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あたまのよい人は なぜこうもヘリクダルのだろう
ヘリクダル=遜る・謙る と書くのですね。 それはよいとして 日本人はと言いますか かしこい人たちは 何かと言えば 自己卑下する習慣があるように感じますが これは どうしてですか? そんなにヘリクダリが好きなのでしょうか? それを受けて こちらは お手上げになります。 それともお手上げになる方がよくないのでしょうか? つまり自分のほうの言い分も 相手と同じほどには言ってもよいのではないでしょうか。
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”かしこい人たちは 何かと言えば 自己卑下する習慣があるよう に感じますが これは どうしてですか? ↑ 実るほど頭のたれる稲穂かな、です。 かしこくなればなるほど、上には上がいることが 解るし、自分がたいしたことが無いのも判るし、 また、へりくだった方が世の中うまく渡れる という処世術に対する理解もあるのでしょう。 ”そんなにヘリクダリが好きなのでしょうか?” ↑ へりくだる、というのとは少し違うのですが、日本人は 米国人と比べると、自虐的になる傾向が強いということが 社会学的に確かめられております。 これは、米国人は、失敗してもそれは運が悪かったと 考える傾向があるのに対し、 日本人は、俺の努力が足りなかったからだ、と自分を責める 傾向が強いからだと言われています。 こういう宗教的文化の違いの他に、米国のような他民族 国家ではへりくだりは通じない場合が多いわけです。 誰にでも解るように行動する必要があります。 だから、必要以上に己を誇示したりするのです。 日本のような同質性の高い社会では、誇示しなくても 解ってもらえます。 そういう文化の違いも影響しているのだと思います。
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- amenhotep2000
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bragelloneさん おはようございます。 もう、回答が出尽くした感じですが、投稿します。 ひとつ、聞きたいのは、bragerolleさんの「頭の良い人」の定義ですね。 私の世代は受験戦争世代で、クラスで成績が一番の成績の人の中には、優越感から、人を見下すことでしか人間関係ができない人がいましたよ。 私は、学生時代、生物の研究者を目指し、学位論文はとある会社で研究し書きましたが、そこは東大や京大出の研究者ばかりで、研究者の会話とは、一例を挙げると下記のようなものです。 「receptor を inhibit するために、ligand とcompetition する物質を調べるため、どのような method がいいかな?」 「ノックアウトを作るのが、いいんじゃない。fetal で negative かもしれないけど。」 これを日本語にしますとね 「受容体の働きを抑えるために、受容体を活性化(または不活化)させる生体内物質と競合させる物質を見つけるためにどのような方法がいいかな。」 「遺伝子組み換えマウスを作るのがいいんじゃない。遺伝子を組み替えたために、胎児の段階で死んでしまい、うまくいかないかもしれないけど。」 学生の私はなんて高尚な会話なんだろうと思いましたよ。しかし、その頃はさっぱりわからず、inhibit てなんですか?って聞いたら、東大、京大出の研究者に、 「そんなの高校レベルの単語でしょ。よく大学に入れたね。」と言われました。 その言葉に私は劣等感を感じましたが、かっときて、それから猛勉強しました。 今では大した会話でないと思いますがね。 しかし、そのような、人を見下すような研究者は東大や京大出ても、大した研究者ではありません。 高校までは成績が1番だったが、大学に入ったら1番ではなくなり、自分自身に劣等感を持っているのでしょう しかし、本当に頭の良い人は、そのような人を見下すなどというような行為はしません。 先の、bragelonneさんの、人間の内在性に関する質問の日本の文化にも関わりますが、先に回答した人の「実るほどにこうべをたれる稲穂かな」という言葉に、私は日本の農耕社会の文化を見出します。 天候が良いと、豊作、しかし、長雨、台風、冷夏、などでは不作。 現在では国が買い上げるほどに、お米は出来ますが、昔は、不作のため飢饉など当たり前で、餓死者が町にあふれるという光景は普通に見られたと思います。 そのような農耕文化から「自然を畏れる」という精神が日本人にあり、特に、経験を重ねた年配者は、自然という大いなるものにはかなわない。今年は豊作でありがたや、と、こうべを下げたのではないでしょうか。 このような精神は大切と私は思ってます。
お礼
