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神の意志は非合理か?
理性と意志が対立するのであれば、 神の意志というのも非合理であるわけで、 これが気になっています。 ヨハネによる福音書6章40節 ショーペンハウアーとかニーチェとかの意志の哲学が ドイツ語なので、ドイツ語がわかる人はwilleといったときに 非合理だと思うのかどうか? あとついでに、フランスのルソーも一般意志とか特殊意志とか いっているみたいですが、フランス語の意志も非合理なのでしょうか?
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人間の脳は、理性を司る大脳新皮質という部分と 本能を司る大脳旧皮質という部分から構成されて います。 大脳新皮質は、読書したり、いろいろ考えたり することにより発達します。 これに対し、大脳旧皮質は天然自然、いわば先天的 なもので、動物にも共通しています。 従って、神の意志、というのは大脳旧皮質のことに なると思われます。 人間も動物ですから、本来なら大脳旧皮質の命じる ままに行動するのが合理的なはずです。 それが生存競争において生き残る道です。 しかし、人間は集団を作り社会を構成しました。 だから、その社会と折り合いをつけて生きる 必要があります。 大脳旧皮質の命じるままに行動したら、社会から 排除され生存ができなくなります。 だから神の意志は不合理になります。 つまり、本能を押さえ、社会と美味く折り合いを つけるのが大脳新皮質という訳です。
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- kurinal
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kazamidori365様、こんばんは。 「神」てのが、「理性」の淵源。 (神無くして、理性(何が善で、何が悪か)無し) 「非合理」・・・これは、また。 (「ある「意志」が「合理的」である」というのは、背理的、ですか?) 「神の意志」・・・おそらく「合理的」ということとは相容れない、「高度に宗教的な産物」
- suzumenokox
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理性と情は対立する傾向があると思います。 情であまりにもやるせない現実。 そこに理性で対応しようとするところに 惰性ではなく漠然と方向性を持った自然発生的な 意志のようなものが生じるのではないかと思います。 その意志が普遍的ならその結果が時のふるいを潜り抜けて それは合理だったということになり そうでなければ非合理だったということになるのではないでしょうか。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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『奴隷意志論』 (De servo arbitrio)というのは 神の意志を身に体現することができるという前提に立って議論したものです。 これは 想定としてでも 無理です。言いかえると 人間としてのおのれの意志が 神の意志に合った内容をおこない・それしか行なわないという想定は 無理であって ぎゃくに言えば あくまで非思考の庭(つまり 信仰なる動態)において そのこと(神の意志 ⇒ 人の意志)が実現していると想定するまでです。 つまり 後者の想定は 想定したとしても その現実性は人間にはいっさい分かりません。或る種の観念体系として・そのような神学としてこしらえただけのものです。 アウグスティヌスが言うには 《恩恵と自由意志》の問題だと言います。パウロの議論にしたがって 次のように結論づけます。 ひとには――エワとアダムの物語によって理論が得られるように―― 自由意志が存在する。そのように――もしそういう言い方をするなら―― 造られた。 ただし 恩恵は――つまり神の愛は・そしてそれは 霊我とも呼べるアートマンなるやはり霊のハタラキとしてなのですが―― 煮詰めたかたちで言えば 〔恩恵は〕人間の自由意志を建てるのだと言います。 ひとは 自由意志の自由度にしたがい《勝手に》思考しそのまま振る舞いすべての行動をおこなう。ところが もしその人に神のめぐみがあたえられるならば その恵みは 自由意志をみちびきしかるべきように建てて行くのだと。 ですから 自由意志による努力を重んじるエラスムスにしても そして神の恩恵をとうぜんのごとく重んじるルウテルにしても それら両方の議論を含みつつ ひとは自由に振る舞いおのれの道をあゆむ過程にあってやがて 《おのれの欲するように生きることが 真実となるであろう》と言っています。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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《自由意志》については・そして特にラテン系で arbitrium なる語が用いられることについては ルネサンスの知識人であるピコ・デッラ・ミランドラの《人間の尊厳について》でしたかが 先駆けのごとくになったはずです。(意外と 遅い)。 検索は お得意だと思うので。
