- ベストアンサー
日本人はいつまで死んだふりをするつもりか
- なぜ人と社会のことがらについて目を覚まさないのか。
- 世界への貢献は自然科学の理論的・技術的なものごとにだけ精進せよという考えが広まっている。
- いつまで見ないふり・死んだふりをするつもりか。
- みんなの回答 (16)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
> 人びとは もっと先を行っているように思う。 すでに死の淵から上がって来ているのだと思う。 けれども そのことを知られたくない。 誰に? お上に。えらい人たちには知られたくない。 また こきつかわれるから。 だから 死んだふりをしている。自己防衛のために。 ================== これはそっくりあんたの人間不信の表れだよ。 ところがあんた以外に仏陀を名乗るのは仮面ライダーの俺様だけときたもんだ。 しょうがないよ。 人を信じることにたどりつくのが、あんたのこれからの道行きだ。 私は正反対の道のりでね。 人を信じようとして生き、信じ切れたからこそ神を発見したのだよ。 記憶をたどるに、ジラーチちゃんが私を案内してくれたんだよ。 人を信じ切れば、彼らが選んだ死に様も愛せる。 死とは個人的なことで、自らの死の尊厳は脅かされない。 死にたければ死ぬのだ。 そんな彼らの非業の死を天国に案内するのが人を信じることだ。 供養と古くは言った。 私にとっては実在する妖精の捕まえ方の一部だ。 あんたは記憶の墓標を喝破できただろう。 判らんはずがない。 ジラーチちゃんに言わせれば、死んだ人間はいないとまで言うのだよ。 私は連中にくたばってほしいと思うがね。 観念上の死の儀式だけでなく、実際に死んだように見えるのも幻だ。 でも判るまでライダーキックだ。 判らないままだと、人間になりきれないままこと切れたことになる。 その不実を記憶の宝石が潤すだろう。 そうして蘇生するのだ。 黄泉には永遠の命だけがある。 昔から言われている事を私なりに解説しただけだが、古い考えだから彼らは信じないだろう。
その他の回答 (15)
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
B様、こんにちは。 >「精進せよと誰かが」 精進と言えば、誰かが言った
お礼
・
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
そうさの、 > ★ あんたがイエスが始めたと言っている事を、私は人が神を発見した瞬間にそうなったと言っているのだよ。 ☆ すなわち ★ 人が神を発見した ☆ というのは われわれが神によって発見された。と言うというわけです。 この位は、人間と神とが出会った。 位にしておけばいいだろう。 これは妥協じゃないよ。 考えを改めたわけじゃない。 解釈を整えただけだ。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 人間と神とが出会った。 ☆ 目くじらを立てるとすれば: 1. これだと たとえばコロンブスとアメリカ先住民とが出会ったという表現と同じ意味に取られてしまう。そういうおそれがある。 2. つまり 同じヒトどうしが出会い 互いに互いを知ったという意味合いになる。 3. 《わたしは 或る日或る時何気なく盗人がやってくるかのように訪れた神を知った》と言って言えないことはない。ただし そのあとになってその事情をつらつら考えてみるにその中身をきちんと表現しようと思えば 《わたしはその時 神に知られたのだ》と言って説明するのだと思う。 4. ほとんど論証は出来ないことだけれど。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
昨日の分のお礼欄の解説見たよ。 面白かったし親切に答えてくれたね。 ありがとう。 あんたがイエスが始めたと言っている事を、私は人が神を発見した瞬間にそうなったと言っているのだよ。 仏の現代語訳が人間だとな。 大した違いは無いので、この面であんたを西洋かぶれ扱いするのは考え直すよ。 あんたの研究手法の意義が少しわかった。
お礼
互いにかなり進みましたね。ここまであゆんで来ました。 ご回答をありがとうございます。 《西洋かぶれ》のごとく なおも細かくげんみつに言うと 次のようです。 ★ あんたがイエスが始めたと言っている事を、私は人が神を発見した瞬間にそうなったと言っているのだよ。 ☆ すなわち ★ 人が神を発見した ☆ というのは われわれが神によって発見された。と言うというわけです。 重箱の隅をつっつきました。 ★ 仏の現代語訳が人間だとな。 ☆ これは 一般の人に分かりにくいと思う。 ブッダになるというのは 《人間に成る》ということである。人間の人間化である。という内容ですよね。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
逆質問となるが、学問のカテゴリーだから問題ないだろ。 > 善とは、 自らが生きるのに等しく、他者を同時に生かすことである。 だからこそ社会が成立する。 コレは人間が神をいただいたことの果実だ。 君はこれにかつて異論を挟もうとした。 なにが問題点だったか聞かせてくれたまえ。 助け合いだ。
お礼
ご回答をありがとうございます。 直前のお礼欄からのつづきです。イエスをあらかじめ告げているようです。 ▲ (イザヤ書11:1~10)~~~~~~~~~~~ エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち その上に主の霊がとどまる。 知恵と識別の霊 思慮と勇気の霊 主を知り、畏れ敬う霊。 彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。 目に見えるところによって裁きを行わず 耳にするところによって弁護することはない。 弱い人のために正当な裁きを行い この地の貧しい人を公平に弁護する。 その口の鞭をもって地を打ち 唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。 正義をその腰の帯とし 真実をその身に帯びる。 