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嫌われることについて

嫌われることは、悪や恥ずかしいことでしょうか? 人を嫌う側には、その人なりの理由があり、嫌うことは悪ではないと言われたことがあります。 世間でもそういう認識だと思います。 嫌われる側は、陰で色々言われます。 きもい、かわいそう(笑)、傍にいるのが嫌だから通勤したくない、愛嬌がない、話が合わない、あいつはだめだ、嫌われ者だ等。 そう言われると、嫌われている自分が悪い人間に思えます。 相手も嫌っている分、辛いでしょうが、嫌われる方も辛いです。 スピリチュアルでは、嫌な人とは関わらなくて良いと言われているのを聞いたことがあります。 でももし、人にさけられてひとりぼっちで辛い暮らしをしている人が居ても、相手は悪くないし、 避けられる人も悪くないのだと思います。 悪くないのに、嫌われる側がなぜ辛くなってしまうんだろうと思うと、私の場合、自分がだめで悪く、居てはいけない恥ずかしい人間に感じるからかと思います。 実際に、そうなのでしょうか? 嫌われる側としては、憎悪のような、あざけりのような感情を相手から受けるので、縮こまる思いがします。 どう捉えたらいいのでしょうか?

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  • titelist1
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回答No.4

好かれようとする気持ちは人間が群れを作って生きてきたからです。好かれようと思っているので、嫌われることが気になるのです。若い時ほど好きと嫌いが気になります。異性を求める気持ちにも関係しているからです。 年を取ると気にならなくなります。好かれようとも思わないし、きっと嫌われているに違いないからです。お互いが嫌いあっているのですから、嫌われることにも慣れてきます。

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回答No.14

 少なくとも、はけ口を求めて他人の些細ないやな面や劣っているところにこだわる、というのは良くないことでしょう。それが帰属意識の方向に流れると、子供の世界ではいじめ、大人の世界では差別、ということになってしまいます。  その流れの軌道修正ができないと、弱肉強食から強者の理屈、勝つこと至上から戦争礼賛の価値観までエスカレートしてしまいます。それでは人間が人間らしく生きるために大切な土台である平和と完全に逆行してしまいます。価値観と存在が矛盾してしまうのです。    未熟な時期に避けて通れない試行錯誤程度のことを人間の本性だと錯覚しないことが大切だと思います。自然状態の成熟した人間社会というのはそういうことがわかっている大人が構成する世の中ではないか、みたいな気がします。  付き合うことを念頭に置いて他人のいい面にこだわる方向に少しだけバイアスのかかっている社会こそ社会的動物に過ぎない存在としての人間にとって自然状態の社会であり、その実現の妨げになる未熟な考え方を改善して、限界を越えにくい方向へのいい循環をつかんでいくことが大事だという気がします。  実際にそういう未熟な嫌悪の牙をむかれた場合、自力本願にも限度があります。未熟な環境の犠牲者に対して他力本願が円滑に機能できるような社会の実現も、時代の変動に応じて望まれるものだと思います。  間違った嫌悪の牙をむかれる側は少なくとも間違ってはいない。ただ未熟な時代の中の未熟な価値観の避雷針として機能している、感謝されてしかるべき礎という見方が妥当なのではないかという気がします。そういうところが若干強者の理屈に偏っていることこそ世の中の危惧すべき現実なのではないでしょうか。

  • kurinal
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回答No.13

「男児だ」「女児だ」 ・・・何時代だ? 「維新」が、どうした???

  • kurinal
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回答No.12

>「どう捉えたらいいのでしょうか?」 (しばしば「じょじょじょ」)「ヒステリー」の対象、としてのトラウマ、ですかね。 「じょじょじょヒステリー」は、サイアクです。 (「母親の愛は、100か0か、である。」) >「嫌われる側としては、憎悪のような、あざけりのような感情を相手から受けるので、縮こまる思いがします。」 「そんなに、驚かないでよ?」と平然としているべきかと思います。

noname#225485
noname#225485
回答No.11

誰からも好かれようと思う気持ちが逆に嫌われる結果になる事もあります。 八方美人なんて言葉もある位ですから。 嫌われてる人には嫌われてもいいのでは? 自分がシッカリしてるなら周りは気にならないはずです。 出る杭は打たれるなんて風潮がある日本ですしね。 経験上、人の顔色を伺っていい結果が出たことは無いです。 誰からも嫌われない人間は誰からも好かれないと言う事ですよ。

回答No.10

劣等感の強い人ほど、人を攻撃します。弱いものいじめをします。 弱い犬ほど、吠えるってことです。 アナタを嫌ってくる、嫌がらせをするのは、あなたも劣等感が強いからです。 嫌う人も、嫌われる人も、心が弱く繊細です。 そういう意味では似た者同士です、 人の心の中には、いい虫と悪い虫のようなものがいます。 人を嫌ったり、悪口を言えば、自分で自分の悪い虫に食事を与えている ようなものです。 アナタに言いたいのは、いい虫が大きく育つように、楽しいことに目を 向けて、明るいことを考えるようにしてほしい、ということです。 何かに自信をもってください。そして、楽しいことに夢中になって下さい。 そうすれば、劣等感の強い人たちのいる世界から、抜け出ることができます。 そうすれば、嫌われることを何とも思わなくなるし、相手もアナタを ねらうことはないでしょう。

