあるのは確かだろうが、脳の中には存在しない。
現代のアメリカの「心の哲学」では、心とか精神というのは脳の「機能」だと考えられている。
つまり刺激・インプットがあり、反応・アウトプットがあり、それを中継する変換装置、それが心だとされている。
それが「機能」だということは、例えば車の「機能」といえば「走る」こと、そして「走る」ためにはエンジンだけでも「走れ」ない、シャーシだけでも「走れ」ない。
それと同じように人間は脳だけでは考えられない、身体だけでも考えられない。
そもそも人間は脳で考えるわけではない。
心や精神が「機能」だということは存在者ではないということを意味する。
だからこそ、心や精神は世界のどこにも存在しない。
世界のどこにも存在しないとしたら、人間精神があるとしても、宇宙の法則に支配されない。
心とか精神は脳内現象ではない。
なぜならば、心や精神は「機能」だからだ。
証明の批判、終わり。
お礼
ありがとうがざいました。