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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:言葉は自分をはかる?)
言葉は自分をはかる?
このQ&Aのポイント
- 言葉は自分を測る手段である。
- 言葉の意味反応を知ることで、自己認識ができる。
- 言葉は自己探求の重要なツールである。
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- kohichiro
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- NemurinekoNya
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お礼
frauさん。こんばんは。 >でも私は意義のほうが腑に落ちた、という感じがします(=感覚) 受け止めます。 >辞書の定義とは別にし、「意義」について、私の定義では本質という意味にとらえています。または追求、専門的な領域で用いられる対象。 意義と意味が曖昧なので、明確に区分することを意図しています。 人とのコミュニケーションを取る上で客観性を持たせるということ、それと自分が合理的に思考する用がたせるものであるということ、こういうことを目的としていますが、まず後者です。あなたはそれで明確になりましたか。その定義で思考が論理的にできますか。 >一方「意味」は一般的に用いられるとき、便宜上のため、軽くあしらわれるものの対象。 意味はおっしゃるような「意識上に流されていく」ようなイメージです。 「>字義」は一般的用語となる前に、まず事実を説明するためにある言葉=字=道具の意です。 同上ですが、加えて、純粋な定義というものが必要ではないかと私は考えているのです。 >私が「腑に落ちる」ときは「意義」を感じた時です。 受け止めました。 >それは私は理屈っぽいので、理論や本質(のようなもの)を説くことば(考え)に出会うとき、腑に落ちて気持ちいいのです。 分かります。意義や意味を厳密に使い分けようとする私が、意義や意味という語を使わないこの文で、分かるというのも変な話ですが。 本質の直観が、直感的に感じられる。この気持ちよさですね。共感できます。 >「言葉は自分をはかる」と、あなたは思いますか? >思います。主体的に言葉でコントロール可能なものもあるし(言葉に対する言葉)、ご回答者様のおっしゃるように翻弄される場合もあります。 共感するところがあるのですね。よかった。 >人生を通し、身をもって「言霊」とは真実だと感じてもいます。これは重要なことです。 共感するのですが、「言霊」という概念は人によって受け止め方が様々で、何か別の表現の仕方が望まれるところです。結局のところ言霊思想なんですが、怪しいところをなくすように表現を考えています。 >潜在意識、脳は「主語を感じない」と言われます。 私はこれが言霊の正体だと思うのです。 なるほど。ここはもう少し分析したいところです。が、先にすすみます。 >言葉は人の意識、心、すなわち人生を左右します。 心を生かし、また、殺します。ですが、言葉そのものに罪はありません。それを使う人の意識の問題です。その意味で「言葉は人(自分)をはかる」とは思いません。 人をはかる言葉でしたら、その言葉を選択する意識の問題です。 おっしゃるとおりです。私の表現に誤りがあります。私が言葉によって人(自分)をはかる。こう訂正します。ご指摘ありがとうございます。 =================================== >「空は青い」という言葉の意義が知解 ここでひとつ質問なのですが、「空は青い」という「事実」は知解できるものなのですか? 知解は『知識の力で悟ること。』ですよね。 「考え」は知識の力で得、またそこから派生するものですが、「空が青い」という変えようがない「事実」は知解できるものなのでしょうか? =================================== 事象と事実を使い分けています。どちらも事柄ですが、現実性があるのが事実です。今この瞬間の経験事実。必ず感覚を伴います。これが記憶され、回想されると感覚はふつうぼんやりとしたものになります。回想されたものが、感覚ではなく、感覚を呼び起こすきっかけのようなものかもしれません。精神から脳に働きかけてバーチャルな弱い感覚状態を生じさせそれを見ているように思います。こういう場合にも、現実性はある訳です。今意識しているという。 事象というのは、そんな現実性を捨象して、感覚を伴わない事柄を言います。「サイコロをふって1の目がでる事象」というときの使い方であり、この事象の内容が現実に結びつくかどうかは、可能的ですが必然的ではありません。 青い空をみて、感覚情報の青→色彩情報の青→言語情報の青という情報処理がされていると見ます。この過程が知解です。知というのは受け入れるための形式で、色彩空間や、色彩概念というものです。そういうものを人は持っていて、そこに感覚対象を分類します。 こういうことを知解といっています。 『知識の力で悟ること』の知識が、区分された知の形式です。力は感性、悟性でしょう。悟ことは「あっ解った」ということ。つまり、区分し用意された形式に、対象が当てはめられ、例えば 青[0]だったのが、青[1]となるようなことです。 1:そうである 0:どちらでもない。-1:そうでない。 こういうパラメータで表しています。 どちらでもない状態に拘束されていたものが、意識対象として青であるという状態に解かれる。そういうことです。 考えを知識の力で得ると言うのは、曖昧さがあります。 私も厳格に区別するに至ってませんが、おおむね、 概念思考によって得られる考え「概念」 概念区分や分類。 推理思考によって得られる考え「判断」 類推(類似性に基づく)。推理(論理性に基づく)。 のように見ています。 ここでいう「空が青い」というのは判断ではなく概念思考です。 対象である空を、対象概念として、述語概念の「青い」に分類して結びつけた。ということです。単純すぎる例で思考の実感はわかないかもしれませんが。覚えたての概念を使うときは思考するという実感はあるでしょう。 分かりやすくまとめることなく、述べてしまいましたがこのへんで。 「脳は主語を感じない」これは考えるヒントになります。ありがとうございます。
補足
言霊思想に触れられたことで、核心をつかれたと思いました。ありがとうごさいます。 「脳は主語を感じない」も記憶にとどめて参考にさせていただきます。