- ベストアンサー
差別は何故いけないのか?
昨日のニュースで、イランの女性が男性のサッカー試合を見ようとしたカドで禁錮一年の刑を言い渡されました。法で禁じられている行為だとのこと。 サウディアラビアでは女性の自動車運転は法律で禁じられています。 今話題のイスラム国は、マホメットの時代には奴隷が存在したとの理屈で、奴隷制の復活を宣言しました。 我々の感覚では到底受け入れがたいことですが、彼らは民主主義を信じず、イスラム法こそが世界に施行すべき唯一の法だと信じて疑いません。 主義主張は相対的なものだから、彼らのやることも黙って見ているほかないのでしょうか? しかし、差別されている女性たち、奴隷たちが苦しんでいることは確かです。この苦しみもイスラム法の前には何の意味もないのでしょうか? コーランに「弱者には施しをしろ」とは書いてあるそうですが、差別や人権の概念はないようですね。 私の知り合いの娘さんはイラン人と結婚し、テヘランに数年住んでいましたが、外出も出来ず、2階の窓の隙間から外をのぞいていたそうですが、結局は「郷に入りては郷に従え」ず逃げ帰って来ました。 イスラム法を信じて「差別」を悪いとも思わない彼らを、何とか理論的に打ち負かせる理屈はないものでしょうか?彼らも人間ですから、人間としての共通の感覚はあるはずです。その共通の感覚を拠り所にして何とか彼らに「君たちのやってることは間違っている」と理屈で納得させたいのですが、いい理屈はないでしょうか? 宜しくお願いします。
- みんなの回答 (15)
- 専門家の回答
みんなが選んだベストアンサー
日本人も土俵に女あげたらダメとか言ってんだから同じゃん、と言われたら瞬殺されるので打ち負かす意見は無いと思いますが 敢えて考えるなら日本が戦争で負けてアメリカの価値観が流入したように強制的にコトを進めるしかないと思います 理屈も力でなんとかなる!という方式で なので答えとしては武器で脅して言葉は何でも良いから無理矢理説得する でしょうか でもそれで今の戦闘状態なので結局ムリみたいですけど
その他の回答 (14)
- masazai
- ベストアンサー率36% (55/150)
No.14です。 質問者様への批判・反論ではありません、ちょっと書かせて下さい。 イスラム批判をする方々の多くは、「世界の普通のこと」を女性に対して規制するイスラムの項目に対して「何故イスラムはこうなのだ」と御怒りになります。 しかし、実際は女性よりも男性の方がイスラム法上厳しいことをご存じないです。 巡礼の時、男性は縫い目の全くない2枚の白い布以外は身につけてはいけません(サンダル等履物はOKだが靴下は縫い目があるからNG)。 女性は身を包んでいるならば、柄物だろうが縫い目が沢山あっても(笑)何を着てもOK。 更に、巡礼終了時に男性は頭を丸坊主にしなければなりませんが、女性は髪を切る必要がありません。どうしても切りたい人は、お印程度に毛先をちょこっと切るだけです。 女性は生理期間・出産後の悪露のある期間の礼拝は免除(むしろしてはいけない)。 しかし男性は一生一日五回の礼拝をしなければなりません。 女性にとって金製品(装飾品)と絹を身に付けることは許されていますが、男性には金製品と絹を身に付けることはハラーム(禁忌)です。 クルアーンにはっきりと「男性の義務は稼ぐこと。女性の義務は夫の留守中の家を守ること」とあります。つまり「男は働け。女は稼がなくても構わない」と言っています。 ちなみに、ムハンマドさんの最初の奥さんは商人で働く女性でした。どのような形であれ家がきちんとしているならば、女性が働くことをイスラムは禁止していませんが、働く「義務」は男性だけです。 だれもこれに対して「女性ばかりずるい。男性が可哀想ではないか」と声をあげる人がいません。 何故でしょう? 私自身イスラム教徒ですが、それが不思議でなりません。
- masazai
- ベストアンサー率36% (55/150)
