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人間と動物はどう違うか?鯨は?

人間は動物を殺して食べます しかし人間を殺して食べることは滅多にありません 動物はゴキブリでも牛でも殺してよくて、人間なら赤ちゃんでも犯罪者でも殺しません (戦争は異常事態です) これは人間と動物のどこかに決定的違いがあると思います。 それは精神が在るかないかではないでしょうか? では精神がある人間を殺してはいけない理由 精神のない動物を殺していい理由 鯨には精神は在るのか 在れば殺してはいけないのか? その理由を短めにさっくり説明して頂けないでしょうか? もし人間を殺して食べてもいいと言う事になると これは事ですぞ。 どうかよろしくお願いしますm(_ _)m

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  • ベストアンサー
  • a_hona
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回答No.14

人間同士には、同種属であるが故のシンパシーが存在していると思います。そのシンパシー、共感が、倫理観や常識を生み出したのではないでしょうか。他種族にはこのシンパシーが同種属に比べて伝播しにくい為に、その間に倫理観や常識が成立しないのだと思います。

yuniko99
質問者

お礼

成る程 動物 人間に限らず言えますねえ 同種にはシンパシーはあっても 多種にはないという 日本人なら 日本人には強いシンパシーがあるけど アフリカの飢餓や ウクライナの戦闘はそこまでシンパシーが湧かない 日本人でも家族には強いシンパシーを持つが 知らない人にはそれほど湧かない 僕でもソフトバンクホークスには強いシンパシーが湧きますが 千葉ロッテにはそれ程湧かない。 だから人間と動物は・・・違う ?訳ですね。 どうも大変ありがとうございます。

その他の回答 (15)

回答No.16

yuniko99 さん おはようございます。 No.15 のhannya-glさんを受けて再回答。 ところで、yuniko99さんは、究極的に、動物や植物「細胞」に精神が、あると思いますか? 「細胞の意思 団まりな(著)NHKBooks」から抜粋。 「細胞達の日常的な気分について考えて見ましょう。私は、細胞というものは、生きていることを喜ぶ一方で、ほとんど常にあくせくしてると考えます。その理由は細胞が死と隣り合わせの存在だからです。細胞成立の基本である代謝は、無数にある局面のどこかであれ、それがいったん、滞れば全体の崩壊に直結します。無酸素状態の井戸やタンクの底に踏み込んだ人が即死することに良く示される通りです。代謝の、たった一つの成分である酸素が欠乏しただけで、60兆個の細胞を支配するシステムが、数分以内に死滅するのです。(中略)バクテリアなどの原核細胞は、どんな効率の悪い分子からもエネルギーを取り出せる代謝経路を持っており、「食えるものは何でも食うぞ!」という意気込みが感じられます。細胞におかれたこの状態は、例えば縄文時代の人間が、飢饉に直面した場面と対比できるかもしれません。野山を駆け巡り、地面を掘って食料を探す彼らのうちには「死にたくない」「活き続けたい」であったはずです。ろくに物も食べず、へとへとになりながら、それでも駆け回り続ける彼らの思いは「生きるんだ。何としても生き続けるんだ。」「あきらめるな。最後の瞬間まで、希望を捨てるな!」だったはず。」 女性的視点の細胞の擬人化で、男性として科学をしていた私としては馬鹿じゃないの?と思ってしまうような見解ですが、馬鹿にするなかれ。 ファーブル昆虫記を書いた、ファーブルは大学の研究室など属さず、自宅で独学で昆虫を観察し、昆虫記を書いた。 その昆虫記は科学者に言わせると「文学的」だとされ、ファーブルは科学者ではなく博物学者としてとらえられている。 生物を擬人化し文学にすると、科学の「合目的性」の肯定になりますが、それででも十分ファーブル昆虫記は価値がある。 19世紀、フランスでカイコの伝染病が流行った時、自然発生説の科学的否定に成功したフランスの大御所の科学者であった、パスツールは、自分では、どうすればわからないと、ファーブルの下に訪問した。 ファーブルは、これはこれは大学の権威ある方がようこそ、そんなことも知らないのですかと言って、ファーブルとパスツールは犬猿の仲だったらしい。 余談ですが、19世紀に西洋でカイコの伝染病が流行ったために、絹の生産が出来なくなり、日本の富岡製糸場が出来たそうで、今では世界遺産です。 日本万歳!世界にその底力を見せつけよう!  

