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江戸時代の新田開発って‥・

誰がやったのでしょうか? 例えば農民が、新田開発をしたのであれば・・・その際、ご褒美というか、インセンティブのようなものはあったのでしょうか? それとも、ただ上から命じられるままに、働かせたれたり…。

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  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

色々なケースがあります。 企画立案を農民がヤル場合、藩がヤル場合、 共同でやる場合などです。 設計するのは、専門家に頼む訳ですが 作業をするのは、雇われた土工、や地元の農民、 場合によっては下級武士も手伝わされたりしました。 ”例えば農民が、新田開発をしたのであれば・・・その際、  ご褒美というか、インセンティブのようなものはあったのでしょうか?”       ↑ 新田開発に成功すれば、開墾後5年間は年貢を納めなくて よいとかの優遇政策が行われるのが通常です。 その他に、新田開発がなされれば、農民の収入も増えますし、 農民の次男三男も田んぼを持つことが出来るし、農民にとっても、 藩にとっても得な訳です。 ”それとも、ただ上から命じられるままに、働かせたれたり…。”      ↑ かつて、マルクス史観に侵されていたときは、調べも しないで、農民は一方的に奴隷のように働かされて いた、なんて言われていました。 しかし、実証研究が進むにつれ、何事にも農民の了解が 必要であった、ということが判ってきました。 例えば、藩が計画立案した場合でも、農民と相談して 事を進めるようにしておりました。

penichi
質問者

お礼

とてもよくわかりました。 ご回答、どうもありがとうございました!

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その他の回答 (2)

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1973/9604)
回答No.3

penichiさん、こんにちは。 代官見立新田や藩営新田とかいう官営の新田と土豪開発新田、村請新田、町人請負新田という民営新田があります。開発にはかなりのリスクがあったようです。 年貢のある程度の免除やいろいろな特権もあったようです。また、農民たちも子孫に分け与える農地ができるので、安定につながりました。 それとも、ただ上から命じられるままに、働かせたれたり… それを唱えていたのは1960年代までです。ゆわゆる貧農史観ですね。今では見直されています。 詳細は下記のURLを参照ください。 江戸時代の新田開発 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%94%B0

penichi
質問者

お礼

貧農史観、という言葉があるのですね…。 私は 絶対に そういう風に見ていました^^; ご回答、どうもありがとうございました!

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  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

基本的には領主です。勿論彼らが自ら土木作業をやったわけではなく、技術者を雇って設計をさせ、農民を使ってさせました。当時は米が重要な収入源でしたから、取れ高が上がることは藩の財政を豊かにすることに結び付いたからです。

penichi
質問者

お礼

では、享保の改革」などで 教えられた新田開発っていうのは、 将軍→領主→農民・・・といった流れだったのでしょうかね。 ありがとうございました! 

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