イラン人女性が男子サッカー観戦で罰せられた、ということですが。 ハディースでは、預言者の妻を当時の見世物だか競技観戦に連れて行った、というものがあります。 しかし、その際妻の姿は周りの男性達から見えないようにして観戦させたそうです。 イランは一台のバスの中にも男性席と女性席を決めてあります(二両編成の電車のように)。 男女が同席することを禁止する法律に触れたのならば、罰せられても仕方ありません。 サッカー観戦自体がダメなのではないと思います。 公共の場で女性が踊ったり美声を披露してはいけない、というニュアンスの事はイスラム法にあります。女性の「美」を見知らぬ男性に見せてはいけない(大雑把に言えばはしたないので)、という理由です。 これは女性差別ではありません。女性を保護するための考えなのです。 それを「民主主義的でない」と反論しても、お互いの論点が違うのですから、ダメでしょう。 サウジの「女性の自動車運転禁止」がどこから来たのか分かりませんが… 不思議なのは、本当は「男女二人っきり」になるのがイスラム法では厳禁なのに、サウジではお雇いの男性運転手に運転させるのならば、女性は外出できるそうです。 それから、サウジ在住の「非サウジ女性」は運転してもいいそうです。 多分もうこれは、イスラムがどうとかではなく、サウジの習慣上、女性がそういうことをするのを恥だとする考えが根強かったのではないかと思います。だから「外国人女性(ムスリムであっても)は運転可」なのだと。 ムスリムの国の「不思議な判断」をまとめて提示し、「イスラムは何故こうなのだ?」というのは簡単です。 しかし、それを言うならば、何故双方の両親が同意していても、女性は16歳未満、男性は18未満では結婚できないのでしょう?それ以前に同棲しても、子どもが生まれても罰せられないのに、単に「法律上夫婦として認めない」というだけ。そこに意味はあるのでしょうか? 何故日本国民の三大義務が勤労・納税・教育を子どもに受けさせることなのに、専業主婦や働かない成人が罰せられないのでしょう?何故保健室登校が許されているのに学校側の采配(判断)で「出席数不足」になるのでしょう?それなのに卒業できるのは何故でしょう?そして何故彼らの親は罰せられないのでしょう?納税しないと滞納金がドンドンついて、絶対に納税しろ、としつこいのに。 お知り合いの女性がテヘラン住まいが辛くて逃げ出した、ということですが。 自由に外出するテヘラン女性も沢山いますよ。それも本当ならばマハラム(イスラム法上の男性保護者)がいないとダメだと思うのですが、女性一人で外出する人もいますよ。 勿論逆に、殆ど外に出られない(監禁ではない)生活を送っている女性は沢山いると思います。 同様のことはパキスタンでもあります。 自由に女性一人で外出できる家もあれば、殆ど外出できず、ゴミ捨てでもいいから外の空気を吸いたい、と嘆く人もいます。 それは、それぞれの家庭、時にはそれぞれの国・地域の為政者の考えがあります。 その考えも宗教に従ってのものである場合もあるし、それぞれの地域の風習である場合もあるし、個人的なものならば、「生理的にダメ」という場合もあります。 「差別や人権の概念はないのでしょうか?」と書かれていましたが、ありますよ。 個々人で差別的な人がいるのはどこの国でも同じ。 ただ、イスラムでは「人間優劣(上下)は信仰心の差のみである」とムハンマドさんが仰っています。 一番最初にアザーン(礼拝の呼びかけ)をした記念すべき人物は、奴隷の身から解放され自由人となった元黒人奴隷ビラールです。彼の名前を子どもに付けるムスリムは沢山います。もしムスリムがこの元黒人奴隷ビラールを差別的に見ているのならば、今ビラールという名前の人は存在しないでしょう。 ハディースには、女性を大切にしなさい、という話が沢山出てきます。 女性の乗った輿をかつぐ人に、「中にはガラスの瓶が入っているのだから、優しく運びなさい」とムハンマドさんが言った、とハディースにあります。 「女性は肋骨から創られたのだから、曲がったままにしなさい。無理矢理真っ直ぐにしようとしたら、折れてしまいます」と、女性に厳しく当たらないように諭されています。 他にも沢山の、女性を大切にしなさい、という教えがあります。 クルアーンの「男性は女性より一段上である」という節がありますが、これをもって非ムスリムは「男尊女卑だ」と言い、ムスリム男性のうちのバカな人もこれを引用して女性に当たる人もいますが、この節の意味するものは全く違います。 別の節(4章34節)に、「男性の義務(宗教的義務)は収入を得る事なので(力仕事をするため)体力的に女性より強く創られた」とあります。別に男が女よりエラい、という意味ではないのです。 同じ4章34節の「妻を云々諭しても言うことを聞かない時は打て(叩け)」とあるので、これも男尊女卑とかバカな男の女性への暴力の口実に引用されますが、これも違います。きちんと「クルアーン解釈(タフスィール)」にハディースが載っています。 「不貞な妻」がいる場合は、それを口で諭せ。