お礼
回答ありがとうございます。 arbitriumは「判断」という意味みたいです。 なぜそれが意志になっていくのか。疑問が増えていく。 ~~~~~~~~~~~~~~ アウグスティヌスにおいて意志と理性がどのような関係にあるかという点を最初に取り上げておき たい。 アウグスティヌスは、自由意志という概念に相当するものとして、「意志の自由な判断」(liberum voluntatis arbitrium)、「自由な判断」(liberum arbitrium)、「自由な意志」(libera voluntas)等の表現 を用いており、単に意志(voluntas)という語を用いる場合も、そこには自由意志という意味が含まれ ている。 voluntas(意志)は、velle(欲する)という動詞から派生した語であり、意志、意図、願望等と訳すこ とが可能であるが、アウグスティヌスはこの語を、動物の霊魂には欠けていて、人間の霊魂にのみ備 わっている知的な機能として捉えている。つまり、動物は意志をもたず、人間のみが意志をもつと考 えている。 アウグスティヌスは、古代ギリシア以来の多くの思想家と同様に、人間の霊魂(anima)を動物の霊魂 と区別しており、両者の違いを、理性(ratio)を有するか否かに置いている。したがって、人間の霊魂 の特徴は、理性を有する点にあると考え、アウグスティヌスはしばしば人間を、理性的本性(natura rationalis)と呼ぶ。 意志の起源 ― アウグスティヌスにおける意志と可能性 ― 降旗芳彦 https://jissen.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=934&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=13&block_id=30 ~~~~~~~~~~~~~~~
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 人間の意志と神のそれとについて分けなければならないと考えます。 先にまづ人間の意志についてですが: 《合理性――経験合理性(つまり因果律あるいは排中律をまもること)――》は 知解行為をつかさどる理性に対応します。 推論のマチガイの無さ(合理性に逆らっていない)を理性は仕分けしつつ思考します。 つまりは 合理・不合理・非合理です。 結論を出すときには理性は 合理的な選択肢をいくつか用意します。そしてその判断や取捨選択を 意志にゆだねます。 すなわちわが意志は この理性の差し出す候補の中から 自由勝手に――理性のおススメだとか どうしてもこれを選択しなければいけませんよとかの言い添えを無視して――自分で自分の心を決めてえらびます。 不合理や非合理をも よしとして選ぶことがあります。 ここで神の意志についてですが: わが意志が結論を選び出しこれを実行に移したあとは 神のこころにゆだねます。(人事を尽くして天命を俟つ)。 経験思想として言えばこれは ものごとの自然史過程にその結果を俟つという意味になります。そして 後世の歴史家の判断にまかせるのだとかと言ったりもします。 ところがそれでも 神のこころは おそらく人間には分かりません。 ときどきこれが神の意志なのだ お前たち よく聞けと言ってうったえ続ける呆けた人間が出て来るというようなことだと思います。 もっとも わたしなる主観の内では これこそが神の意志なのだと確信できる場合が無きにしも非ずなのではないでしょうか。主観が 他の主観に迷惑をかけないかぎりで 自由であり有益でありうるのだと思われます。 ★ 《一般意志》 ☆ は あたかもそのつどその社会にあって もっともよい考えであり政策であるというものを〔あたかも〕神の意志であるかのごとく思わせるためにこしらえた概念です。 万人にとってよしとされる社会とその人びとみんなの意志なのだと言おうとしているのだと思います。んなものが人間に分かるわけにゃあーと思います。 《人間の意志が非合理だとか不合理だとか》ということなのではなく そうではなく 何を選ぶかについて意志には考え得るかぎり最大限の自由度がある。ということだと考えます。 なぜかということではなく 自然本性としてそのように生まれつきヒトにそなわった行為能力であり性質なのだと捉えます。つまり エワとアダムが神の命じたところにさえも逆らったという自由度です。 (論証したことにはなっていませんが)。
お礼
