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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:言葉は自分をはかる?)

言葉は自分をはかる?

このQ&Aのポイント
  • 言葉は自分を測る手段である。
  • 言葉の意味反応を知ることで、自己認識ができる。
  • 言葉は自己探求の重要なツールである。

質問者が選んだベストアンサー

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  • frau
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回答No.12

「空は青い」 について、意義または意味について 「それがなんなの」or「そうだ、そう思う」 という可能性。 ご回答者様の場合 >意義のレベルでの理解は、感覚的反応がほとんどない。 >意味のレベルでは「腑に落ちた」ような感覚がある。 ということですね。 でも私は意義のほうが腑に落ちた、という感じがします(=感覚)。 辞書の定義とは別にし、「意義」について、私の定義では本質という意味にとらえています。または追求、専門的な領域で用いられる対象。 一方「意味」は一般的に用いられるとき、便宜上のため、軽くあしらわれるものの対象。 意味はおっしゃるような「意識上に流されていく」ようなイメージです。 「>字義」は一般的用語となる前に、まず事実を説明するためにある言葉=字=道具の意です。 私が「腑に落ちる」ときは「意義」を感じた時です。 それは私は理屈っぽいので、理論や本質(のようなもの)を説くことば(考え)に出会うとき、腑に落ちて気持ちいいのです。 >「言葉は自分をはかる」と、あなたは思いますか? 思います。主体的に言葉でコントロール可能なものもあるし(言葉に対する言葉)、ご回答者様のおっしゃるように翻弄される場合もあります。 人生を通し、身をもって「言霊」とは真実だと感じてもいます。これは重要なことです。 潜在意識、脳は「主語を感じない」と言われます。 私はこれが言霊の正体だと思うのです。 言葉は人の意識、心、すなわち人生を左右します。 心を生かし、また、殺します。ですが、言葉そのものに罪はありません。それを使う人の意識の問題です。その意味で「言葉は人(自分)をはかる」とは思いません。 人をはかる言葉でしたら、その言葉を選択する意識の問題です。 >「空は青い」という言葉の意義が知解 ここでひとつ質問なのですが、「空は青い」という「事実」は知解できるものなのですか? 知解は『知識の力で悟ること。』ですよね。 「考え」は知識の力で得、またそこから派生するものですが、「空が青い」という変えようがない「事実」は知解できるものなのでしょうか?