yuniko99
質問者

お礼

日本万歳は構いませんが 質問の答えとしては つまり 細胞にも精神があるなら動物にも植物にもあるだろうと言う事でしょうか? 私も細胞にまで精神と呼べるほどの意識も知識もないとお思います 情報はDNAとして沢山持ってますが 精神が発生するような細胞活動はないと思います 地球に意識があって 地球意識 宇宙意識とか在ると ある宗教が言ってましたが それも脳のような組織的活動は見られません。 よって精神なしと思います。 ファーブル昆虫記は感動しますねえ 「さかなくん」も大学の助教授?(講師?)になったくらいですから ファーブルだって其れくらいは有ったと思います。知識などが。 私も虫は好きでした。ハンミョウとか玉虫は美しいです。 アゲハの幼虫のグロテスクさ 蟻の戦争や真夜中のカブト、クワガタ、カミキリ捕り は面白いです。スズメバチが居ませんからねえ^^ どうもありがとうございます。

  • hannya-gl
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回答No.15

人間と動物に決定的な違いがある。それは精神があるかないかでしょうか? どんな認識概念にせよ、精神、なる実体はありません。神や霊魂あるいは幽霊の存在を実証した者はいません。 何を殺して食うか、の差を問題とするより、あらゆる動物は、生きるために、食う、ということが、共通した在り方となっている。 近親相姦、共食い、が多くの動物に結果として共通する、タブ-となっているようです。 結果として、とは、それをした種は滅びる結果になったはず、です? だいぶj前、狂牛病、アルツハイマー病、プリオン、友食い、ということが言われました。 動物は食った物を消化し自分に肉体の筋肉などに組み替える、作り変える。では、自分の筋肉などと同じものを食うと、消化、組み替えが楽になり、楽に増肉すると考え、牛骨粉を牧草に混ぜ牛に食わせた。共食いさせた。 結果、食った物は、さらに消化組み合わされ、プリオンという物質が出来。それは、脳に蓄積され、脳を狂わす、物質となった。かって同じ病気になる、特定部族がいた、調べると、人食いの風習があった。風習がなくなってからは、病気は起こらなくなった。プリオンを生命体と考えると、より進化した生命体と捉える事も出来る。 何十年も前に、その能力を見ると、微生物(大腸菌)こそ、進化の頂点なのかも、と言った物もいます。 人間だけが特別、とは、思い込みでしょう。 ・・・て、言うか、カラオケでも行かない(パチンコ、リング、から) 鯨は?なんで鯨なんでしょうか。 戦後食糧難の時代、日本人は鯨に救われた。と言われる程、膨大な肉元でした。100トンのシロナガスクジラの大きさは想像しがたいものと思います。 時に、質問者さんは女性ですね?。かまわないとして、私は水産会社の冷凍庫で鯨のペニスを見た事があります。 先の尖った一発型(交尾の刺激で排卵する動物のは大体尖っている)でしたが、2mぐらいありました。 捕鯨は、鯨油目当ての、殺しても死体が浮くマッコウクジラ捕鯨でした。他の鯨は、死ぬと沈むのです。 戦後、石油により、鯨油の必要が無くなると、捕鯨の必要もなくなりました。もともと、脂皮を剥ぎ肉は捨てていたのです。すべてを使い利用する、日本の捕鯨とは一緒には出来ないのです。 鯨、イルカ、を神聖化するのは、西洋の宗教思想によるものであり、イルカや、鯨に他の魚や動物とは異うものがある訳ではありません。 食物連鎖は小さい連鎖であり、うんこ、排出物の連鎖、のほうが、何倍も大きいのであり。 弱肉強食、ではなく、弱いものの方が数が多い、栄えている。食料となっている植物が半減すると、動物は 1/4に減り、頂点付近にいる動物は絶滅するのです。 人類が賢い猿なのか、愚かな猿、なのかの答えはまだ出ていないのでは。?