回答ありがとうございます。現在okwaveに参加する気力が欠けています。 とりあえず検索だけしてみました。 ~~~~~~~~~~~~~~~ 一般意志(いっぱんいし、フランス語:Volonté générale、英語:General will)とは、社会の全ての人に共有される意志。フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーが1762年に発表した『社会契約論』のなかで提唱した概念である。 一般意志 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%88%AC%E6%84%8F%E5%BF%97 ~~~~~~~~~~~~~~~ 自由意志(じゆういし、英語: free will、ドイツ語: freier Wille、フランス語: libre arbitre、ラテン語: liberum arbitrium)は、他から束縛されず自らの責任において決定する意思[1]。言い換えれば、行為者の自由な意志のこと。 自由意志 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97 ~~~~~~~~~~~~~~~ 検索してウィキペディアを見ただけですが なんだかフランス語だと意志で使用されている単語が違うみたいです。 Volonté と arbitre なにか使い分けするような違いがあるのだろうか。 さらに検索 ~~~~~~~~~~~~~~~~ いし 意思,意志 voluntas,atis,f. arbitrium,i,n. 自由意志 liberum arbitrium, 奴隷意志 servum arbitrium 無差別の自由意志 liberum arbitrium indifferentiae, 意志する volo,velle,volui, 意志する力 vis volendi voluntas est superior intellectu, 「意志は知性に優先する」 和羅辞典 http://www11.ocn.ne.jp/~mare/jiten.html ~~~~~~~~~~~~~ 奴隷意志論 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E6%84%8F%E5%BF%97%E8%AB%96 ~~~~~~~~~~~~~~~ 外国語カテでルターの訳した聖書と現代のドイツ語の聖書と翻訳がかなり異なっている とかなんとかいう回答をもらったけど ルターは奴隷意志論なんていう本を書いていたのか。 奴隷意志とかもうなんだかわけがわかない。
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
こんばんは。 ☆神の意志というのも非合理であるわけで ◇人間の知性が不完全なものであり、 「宇宙の普遍的調和や神の行いの隠れた理由[1]」 を知りえないから、 非合理であるように思えるだけです。 神の行いに、不合理や非合理なものは何一つとしてございません。 我々が無知だからそのように思えるだけです。 創世記第1章に 「1:31神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。」 とあります。 神によるこの創造は完全であり、したがって、これ以外のものはありえないのです。 創世記のこの言葉を疑ってはいけません。 クリスチャンならば、こう答えるのではないですかね。 [1] ライプニッツ『形而上学叙説』 ☆ドイツ語なので、ドイツ語がわかる人はwilleといったときに 非合理だと思うのかどうか? ◇この時、何をもって非合理というのかですね。 その意志がいかなる内容であったとしても、 その意志の発生に関しては少なくとも自然法則に即しているのでしょうから、 合理的ということもできるでしょう。 それに、(人間の)意志というのは、合理的というよりは、合目的的なものではないですかね。
- Mokuzo100nenn
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神に意思はありません。 神を作った(=定義し、描写し、普及させた)人間に意思があるのです。 古来日本人は八百万の神々を定義し、描写し、普及させました。 古来セム人(ユダヤ人やアラブ人)は「アブラハムの宗教」でたった一つの神を定義し、描写し、普及させました。 これらの違いは人間の意思の違いによるものです。
- michael-m
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神の意志というのも非合理であるわけで どこまで自己中心的な考えなんでしょうね 神や天然自然の哲理と自分の考えが相反しているなら、自分の、或いは人の考えが非合理であるということ行かないでしょ。 神の意思が非合理だとしてどうにかなるもんですか?
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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神の意志。 分かるわけないぢゃん。人間に。 分かったら あなたは神である。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
全知全能のくせに、自己を賛美させるために 人類をつくったり、全知なのに人類に裏切ら れたり、全能のくせにそんな不完全な人類を つくったり、冷静に見ると神は「非合理」な 存在に過ぎない。
お礼
回答ありがとうございます。 非合理だとすると決定論とは世界観が異なるように 思うのですがまだなんともいえません。
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お礼
回答ありがとうございます。 いきなり脳の話が出てきて切り替えるのが大変でした。 私が調べているのは古い話ばかりですから。 意志が肉体とは別のところにあるという思想なのかもしれません。