口で諭してもダメならば寝室を別にして(反省させろ)。それでもだめならば叩け、という意味ですが、この「叩け」に関して、ムハンマドさんは「跡が残るほど叩いてはいけない」と厳しく禁止しているんです、ハディースで。実際叩かれた妻が苦情を言いにムハンマドさんのところに来た時に、「私は聞いたぞ!(お前たち夫は妻に暴力を働いたと)」と叫んでいます。 自分と考えが違うものを理解するのはとても難しいです。 しかし、何故そういう考えに至るかを理解すると、何となく分かることは多々あります。 内藤正典著「イスラムの怒り(集英社文庫)」を読むと、ムスリムの思考が理解できると思います。 是非ご一読を。 イスラム国の奴隷制復活の件ですが。 私の個人的な意見としては、あれは間違っています。 ムハンマドさんの時代にも奴隷はいましたが、奴隷を解放(自由人)とすることをクルアーンで勧めています。 だから、本来奴隷がいなくなった今、新たな奴隷は誕生し得ないと理解しています。 戦争による捕虜を奴隷にする、というのは存在しますが、今現在イスラム国が行っている「戦争」はイスラム法上合法とは思いません。私は。 戦いには順番というものがあり、最初は交渉から始まるのがイスラム上も正当な方法ですが、彼らのやっていることはそれを全て無視して一気に「自分から戦いを仕掛けて」います。 だから、それによって「捕虜」とした人を奴隷にするのは違法だと思っています。
補足
回答ありがとうございます。 本当に差別の好きな宗教だと思います。同性愛者は死刑にまでするんですね。 貴方の書かれていることを読むと、イスラム法や法律に書かれていることは全て絶対で、それに反した以上は罪に問われて当然だと言うことのようです。 イワシの頭も信心からとは言いますが、兎に角イワシでもいいという風に聞こえます。信じていることは何が何でも絶対なんだと・・・それが信仰というものなんだと。 しかし、人間の「苦しみ」というものは、時代が変わっても民族の違いがあっても、同じものだと思います。「苦しみ」から救い出すのが宗教の役目だと思うのですが、イスラムの場合はそうではないようですね。原理主義が横行していて、原理原則を踏み外した者には仮借なき刑罰を加える。そうでなくとも、この原理原則に従うことですら既に多くの人が苦しんでいるー特に女性。この苦しみには一顧だにしないようですね。 【カイロ時事】在英のシリア人権監視団は25日の声明で、過激組織「イスラム国」がシリア南東部デリゾール県で、「同性愛者」の男性2人に対して投石による公開処刑を行ったと明らかにした。 イスラム国は、県の中心都市デリゾールで18歳の男性、イラク国境に近いマヤディーンで20歳前後の男性を、子供を含む公衆の面前で処刑した。所持していた携帯電話の動画などを根拠に罪を問われた。イスラム教では、一般的に同性愛は禁じられている。 シリアとイラクで活動するイスラム国は、シャリア(イスラム法)を名目に、支配に抵抗する人々を虐殺している。AFP通信によれば、2人はイスラム国に反発していたため、同性愛を口実に命を奪われたとの見方も出ている。
今まで培った習慣と理想のギャップですね。 日本では最近マズローの階層説で自己実現が最大にいいこととなっていて、個人主義化や孤立化が進みました。頭で描いている西洋的な人権の理想であって、孤独な群衆すらイメージさせます。 もちろん男女平等は理想です。しかし、体力の問題や他の問題でより未完でありながら理想をめざすものかと思います。 イスラム国家については詳しくないのでひかえますが、今まで積み重ねた保守的な習慣とその時考えられた進歩させたい未来的な理想のあいだで動くものです。 このような問題は個別の話はともかくとして、習慣からの保守と(この場合は欧米式の理想)思考などでの進歩など彼らの中での話で、彼らの選ぶ未来がその進歩なのか彼らの文化の文脈から察するしかない問題かと思います。 イスラム文化自体が歴史が長いので、私たちの感覚とは違うものもあるでしょうし。 ただ、差に敏感なのは問題も多いという話もあったり、逆もあったり、私も含めて論理上の平等論をもっと読まないといけませんよね。かつ今までの習慣もよく洞察しないといけませんよね。
- ways
- ベストアンサー率31% (79/253)