yuniko99
質問者

お礼

精神があるか? 貴方は精神がありますか? 無いですか? プリオンの話は興味深いですねえ 自分を食べたら頭がおかしくなるわけですね 成る程それで自分を食わないのか? 痛いしねえ。蛸は自分を食うのでしょうか? 私は残念なことに女性ではありません。52才です すみませんm(_ _)m 回答者様は人間も動物も大差はない という意見にお美上しますが よかったでしょうか? 「人間はバカです」という言葉が時々頭をよぎります。 今のところ人間は愚かに見えます。個人は良くても集団になるといけません。 弱肉強食も実は弱者が少なければ強者は滅びるという視点が興味深いですねえ どうも大変ありがとうございます。

回答No.13

yuniko99 さん こんにちは。 この命題に答えるためには、yuniko99 哲学の「精神の定義」を提示しないとわかりません。 しかし、視点を変えて、「生命倫理」の観点から回答します。 私は、生物の研究に携わっていましたが、研究材料にマウスを使いました。 しかし、研究と言うものは失敗の連続で、そう簡単に、成功の女神は、微笑んでくれません。 研究でマウスを使って、実験用に繁殖させると、ある時は、子供を産んでくれず、実験しようとも材料不足。しかし、あるときは、子供を産んでくれすぎて、実験材料が過多となってしまいます。 では、そのような実験するのに増えすぎたマウスをどうするかというと、ケースに入れ、二酸化炭素で安楽死させます。 実験の成果が出て、人間の役にたてば、そのようなマウスも報われるでしょう。 しかし、上述したように成果はなかなか出ません。 私は大学の動物慰霊塔に花をささげたものです。 そのような現実の中、生命倫理の先生に意見を聞いたところ、「実験で使うマウスは、人間が育てている、君はスーパーで買って肉を食べてないのかね。マウスは家畜と同じだ。」と言われました。 しかし、ご質問の鯨となると話は別です。鯨は人間が育てたものでなく、自分自身で生態系の中で生きている。 現在、ニホンウナギやクロマグロが絶滅危惧種に指定されましたが、ほとんどは、日本人が消費している。 この現実を考えるのが大事と思います。私もウナギやマグロは大好きですがね。 人間が人間を食べることを想像したいなら、私も本物を観た事がありませんが、スペインのプラド美術館が所蔵する、ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」をウキペディアで検索して観て想像してください。 私は、わざわざプラド美術館にまで行って、その絵を観たいととても思いませんよ。 私は、話が脱線することや、誤字脱字が多いですが、この回答がyuniko99哲学の構築に参考になれば、幸いです。

yuniko99
質問者

お礼

動物を殺すのは可哀想ですよね。僕も理系の大学に進み、生物が得意だったので 生物を専攻しようかと思っていましたが。メダカやカエルを殺すのは少し抵抗がありました 私は哲学をやるために中退したのでマウスは育てませんでしたが 可愛そうですがマウスも鶏も人間のために役立つのなら 可哀想ですが殺さなければなりません 僕も犬と友達だった事もあるので無益な殺生はしたくないですが 知り合いにもベジタリアンを勧める人もいますし しかし動物までは殺してもいいのではと思っています。必要があるのなら。 ただクジラやイルカになるともし精神を持っているのなら共存して ペットの様に 死ぬまで共に生きる事も出来るかもしれません。猫や犬のように。 シカやウサギも駆除されることがありますよねえ ただ人間は特に変わることが出来るので 可能性があるから刑務所もあるのでしょう 人間だって貧しい国では植えて死んでるのです まず人間を救うために動物を使って研究することは悪い事ではないと思います。 とても参考になりました どうも大変ありがとうございます。

