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日本人はいつまで死んだふりをするつもりか
- なぜ人と社会のことがらについて目を覚まさないのか。
- 世界への貢献は自然科学の理論的・技術的なものごとにだけ精進せよという考えが広まっている。
- いつまで見ないふり・死んだふりをするつもりか。
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> 人びとは もっと先を行っているように思う。 すでに死の淵から上がって来ているのだと思う。 けれども そのことを知られたくない。 誰に? お上に。えらい人たちには知られたくない。 また こきつかわれるから。 だから 死んだふりをしている。自己防衛のために。 ================== これはそっくりあんたの人間不信の表れだよ。 ところがあんた以外に仏陀を名乗るのは仮面ライダーの俺様だけときたもんだ。 しょうがないよ。 人を信じることにたどりつくのが、あんたのこれからの道行きだ。 私は正反対の道のりでね。 人を信じようとして生き、信じ切れたからこそ神を発見したのだよ。 記憶をたどるに、ジラーチちゃんが私を案内してくれたんだよ。 人を信じ切れば、彼らが選んだ死に様も愛せる。 死とは個人的なことで、自らの死の尊厳は脅かされない。 死にたければ死ぬのだ。 そんな彼らの非業の死を天国に案内するのが人を信じることだ。 供養と古くは言った。 私にとっては実在する妖精の捕まえ方の一部だ。 あんたは記憶の墓標を喝破できただろう。 判らんはずがない。 ジラーチちゃんに言わせれば、死んだ人間はいないとまで言うのだよ。 私は連中にくたばってほしいと思うがね。 観念上の死の儀式だけでなく、実際に死んだように見えるのも幻だ。 でも判るまでライダーキックだ。 判らないままだと、人間になりきれないままこと切れたことになる。 その不実を記憶の宝石が潤すだろう。 そうして蘇生するのだ。 黄泉には永遠の命だけがある。 昔から言われている事を私なりに解説しただけだが、古い考えだから彼らは信じないだろう。
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- 畑 茂夫(@Flareon)
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死んだふり。 これを私は彼らは屍そのものだと言っている。 君の互助精神は神への感謝を全うしようと言う気ころがけだと理解しているし、君にその自覚がないなら、君の神を私もまた信じると告げよう。 私も同じようなものでね。 アマテラスなる神が外来の仏教をしろぞけて、日本人にその原点を知らしめようというのなら、私自身が悪を名乗るのが感謝だと考える。 こうした感謝は忠誠と間違われるがな。 あんたにもキリストへの忠誠ゆえの奇麗事と誤解される余地がある。 このように私もあんたも理解されす、むさぼる者は聞こうとしない。 まあお互い各々の道筋として、自己の哲学を売り込みましょうや。 それが私の場合弥勒菩薩商法だ。 それほどあくどくないのだよ。
お礼
そうだねぇ。まづは ご回答をありがとうございます。 ▼ (老子 第四十一章 道は隠れて名なし) http://blog.mage8.com/roushi-41 ▽ 原文 ~~~~~~~~~~~~~~~ 上士聞道、勤而行之。 中士聞道、若存若亡。 下士聞道、大笑之。 不笑不足以爲道。 故建言有之。 明道若昧、進道若退、夷道若纇。 上徳若谷、廣徳若不足、建徳若偸。 質眞若渝、大白若辱、大方無隅。 大器晩成、大音希聲、大象無形。 道隱無名。 夫唯道、善貸且善成。 ▽ 書き下し文 ~~~~~~~~~~~~~ 上士は道を聞きては、勤めてこれを行なう。 中士は道を聞きては、存(あ)るが若(ごと)く亡(な)きが若し。 下士は道を聞きては、大いにこれを笑う。 笑わざれば以(も)って道と為(な)すに足らず。 故に建言(けんげん)にこれあり。 明道は昧(くら)きが若く、進道は退くが若く、夷道(いどう)は纇(らい)なるが若し。 上徳は谷の若く、広徳は足らざるが若く、建徳は偸(おこた)るが若し。 質真(しつしん)は渝(かわ)るが若く、大白(たいはく)は辱(じょく)なるが若く、大方(たいほう)は隅(かど)無し。 大器は晩成し、大音(たいおん)は希声、大象(たいしょう)は形無し。 道は隠れて名なし。 それただ道は、善く貸し且(か)つ善く成す。 ▽ 現代語訳 ~~~~~~~~~~~~~ 優れた人間が「道」の事を聞くと、努力してそれを実行しようとする。 