「あなたも奴隷をやってみろ」 「外出しないでみろ」 「人の気持ちを知れ。すべての人たちに自由にしたい気持ちがある」 などでしょうか。 人って、自分が恵まれてしまうと、他の人たちは不幸にしていてほしい、自分だけあらゆる人より優位でいたい、という考えの人が必ず出てくるんだよね。日本にもいるし。 ナイスな質問です。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 ムスリムの人たちに その信仰は 次のようであるのではないのか? と問いたいと思います。問い続けて行きたいと。 (0) ムスリムとは 《こころがやわらがしめられている》ことではないのか? それは 《和》ではないのだろうか? (1) 《和》とは何か? 韓国の人たちが 安寧(アンニョン)ですか(ハシムニカ)と表現して こんにちはを表わします。ユダヤやアラブのセム系では あなたに平安(シャローム・サラ-ム)を! と言って あいさつします。 そのように おそらく世界の人びとはどこでも誰でも やわらぎを持ったやすらかな生活の共同をもとめているし そのように生きようとしていると考えます。 定義したことにはなりませんが そういったナラハシがあるということは 定義すべき中身が 現実にあるということかと考えます。 (2) サラ-ムを!とあいさつするイスラームの信仰とは何か? ▲(2-1)(アブラハムの信仰) ~~~~~ 〔ムハンマドは 『聖書』の話を受け継ぐ限り〕ユダヤ教徒の主張に反論するだけでは彼らを説得できず かえって彼らからムハンマドの主張は ユダヤ教の模倣だと反駁された。 そこでムハンマドは モーセよりもはるかに古く アラブにとっても民族の始祖とされるアブラハムの意義に注目し 彼こそ一神教の信仰心あつい預言者で 《純正な人》であり 《神に帰依する人(ムスリム)》であり 彼の信仰は神にたいする絶対的な《服従・帰依(イスラーム)》であって ムハンマドの説く宗教とはアブラハムの宗教 すなわちイスラムであると宣言した。 (『コーラン』2・124藤本勝次ら注 ) ▼(2-2)(クルアーン(コーラン) 4・125)~~~~~ 宗教ということになれば 善行にはげみ 自分の行動を神にゆだね 純正の信者アブラハムの教えに従う者にだれがまさるであろうか。神はアブラハムを友となしたもうた。 (前掲書 藤本勝次ら訳) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (3) 前項(2-2)の説明 《宗教》は 子音三つの構成として《D-W-N》から成る語であり これは 動詞として《告白する》の意があるそうです。 《純正の信者》のうち 《純正な人(HaNiiF < H-N-F)》は その三子音の語として《認める・認めさせる》の意のようです。 《信(信仰)》は どういうわけか《倦む・疲れる》の意もある《ことば・語る(M-L-L)》という動詞と同根である。 そういう形に仮りに基づいて この(2-2)のくだりを 次のように 解釈したことがあります。 ○〔(2-2)の解釈例〕~~~~~ 〔自己存在の〕告白( D-W-N からなる語≒《宗教》)〔の表現〕にかんして美しい(=正しい。( H-S-N から成る語)〔と思われる〕者は誰か。 自己の顔(=行動・意志)を アッラーフ(唯一の神)に 〔そうすることが健全・安寧( S-L-M )であるとして〕ゆだね それが美しくあり 〔そして〕この信仰( M-L-L )からはづれる者がいれば それを 〔話し合いを通じて〕認めさせる( H-N- F)者としてのイブラーヒーム(=アブラハム)に自ら従う者のほかに〔誰がいるか〕。 ~~~~~~~~~~~~~~~ (4) 前項(2-1)の説明 《 S-L-M 》という三つの子音から成るかたちの語は ヘブル語でもシャロームと言って挨拶するかたちに現われており この挨拶はアラブ語で《アッサラーム(al-SaLaaM = 平安を!)》と言うのと同じです。どちらかが訛っているだけです。 イスラーム iSLaaM は 《降伏・服従》の意をも伴なう《〔やすらぎへ〕身をゆだねる》つまり《帰依》のことです。 その帰依した信徒を表わすムスリムは 《〔わたしはそこで自らが健全・安寧( S-L-M )であると知覚し認識し これを受け容れてわたしは〕 すこやかならしめられた( muSLiM < S-L-M )》というわけのようです。ムスリムの初めの m- は いわゆる過去分詞の接頭辞です。 (5) イスラームとしての非思考の庭(=信仰)や それにもとづきムスリムらが互いにサラ-ムを!と挨拶するのは 《心がやわらがしめられている》ことを表わすことになっている。と――理論じょう――考えられます。 