回答No.12

>では精神がある人間を殺してはいけない理由 精神のない動物を殺していい理由 精神の有無で、「生物を殺してよいかどうか」の判断が出来るか? と言う質問と受け取ってよいでしょうか。 答えはNOです。 これがもし、YESになった場合、「心神喪失状態と診断さえれた人間」や「俗に言う植物人間として寝たきりの人間」は、殺して良い事になります。 「精神がある人間を殺してはいけない理由」との前提ですが、むしろ人間社会では「精神が無い人ほど殺してはならない」と言う価値観が定着しています。何人も殺しておいて裁判で、「心神喪失状態」と診断されたから「無罪」判決が下るなどはその典型例です。 人間社会では精神が無い人間の方が、「殺してはいけない」傾向があります。 ただ、動物の場合は、逆で精神がある動物(自我や知能が高い動物)程、殺してはならないと言う傾向があります。これを「矛盾」と考えるか、そもそも「人間と動物は同じじゃない」と考えるかで大きく異なる問題なのだと思います。

yuniko99
質問者

お礼

精神のない人間ほど殺してはならない と言うのは極論というか 違う気がします。 そういうのは大概司法や福祉の判断が関わるからそう思われるだけで 実査には植物状態で意識が戻る可能性のない人間は 家族知人などの同意があれば 延命治療はしない方がいいと思います。 もっと救える命はあるのですから。 人間も年を取って寿命で死ねば大往生です。まだ青春時代に死ねば悲惨です。 どうもありがとうございます。

回答No.11

出張で、ソロモン諸島・ガダルカナル島に1年半、西サモアに 半年、駐在した事があります。 ガダルカナルでは、伝統的なカヌーの先端には頭部を抱えた 彫像がついており、また第二次大戦前までは食人の習慣があっ たと聞き、驚いて現地スタッフと話すると、「以前は他の島 と戦って相手の勇者を倒した時、その肉を食べて力をもらった り、頭がい骨を抜いて乾燥頭部を作って飾った。今はやらない」 という回答で、「俺たちメラネシアンと違い、ポリネシアンは 同じ食人でも、自分の村の赤ん坊を殺して食べるので残酷だ」 と言った。 確かに、動物性タンパク質の乏しい孤島において、殺さざるを 得なかった相手を食べるのは合理的なのに対し、自分たちの 子供を食べるのは残酷だと思ったものです。 その後、西サモアに駐在した時、その事を聞くと、「それは 他の島のチーフが来た時、おもてなしとして出していたので あり、最上級の敬意の表現であって、メラネシアンのように 戦って殺す野蛮なものとは違う」と反論した。 確かに、戦闘的なメラネシアンのカヌーと違い、ポリネシアン のカヌーはアウトリガー付きの遠洋航海の可能なもので、それ によって、ポリネシア語はオーストラリア近くのトンガから 北太平洋のハワイまで、広大な太平洋の全域で通じるのに対し、 メラネシアンの言葉は島ごとに違い、大きいガダルカナル島で は島の表と裏で違うほどバラバラだった。 それは住宅においても、西サモアの家には柱だけで壁がなく、 ホムステイした折に、広場を囲んだ家の間を自由に行き来して、 「ちょっとラジオを使わせて」と持っていく姿を目にしたのに 対し、メラネシアンの家は竹をしっかり編んだ頑丈な壁には 窓がなく、入口もかがまないと入れないほど低く、下側にも またぐように数十cm立ち上がっている、世界で最も閉鎖的な 住宅だった(彼らによると「これなら敵が攻めて来た時に、 くぐろうとした頭を叩けるから」という)。 南太平洋の孤島という同じ自然環境において、異なる適応= 異なる文化において、ここまで違うデザインを生む事実に圧倒 された。 短絡的欲求としてではなく、長い伝統として磨かれた食人は可 なのだ。 怖いのは食人そのものではなく、伝統的文化の足かせを劣化さ せる短絡的欲求の発露=自己チュー化の表れとしての食人である。

yuniko99
質問者

お礼

P先生(貴方)の読みやすい文章はいいですねえ 何時もの難しい文章かと思って敬遠してました 人を殺して食べることも伝統になれば可となる と言う訳ですね 色んな文化があるものですねえ 赤ちゃんを殺して振舞うんですか。う~む 成る程 日本では考えられない事ですが あり得る事なんですねえ・・・ しかしそうすると結論は 動物も人間もあまり変わらないということでしょうか? それとも違うでしょうか? どうも大変ありがとうございます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.10

