• 締切済み

子供に動物愛護をどうやって教えますか?

このカテゴリーでいいのか分かりませんが、教えてください。 先日、小学生の甥に動物は殺していけないと言う話になったときに、『でも牛殺して食べてるやん』と言われ、『それは生きるために・・・』と言おうとした所、『別に動物食べなくても生きられるやん』と言われてしまいました。 確かに人間は動物を食べなくても植物製品と乳製品で十分に健康な生活が送れるのは事実です。牛や豚を殺さなくても生きていけるんです。 動物を殺すのは『おししい』という快楽の為に過ぎない事は分かっています。 そこで質問なんですが、牛や豚は快楽の為に殺しているのに、可愛い犬や猫など食べない動物は命の尊さを訴えて守ろうとするこの大人の身勝手な動物愛護精神を、子供にどのように説明しますか? なにか納得できるいい、論理を教えてください。

みんなの回答

回答No.7

私も命の大切さを教えてあげるのがいいと思います。 私自身、自分の息子には日々の暮らしの中で命の大切さ、命をいつくしむ心を教えようと思っています。 人間は牛や豚を食べます。国が違えば、私たちがペットにしている犬を食べたり、かわいい鹿やアザラシも食べます。でも、それは悪ではありません。ライオンはトムソンガゼルを食べます。例えば、テレビ番組でトムソンガゼルの立場でのドキュメンタリーを見たら、ライオンは単純に悪者でしかありません。でもライオンにも育てるべきかわいい子供がおり、またライオン自身他者の肉を食べないと生きてはいけないのです。簡単に言えば、食物連鎖ですが、一言で言うと子供には難しすぎるし、無味乾燥な言葉ですよね。私たちの命は他者の犠牲の上になりたっていると思います。私たちの命をつなぐために他の命(牛や豚)を食べているのですから、私は常々食べ物を粗末にすることはしないよう心がけています。 奇麗事かもしれませんが、命を粗末にはしたくないのです。 息子には日々の生活、例えば公園で小さな生き物を見た時などの中で命の大切さを教えていこうと思っていました。今回この質問を見て、私もどうやって息子に伝えていくか考えさせられましたが、殺人事件の増えた昨今、大切なことですので、お互い頑張って工夫して小さなうちから教えていきましょうね。

aosawagani
質問者

お礼

ありがとうございます。 難しいですね。ただ食物連鎖の話は個人的には反対です。動物は生きるために他の動物を食べます。 しかし人間は生きる為ではありません。食の快楽を得る為に牛や豚を食べています。人間ほど頭のよい生き物は動物を食べなくても十分に生きられる存在ですので、食物連鎖を引き合いに出しても、ただの言い逃れになってしまうように思います。 命は大切。だから必要の無い殺生はせいてはいけない。・・・・つまり牛や豚などは殺さなくても人間は生きていけるので、必要の無い殺生になります。でも旨いという快楽の為に家畜化して食べています。 だからこの状態の中で、命の大切さを述べても偽善でしかありません。 自分が旨い牛肉や豚肉を食べたいが為に食物連鎖を利用している事は否めません。 ここが難しいです。 動物を食べなくても生きられる現状がある以上、どんな建前でごまかしても、やはり、旨いものを食いたい欲の方が、他の動物の命の重さより重いのは、否定できないですね。 下記の皆さんの意見も同じですが、やはり食べなくてもいい動物を食べている以上、動物愛護を述べても偽善になってしまうんですかね?・・・・ 確かに、私達は母牛から子牛を奪い取って殺してでも、焼肉食べたいですもんね。 せめて同種の人間の命は大事だから・・・・って教えるしかないのかな?・・・・

  • Rion4443
  • ベストアンサー率16% (87/532)
回答No.6

何故殺してはいけないのかではなく、 命とはいかにいとおしくかけがえのないものであるかを教えたほうが良いと思います。 どんな動植物であれ、生があり、死があります。 食肉となったり、愛玩されたり、生から死までの過程は様々です。 でも、死に至るまで、皆精一杯生きているという事実は変わりません。 だからどんな動植物も大切にしなければならないのだよと教えてあげてください。 私は読んだことはないのですが、 葉っぱのフレディ等、命の尊さを伝えられる絵本等を 読み聞かせてあげるのも一つだと思います。

aosawagani
質問者

お礼

ありがとうございます。 >命とはいかにいとおしくかけがえのないものであるかを教えたほうが良いと思います。 でもその命を生きる為ではなく、旨いものを食べたいと言う快楽の為に殺している私達に、命がいとおしいなんて教えれるのか疑問です。 命がいとおしいと言った所で、命がおいしいんでしょ?と言われそう・・・・