要するに信仰として わが心に非思考の庭が成ること。そのとき やわらがしめられることと思います。 あるいは 心に拠りどころとして《無根拠》をいだく。これが 非思考の庭が成るということだと考えます。 (6) そういうことではないのですか? とムスリムの人たちに尋ねたい。 そういう話し合いから入るしかないのではないでしょうか。 心がやわらぎやすらかであるからこそ 男女には差別があると見るのだとか やはり異教徒に対してはジハードをかけねばならないのだと答えが返ってきたら? もう分かりませんというほかなく お手上げなのですが。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
イスラム教徒といえども、非モスリムの日本人の作った 車に乗り、アメリカ人の設計したパソコンを使っている。 宗教に関わらず助け合っているのだ。 社会生命である人類において、個人は単独では生きられず、 それはモスリムだけでは生きられない=他宗教を含めて 完結した生命体となる事を意味し、生きる事は単に自分を 維持する事を意味するのではなく、社会的に助け合う事を 意味する。 そこにおいて、たとえば統計的に「男は女より腕力が強い」 という事実はあっても、それから女は家庭で守られるべき である、という主張は、実際には弱い男性より強い女性は いくらでもいる以上、先入観として「女は弱いから~」と いう判断をする事は誤りである。 統計は平均であり、先入的な判断に応用してはならないのだ。 もちろん、社会制度が不完全であり、個人の自己チューを 抑制して社会体制を維持するために宗教的モラルが必要で あった時代には、そうした先入観が必要悪であった時代も あったが、良くも悪くも貨幣制度による経済奴隷化が進み、 必ずしも宗教的隷属は必須ではなくなっている。 ただし、貨幣制度にも貧富の格差拡大などの弊害もあり、 現在のテロは、貧困層とか途上国とか貧しさが温床となっ ている以上、無制限の拝金主義の適用をコントロールする 事で、反動的な宗教的原理主義への回帰を避ける工夫は 必要である。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
補足請求ありがとうございます。 質問者様は、相手を打ち負かしたいのでしょうか? それとも差別をやめさせたいのでしょうか? 打ち負かして止めさせるとお考えでしたら、「あなたの考えるイスラム」と考え方は同じです。 自分が正しいと思うものを相手に押しつけ、思い通りにさせる為に力として行使する。 殴るというような力だけが暴力ではないとご存知でしょうか。 力で押し切ろうというなら、相手は反発します。 話さえ聴いてもらえないでしょう。 話しをするなら、まずは相手を理解することと相手を認めること そこからでないと交渉の余地はありません。 >イスラムに限らず、人間ってそうでしょう。 押しつけられて「はいそうですね」と質問者様も言えないから補足請求でしょう。 自分に照らし合わせば分かる。 彼等も同じ人間って事ですよ。 話しをしたいなら話したい方が歩み寄る。 そして、哲学カテを見ていても、正論述べたからと言って 「はいそうですね。そうします」という人はまず居ません。 試しに回答を理屈で押してみましたが「はいそうですね」と言えて実行できそうですか? 書かなくていいです。 あなたさえ分かっていればね。
お礼
回答ありがとうございます。 打ち負かすという表現が誤解を招いたかも知れません。 >自分が正しいと思うものを相手に押しつけ、思い通りにさせる為に力として行使する。 私の求めるのはこれではありません。 相手と私が共に持っている共通の気持ち。例えば親に対する愛情、子供に対する愛情。これはイスラム教徒と言えども同じだと思います。そこから順々に説得して行って、最後に女性を苦しめるのはいけないこと→女性を差別するのはいけないことに持って行きたいのです。相手を納得済みで説得したいのです。 >そして、哲学カテを見ていても、正論述べたからと言って 「はいそうですね。そうします」という人はまず居ません。 私は民族の違いに興味を持って多少勉強して来たのですが、白人から見るとそれは、日本人の特徴のようです。日本人は論理ではなく、感情で考える民族だからです。 >試しに回答を理屈で押してみましたが「はいそうですね」と言えて実行できそうですか? 貴方の回答は事実誤認が多過ぎて、そんな誤認に立脚した理屈は受け入れられないのは当然でしょっ!