善悪は、人間が創った概念です。 だから、善悪の判断は人間中心になされます。 故に、人を殺すのは悪いことで、やっては 駄目だが、動物はかまわないということが 可能になるのです。 疑問を感じる人がいるのは、善悪という概念が あたかも人間を離れて、客観的に存在するかの ように錯覚するからです。 月や星が存在するのと、善悪が存在するのとは 意味が異なることが判らないのです。

yuniko99
質問者

お礼

成る程 月や星は事実存在してるが 善悪は人間次第という事でしょうか 我々が人間だから 人間を殺すのは善ではなく 悪であるという考えがある と いう事でしょうか 成る程ですねえ どうも大変ありがとうございます。

  • cat-food
  • ベストアンサー率61% (124/201)
回答No.9

肉食動物は、ほかの種類の動物は殺して食べますが、自分と「同種の動物を殺して」食べる(つまり共食い)することはまずありません。(もちろん例外もありますが、きわめて稀です)。 人間もそれと同じこと。人間も牛や豚などを殺して食べますが、人間が人間を殺して食べることはまずありません。つまり、「同種の動物は殺さない」というのが、動物界の掟なのです。精神があるかないかではなく、動物はみんなこの掟を守っており、動物の一種である人間も、当然その掟に従っているのです。 たとえば、ライオンはシマウマを殺して食べますが、ライオンがライオンを殺すことはまずない(例外もありますが、ここでは述べません)。あなたの説なら、ライオンは精神を持っているがシマウマは持ってないということになりますね。 ではなぜ、そのような掟ができたのでしょうか。人間に限らず、動物はすべて「自分を守る」という本能と「種を繁栄させる」という二つの本能を持っています。なぜこのような本能を持っているのかというと、逆説的ですが、そのような本能を持っていない動物は絶滅して、存在しなくなるからです。この二つの本能を持った動物だけが生き残ってきたのです。 動物が同種の動物は殺すと「種を繁栄させる」という本能に逆行するので、殺さないのです。殺していいとか殺していけないというのではなく、動物はすべて本能に従って、同種の動物は殺さないのです。人間もその例に漏れないというだけのことです。 反論歓迎

yuniko99
質問者

お礼

成る程 進化論の淘汰の一種の考えですねえ 人間がなぜ人間を食べないか 他の人が書いてましたが 食べて死んだ人がいるのです。 人間は死ぬと一気に免疫力も落ちます そして人間に取り付いてる病原菌などが繁殖すると思います それを食べたら病気になって死ぬかもしれません。 動物が共食いをしないのも 豚肉を生で食べないのも同じような理由です 同種の動物の肉には同種の病原菌がすぐ繁殖するのです。 そう僕は考えています。 反論になってるのか 補足になってるのか分かりませんが書いてみました どうもありがとうございます。

yuniko99
質問者

補足

動物といっても魚などになると 共食いをしますよ グッピーとかもそうだし ナマズの延縄にかかったナマズを食ったナマズがいましたよ。 ナマズの歯型がしっかり残っていました。

回答No.8

yuniko99さんこんばんは。 人間にとって意味がどれほどあるかが基準になると思います。 >それは精神が在るかないかではないでしょうか? 対象の精神のあるなしは付帯的な条件です。 >では精神がある人間を殺してはいけない理由 殺す意味がないなら殺してはいけません。 >精神のない動物を殺していい理由 殺す意味があるなら殺してもいいのです。 >鯨には精神は在るのか 在れば殺してはいけないのか? 対象の精神のあるなしは付帯的な条件です。 人間側に意味があるなら殺してはいけません。

yuniko99
質問者

お礼

成る程 意味ですか。 意味って何ですかねえ? 私の今の考えでは 精神を持っていれば可能性がある コミュニケーションもできるかもしれない だから殺してはいけない 大切な可能性を潰してはいけない 心でつながっているから というようなことを考えますが。 どうもありがとうございます。

