- ベストアンサー
往きて返らざる者は豎子なり の解釈
史記の荊軻についての質問です。 細かい質問で申し訳ないのですが、 『壮士一たび去りて復た還らず』の部分の中ので、荊軻の旅立ちを急かす太子丹に、荊軻が怒る場面があり、そこで荊軻が言う、「何ぞ太子の遣はすや。往きて返らざる者は、豎子なり。」という言葉があるのですが、これはどのような意味で、豎子とは誰をさしているのでしょうか。荊軻本人のことなのか、秦舞陽(付き添いの者)のことなのか、どちらなのでしょうか。 分かる方いらっしゃいましたらお答えいただきたいです。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
【壯士一去兮不復還】勇壮な男子は、ひとたび去れば、二度と再び還ってこない....... 質問文中の"前後"を振り返りましょう... ....乃復請曰、 「日已尽矣。荊卿豈有意哉。 丹請、得先遣秦舞陽。」 荊軻怒叱太子曰、 「何太子之遣。 往而不返者【豎子】也。 且提一匕首入不測之彊秦。 【僕】所以留者、待吾客与俱。 今太子遅之。 請辞決矣。」 ■豎子(じゅし):1子供・童子、2年若い者や未熟な者を蔑(さげす)んでいう語で若造・青二才 ■僕:日本語でも中国語(含古代)でも男子の自己謙称 歌中での豎子と僕は、見事に【使い分けられて】居ますね、 決して豎子=僕では在りません。 従って、上記の歌の場合、 豎子の 2 の意で使われてますので【秦舞陽(付き添い、補佐)】を指し、当~然、僕が荊軻を指すのは分明。 参考に成るであろう...サイトを最後に紹介して措きます。 http://chinese.art.coocan.jp/liutou.html 真ん中より下1/3位の辺り、 三「詠荊軻(荊軻を詠ず)」について 07 微言激幽憤 08 怒目辭燕都 解説中の第七句後半~第八句に掛けての部分。 ........この句は、太子丹がいつまでも動き出そうとしない荊軻に業を煮やしているのを表現したもの。伝に「之れを頃(しばら)くするに未だ発せず、太子之れを遅しとし、其の改め悔いしかと疑い、乃ち復た請いて曰わく、日は已に尽きたり、荊卿豈に意有らんや?丹は先ず秦舞陽を遣(や)るを得んことを請う」とある。これを聞いた荊軻は怒る。それが次の第八句「怒目辭燕都」である。伝に「荊軻怒り、太子を叱りて曰わく、何ぞ太子の遣るならん、往きて返らざる者は、豎子(こわっぱ、秦舞陽を指す)なり。且つ一匕首を提(ひっさ)げて不測の彊秦に入る、僕の留まりし所以の者は、吾が客の与に倶なるを待つのみ。今太子之れを遅しとす、請う辞して決せんと。遂に発す」とある。荊軻は、太子が、自分を信用せず、まったく頼りにならない秦舞陽を送りだそうといったことに激怒して、ただちに燕の都を発ったのである.......。 因みにサイトの作者は下定雅弘岡山大学名誉教授、現在岡山大学北京事務所長.. ※確かに各サイトの訳文(Chiebu....等)等が氾濫して居ますが御注意を。
その他の回答 (1)
- untiku1942
- ベストアンサー率32% (26/81)
私がyahoo検索で「壮士一たび去りて復た還らず」で検索したならば、その現代語訳を求める質問と回答に行き当たりました。質問者さんも同じように検索してみることをお勧めします。さらには、検索したならば、なぜそんな訳になるのか、理由を考えて見ることもお勧めします。直接的な回答ではありませんが、あしからず。
お礼
色々と調べてみたのですが、色々な解釈があり、よくわからなかったので質問させていただきました。回答ありがとうございました!
お礼
詳しく教えてくださりありがとうございました。よく分かりました!