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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:認識論のみでは 《しゃべる蛸壺》に終わる。)

認識論の限界と哲学の役割

このQ&Aのポイント
  • 認識論のみでは《しゃべる蛸壺》に終わり、《棚卸し哲学》ではまだショーケースには陳列できない。
  • 理論を掲げてそれを推し進めるだけでは理屈屋でしかない。知識や情報を目指すのではなく、実践に応用できるようにすることが重要。
  • 哲学は現実性をどのように見るか、どのように取り組むかを考える学問であり、価値判断をする役割も持つ。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.8

お礼読んだよ。 やあ、私の手法ではね、 > 要するに 回答としても書いたようにすでに死者の国を通り過ぎて来ているのだから 早くそのことに気づいて欲しいし 気づくようにしてやって欲しい。 最近これに手が届きそうなとこまで、追い詰めつつあってね。 死ぬなんて御免だ。 こういう形の開眼から、生きる自らの意思と言うのを自覚させようたという成り行きになりそうだ。 ただし、オカマの懇願がみっともなかったらその限りではない。 タコをどりを面白がっているが、悪党づらした私なりの親切は全うしているよ。

bragelonne
質問者

お礼

 そうだなぁ。  げんみつに言えば:  ★★ もうすぐ君はシアワセになれるよ。  ☆ これは 気休めに過ぎない。  気休めに過ぎないという意味は あしたになれば・・・ きっと明日には・・・という先延ばしをしているということ。  永遠に先延ばしになってしまうということ。  たとえば明日は明日の風が吹くというのは 明日に期待を置いているわけではない。そうではなく いまを思い切ったのである。  あるいは 《とき》が満ちるという自然史過程をさとったことである。  すなわち そのいま《シアワセになっている》ことである。  というより すでにシアワセになっているとさとることである。  また《悪党づらした》という言葉があるが これは ほんとうの悪党ではない。  ほんとうの悪党は わたしのように《ぶっきらぼう》がそれだ。何にも言わずに突き放すこと これだ。  あんたは 言ってみれば 介護士みたいにもろもろの細かいことでお世話をしている感じである。つまり 悪党ではない。  悪魔なるわたしなら その相手に 立って歩け! というところである。そう言って ほっぽり出す。  自分自身に自信をいだくのではなく ナゾのなにものかにお任せである。  ちょっときつかったかな。

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  • frau
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回答No.13

【Q:他人の言葉で 心が傷つくか? そうです。これが一度目の投稿ですが、 >四回カラミがあれば という意味だったのですね。 私はあなたがたてたスレッドの回数かなと思ったのですが。 このようにすれ違いがあたりまえなのが、言葉だけでのやりとりです。 ならば、言葉はより、丁重に扱わなければならんのではないでしょうか。 >一度ブロックされたのではないかと記憶しています。それを超えてでしたので 《いつも》という言葉になったのでしょう。 この文、よく分かりません。 ブロックされた記憶があるのがなぜ「いつもだと思った」ことにつながるのか。だから理論が破たんしていると言っているのです。コミュニケーションも同様です。 あと「ナラハシ」って何ですか?辞書でひいたのですが出てきません。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ブロックされた記憶があるのがなぜ「いつもだと思った」ことにつながるのか。  ☆ そのブロックのときの空白を超えて その前における投稿の過去とこの現在の投稿とがつながったというイメージを表わそうとしたものです。  ▼ (goo辞書:ならわし) ~~~~~~~~~~~  http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/165315/m0u/  ならわし〔ならはし〕【習わし/▽慣わし】  1 しきたり。習慣。風習。    「世間の―」「家の―」  2 習わせること。けいこ。    「舞―などは、里にていとようしたてて」〈源・少女〉  3 習慣づけること。しつけ。    「そよ。誰が―にかあらむ」〈源・澪標〉  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  • asisai888
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回答No.12

処方箋と認識論の関係について整理させてください この哲学カテで、一般的にみられる回答には我々が日常に用いる認識論が用いられてる 日常的問題ならば、日常の認識論を用いればいいが、日常の認識論に存在する前提が 成立するかどうか不明な問題に対しても日常の認識論で回答してしまっている このことを診断と呼び、処方箋を書いてないと呼び、認識論に留まると呼び、蛸壺と呼ぶ そして、不明な問題に対して、日常の認識論に存在する前提とは異なる前提を持つ認識論 による回答を処方箋と呼ぶ という解釈でいいですか? その上でbragelonneさんの主張は 不明な問題に対しては非日常の認識論の解答こそが解決法であり、日常の認識論での回答はダメだ ということなんでしょうか?