atomonados
質問者

お礼

frauさん。こんばんは。 >でも私は意義のほうが腑に落ちた、という感じがします(=感覚) 受け止めます。 >辞書の定義とは別にし、「意義」について、私の定義では本質という意味にとらえています。または追求、専門的な領域で用いられる対象。 意義と意味が曖昧なので、明確に区分することを意図しています。 人とのコミュニケーションを取る上で客観性を持たせるということ、それと自分が合理的に思考する用がたせるものであるということ、こういうことを目的としていますが、まず後者です。あなたはそれで明確になりましたか。その定義で思考が論理的にできますか。 >一方「意味」は一般的に用いられるとき、便宜上のため、軽くあしらわれるものの対象。 意味はおっしゃるような「意識上に流されていく」ようなイメージです。 「>字義」は一般的用語となる前に、まず事実を説明するためにある言葉=字=道具の意です。 同上ですが、加えて、純粋な定義というものが必要ではないかと私は考えているのです。 >私が「腑に落ちる」ときは「意義」を感じた時です。 受け止めました。 >それは私は理屈っぽいので、理論や本質(のようなもの)を説くことば(考え)に出会うとき、腑に落ちて気持ちいいのです。 分かります。意義や意味を厳密に使い分けようとする私が、意義や意味という語を使わないこの文で、分かるというのも変な話ですが。 本質の直観が、直感的に感じられる。この気持ちよさですね。共感できます。 >「言葉は自分をはかる」と、あなたは思いますか? >思います。主体的に言葉でコントロール可能なものもあるし(言葉に対する言葉)、ご回答者様のおっしゃるように翻弄される場合もあります。 共感するところがあるのですね。よかった。 >人生を通し、身をもって「言霊」とは真実だと感じてもいます。これは重要なことです。 共感するのですが、「言霊」という概念は人によって受け止め方が様々で、何か別の表現の仕方が望まれるところです。結局のところ言霊思想なんですが、怪しいところをなくすように表現を考えています。 >潜在意識、脳は「主語を感じない」と言われます。 私はこれが言霊の正体だと思うのです。 なるほど。ここはもう少し分析したいところです。が、先にすすみます。 >言葉は人の意識、心、すなわち人生を左右します。 心を生かし、また、殺します。ですが、言葉そのものに罪はありません。それを使う人の意識の問題です。その意味で「言葉は人(自分)をはかる」とは思いません。 人をはかる言葉でしたら、その言葉を選択する意識の問題です。 おっしゃるとおりです。私の表現に誤りがあります。私が言葉によって人(自分)をはかる。こう訂正します。ご指摘ありがとうございます。 =================================== >「空は青い」という言葉の意義が知解 ここでひとつ質問なのですが、「空は青い」という「事実」は知解できるものなのですか? 知解は『知識の力で悟ること。』ですよね。 「考え」は知識の力で得、またそこから派生するものですが、「空が青い」という変えようがない「事実」は知解できるものなのでしょうか? =================================== 事象と事実を使い分けています。どちらも事柄ですが、現実性があるのが事実です。今この瞬間の経験事実。必ず感覚を伴います。これが記憶され、回想されると感覚はふつうぼんやりとしたものになります。回想されたものが、感覚ではなく、感覚を呼び起こすきっかけのようなものかもしれません。精神から脳に働きかけてバーチャルな弱い感覚状態を生じさせそれを見ているように思います。こういう場合にも、現実性はある訳です。今意識しているという。 事象というのは、そんな現実性を捨象して、感覚を伴わない事柄を言います。「サイコロをふって1の目がでる事象」というときの使い方であり、この事象の内容が現実に結びつくかどうかは、可能的ですが必然的ではありません。 青い空をみて、感覚情報の青→色彩情報の青→言語情報の青という情報処理がされていると見ます。この過程が知解です。知というのは受け入れるための形式で、色彩空間や、色彩概念というものです。そういうものを人は持っていて、そこに感覚対象を分類します。 こういうことを知解といっています。 『知識の力で悟ること』の知識が、区分された知の形式です。力は感性、悟性でしょう。悟ことは「あっ解った」ということ。つまり、区分し用意された形式に、対象が当てはめられ、例えば  青[0]だったのが、青[1]となるようなことです。 1:そうである 0:どちらでもない。-1:そうでない。 こういうパラメータで表しています。 どちらでもない状態に拘束されていたものが、意識対象として青であるという状態に解かれる。そういうことです。 考えを知識の力で得ると言うのは、曖昧さがあります。 私も厳格に区別するに至ってませんが、おおむね、 概念思考によって得られる考え「概念」 概念区分や分類。 推理思考によって得られる考え「判断」 類推(類似性に基づく)。推理(論理性に基づく)。 のように見ています。 ここでいう「空が青い」というのは判断ではなく概念思考です。 対象である空を、対象概念として、述語概念の「青い」に分類して結びつけた。ということです。単純すぎる例で思考の実感はわかないかもしれませんが。覚えたての概念を使うときは思考するという実感はあるでしょう。 分かりやすくまとめることなく、述べてしまいましたがこのへんで。 「脳は主語を感じない」これは考えるヒントになります。ありがとうございます。

atomonados
質問者

補足

言霊思想に触れられたことで、核心をつかれたと思いました。ありがとうごさいます。 「脳は主語を感じない」も記憶にとどめて参考にさせていただきます。

その他の回答 (12)

  • frau
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回答No.13

No.12です。 意味と意義の違いについて、ご回答者様は以下のように定義されています。 ---------------------------------------------------------------------------- 意義・・・基本的に言葉が指す内容。国語辞書にあるそれぞれの概念の説明内容。頭で理解するもの。字義。 意味・・・現実的で感覚的な意(おもい)を味わえるもの。心で感じるもの。言葉で表せないもの。(字義として、こう表してはいるが) ---------------------------------------------------------------------------- 辞書では ---------------------------------------------------------------------------- 「意義」について『1 言葉によって表される意味・内容。「その語の本来の―」 』 「意味」について『言葉が示す内容。また、言葉がある物事を示すこと。』 ---------------------------------------------------------------------------- と定義されていますが、意義は「意味」に定義を譲ってます。字面的にはどちらも「内容」を指しています。つまり、その言葉がもつ固有性というようなものは辞書には書かれてません。どうもその言葉の持つ本質や固有性が捉えられない(辞書には不満です。広辞苑だとまた高度な解釈なのでしょうが、値段が高いから持ってませんw。私はご回答者様の「概念の説明内容」という意義についての定義の方が会得できました。 私は「意味」は制限のある自由な解釈が許されるもの、と捉えています。 「意義」については、先の回答でも述べました通り「本質」を表すものと捉えていますので、自由な解釈がさらに限定される定義、と考えました。 いかがでしょうか^^

