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アッティラは、強盗団のボスですか? 英雄ですか?

先日、History channnel で古代の暴君シリーズを見たのですが、その中でアッティラという騎馬民族?のボスの話をやっていました。 現在のハンガリーかもう少しアジア寄の地域を本拠地にして、度々東欧諸国を襲っては、金品を巻き上げていたそうです。 特に金(きん)を執拗に要求しては奪い取っていたそうです。 ヨーロッパ世界からは、暴力的な野蛮民族として恐れられていたそうですが、彼は本拠地にヨーロッパの技術を取り入れ、石材で宮殿を建設していたそうです。 広大な浴場なども備えた立派なものだったそうです。 私の知り合いにキルギス人がいるのですが、彼女に歴史上の人物で尊敬できる人を聞いたところ、アッティラの名前が一番に出てきました。 中央アジアの人々にとっては、彼は英雄なのでしょうか? 彼はそもそもどの民族に属する人だったのでしょう。 モンゴル帝国やモンゴル人とは関係があるのでしょうか? それとも、トルコ人の一グループなのでしょうか?

みんなの回答

回答No.3

キルギス人はアッティラを自分たちの祖先の一人と考えているので、 当然英雄視します。モンゴル人にとってのチンギス・ハーンと同等 でしょう。キルギスにはアッティラの死を嘆く伝統的な歌もあります から(下記リンク先英文より拙いですが和訳してみました)。 「シュージュングートの道」 主人のアッティラ・カーンから別れた鷹が 彼の悲しみを人々に分け与える 彼は人々のもとからバルカン半島へと出発した。 ああ、アッティラ! 今私はあなたを失ってしまった! どうすれば戻る道を見つけられるだろう? ヴォルガ河の川岸に住んでいる我が民族を どうすれば見つけられるだろう? 誰が私に衣服と食事を与えてくれるのだろう? 雄牛シュージュングートに乗って 我が民族のもとに辿り着けるだろうか? それとも、あなたなしで絶望して死ぬのだろうか? http://www.kyrgyzmusic.com/kyrgyz_recordings.html 注:「シュージュングート」としましたが、これが正しい音訳か は分かりません。尚、これは雄牛の名前です アッティラの民族的出自については不明ですが、同時代の東ローマ帝国 の使者がアッティラに会ったときのことを伝えた下記のような伝聞史料 が残っています。、 「背は低いが筋肉質で、頭が大きく、顔色はくすんだ黄色。両目とも 斜視で、蓄えられた顎鬚には白髪が混じっている。髭はほとんど無い。 低い鼻と浅黒い肌は、彼の出身を表しているように思える」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A9#.E5.A4.96.E8.A6.8B.E3.81.A8.E6.80.A7.E6.A0.BC これを元にすれば、やはりテュルク=モンゴル系統の民族だったのでは ないかと考えられます。 テュルク系民族 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%AF%E7%B3%BB%E6%B0%91%E6%97%8F モンゴル人はテュルク=モンゴル系部族ですから、彼らとも関係はあります。 日本では「テュルク」が「トルコ」と音訳されて意味的にトルコ人限定に なっていますが、英語では幅広くテュルク系諸民族全体を指します。これは 使用言語による分類で、テュルク語系の言語を使う民族がこれに区分されて います。中央アジアの諸民族はテュルク語に分類される言語を使う場合が 殆どですので、テュルク系民族に分類されます。モンゴル語もテュルク語と 共通点が多く、このため、モンゴル、ツングース語とテュルク語を合わせた 言語をアルタイ語族と総称しています。モンゴル語とテュルク語の祖語が 共通であると考えるかどうかで学説が異なります。結局のところ、良く分かっ ていないということになりますが。

OKshizuoka
質問者

お礼

翻訳までしていただき、ありがとうございました。 中央アジアでは英雄なんですね。 日本語もテュルク系言語と関係があるようなので、アッティラの仲間たちは、もしかしたら日本人の遠い親戚なのかもしれませんね。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.2

まあ遊牧民の典型ですよね。 近隣国に攻め込み貢物を求める、従わないなら略奪と破壊をして帰っていく。 相手が強ければ避け、弱ければ攻め込む。 定住しない民族はそもそもそういった行動パターンなんです。 農耕民族からみたら強盗団にみえるかもしれませんが、遊牧民は一族全体がそういう行動パターンなんです。 それで遊牧民族の略奪品には生きた女性も含まれます。敵対部族や近隣国に攻め込んで、綺麗な女性がいたら奪って妻にしてしまいます。だからどこの民族と聞かれても血統的に固定的なものはあまりないんですよねえ。 むしろ大家族で行動してるようなもの、そう言った部族がよりあつまったものそれが彼らの国?みたいなイメージです。 彼らフン族は(モンゴルの)匈奴が起源で西に移動したものだという説もありますが、その辺もはっきりしたことはわかりません。後の元帝国とは関係ありませんが、起源は一緒なのかもしれません、違うかもしれません。ただ行動様式は同じですよね。 そういう民族ですから強いものが偉大な王なんですよ。農耕民族が恵まれた土地でどんどん富(財産)を蓄えて行くのと、やせた土地で欲しいものは力で奪い取るしかできない民族と当然価値観は違うのでしょう。

OKshizuoka
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

チンギス・ハーンのモンゴルのケースでは、有能な人物が現れれるといろいろな過去を持っている集団が集まり、その人物が消えると集団がバラける。 なので、○○人とか詮索してもあまり意味が無い。 ※ アラブの集団もそうだし、日本人の氏族制度も似たようなもの。 通常中央アジアと言えば、チンギス・ハーンかチムールかと思うのですが、アッチラなのですか。 アッチラとすると、たぶん一種の民族教育なり愛国教育の結果ではないかと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%B3%E6%97%8F はっきりわからないという感じ。

OKshizuoka
質問者

お礼

離合集散でごちゃ混ぜになった民族なんですかね? 文字を紙などに残す文化がなかったのが残念ですね。 記録がないとわかりませんね。

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