- titelist1
- ベストアンサー率25% (712/2750)
イスラム教のコーランやいカラム法は出来た時には非常によく出来たものであったのでしょう。綿密に記載されていると学者が言っていました。しかし、時代が進歩して国際化が進むと修正せめばならないのに、聖職者の意見が強すぎるのです。細かく神の名で書いてあるのですからどうしようもありません。イスラムが滅ばないと直りません。
お礼
回答ありがとうございません。 >イスラムが滅ばないと直りません。 サラセンの昔から、彼らの膨張力、繁殖力は他民族を圧倒します。ヨーロッパの都市は彼らに乗っ取られかけています。 日本にはこういうニュースが届かないので、皆ノー天気に構えています。
- kohichiro
- ベストアンサー率21% (306/1447)
イスラム法で政治が行われている国の国民は幼いころからその教えに洗脳されてしまいますから、理論では納得させても、感情がそれについてこないとおもいます。ほとんどのひとがそうだとおもいます。とくにその法と社会でいい目をしている大人の男たちは、それこそ死に物狂いで理屈に反抗するでしょう。指導者たちがそれにあぐらをかいているのです。短期間でよくなるとは思いません。大きな障害は彼らのプライドです。キリスト教徒には特に対抗心をもやすらしいです。日本人が大挙行って学校に常駐し子供を理論で説得していけば、あるいは10年もたてば少しは変化が見えるかもしれませんが むづかしいでしょうねえ。
お礼
回答ありがとうございます。 日本人にとっては対岸の火事すら見えないのですが、ヨーロッパの現状は危機的なようです。ベルギーやオランダの危機的状況を見て、あの外人移入に対して寛容だったスイスでさえ移入制限派が多数を占めるようになりました。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
”我々の感覚では到底受け入れがたいことですが、彼らは民主主義を信じず” ↑ ワタシも民主主義など信じておりません。 民主主義というのは、簡単に言えば民意に基づく政治 ということです。 しかし、民は政治に素人です。 情報ももっていませんし、放射能ガレキでも分かる ように自分勝手です。 そういう民の意思を反映した政治が良いはずは ありません。 ”主義主張は相対的なものだから、彼らのやることも黙って 見ているほかないのでしょうか?” ↑ ハイ、その通りです。 質問者さんのような人が、欧米の侵略に口実を 与えるのです。 欧米の普遍主義のお陰で、アフリカから4000万の 奴隷が輸出されました。 米国大陸では先住民数百万が虐殺されました。
補足
回答ありがとうございます。 >ワタシも民主主義など信じておりません。 民主主義以上もものがあったら教えて下さい。 スイスは直接民主主義を実行していますよ。オバちゃんおっちゃんも年4回も国民投票に参加して、日本より遙かに高度な(住民にとって住みやすい)社会を実現しています。素人でも立派な社会が出来ます。 >欧米の普遍主義のお陰で、アフリカから4000万の 奴隷が輸出されました。 米国大陸では先住民数百万が虐殺されました。 これは民主主義が悪いのではありません。「全ての人間は神の下に平等である」の人間の中に黒人やインディアンを含んでいないのです。当時は白人の認識はそのようだったし、今でも支配層はそうなんではないかと思います。これは白人に認識を改めさせないといけません。
- 1
- 2
お礼
回答ありがとうございます。 でも、女相撲だってあるし、私が納得できないのはその差別される人が苦しむ場合なんです。 女性に教育を受けさせない社会だと、女性が何時までも経済的に低収入で苦しみことにもなるし、政治的にも目覚めないでしょうし、結局社会の底辺で苦しむことになります。 欧米人や他のアジア人なら、思考のベースが同じですから、普通に議論できるのですが、相手が回教徒だとベースが全く違いますから議論にならないと思うんですね。でも、一応彼らをうんと言わせる理屈が欲しいんです。