atomonados
質問者

お礼

>私は「意味」は制限のある自由な解釈が許されるもの、と捉えています。 「意義」については、先の回答でも述べました通り「本質」を表すものと捉えていますので、自由な解釈がさらに限定される定義、と考えました。 概念の意義については、 必然的意義と偶然的意義に分けます。 必然的意義:その概念にとって本質的なもの 偶然的意義:その概念にとって付帯的なもの 「空が青い」の「青い」は付帯的・偶然的意義です。夕焼けで「赤い」時もあります。 ところが、現実に実感している瞬間、付帯的・偶然的意義であったはずの「青い」が、そんな軽いものではなくなります。このときの「青い」は《意味》として受け止め区別することにしています。 意味の領域は広く、「概念の意義がなるほど解った!」に意味があるとも言えます。このへんの意義と意味の厳格な区別ができてないのですよ。意味の深度というのを考えて、  青[-3]、青[-2]、青[-1]、青[0]、青[1]、青[2]、青[3]     と表そうかと考えたりしています。マイナスは否定「でない」です。例えば、「青」という文字を見た、その意義をイメージしたというだけの意味レベルを青[1]で表します。青[2]の意味レベルは、現実に青い空を見ている時のもの。さらにその上に何か別の意味があるのが、青[3]というように。 本質的意義は、意味レベル1、実質的本質は、意味レベル3以上です。

  • asisai888
  • ベストアンサー率15% (11/73)
回答No.11

>これが、自分が返す言葉で知る、自分の現在地 言葉に対する感想を現在地と言い換えてるのですね? ということは「言葉は自分をはかる」とは「言葉は自分に感想を与える」と言い換えられるはず それならばその通りだと思います ただ、一歩引いた目で見ますと、感想を与えるから何なのでしょうか 恐らくatomonadosさんは「自分をはかる」という言葉から察するに 自分とは何なのか、その疑問に答えようとしてるのだと思います その趣旨で「言葉は自分を測るか?」という質問を解釈しますと 「言葉に対する感想で自分とは何か分かるか?」という表現が精確ではないでしょうか? そうだとして答えますと、いくら言葉に対する感想を知ろうとも自分とは何かはわからないと思います なぜならそもそも自分なぞ存在しないと思うからです

atomonados
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。そもそも「自分は存在しない」と思われるのですね。  存在しないものを対象にしてそれが何か「分かる」わけがない。それに「分かる」能力主体の自分というものが存在しなければ「分かる」ことは不可能である。  仮に言葉に対する感想というものがあるとしても、そのことで自分の存在するということにはならない。  おっしゃるのはこういうことだと思います。ご意見は尊重します。しかしぼくには同意できかねますので、補足欄にその内容をコメントしようと思います。時間がかかるかもしれません。

