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江戸時代の禁裏御料3万石の意味。
1.禁裏御料3万石とは、例えば4公6民であれば実収1万2千石ですか。 2.山城国や丹波国のどのあたりが皇室領ですか。 3.年貢の徴収ほか管理は幕府の役人が代行していたのですか。 よろしくお願いします。
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こんばんは 明治維新頃、天皇領があった場所は「旧高旧領取調帳」でわかります。 この史料は国立歴史民俗博物館(略称れきはく)からデータベースになってnetに公開されています。 まずデータベースの一覧 http://www.rekihaku.ac.jp/doc/t-db-index.html の中ほどにある「旧高旧領取調帳」をクリック。 続いて検索語を入力する画面になります。 「旧国名」の右にあるVマークをクリックして「旧領名」を選択。「旧国名」が「旧領名」に変わります。 その右にある空白の枠に「元御料」と入力して、「検索」をクリック。 当時の村名、村高等が表示されます。天皇領は「元御料」と表示されます。 天皇領に準ずると思われるものに「元准后御料」「元御除料」というのもあります。「旧領名」をこれらの語に代えて再検索してみてください。(これらの意味については小生不勉強につきよくわかりません。)
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- jkpawapuro
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回答No.1
1、そうなりますね。 3、京都所司代の元京都代官が管理します。 2、私は浅学につき知らなかったのですが軽くあたりをつけて検索してみたところ、現右京区にある山国郷は禁裏御料だったらしいですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B3%E4%BA%AC%E5%8C%BA
質問者
お礼
調べて下さってありがとうございます。 京北の山国郷は禁裏御料で木材を供出していたのですね。 他にも米がとれる御料地があると思いますので調べてみます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 これは素晴らしい!! 確かに3万石あります。 山城国愛宕郡、葛野郡、乙訓郡、紀伊郡、宇治郡、綴喜郡、相楽郡そして丹波国桑田郡合わせて2万9千9百石余でした。 5石以下の村がいくつかありますね。 私の近くの村でもそんな小さな村があったのか、郷土史を読んで調べてみます。