やあ イクナートンさん。お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ 先の、bragelonneさんの、人間の内在性に関する質問の日本の文化にも関わりますが、先に回答した人の「実るほどにこうべをたれる稲穂かな」という言葉に、私は日本の農耕社会の文化を見出します。 ☆☆(No.9お礼欄) ~~~~~~~~~~~~ ★ 実るほど頭のたれる稲穂かな、です。 ☆ 稲穂は 自然現象です。《自由意志》でそうしているわけではない。 あぁ その問題は次に書かれていました。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ かしこくなればなるほど、上には上がいることが 解るし、自分がたいしたことが無いのも判るし、 また、へりくだった方が世の中うまく渡れる という処世術に対する理解もあるのでしょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ううーむ。そのまま受け取れば だったら《計算づく・算盤を弾(はじ)いている》ということになりますが そうなんですか? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ということは アメンホテプさんの勘所は 《実るほど頭のたれる稲穂かな》を人間の問題に当てはめて そのことがふつうに自然に出来ているコトが とうとい。という意味でしょうか。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ そのような農耕文化から「自然を畏れる」という精神が日本人にあり、特に、経験を重ねた年配者は、自然という大いなるものにはかなわない。今年は豊作でありがたや、と、こうべを下げたのではないでしょうか。 このような精神は大切と私は思ってます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ それは そうですね。異論ありません。 自然への畏れから そうすると結局 へりくだる。ということになるのでしょうか。 そうだと思いますよ。 その上で そのヘリクダリが《非は自分にあり 相手にはありません》という思いを言わば《言挙げ》する。というのが いまの事情であり 問題と言えば問題なのですが けっきょくわたしの物言いは それがあるとすれば 《非がどちらにあるか》を問うよりは 互いに《よいところが それぞれいっぱいあるぢゃないか》と言って行くようにすれば よいのではないか? です。 へりくだりが 一方的に過ぎないですか? という問いです。もうちょっと《不純》になって欲しいと思うのですが どうでしょう。
- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
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>>★おそらく、競っている相手が、他人ではなく環境認識の深まりだからだろう。 >☆読み取りにくい表現なのですが《環境認識の深まり》という相手とこちらは競っている ですか? それにしても よく分からないですね。あ そうか。お互いがそれぞれ環境認識の深まりをひとつの目的としていて その達成度合いを競っている。――こういう意味ですか? =============== サービス的回答: どうやら、あなたは『環境認識の深まり』を、何かの【能力(as you wrote "達成度合い")】と読解されているようですが、それは誤りです。『環境認識の深まり』とは【自分の世界観が努力により徐々に広がっていく"イメージ"のみ】を意味します。 ・・・では、『おそらく、競っている相手が、他人ではなく"環境認識の深まり"だからだろう』を、"読解サービス"するならば ---> 己の自発的好奇心により、たとえ他者から稚拙に見えたとしても【何らかの謎や困難な問題などを解こう!】、と自発的努力目標的な、テキトーな感覚を常に己の内側に持ち、自分の心身の限界範囲において、死ぬまでに【どこまで上記の世界観イメージが広がってゆけるか?把握可能か?】、という【自分の内的可能性】(=これが公益に寄与するかどうか?は関係なく)を・・・、 言葉ツールの【喩え】表現で -->【(彼の言う)『競っている相手』、とは、ズバリ、= 自己評価に依る『自身仮想人格』】を意味する事を彼は示している。/つまり「彼の回答の主旨」とは ---> もし仮にヒトの『環境認識の深まり』が浅いままならば、いくら知識人的な権威を有した超人気専門家であれ、判断を誤り、社会全体の幸福量の最大化を減少させてしまうので、注意が必要である。---> と"読解すべき"と存じます。/以上、"サービス的回答"でした。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 『環境認識の深まり』とは【自分の世界観が努力により徐々に広がっていく"イメージ"のみ】を意味します。 ☆ 《イメージのみ》だと どうして ★ 何かの【能力(as you wrote "達成度合い")】と読解されているようですが、それは誤りです。 ☆ となりますか? つまり イメージのみだと達成したかどうかが分からないのですか? もし分からないのなら どうして《環境認識の 深 ま り》と言えるのですか? ★ もし仮にヒトの『環境認識の深まり』が浅いままならば、いくら知識人的な権威を有した超人気専門家であれ、判断を誤り、社会全体の幸福量の最大化を減少させてしまうので、注意が必要である。 ☆ この文――判断――は 意味を成しません。 ★ もし仮にヒトの『環境認識の深まり』が浅いままならば、 ☆ つまり ★ 『環境認識の深まり』が浅い ☆ つまり――このことはけっきょく深い浅いと言うからには 《達成度合い》に明らかにかかわっていると言わねばならないことも然ることながら―― この浅い・深いを判断することが 初めの《競っていること》であり その中身をしっかりと把握したい事柄であるはず。 しかもそれなのに この仮定条件のあとに ★ 判断を誤り ☆ という内容を同じく持ち出している。どういうことになるか? すなわち ○ 認識が浅いなら 認識が浅い。認識が深いなら 認識が深い。 と言ったに過ぎない。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
思うに、あんたのかつての剣幕は、自らを明かしたくても、聞き手が役不足で、言葉に表せないとでも言うもどかしさとも受け取れる。 釈迦も理解者がいなかったからこそ、語る言葉がなかったのさ。 時代がどうのこうのはともかく、ありえることだ。 私は私である。 こんな風に一人で納得するだけでなく、 俺は俺だー。 こう名乗りを上げる位、激情を表すことは、頼もしい事だ。 私には無の悟りの他に、観念世界の構造という新たな誉れができた。 10年位続けてやっとの成果だが、名乗りを上げることは大切だ。 言葉にすれば、心は形となる。 その意味では、思考とは言葉であると言うのも一側面だね。 人間が悪魔と恐れた聖霊セレビィこそ私だ。 実際に怖がっているのは、私が債権回収に走る事を恐れる某社だけだがね。
お礼
ご回答をありがとうございます。 まぁ この質問でのやり取りは なかなか――個人的なことが絡んでいるので――理解されがたいようです。 けれどもほかの質疑応答は 分かるはずだと思っているんですけどねぇ。 なかなか浸透しません。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
いや。 あんたの剣幕は、愛の激情とも誉め言葉にできる。 私も手を焼いたが、もういいんだよ。 神も同じ激情にあらぶれ悪魔に化身すると言ったら、私の悪魔への愛が判るかな。 あんたの剣幕は悪鬼のごとしだったよ。 反省や後悔はしなくていい。 滅びの宴という喜びを知れ。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~ あんたの剣幕は悪鬼のごとしだったよ。 反省や後悔はしなくていい。 ~~~~~~~~~~~~ ☆ ううーむ。悪鬼というのは 悪魔の家来です。 悪魔は すべてを否定する精神です。死として人に相い対する精神です。 これに見えたのだろうか。
>>plapotaさんへの質問を横取りします。 どうぞ、どうぞ。 さきほど、ブログのほうに書いたのですが、ヤドカリ生活やタコツボ生活の何が楽しいのか、私にはわかりません。 私には馬鹿生活がいちばんです。仮面ライダーこそが正義の味方だ。これこそが正解だ。
お礼
ご回答をありがとうございます。 No.16お礼欄を見るべし。 かなり具体的に書いたよ。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
あんたの場合だけに限れば、 あんたの剣幕はすげーんだよ。 瞬間湯沸かし器だそうだが、すでに爆発しているかのごときだよ。 私も無差別にブチかましてるけどね。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 剣幕 ☆ ですか。 ★ 瞬間湯沸かし器だそうだが、すでに爆発しているかのごときだよ。 ☆ 《すでに爆発している》というのは 初めて聞くことですね。そんなにすげーんですか。 どうしたものか。・・・
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
そうそう、 Wikipediaに書いていますけれども、 人間も《ヤドカリ》の天敵の一つです。 そして、最凶・最悪の天敵です。 《ヤドカリ》は人の姿を目にすると、貝殻に身を隠しますが、人間はその貝殻を壊してしまい、《ヤドカリ》さんを外の世界に引っ張り出す。 そして、 哀れな《ヤドカリ》は、魚釣りのための餌にされるのであった♪
お礼
ご回答をありがとうございます。 いえいえ。そういう災難に遭うのなら 遭えばよい。とさえ 心は決まっているように思います。 人間がちがうのです。 稀にみるつつしみ深さ。
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