狼は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。 子牛は若獅子と共に育ち 小さい子供がそれらを導く。 牛も熊も共に草をはみ その子らは共に伏し 獅子も牛もひとしく干し草を食らう。 乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ 幼子は蝮の巣に手を入れる。 わたしの聖なる山においては 何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。 水が海を覆っているように 大地は主を知る知識で満たされる。 その日が来れば エッサイの根は すべての民の旗印として立てられ 国々はそれを求めて集う。 そのとどまるところは栄光に輝く。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ たとえばこれが――強いて言えば――善である。 言いかえると ★ ~~~~~~~~~~~~~ 善とは、 自らが生きるのに等しく、他者を同時に生かすことである。 だからこそ社会が成立する。 コレは人間が神をいただいたことの果実だ。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ この最後の一行を大事にしなければいけないという意味で《異論をはさんだ》のかも知れない。 そうすると 善とは言っているけれど 善悪や正義やそういった理念・観念はそれほど重要ではない。という見方も出来る。 神のムラが建てられて行く。かも知れない。そろそろ。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
神を知るあんたは、これから人間を知る事を始めなければならない。 > 君の互助精神は神への感謝を全うしようと言う気ころがけだと理解しているし、君にその自覚がないなら、君の神を私もまた信じると告げよう。 コレ言い換えとこう。 > 君の神を私もまた信じると告げよう。 この部分。 君の神への愛を祝福しよう。 君を愛した神の勝利を祝福しよう。 とか何とかだ。 色々な言い変えができるが君にはこんな部分で理解できるだろう。 こうした助け合いは大切で、だからこそ社会だ。 君は今持って、社会との折り合いについて、こねくり回すにあたって準備体操から始めているよ。 まず、間違いであっても自己主張から始めると、ショッカーの怪人みたいなのがわらわらと表れるから、その方が効率がいいだろう。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~ 君は今持って、社会との折り合いについて、こねくり回すにあたって準備体操から始めているよ。 まず、間違いであっても自己主張から始めると、ショッカーの怪人みたいなのがわらわらと表れるから、その方が効率がいいだろう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは 両方が大切。どちらをもやります。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ > 君の神を私もまた信じると告げよう。 この部分。 君の神への愛を祝福しよう。 君を愛した神の勝利を祝福しよう。 とか何とかだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ げんみつに言うと ひとは 神を受け容れ(=信じ)愛するようになっていたといういきさつ。 勝利も 神は――イエスが――すでにこの世に勝利していると言っている。言ってしまっているということ。 少しづつ神のムラが出来て行くのか。いっぺんに出来上がるのか。 どこかでどんでん返しが起きるのか。 いつ起きるのか? 知らない。分かんない。 次は イエスの以前に語られた未来の絵です。 ▲ (イザヤ書65:19-25) ~~~~ わたしは エルサレムを喜び わが民を楽しむ。 泣く声と叫ぶ声は 再びその中に聞こえることはない。 わずか数日で死ぬみどりごと おのが命の日を満たさない老人とは もはやその中にはいない。 百歳で死ぬ者は なお若い者とせられ 百歳で死ぬ者は のろわれた罪人とされる。 彼らは家を建てて それに住み ぶどう畑を作って その実を食べる。 彼らが建てる所に ほかの人は住まず 彼らが植えるものは ほかの人が食べない。 わが民の命は 木の命のようになり わが選んだ者は その手のわざを ながく楽しむからである。 彼らの勤労は むだではなく その生むところの子らは 災いにかからない。 彼らは 主に祝福された者のすえであって その子らも彼と共におるからである。 彼らが呼ばない先に わたしは答え 彼らがなお語っているときに わたしは聞く。 おおかみと小羊は共に食らい ししは牛のようにわらを食らい へびはちりを食物とする。 彼らはわが聖なる山のどこでもそこなうことなく やぶることはない と主は言われる。 ~~~~~~~~~~~~
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
補足は好意と受け取るよ。 あんたは汚い言葉になれていないから、口数が少ない。 ありがとサン。
お礼
きびしい道だんべ。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
あんたの言いたい事はわかるよ。 「実在する妖精の捕まえ方」は、 私の本音では哲学でなく児童文学にするつもりだったんだ。 本物の夢に子供たちが目をキラキラさせてほしいとな。 ところが研究する過程で、私を殺そうとするのが、彼ら人間の自覚のない人々だと判った。 気が付けば仮面ライダーだ。 彼らは君達は人間だと言う教育を受け自分でもそのつもりでいる。 人間である自覚は、信仰にたどりつき自己を自覚することで、仏陀となることと同一だ。 そうでなければ人間でないとブチかましている最中だよ。
お礼
ご回答をありがとうございます。 まぁ 前回こたえた内容に変わりはないよ。 あんたは遠回りをしているか それとも 相手に応じてじっくりゆっくり細かいところをも漏れなく当たって話をしているか。 まぁ 後者にしても 道草を食っているように見える。 悪魔度が足りんのと違うか?