atomonados
質問者

補足

I 葛藤と矛盾の意味論的解釈  デカルトの説を知った高2の頃より、自己存在に関しての矛盾対立は、さほど深刻ではないものの哲学へと動機付けるに十分な、ぼくの内面の葛藤でもありました。それはすでに解消しているのですが、ここでは意味論的に論じようと思います。 (1)矛盾律と排中律  例えば、パルメニデス「あるものはある」とヘラクレイトス「万物は流転する」について、   A「合理主義的(非経験主義的)見解 かつ 非合理主義的(経験主義的)見解」   B「合理主義的(非経験主義的)見解 または 非合理主義的(経験主義的)見解」   Aは矛盾して成り立たず(矛盾律)、Bは矛盾なく成り立つ(排中律)。 (2)一面性と二面性  すなわち、一面的に捉えて矛盾する見解(A)は二面的に捉える(B)ことで解消する。 (3)意義と意味  意義と意味の区別はフレーゲからの借用。ここで、   A 永続的(超時間的・観念的) かつ 非永続的(時間的・現実的)   B 永続的(超時間的・観念的) または 非永続的(時間的・現実的) と捉え直すと、見解Aは意義面での矛盾に、見解Bは意味面での葛藤に相当することが分かる。  たとえば、「ネコ」なる概念は、意義として、イデアルに永続し、リアルに変化するものではない。そこで論理式、「「ネコ」 かつ 「非ネコ」」は恒常的に矛盾であり、偽となる。真であるためには、意味の上でどちらかであることが要請される。(ただし矛盾の解消については、表現を複雑にするだけなので省略する) 意味としての「ネコ」は、リアルに生滅する。それをこう記す。  「ネコ」[0]→「ネコ」[1]→「ネコ」[0] この記法は、「ネコ」が、イデアルな(永続的)意義を、[0]と[1]は意味論的存在パラメータ(非永続的)を示し、  「現実にネコがいない」→「現実にネコがいる」→「現実にネコがいない」 を表す。ただし、「永続的」は絶対的でなく、一貫して「ネコ」なる意義を用いる限りのもの。 (4)意味論的存在論  重要なのは、「ネコ」の存在ではなく、知覚・感覚が意味として存在すること。また、意義としては対象が主題だが、意味としては自分にとっての意味の存在状態が主題となること。 (5)葛藤の意味論的解釈  再び、  「ネコ」[0]→「ネコ」[1]→「ネコ」[0] にもどって考える。この状態が短い周期で交錯していると、ぼくは(広義で)葛藤していると言う。いる・いない、どちらに感覚・知覚してるのかっていう自分への苛立ち。  有名どころで、ハムレットの「生きるべきか、死ぬべきがそれが問題だ」というが、典型的な葛藤。  ・・・「生きるべき」[0]→「生きるべき」[1]→「生きるべき」[0]・・・  ・・・「死ぬべき」[1] →「死ぬべき」[0] →「死ぬべき」[1]・・・  葛藤の解消は、意図の選択、決断することにある。とりあえず破滅的なほうを選ばなければよい。 II 「自分が存在しない」と「自分が存在する」について (1)客観と主観  主観的なことは I で述べた。さて客観に入ります。意義の対立が、客観的にどちらかでなければならないということが要請されない場合は、主観の相異ということで解消する。各々、他者の人権を尊重しましょう。思想の自由、表現の自由ということで。    そして、意義の対立が、客観的にどちらかでなければならないということが要請される場合。これは、現実的に社会的に、義務、権利、責任、能力の主体として「自分が存在する」とみんなが思うことは大前提。とても当たり前のこと。 (2)自己言及の意味論的解釈  この論点は、別に提示しようと思うので省略します。 簡単に言えば、 ・常識に反する ・「自分が存在しない」と思う自分は存在する という異論があって、「自分が存在しない」とは思えないのです。 >「言葉に対する感想で自分とは何か分かるか?」という表現が精確ではないでしょうか? これには、測定という意味がなくて、自然科学的手法をとりいれようとする思いが省かれてしまいます。また「自分はどうすべきか」というニュアンスも省かれてます。ぼくとしてはそこのところを重視しています。自分を、主観的だけれども合理的な、そんな観察を通して把握して、自己表現を調整する。「はかる」には、そういう意図があります。 ガリレオが「なぜ」より「どのように」を重視したように、自分の本質への問いは後回しにします。

回答No.10

ただ、質問者さんの意味反応という言葉とsemantic reactionという考え方が似ているなと思ったので、私の興味・関心から質問しただけです。 これ以上の意味は含んでいません。 また、 semantic reactionを意味反応と訳し、これを説明している日本語のサイトもあったもので・・・。 こうした用語をご存知の上で質問なさったのかな、と思っただけです。 「はい。裁判にかけられているみたいです。」といった不快な思いをなされたのならば、 ここに深くお詫び申し上げます。

atomonados
質問者

補足

不快な思いはしていないので気にしないでください。

  • asisai888
  • ベストアンサー率15% (11/73)
回答No.9

リンク先では自分を測るとは自分のものさしによって自分の現在地を測ることだと言っています atomonadosさんの言うものさしとは言葉のことであるのでしょうが、では現在地とはなんですか?