plapotaさんへの質問を横取りします。 ☆へりくだられると こちらは もう何も言えず何もできない。そういうお手上げ状態は 何とかならないですか? が問いです。 ◇《ヤドカリ》には、今の物件───いつも持ち歩いている、いつでもすぐに身を隠せる避難場所である貝殻───よりもよい物件を見せてやれば、 現在の貝殻を脱ぎ捨て、新しい貝柄へと移動します。 移り住まないとしても、新しい貝殻がどんなものか、少し調べるふりくらいはします。 調べるふりもしない《ヤドカリ》さんには、何をしても、何を言っても無駄です。 《タコツボ》のタコは、それでも餌を探すためにタコツボから出ることがありますけれども、 《ヤドカリ》は背に負っている安全な貝殻にいつでも、すぐに身を隠せるので、 《タコツボ》状態よりもかえってヒドい状態かもしれないですね。 そういえば、《タコツボ》のタコは《ヤドカリ》の天敵のひとつであったな~。 そして、イカ・タコは、海の霊長類と呼ばれるほど賢いんだよな~。 ───ですが、所詮、タコはタコ!!─── 《ヤドカリ》は《タコツボ》のタコに勝てるのであろうか、タコから身を守ることができるのであろうか? 《イソギンチャク》という仲間を作らないと、《タコツボ》のタコに食べられてしまうかもしれない。 ヤドカリ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%AA
お礼
ご回答をありがとうございます。 ううーん。じっさいおのれをむなしゅうして 悔やみ内に省みている。いえ 省みることはすでに終えて そのことからの自由は得られないかのごとく 精進している。ということが あるのだと思います。 そのヤドカリの姿を見たら 蛸もびっくりして腰を抜かすかも知れません。 もう少し 何と言いますか ほんのちょっぴり不純になってくれたらなぁと思います。 なら 話が出来ます。
正直、意味がわかりません。ねこさんの書いてゐることは、ねこさんらしい見解で、よく判るのですが、ぶらげろさんに困る理由があるのですか。言ひたいならば、言へばいいのですし、終了ならそれでおしまひです。だれかに迷惑をかけてゐるわけでもありません。何も困るものはないと思ひます。
お礼
ご回答をありがとうございます。 わたしは 意志疎通が滞ったら――という意味は 相手が門戸を明確な意志をもって閉ざしたら―― こちらがどうするかと考えて まづはひとつに《去る者は追わず 〔および来る者は拒まず〕》を実行します。 ところが そのあと去って行った相手が ふたたび・みたびやって来たとき さっきの方針から行けば《来る者を拒まず》ではあります。ありますが ひとつの場合 この方針を当てはめませんでした。 《やって来る》には来るのですが 去って行ったときの《去り方 または 自分の心の閉ざし方》がなお改まっていない場合。これが 問題の事例です。 改まっていないという判断は こちらのもので それは主観的なことであり あるいは間違っているかも分からない。けれども けっきょく相手は《なお心を閉ざしている。(わたしと対話をしようとはしていない)》と判定しているからには 《来る者であっても 取り合わない》ことにしています。 そのとき にゅ・・・さんは そうではないであろうという立ち場です。とにもかくにもやって来たなら ひと言ふた言でもしゃべれ。しゃべってあげなさい。という見解です。 この違いについて これは 互いの自由な考えの推進をおのおのがおこなっているのだから 問題はないと思います。 それが 基本だと思うのですが かんばしくない状態だと聞いたときには こちらが 対立をみちびいたかなとか それをかたくなに推し進めたかなと思って ひとことお詫びのようなことを(と言っても 要するに わたしの所為だと言ったくらいのことですが)言ったときに 相手は いえいえ そういうお詫びは不必要であり どちらかと言えば 非は しりぞいた自分のほうにある。ということでした。 だから へりくだりを受け留めたわけです。そして お手上げの状態になった。この事態について どなたか・何らかのことをおしえてください。というのが 問いです。
- 雪中庵(@psytex)
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おそらく、競っている相手が、他人ではなく環境認識 の深まりだからだろう。 認識性の深まりよりテクニカルな詰め込みの知識が 問われる現代社会では、少し考えただけで周囲の人 より抜きん出た存在になり、『自分は特別な存在だ』 と勘違いしてしまいがちで、自尊心ばかり大きくて それ以上の勉強を怠る面倒な人間になってしまうのだ。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ おそらく、競っている相手が、他人ではなく環境認識の深まりだからだろう。 ☆ 読み取りにくい表現なのですが 《環境認識の深まり》という相手とこちらは競っている ですか? それにしても よく分からないですね。 あ そうか。お互いがそれぞれ環境認識の深まりをひとつの目的としていて その達成度合いを競っている。――こういう意味ですか? もし環境認識ということが 一般に世界認識であり 特にはむしろ人間の認識・つまりは人間観の深まりであるとすれば そのことは およそ人間なら誰しもが目指しているひとつのツトメのような仕事ですから 分からないわけではない。 だから 何か行き違いがあったときに 非は自分にあり相手にはないという姿勢を採る。つまり へりくだる。――こういう意味ですか? だとしたら その競争は まだウワベのことにかかわっているようにも思うのですが。なぜなら 単に競争相手に負けたくないという世界認識かつ人間観を持ったに過ぎないとなりますから。