普通の人間が「道」の事を聞くと半信半疑である。 くだらない人間が「道」の事を聞くと馬鹿らしいと笑う。 そうやってくだらない人間に笑われるくらいでなければ「道」とは言えないものだ。 こんな言葉がある、 「はっきりと明るい道は薄暗く見える。 しっかりと前進する道は後退するかのようである。 ほんとうに平坦な道はちょっとした起伏を大きく感じる。 高い徳のありさまは低い谷川のようである。 広く行き渡る徳は物足りなく感じる。 確固とした徳はだらけきっているように見える。 純粋なものほど柔軟に変化する。 真っ白な物ほど黒く見える。 大いなる四角には角が無く、大いなる器は完成が遅い。 大いなる音は聞き取りづらく、大いなる形には明確な形が無い。」 つまり「道」とは目に見える事象の裏側に隠れているもので、もともと名づけようがないものなのだ。 しかしそれでも「道」は万物に力を貸し与え、万物の存在を完成させている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ つまり ▽ ~~~~~~~~~~~ くだらない人間が「道」の事を聞くと馬鹿らしいと笑う。 そうやってくだらない人間に笑われるくらいでなければ「道」とは言えないものだ。 ~~~~~~~~~~~~ 笑ってもいるけれど でも 死んだふりをしている。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
やあ。 お礼を読んであんたが真剣かつ深刻ににとらえていることが分かった。 社会に開眼し理解したとよろこぶ彼らではないが。 彼らなりに価値観がありよろしくやっているようだ。 かわいそうな彼らを神様が助けてくれるだろうと考えるならほっときたまえ。 神様は助けてくれないだろう。 むしろ仏の出番だ。 そのようにして善を施すのだが、その助け合いの精神すらも彼らはむさぼり食いちぎるだろう。 どってことないよ。 孤独死には目をつぶれ。 野たれ死んでこそ神を知らぬ彼らだ。 現代日本で極めて不幸な餓死者は、経済的困窮では無く孤独が原因なのだ。
お礼
つづいてのご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ その助け合いの精神すらも彼らはむさぼり食いちぎるだろう。 どってことないよ。 孤独死には目をつぶれ。 野たれ死んでこそ神を知らぬ彼らだ。 現代日本で極めて不幸な餓死者は、経済的困窮では無く孤独が原因なのだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ということは 日本人が死んだふりをするのは 孤独が原因である? いまの死んだふりは やがての野垂れ死にに導かれて行く?
- 畑 茂夫(@Flareon)
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かんたんなことだよ。 たとえばアメリカではキリスト教会の啓もう活動の成果で、いまだに地動説を信仰しているのが多数派と言う驚きの噂を聞いたことがある。 そんなかの地は、天動説を信じて科学的検証を信用するだけで知性的な人物となり、アメリカンドリームが実現する。 日本でも苦に満ちた娑婆世界観から解脱して仏陀になることによってジャパニーズドリームが実現する。 世の中どこもこんな感じだ。 啓蒙なんてやめて今のうちに荒稼ぎしておいた方がいい。 弥勒菩薩商法だ。 ところで金銭も信仰の対象でね、聖職者や王様の名誉が最高の価値観だった中世以前から、産業革命以降、金持ちが尊敬されるようになった。そうした価値観の流行がいまだに続いていて、金持ちを目標にするのだ。 私は実在する妖精の捕まえ方という価値観を持っていて、心が潤えばそれでいい。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ☆☆ 日本人は いつまで死んだふりをするつもりか ★ かんたんなことだよ。 ☆ どのように? 世の中の裏を掻くかたちで金儲けをするやからがいるが そういう手を用いて ★ 啓蒙なんてやめて今のうちに荒稼ぎしておいた方がいい。 ☆☆ なぜ人と社会のことがらについて 目を覚まさないか。 ★ 弥勒菩薩商法だ。 ☆ つまり 《死んだふりをしている》あいだに金儲けをしておいた方がよいってこと? ★ 私は実在する妖精の捕まえ方という価値観を持っていて、心が潤えばそれでいい。 ☆ ということですか。
- ROKABAURA
