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夢と現実。現実をリアルに感じない。

荘子の有名な話で 荘子がある日、蝶になる夢を見て目が覚め、 「自分が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て自分になっているのか」 というものがあります。 思想とか、そういったものではなく、 私もそのように思うことが多々あります。 現実をリアルに感じないというか、夢の中にいるような感覚を持ったりするのです。 昔から(記憶する限り中学生くらいから)ずっとこのような感覚を感じていました。 念のため言っておきますが、現在通常の社会生活を送っており、精神疾患を持ってはいないつもりです。 このように感じたことのある方は、他にもいらっしゃいますでしょうか? これは何か名前が付いていたり、カテゴライズされている精神状態だったりすのでしょうか?(分類されていたところで、どうもならんのですがね) 同じような感覚に覚えのある方、また「それは○○という症状だよ」ということをご存知の方、ご回答(?)頂けると幸いです。 宜しくお願いいたします。

みんなの回答

回答No.4

こんにちは。現実と夢との関係性については心理学、哲学、神秘学、ヨガなどの世界で扱われていますが、私の個人的な体験から回答させていただきたいと思います。 自分の中にある抑圧している感情や、「ほしいものが手に入らなかった」体験から作り出されている葛藤を完全にリリースすることができれば、夢と現実の境界線は消えて「あちらがわ」と「こちらがわ」で生きることができます。また、それが永遠ではなくても、私たちは一時的にそのような体験をすることがあります。それが、現実が夢で、夢が現実で、というような体験になりますし、今こうしている時でも「夢」の世界とは隣り合わせで体験をしています。 もっと言えば、夢と現実を分けることさえ本来はできません。それを全て含んでいるのが「私」という存在だからです。 しかし、これは注意がとても必要です。なぜならば、この現実が夢だからといって、何をしてもよいということにはならないからです。私たちはお互いに合意した時間と空間がある世界に住み、お互いを尊重し相手を傷付けないというガイドラインの元に生きています。様々な出来事や、感情、五感を通して現実を生きる事はとても大切ですし、それが「私は誰か?」という質問であり回答でもあるからです。 話がそれてしまいましたが、つまりは体験されていることは「私」という存在の統合に向かう一つのプロセスのように感じます。個人差はありますが、特に思春期の頃にそのような体験をされる方が多いようです。他者を尊重し承認した状態で、現実を夢のように見始めると、全てが新鮮で愛おしい現実になっていきます。 以上ですが、何かの参考になれば幸いです。

nanigashik
質問者

お礼

遅くなりましたがご回答ありがとうございます。

  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.3

胡蝶の夢、なつかしいです。私も中学生のときに知りました。 既成概念を疑ってみなさい、というメッセージである、ともとれますね。 精神世界、またいくつかの宗教において、 「この世はひとときの夢である」という思想は、けっこう一般的です。 そのお話をしますね。 生まれ変わりのことは、輪廻転生、という用語があります。 私は、輪廻転生はある、と信じています。 精神世界において、死んだ後、次に物質界に生まれ変わる間に滞在する場所として、幽界と呼ばれる場所もあります。 しかし、物質界は幽界にとって、夢でしかないのです。 そしてわたしたちも、寝て夢を見るたびに、好きな姿になって、幽界を訪れているそうです。 なので、荘周も、物質界においては荘周で、幽界を訪れたときの姿が蝶だったのかもしれませんね。 わたし自身、子供の頃から、この世に来る前に、別の環境にいた、その習慣のようなものが残っていました。 なので、この世のことを知るたびに、 「あれっ、ここは違ってるんだ。」と意外に思ったことも多かったです。 たとえば、笑われるかもしれませんが、以前は、空中で暮らしていたように思えて仕方ないのです。 わざわざ降りてこなければ、地に足が着くことはないはずだったのに、この世では違う、どうもしっくりこない、そんな感じです。 過去の習慣の名残なのか、身軽で、とぶことが大好きな子供でした。 ふみきりはあまりしなくても、ふわ~っと浮かんで、滞空時間がすこし長い、そういうとび方をよくしてました。 そして、「降りてくる」ような着地をしてました。 でも、ほんとは、降りたくなくて。 今はいい大人ですが、階段をふわふわと駆け上がるのはやめられません。 いまだに、この地球の重力には、納得いってません。 はやく空中にかえりたい・・・と、心の深いところが願っているように思えます。 3歳から6歳ぐらいまでの、小さい子供に、生まれる前のことを聞いてみてください。 結構、生まれる前のこと、覚えているものだそうです。

nanigashik
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど。こういう疑問はスピリチュアルな世界とも密接な関係にあるんですかねぇ。 残念ながら私には生まれる前の記憶がありませんので、 kanakyu-様のような感覚はわからないのですが…。 心理学、哲学、精神世界、、、いろんなところに繋がる疑問なんですね。

  • yuki360679
  • ベストアンサー率10% (152/1427)
回答No.2

自我は、自己の認識から生まれるのだとか。 「我思うゆえに我あり」とか、昔から自己の存在を疑い、改めて自己の認識するというのは、永遠の哲学であり、人格形成の過程のひとつともいえるのではないでしょうか。

nanigashik
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 永遠の哲学ですか、なるほど。 哲学自体が終わりがないのに、 「永遠の」がつくと、もう出口がみえませんね(笑) あぁ、どこを出口にするかが問題なのかしら、、、 うーむー。

  • jinseiwalk
  • ベストアンサー率23% (372/1603)
回答No.1

ひじょうに不幸が続いた時、「これは夢だ、ひどすぎるから夢だ」という時はありますし、反対に幸せが続いて「これは夢に違いない」と感じる時もあります。どちらもよくあるのでドラマででもよくあるシーンです。 質問は普通の生活のときのものですが、これもよくあるので荘子が書いているのでしょう。心理学でも似た話があります。 向こうから走ってくると、うとうと昼寝をしていて人がいます。よく見ると何と自分自身なのです。その時はっとして自分自身はこの人の見ている夢なのだと気づくという話です。

nanigashik
質問者

お礼

さっそくのご回答ありがとうございます。 自分自身が夢ってなんだか怖いですね。 それは心理学を学ぶと出てくるような話なのでしょうか? ちょっと気になります。 例に挙げた荘子の話が「胡蝶の夢」と総称するように、 名前がついてたりしますか? (名前がわかればネットで検索できるので)

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