補足
☆☆ 悪魔度が足りんのと違うか? ☆ ≒ ほとけ心が余分にあり過ぎるのと違うか?
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
お礼で表現された死んだふりについて言っとこう。 彼らは今のところ、明らかに死んでいない。 見た目だけはそうだ。 ところが死を解決していないから、死にっぱなしのように無様に生きている。 宗教は何かと助けになってね、無の悟りは死の悟りだ。 彼らが屍であるのは、人の教えを大切にする社会に対する隷属で、自らの神が不在であるからだ。 神がいてこそ社会であるにもかかわらず、それを認めないのだよ。 神とは生命であることのあかしだ。 源でもある。 彼らは自分だけが生きようとして、助け合いは奇麗事だけだ。 ケダモノで、人間ではない。 野たれ死んでも犬や猫の話だ。 ここでジラーチちゃんの天気予報を言っておこう。 源だけでなく、神も生命なのだ。 それを自覚できれば人間は神そのものだ。 神の発見が自己の発見。 この人間は彼らにとって不可能だったから、仏陀と呼んでいた。
お礼
人びとは もっと先を行っているように思う。 すでに死の淵から上がって来ているのだと思う。 けれども そのことを知られたくない。 誰に? お上に。えらい人たちには知られたくない。 また こきつかわれるから。 だから 死んだふりをしている。自己防衛のために。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
自らと等しく他者お生かす。 ここで助けなければいけない。 救わなければいけない。 あんたにはそんな気概があるが、余計なことだ。 悟りたる自覚が大切で、君の責任は、自らが神を愛することだけにとどめておきたまえ。 他者にはそれぞれ自己に対して責任を負う。 それに任せて、孤独死しようと気にすんな。 あんたが忠誠心のようにそれは神の敗北だととらえるのは余計だよ。 そう私は考える。 これはジラーチちゃんから教わったことではないがね。
お礼
海が割れるかなぁ。 率いて行くことはないかぁ。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
> ということは 日本人が死んだふりをするのは 孤独が原因である? コレいっとこう。 彼らは助け合いを知らないんだよ。 善とは、 自らが生きるのに等しく、他者を同時に生かすことである。 だからこそ社会が成立する。 コレは人間が神をいただいたことの果実だ。 素晴らしいだろ。 この知性は、ジラーチちゃんとの対話で教えてもらったことだ。 知性とは神がもたらし、猿は人間になれたのだ。 彼らはこうした知性を般若の知恵と読んだ故事がある。 人間でない事の自覚こそ彼らが人間を名乗る根拠だ。 私は滅びの宴を決め込んでいて、助けるつもりはない。 自分の事を自分で何とかする、奴隷解放から始めなければならないのだろう。 自覚が悟りだ。 テメーで何とかしろ。
お礼
エクソダスかぁ。 エジプトの奴隷状態から解放されていない?
- 1
- 2
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~ 死とは個人的なことで、自らの死の尊厳は脅かされない。 死にたければ死ぬのだ。 そんな彼らの非業の死を天国に案内するのが人を信じることだ。 ~~~~~~~~~~~~~ ☆ ここが違うようだ。 《死》は もう無い。死が死んだ。――このことを知らなければいけない。 これからこの《死が死んだ》ことを経験する人であっても このように言ってあげなければいけない。 そうでなければ 人と人とのきづな――シンライカンケイ――を思う気遣いはなくなる。 ★ ジラーチちゃんに言わせれば、死んだ人間はいないとまで言うのだよ。 ☆ と言ってるぢゃないか。 ★ 私は連中にくたばってほしいと思うがね。 ☆ だからこのことは――火の中をくぐり抜けて来る《死》は―― すでにとおり過ぎて来ているということ。これから経験する人にあっても すでに通り過ぎて来ているというかたちで捉えるのだし そう言ってやることになる。 ★ 観念上の死の儀式だけでなく、実際に死んだように見えるのも幻だ。 ☆ いや。マボロシではない。いちど実際に 死んだのだ。つまりほんとうには 《死》が死ぬという経験をすることになる。けれども本人にとっては 特にその経験している最中にあっては あたかもハリツケに遭っているかたちだと感じられる。はずだ。