atomonados
質問者

補足

>では現在地とはなんですか? そうですね。現在の状態でしょうか。どんな言葉どんな反応をするかという。あるいは対象が言葉でなくとも、どんな言葉で反応するかとか。その反応の傾向みたいなものを自分の現在地と思います。 たとえば、「美」に対して、「きれいなもの」とか辞書にありそうな意義で反応するほかなかった少年時代。そして時を経て、今では「調和、均整、律動、そういった形式美と自然さを備えた洗練された表現」といった、知的な意味で応答したり、「やがて散る紅葉のはかなさに美を感じる」と言葉を返したりする自分になっている。これが、自分が返す言葉で知る、自分の現在地。

回答No.8

あなたが真に見ているものは何ですか? 実は、網膜表面の感受細胞表面での量子相互作用に 過ぎないのです。 光や音のような情報性の高い先行感覚の相互作用 パターンに対して、過去の五感の相関した経験の 蓄積によって、より生理的な感覚(味覚、嗅覚、 触覚など)を励起させる事で、“そこに行けば何が 起きるか”=予測=空間的広がりを生じるのです。 つまり、見えている事も言葉も、あらゆるものが 「自分(経験の蓄積)をはかる」事でしかないの です。

atomonados
質問者

お礼

>あなたが真に見ているものは何ですか? 実は、網膜表面の感受細胞表面での量子相互作用に 過ぎないのです。 それはちがいます。物理空間ではありません。ぼくが直接見ているのは意識野です。 >つまり、見えている事も言葉も、あらゆるものが 「自分(経験の蓄積)をはかる」事でしかないの です。 自分が(経験の蓄積)というのは、そうかもしれません。ただし、経験の蓄積だけではないでしょう。それが何らかの機能を持つか、それとは別に能力体がなければ、何事も生じないと思いますよ。 言葉のほかあらゆるものが、自分をはかるものであるというご意見ですね。 どうもご回答ありがとうございました。

回答No.7

semantic reactionなる言葉を作ったアルフレッド・コージブスキーに関する記述がウィキペディアにありましたので、ご紹介します。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%96%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC この記事の逸話、つまり、「みなさん、わかったでしょう。これは人々が食べ物を食べるときに言葉も食べていることを示したのです。食べ物本来の味はしばしば言葉の味に劣ります。」という発言は非常に興味深いように思います。 ではでは。

atomonados
質問者

お礼

ありがとうございます。言葉に操られているかということが、よく分かります。 刺激情報:見た目ビスケット、「食べたかったんだ」「うまいだろう」 意義:お菓子 意味反応(連想):うまいお菓子 意味反応(意欲・行為):食べたい。食べる。 刺激情報:"Dog Cookies" 意義:犬の食べ物 意味反応(連想):人のたべるものじゃない。 意味反応(感情・行為):うぇー。たべちまった。思わずトイレに吐きに行く。 解釈としては、こんな感じかな。 そして、この部分、 意義:犬の食べ物 意味(連想):人の食べるものじゃない に、なにか問題がある。 「犬の食べ物」→「それは人の食べるものじゃない」を別に問題ともせず受け入れてしまっていると思う。 「犬の食べ物」→「人も食べることができる」という反応様式(連想様式)をもっていれば問題なかった。連想様式も、記憶され、特定の情報刺激をきっかけに回想されると考えることができそう。

回答No.6

こんにちは。 英語で申し訳ないのですが、 semantic reaction については、 http://www.stevenlewis.info/gs/sr.htm で詳しい説明がなされているようです。 ここで、semantic reactionは ~~~~~~~ Korzybski labelled his system "General Semantics" to reflect his focus on the "semantic reaction," which he defined as human evaluational responses to verbal and nonverbal stimuli in connection with their personal meanings. Translated into the prevailing vernacular, Korzybski's use of the term "semantic reactions" is akin to "thinking-feeling reactions," where "emotions" and "intellect" are not sharply divided but interact in complex ways. ~~~~~~~ と説明されています。 まったく同じではないのでしょうが、 "thinking-feeling reaction" というのはわかりやすいのではないでしょうか。 知(intellect)と情(emotion)が明確に分離していない、複雑に相互に影響し合う(状態)・・・。 ところで、 この質問に示されている内容は、質問者さんのオリジナルなものですか? 意味反応という言葉は質問者さんの造語ですか? それとも、この言葉をどこかで見て知っていたのでしょうか?

