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使徒行伝の登場人物について
新約聖書使徒行伝第12章第2節にキリストの死後ヘロデ王が【ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。】と有りますが、第12章17節には、その後脱獄したペテロが【主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。】とも書かれています。前の方のヤコブと後の方のヤコブは別人でしょうか。 また第12章12節に脱獄したペトロは、【マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。】と述べられていますが、この“マルコと呼ばれていたヨハネ”と言う人物は福音書マルコ伝とヨハネ伝の著者の何れかと関係が有るのでしょうか。
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No.2です。 再度すいません。 再度本をめくっていてイエスの母マリアのところに書いてありました。 【イエスの母マリア 彼女は、キリスト教徒の党によって、女性の長、異邦人の母になるように選ばれた。異邦人の長ヨハネ・マルコは、彼女の「息子」にされ、それゆえ彼女も「ヨハネ・マルコの母のマリア」であった。「マリア(ミリアム)」は、テラペウタイの女性の長のために用いられた称号であり、彼女はモーセの姉妹ミリアムとしてふるまった。】 だそうです。 なお <ヨハネ・マルコ>のところにはこう書いてあります。 【ヨハネ・マルコ 福音書時代の異邦人改宗者の長。改宗者たちは割礼を受け入れなかったが、若干のユダヤ教的律法は受け入れた。だが他のものは拒否した。 ヨハネ・マルコは、ユダヤ人の祭司達に服従した。それは彼の集団の礼拝所が三階になる原因となった。祭司が、ユダヤ人の長老より上の最高レベルに立つことができるためであった。本来の名前は、エウティコであった。 中略 彼は『ヨハネによる福音書』のスポンサーになった。この書は彼の見解を示している。】 と書かれていますので、ヨハネ・マルコ=エンティコはヨハネによる福音書の作者のスポンサーらしいです。 なお、多数派の意見じゃないようですので、聞く程度にしておいてください(汗)
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- kigurumi
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イエスの兄弟ヤコブのヤコブというのは本当は名前ではなく称号だと思います。 わたしが持っている本にはイエスの兄弟ヤコブについてこんなことが書いてあります。 【イエスの弟。AD1年生まれ。正規の結婚において身ごもられたので、ヘブライストにとって正統のダビデであった。ヘレニストが力を持っていた間は、ヤコブはイエスの後継者として準備させられ、それゆえ「ヨセフ」と呼ばれた。だがヘブライストの下では、彼こそがダビデであるはずであり「ヤコブ」と呼ばれていた。】 他にはアブサムロムとも呼ばれることがあったようです。 ややこしいですねぇ。 イエスの兄弟ヤコブは、62年大司祭アナヌスの命令により石打の刑になったので、ヘロデにより剣で殺されたというのは間違いだと思います。 石打になった過程はヨセフスの古代ユダヤ誌に書かれているようです。 なお教会側の説明も同様のようです。 http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/newpope/bene_message122.htm 【アナノスは、ローマ総督(フェストゥス)の罷免と次の総督(アルビヌス)の着任の間の、62年に、ヤコブを石打ちの刑に定めました。】 愛弟子ヨハネ・マルコ。 使徒言行録の20にエンティコという名前でも登場するそうです。 これが本名らしく、ヨハネ・マルコは称号らしいです。 (3階から落ちたがペトロにより復活したと書かれていますが、これは3階級ランク落ちしたが、ペトロにより名誉回復したという意味だそうです。) 彼は異邦人でしたが、ヘロデ式の改宗によりユダヤ教徒となったようです。 彼は恐らく洗礼者ヨハネの弟子だったと思われ、後にイエスとであったため洗礼者ヨハネの元を離れイエスについたようです。 しばらくイエスの中心的な代表者で、ヨハネ・マルコという名前を採用したようで、他の弟子たちから「愛弟子」として知られていたようです。 <マルコと呼ばれたヨハネの母はマリアの家> うーーん そう聞くとヘレナのことかなと思います。 えっとですね。 ヘレナはシモン・マグナスの愛人で、異邦人集団の長でした。 彼女自身も異邦人だった。 異邦人のユダヤ教への改宗を取り仕切っていたわけです。 イエスも彼女の<家>で生まれたそうで、馬小屋とは彼女が運営するセンターのこと。 何故馬小屋と呼ばれたのかは省略。 で、彼女も複数の称号があり、これまた読者にとって混乱するのですが、ヘレナは2人の子どもにユダヤ式の命名をして「ヤコブとヨハネの母」となりました。 子らはまた「セベダイの子」とも言われており、「セベダイ」がシモン・マグナスの多くの偽名の一つだそうです。 マルコと呼ばれていた? わたしが知る限り、マルコという偽名を彼女は使っていなかったように思います。 「マルクス」という言葉はヘブライ語の「王」からきているそうですが、ヘレナは異邦人の改宗者を取り仕切っており異邦人改宗者にとっては女王でもあったのようです。 だからマルコ? うーーん 無理やりこじつけてしまいましたが、関係ないかな? 何故ペトロがヘレナの家に行ったのかは想像がつきます。 恐らくペトロは階級を剥奪され、最低ランクまで落とされたと思えます。 しかし、イエスが彼の名誉を復活させるべく奮闘し、異邦人の改宗者は最低ランクからスタートで、パウロは監禁を解かれたが一番最低のランクから再スタート。 ヘレナがその部門を担当していたので、ヘレナの家に行ったのだと思います。 とーーんでも内容ですけど、現実ありえそうな内容でしょ?(笑)
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大変興味深い詳細な説明有り難うございました。 『マルコと呼ばれていたヨハネの母マリア』のマルコはヨハネにかかるものと決めてかかっていましたが、マリアの異名である可能性もあるのですね。 英訳では、はっきりマルコの異名としている場合と、どちらか分からない表現になっているものがあります。
- pyon1956
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一応学説では使徒行伝12-2で殺されたのは十二使徒のヤコブ、12-17で言われているのは「主の兄弟」ヤコブで、別人だということになっています。(岩波書店版 新約聖書p.427注) またマルコについては、福音書記者マルコであるという説もあれば、そうでない、という説もありますが、何れにせよ使徒行伝の記述だけからはどちらと断定するのも無理でしょう。少なくとも積極的にそうでないという理由もありません。 ともかくこういったこと(二つの質問とも)は学説なので、実際にどうだ、という断言は無理です。使徒行伝の文章のみからではそもそもそうであるともないともかいてありませんから。
補足
有り難うございました。 同じ章にヤコブとヨハネと出て来ましたので、これはヨハネ伝の著者のヨハネとその兄ヤコブのことかと思ったのですが、マタイ伝には十字架にかかったキリストを最後まで見届けた女性として、「マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子たち(ヤコブとヨハネ)の母」と記されており、ヨハネの母の名もマリアなら、少し変だと思った次第です。
補足
多数派でない方が真実を伝えている場合もあるかも知れません。 また質問の答えを得る以上に興味深い内容有り難うございました。