回答No.9

互いに嫌い合っている双方に好かれる事は、不可能 である(そう見えても、それは大して好かれていない)。 つまり、自分の考えと合致していない人間には、嫌わ れるべきなのだ。 それを、自我の目覚めの不完全な(大した「考え」を 持っていない)大人コドモが、他人による評価に依存 して自己認識するようになり、虚栄心や自己顕示欲 により誰彼かまわず評価されたがるのだ。 好かれるのは、自分が必要とする人間&自分を必要 とする人間にだけで良い。 評価するのは他人ではなく、宇宙そのものが自己の 評価によって存在するのだ。 まして自分自身については、自分が一番良く知っている。 他人による自己の評価などというのは、せいぜい相手の 評価能力の指標でしかない。

回答No.8

意味も無く自分が他人を嫌う事が在ったら、反省し、直すべきです。 意味も無く他人が自分を嫌う事が在ったら、それは自分の問題では無く、他人の問題ですから、放置すれば良い。 人生で重要なことは、意味が在って、他人が貴方を嫌っている場合。 この場合のみ現実と真摯に向き合って、他人が貴方を嫌う原因を究明して、その原因を排除するのが上策ですよ。

回答No.7

 >嫌われる側としては、憎悪のような、あざけりのような感情を相手から受けるので、縮こまる思いがします。<  嫌われることと、憎悪やあざけりを受けることは、違うことのような気もします。嫌う、嫌われるは対等ですが、憎悪やあざけりを受けることはいじめの領域ではないでしょうか。  「嫌われる力」は、自分を出す上でも重要ですが、「いじめられる力」も生きていくうえで必要なんでしょうか?嫌われる悩みより、いじめられる悩みの方が度合が大きいような気がします。  「いじられる力」くらいは必要かもしれません。

  • kohichiro
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回答No.6

>嫌われることは、悪や恥ずかしいことでしょうか? まったく違います。むしろその真逆だと思います。 かかわらずに相手を静かにさげすむのがいいと思います。 >人を嫌う側には、その人なりの理由があり、嫌うことは悪ではないと言われたことがあります。 どんな理由があるにせよ、人を嫌うことでゆえなく傷つけることが悪くないとはとてもいえませんね。 >相手も嫌っている分、辛いでしょうが、嫌われる方も辛いです。 貴方は優しく過ぎるのです。そしてそれはまったく悪いことではありません。すばらしいことです。 >悪くないのに、嫌われる側がなぜ辛くなってしまうんだろうと思うと、私の場合、自分がだめで悪く、居てはいけない恥ずかしい人間に感じるからかと思います。 実際に、そうなのでしょうか? もちろん違います。貴方が優しく過ぎる(それゆえに傷つきやすい)、それだけなのですが、もしそのつらさを克服することを貴方が望んでいるのなら、やはり、その相手に関心を持つことを(しばらくの間でも)やめて無視するだけの心の強さを持つことです。 ひとは一生一人で過ごすことは不可能ですが、一年間くらいは耐えられます。その間、関心を外には向けず、自分自身に向けて、自分を磨くことに専念するべきです。そのうちにその効果が現れ、貴方を理解してくれるひとが自然にあらわれるはずです。

回答No.5

「どんな人間でも、根が根まで悪いものではない。  心の塵(チリ)をはらえば、みな、立派な人たちである。」 人間は、何かのわがままが出たり、奢りが出たり、心が狭くなったりすると ゆがんだ気持ちが生まれやすくなります。 また、こういう言葉もあります。 「好きな人から誉められるのは、当たり前  普通の人から誉められるのは、半人前  嫌いな人から誉められたら、一人前 また、こういう言葉もあります。  好き・嫌いは、相手に対してではなく、実は自分の心の都合です。  たとえば、お金のない子が、お金持ちの子を嫌いになる心理。  それは、お金をもっていることが羨ましくて嫌いになる、のではなく、  その人を見ていると、自分が貧乏であることを強く感じてしまうから、  その人のことを憎みたくなくなる・・・拒否したくなる・・・  嫌いになる・・・   お互いに嫌い合っている人たちの場合は、似たもの同士であることも多いようです。 似た者同士が嫌い合うのは、自分の欠点や弱点をお互いが持っているからです。 相手の姿に、自分の欠点や弱点が反映されているので、それを見のがつらく・・ 相手を拒否したくなる → 嫌いになる・・・ 嫌い合う人間は、鏡同志なのかもしれません。 自分が嫌いだと思う人から、実は自己反省点など、学ぶことが隠れていることが あるかもしれません。 嫌いな人は、大きなヒントをくれる人です、 そのような人を嫌いになることはできません。もったいない、ありがたい~ 自分に身に覚えがないのに、一方的に嫌われているときは、あなたの何かが 羨ましいのでしょう。相手はひがみっこです。 機会があれば、わかりあえると思います。 人の塵(チリ)を払うことは無理ですが、まずは、自分自身に塵(チリ)が 積もらないようにすることこそが、大事ではないでしょうか。 人は、見えていることだけが事実ではありません。 人は、言っていることだけが真実ではありません。 ずは、自分の目標をもつこと。 そこに向かう努力をすること。 あとは、穏やかな心をもって冷静にいれば、人の言動にぐらつくことはないと思うね~