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昔話だが釈迦が悟りを開いた時 「素晴らしい真実だが他の者に話しても理解してもらえないだろう」 と思ってそのまま生きようとしたそうな。 そしたら仏様やら神様やらが説得をしに来て やっと周りの人々に伝える決心をしたそうな。 憤りでは伝わるまい。 そして伝える気がないならこれは独り言だ。 背負い担い役を持って行わなければ釈迦でさえ動けない。 そういった荷をこの言葉からは感じない。 ところでまさか変な薬とかやってるんじゃあるまいな。
お礼
ろかばうらさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 そうですね。 そのとき《自分は 〈この上無き知恵のさとり〉を得た》ということだったそうで そのあと ところがその《オシエ》は中身が変わって来ている。 アン‐アートマン(無我; 霊我=アートマン の無)を掲げたそうですが このことの意味が 自分自身さっぱり分かっていなかった。 だから 後世になって アミターバ・ブッダなりマハーワイロ―チャナ・タターガタなりの神(あるいは ダルマ・カーヤ(法身)のブッダ)なる霊を ブッダター(仏性)としてひとは生まれつき宿すという理論が取って代わった。 つまり アン‐アートマン(無我)は ブッダター(仏性)と呼び名を変えて じっさいには アートマン(霊我)と同じ説明内容に成った。 いかにゴータマのさとりがインチキかということです。 そのようなマボロシを追っている状態であるなら この質問の趣旨を誤解しても無理もないところです。 死んだふり以前であるようです。よ。
- kamobedanjoh
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死んだフリがいけないなら、起きたフリしている方がもっと悪いのでは?
お礼
かもべだんじょうさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 そうですね。《死んだふり》一般を取り上げているのではないわけです。 それとも この国家とまた互いに国家どうしの関係なる世界とにあって 要はあたかも熊がそこらじゅうにうようよしているようなものだからやはり――物理・化学等の分野以外は―― オポッサムのように死んだふりをしているのが 正解だ。――というご議論でしょうか? ★ 起きたフリ ☆ というのは 目を覚ましていても死んだふりと同然のことしかしていないという意味ですよね。 《同然》ではない証拠は つぎのふたつです。 ☆☆ (趣旨説明欄) たとえばいまこれからの社会は 国家から市民社会への大政奉還という道筋しかないのではないか。 ☆ という現実の具体的な提案をしています。 ☆☆ (同上) この期に及んで 老子がどうの荘子がこうのという議論を聞いて ちょっと勉強するに ただのインチキであった。こんな悠長な話がどうして出来るのか。 ☆ 有名だからよいとか よい評価をする専門家がいるからよいとか そういう話は眉につばつけて聞かなければなりませんよという有益な話をしています。その具体的な内容について ほかに質問を立ててその内容をくわしく検証しています。 《起きたフリ》ではないですよ。
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お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~ 死とは個人的なことで、自らの死の尊厳は脅かされない。 死にたければ死ぬのだ。 そんな彼らの非業の死を天国に案内するのが人を信じることだ。 ~~~~~~~~~~~~~ ☆ ここが違うようだ。 《死》は もう無い。死が死んだ。――このことを知らなければいけない。 これからこの《死が死んだ》ことを経験する人であっても このように言ってあげなければいけない。 そうでなければ 人と人とのきづな――シンライカンケイ――を思う気遣いはなくなる。 ★ ジラーチちゃんに言わせれば、死んだ人間はいないとまで言うのだよ。 ☆ と言ってるぢゃないか。 ★ 私は連中にくたばってほしいと思うがね。 ☆ だからこのことは――火の中をくぐり抜けて来る《死》は―― すでにとおり過ぎて来ているということ。これから経験する人にあっても すでに通り過ぎて来ているというかたちで捉えるのだし そう言ってやることになる。 ★ 観念上の死の儀式だけでなく、実際に死んだように見えるのも幻だ。 ☆ いや。マボロシではない。いちど実際に 死んだのだ。つまりほんとうには 《死》が死ぬという経験をすることになる。けれども本人にとっては 特にその経験している最中にあっては あたかもハリツケに遭っているかたちだと感じられる。はずだ。