回答No.7

こんばんは。 ☆もし人間を殺して食べてもいいと言う事になると これは事ですぞ。 ◇魯迅に『狂人日記』なる短篇小説がありまして、 これを読むと、魯迅の時代にも、どうやら中国には食人の習慣が残っていたようなんですよ。 孔子先生も人間の膾(なます)を食べていたけれど───たぶん、大好物だったのではなかろうか───、弟子の一人が死んだときに人間の膾を食べなくなった、なんて言われているんですよ。 中国の歴史書には、「処刑した罪人の肉を塩漬けにして、辺境の兵士の食料として送っていた」ということも書いてあります。 近いところでは、 『アンデスの聖餐』 なんてこともある。 アンデスの聖餐 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%81%96%E9%A4%90 意外に食人のハードルは低い。 鯨の方がこのハードルが高いのかもしれない。 人間の死体から臓器などを抜き出し、それを利用していたりしますし・・・。 人体標本が売りに出されていますし・・・。 人体の不思議展 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E4%BD%93%E3%81%AE%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E5%B1%95 ☆鯨には精神は在るのか 在れば殺してはいけないのか? ◇欧米の人が捕鯨反対の理由として挙げる主なものとしましては  1 鯨は知能が高いから、殺してかわいそうだ  2 鯨は家畜ではないから、殺して食べてはダメ  3 鯨は絶滅の危惧に瀕しているから、殺してはダメ  4 鯨は魚ではなく、しかも、地の動物(哺乳類)でないから、神から人間に鯨を殺す権利が与えられていない    根拠は旧約聖書の創世記の記述 などなど。 1の知能が高いからというのは、精神を有するにすこし近いですかね。

yuniko99
質問者

お礼

何時もながら博識でいらっしゃいますね 人間の死体を食べることは僕も悪いとは思いません ただ人間を殺して食い物にするのは頂けませんね 鯨も何を考えてるかわかりませんが 人間とコミュニケーションができれば 新しい可能性が生まれそうな気がします 知能が高いからと言うのは精神があるからと言うのと似ています 鯨の研究も進んでるとは思いますが イルカの言語を研究しようと 海にかかり切りになった学者が 呆けた様になってしまった と言うのを以前TVで観ました どうも大変ありがとうございます。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.6

>動物はゴキブリでも牛でも殺してよくて、人間なら赤ちゃんでも犯罪者でも殺しません これは法律の問題ですね。人間は人間以外のいきものを殺してはいけないという法律は格別に人間自身がそれで困る理由がなければ普通は作りません。 動物同士も高等生物は共食いをすることはあまりありません。そういった本能が人間にもあって、殺人を忌み嫌うのかもしれないともおもわれます。 決して精神があるかないかという問題ではないと思います。むしろ人間が高度な社会生活をするようになったということが強く関係していると私は思います。 >人間と動物のどこかに決定的違いがあると思います。 そうでしょうか。着物を着ているとか、複雑な文化を持つとか、これは決定的だとは思いますが、人間も動物であることは否定できません。以前、積極的に人間を食って生きていた人間の原始部族が居ました。彼らには立派な精神がありました。 >精神のない動物を殺していい理由、鯨には精神は在るのか 在れば殺してはいけないのか? 精神とは無関係に、人間は人間のためならくじらをころしてもいいのではと私は思います。 その理由は鯨を人間のために生かしておく理由がないからです。 その理由が見つかれば殺してはだめだと考えます。精神がありなしとは無関係です。 くじらに精神があって、人間と対等に話し合いができ、その対話が人間のためになることがあれば殺してはいけないという法律を私は承認できるかもしれません。 >人間を殺して食べてもいいと言う事になると これは事ですぞ。 上記の論理からこれは導けません。

yuniko99
質問者

お礼

>むしろ人間が高度な社会生活をするようになったということが強く関係していると私は思います つまり社会生活をすることで 一首の共同体 仲間意識があるということでしょうか >以前、積極的に人間を食って生きていた人間の原始部族が居ました。彼らには立派な精神がありました。 成る程 しかし以前は積極的に戦争し 略奪をする週間がありましたよねえ 人間の為なら鯨を殺してもいい。という考えはあると思います。 鯨も増えすぎたそうです。 しかし精神を有していれば色んな可能性があるのではないでしょうか? 人を殺していいとは言えないわけですね どうもありがとうございます。

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