noname#14764
noname#14764
回答No.5

私の考えです。 たまたま、人間が高度な知恵をつけたことにより、自然界の支配者かのように振舞っているけれど、人も、動物も、植物もみな対等である。 むやみに殺生するのは、人が人を殺してはいけないのと同じである。 しかし、生物は何かを食べなければ生きていけない。だから、他の生命の命をいただいている。 自分は他の生命により生かされているのです。 そして、自分を生かしてくれている他の生命に対し感謝する。だからいただきますと言います。 どうせいただくなら、おいしいほうがよいですし、よりおいしいほうが命をくれた動植物に対しての敬意と言うものです。 自分でもよくわからない大人のゆがんだ理論を子供に刷り込んで洗脳しようとするくらいなら、子供のいうとおり肉を食べるのをやめればよいと思います。 そしたら今度は、なぜ動物は駄目なのに植物はいいのか?問いわれまた説明に苦慮しますね。

aosawagani
質問者

お礼

ありがとうございます。 >むやみに殺生するのは、人が人を殺してはいけないのと同じである。 しかし、生物は何かを食べなければ生きていけない。だから、他の生命の命をいただいている。 これは皆さん言われていますが、別に人間は他の動物の命を頂かなくても生きられるんです。この現実がある以上、単なる言い訳でしかありません。 乳製品だけで生きる部族がいなければ、この言い訳も通用したのですが・・・・

  • natu77
  • ベストアンサー率30% (408/1342)
回答No.4

>植物製品と乳製品で十分に健康な生活が送れるのは事実です 植物だって命があります。 子孫繁栄のために、必死に実らせた種を人間を始め、他の生物が食べて生きていくのです。 動物だけが殺されて可哀想という前提自体が、甘いと思います。 動物愛護と食物連鎖を同時に論じる事に無理を感じます。 ちゃんと別の問題として考えられたらいいのではないでしょうか? それでないと、「クジラは食べてはいけない」と過激な活動をしている人と同じになってしまいます。

aosawagani
質問者

お礼

ありがとうございます。 つまり動物愛護事態が甘いと。 私も同感です。人間が快楽の為に殺生する事は反対ではありません。 動物愛護など自己満足でしかありませんからね。

  • yumgyumg
  • ベストアンサー率30% (219/712)
回答No.3

動物愛護の観点からだけでは出来ない話だと思います。 相手に相応の理解力があるなら、食物連鎖、環境問題、 生と死、人間の抱える矛盾、地球の将来、様々な視点から話をする必要があると思います。 どう話すかは、人それぞれの考え方があるでしょうから、ここで私の見解を述べるのはやめます。 ただ、話す方には、それ相当の知識と見解が求められる、ということだけは言えます。 付け焼刃的な知識は、無邪気な子供には通じません。 いっそのこと、甥っ子さんに「教える」という姿勢ではなく、 一緒に矛盾について考え、意見交換されるのが良いのではないかと・・・。 最後に一言だけ。 牛や鶏も魚も、人間のために存在するものではないです。

  • orimiki
  • ベストアンサー率27% (3/11)
回答No.2

食物連鎖を教えればいいのではないでしょうか? 犬猫だって食べる目的ならば、アリでしょう。 そういう文化があるのならです。 食べなくても生きていけるといっても、文化は廃ります。 ただ、目的も意味もなく殺すだけの目的で殺すのは何も生みません。 生むとすれば狂気と悲しみだけでしょう。 無駄死にさせることは無意味で悪、だから殺さない。

回答No.1

子供って純粋な論理で、物事判断する傾向あるので、なかなか大人の論理って通じにくいですよね。 私の意見としては、言葉で説明しようとしても無理があると思います。命を大事にするのって理屈ではなく、気持ちで自然とそう感じるべきことだと思うからです。 それよりも、実際に、犬なんかを飼って、子供に育てさせる。でも、犬ですから、寿命がくれば死んでしまいます。その時、大事に育てていた犬であれば、すごく悲しい気持ちになる経験すると思います。そういう経験があると、自然と命の大事さわかるんじゃないでしょうか。犬が無理なら、他の動物でもいいのでしょうけど、犬は、何と言うか、人間との心の通い合いみたいなものもあるので、できれば犬がベストじゃないでしょうか。

aosawagani
質問者

お礼

ありがとうございます。 本当に子供は純粋ですので大人のご都合主義の正義や善意など、簡単にメッキをはがされてしまいます。 犬はいいですね。私も犬は子供の頃から飼っていて・・・・でもよく無意味に虫類は殺していましたが^^;