お礼
お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ 実るほど頭のたれる稲穂かな、です。 ☆ 稲穂は 自然現象です。《自由意志》でそうしているわけではない。 あぁ その問題は次に書かれていました。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ かしこくなればなるほど、上には上がいることが 解るし、自分がたいしたことが無いのも判るし、 また、へりくだった方が世の中うまく渡れる という処世術に対する理解もあるのでしょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ううーむ。そのまま受け取れば だったら《計算づく・算盤を弾(はじ)いている》ということになりますが そうなんですか? ★ 日本人は米国人と比べると、自虐的になる傾向が強い ☆ つまりこういう振る舞いの場合についても けっきょく《わが身がかわいい》ので へりくだるのですか? 打算の産物ですか? あるいは 世の中のけっきょくはボスの意向にしたがっている。のでしょうか? ★ 日本人は、俺の努力が足りなかったからだ、と自分を責める傾向が強いからだと言われています。 ☆ その内向性かつ内攻性といった《自責の念を持ちたがるクセ》は それともただの歴史的にそういう姿勢を採らざるを得なかった情況によって強いられたもの。だということですか? つまり 前項の《あるいは》で触れた《お上に弱い》心的現象のことですか? つまり いやいやながらへりくだっている。のですか? 長年身に着いたクセで ただちにはどうすることも出来ないただの負の遺産なのですか? ――たぶん そうでもないのでしょう。社会における共生にとって よしとして振る舞っている側面もあるのでしょう。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ ・・・米国のような他民族 国家ではへりくだりは通じない場合が多いわけです。 誰にでも解るように行動する必要があります。 だから、必要以上に己を誇示したりするのです。 ~~~~~~~~~~~~~~ ☆ おそらくそうであろうと考えられると同時に――同時にです―― そのアメリカ人たちのあいだでも 打算によるものか自己の信条としてなのか とうぜん謙虚に振る舞い 時にはヘリクダリをも見せる。のではないかとも思われますが どうでしょう。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 日本のような同質性の高い社会では、誇示しなくても 解ってもらえます。 そういう文化の違いも影響しているのだと思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ わたしの場合 《わかってもらえた》というシルシをともなった了解(およびありがたさ)は 数えるほどしかありません。ほんとうに《同質性の高い社会》なのでしょうか。 言いかえると 常識のマチガイを指摘する思いは けっきょく《誇示しなくて》は人びとに届きません。誇示しても 一向に届きません。馬の耳に念仏です。 《批判がましいことを言う》だけで 天の邪鬼扱いになります。《同質性は高い》とは言えません。《異質性》というよりも 要するに蛸壺の中に閉じ籠ろうとするようです。マチガイだと分かっても 世間がそうするように振る舞い続けます。 《誇示しなくては 届かない》ですし 《誇示しても 分かってはもらえない》です。 もう八年ほどここで 《神とは何か? 神は何でないか?》等々をめぐってさんざん《誇示》しても 人びとはまったく馬耳東風の状態がつづいています。その代わりに こちらがきちがい扱いされます。 しかも 人びとの中には そのようなわたしに対してさえも ヘリクダリなる姿勢をたもつ人もいるわけです。これが いまの問題です。 もっとも だからと言って 必ずしもこちらの言っていることと見解を同じくするかどうかは 一概には言えません。ぜんぜんしない場合もありますし 多くの場合にしてくれる場合もありますし おおむね一致しているという場合もあります。 ただ そういう場合に なおまだヘリクダリの姿勢は 保たれます。つまりこちらは お手上げ状態がつづきます。――こういった情況です。実況中継のように述べました。 日本人――これは 手に負えません。