atomonados
質問者

お礼

semantic reactionについて調べてくださったんですね。ありがとうございます。 semantic reaction を コージフスキーが日常語で用いるときは、情と知がそれほど明瞭に分岐しておらず相互作用している領域の「思考-感情反応」に類似している。 まあ、似ているといえば似ていますね。無意識コピーなんだろうか・・・。 まったく同じという自覚はないですね。知と情のそれほど分岐していない領域などの概念を、言われれば意義はわかりますが、重視していないのでぼくにはあまり意味がない。 というか、むしろ明確に分岐しているとして、知は、情報(刺激)-意義間の相互作用、情はは、意義-意味間の相互作用としてとらえようとしているのかもしれません。で、意味空間か情報空間かが曖昧な領域でそれを行っている。 ・・・結局同じことですか。 まあとにかく、少し整理がついてきたので感謝します。

atomonados
質問者

補足

>この質問に示されている内容は、質問者さんのオリジナルなものですか? はい。どうして疑われるのか理解できませんが。 >意味反応という言葉は質問者さんの造語ですか? はい。裁判にかけられているみたいです。 >それとも、この言葉をどこかで見て知っていたのでしょうか? 意味論、一般意味論というのがあるのは知ってます。Wikiなどの説明を読んでも、身につかず、「意味反応」は意識的な記憶に残っていません。無意識に記憶していた言葉を借用しているかもしれません。 世界の区分の仕方がいろいろありますが、ぼくは情報空間と意味空間に区分して、人の何やらよくわからぬ言葉にならぬ精神的活動を、意味空間に押し込んでいます。そして現象を情報と意味との相互作用として捉えようとしています。その境界に言語形式のものとして概念があり、その意義を情報空間にその意味を意味空間においています。その境界で、自分は表現者であり観察者です。そういう自分がいる場所が意味空間で、たぶん意味を生産したり消費したりしているのでしょう。

  • asisai888
  • ベストアンサー率15% (11/73)
回答No.5

自分を測るってどういう意味ですか?

atomonados
質問者

補足

「自分のものさしで他人を測る」といったりしますね。それは失礼なことだと思う。 で、「自分のものさして自分を測る」とは聞いたことがない。検索したらありましたが。 http://emptyhouse.jp/entry-2034.html この人と同じようなことを考えて、「自分を測る」って言ってます。 プロタゴラスの「人間尺度論」も自分のものさしで他のものを測って、意見は人それぞれって言ってます。ギリシアには「汝自身を知れ」という箴言があるんですが、その知り方については言説が見当たらない。で、ものさしとして言葉を用いようと考えたわけです。 まあ、心理テストみたいなものかもしれませんが。

回答No.4

「言葉は自分をはかる」と思います。 「空は青い」という単純に客観的な情報。 それを判断しようとした瞬間に この情報にその時点での精神状態による慣性の流れからの傾向が加味された感覚が加わります。 その傾向を導き出すためのきっかけとしての存在が「空は青い」という情報だと思います。

atomonados
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 言語観をいくらか共有できそうですね。客観的な情報と主観的な精神状態。情報空間にある言葉の意義と、意味空間(とぼくは呼ぶ)にある、ことばにならないが言葉に応じた実感というもの、これを区別しています。 たとえば腹がたった自分が、腹立ちまぎれの言葉を表象し、ますます腹が立つというように、ことばに振り回されていた自分が、こんどは言葉を活用しようと考えたとき、どんな言葉を情報として表象すれば、心が安らぐのかと考える。そういう言葉の使い方をして、70億分の1の平和を作ろうとしています。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.3

atomonados様、こんばんは。 ♪「知らなかったよ・・・空がこんなに青いとは」 DE 「言葉は自分をはかる」と、あなたは思いますか? ということですか。 ♪「知らなかったよ・・・空がこんなに青いとは」

atomonados
質問者

お礼

現実に感動して言葉の意味を知った自分というところですか。 ご回答 ありがとうごさいました。

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