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  不明な問題に対しては非日常の認識論の解答こそが解決法であり、日常の認識論での回答はダメだ  ということなんでしょうか?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ そうですね。  ★ 日常の認識論での回答はダメだ  ☆ それだけではダメだ。と言おうとしています。そう問うています。  この OKwave における質問の設定にしろ回答の投稿にしろ なぜこれこれこうなのか? とか どうしてあれそれが無いのか? といった問題が取り上げられたなら 当然のごとくあたらしい規約や方式が考え出される場合もあり得ます。  あり得ないといった前提で考えるだけでは おかしい。こういった問題点です。煮詰めて言えば。

  • frau
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回答No.11

>そうでしたか。ぢゃあ 別のふらうさんだったかも知れません。 少しがっかりしました。少し変わっているとは思ってましたが、事実を歪曲する人ような人だとは思ってませんでしたので。こういう言い方は問題です。別のふらうとかなんとか言わず、素直に謝罪できないのですかね。例の質問以外での私の回答があるのでしたら提示してみてください。あなたへの回答はできるだけ避けてきたのですから。 >腕を上げて来たかと思ったら 何をどうあげてきたのかわかりませんが、あなたに評価されるいわれはありません。 >自由に批判をしてくればよいだけのことです と言いながら >あなたは 批判のような内容で しかも搦め手から攻めて来ています。 と言ってます。だから理論が破たんしているのです。 私は正攻法ですよ。あなたが記号という武器を使って逃げているだけです。つまり武装です。 >わたしには タブーはいっさいありません。 >これほど澄んだ透明の湖はないですよ。 ご自身のことが知りたければ「自己愛性人格障害」で検索してみてください。 >ぎゃくにあなたの心の中を投影しているすがたです。 でた(笑)自分のことが指摘され、それが的中するたびに必ず返す台詞w

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ☆☆ ぢゃあ 別のふらうさんだったかも知れません。  ☆ 次の投稿です。  【Q:他人の言葉で 心が傷つくか?】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8705015.html     投稿日時 - 2014-08-05  その回答No.10; 14; 21; 24  ☆ 四回カラミがあれば 慣れがあります。ただし 一度ブロックされたのではないかと記憶しています。それを超えてでしたので 《いつも》という言葉になったのでしょう。  ☆☆ 批判のような内容で しかも搦め手から攻めて来ています  ☆ 《のような》に意味があります。あとは 《趣旨説明欄》が 必ずしも明晰ではないということは当たっていますが そのとき挙げておられる論証とする参考文章は 当たっていません。だから 何とか遠回りして批判をしようとしている。というのが じっさいの内容でしょう。  あとの書き込みは だから《正攻法》には達していないということの例証です。  

  • asisai888
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回答No.10

>言いかえると ある程度の診断はしますが 処方箋は書かないというかたちを言います 処方箋ってなんですか? 認識論を用いた回答を診断と形容してることは分かります >世界をかくかくしかじかと認識しましたというそれぞれの意見 あと、この程度のことを認識論と言うなら、みんな認識論を用いて生活してますよ

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ あと、この程度のことを認識論と言うなら、みんな認識論を用いて生活してますよ  ☆ そうですよ。  つまり 日常生活じょうの反復性のある考えや振る舞いについては すでに得ている認識〔論〕でいいわけですし それとしてナラハシとなっているところの解決法としての処方箋もおおむね身に着けている。というわけです。  いつも起こる問題ではなく 想定外の問題や またいつもと同じような中身の場合でも情況や相手が違っているあらたな問題については それにふさわしい認識を得ようとしますし それに応じた処方箋を書こうとします。    すなわちこのようにあらたな別種の問題について 診断はおこなうけれどもその認識論にとどまっていて 必ずしも処方箋は書かない。解決法を見出そうとしない。――こういう問題が このカテでのやり取りには見られるのではないか? なぜそういうことをするのか? と問うています。  たとえば回答を寄せてもらっている《国家》の問題。  たいていは この国家が存在するという・またこれからも存続するという前提で 処方箋を考える。前提を疑わないし変えようとしない。ゆえに 処方箋は 二種のものがあることになる。  国家はいまのままだという前提で書く処方箋とそしてすでに国家はその形態を変えて行くであろうという想定を前提にした処方箋とです。  前者の解決法は 言わば同じことの繰り返しとしての日常性の延長線上に その処方箋を書くわけです。ほとんどは すでに得ている認識〔論〕の上にそうすることになります。  ですからこの場合も 認識論にとどまっているのではないか? という問いを発します。  言いかえると 処方箋は 現在の情況を大筋で大前提とするかたちでしか ふつう一般の人は書かない。書こうとしない。つまり 認識論のほうが重要であると思っている。これは 言ってみれば蛸壺人生になるのではないか?  あるいは国家という大きな繭をやはり前提としてその中にあってやっと考えをおしすすめる。――こういった《しゃべる蛸壺》に落ち入っていないか? と問うています。  蛸壺人生では ダメぢゃないか? とまで価値判断をして問うています。

  • frau
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回答No.9

>いつもご回答をありがとうございます。 bragelonneさんの質問に回答するのは2回目ですが。 あなたの文体はどちらかというと「ポエム」なのですよ。 >この靄(もや)の中でこそ みなさん 手さぐりしてみてください。 その靄を解釈するのが学問です。文学でも哲学でも美術でもそうです。だから解釈する人がいますし、その教えを学ぶ人がいます。でもあなたは一人でその二役をやっているのです。 「蛸壷」に象徴されるように、あなたが用いる言葉はすべて「記号」です。 記号を解釈するのを読み手に任せるのです。 >この靄(もや)の中でこそ みなさん 手さぐりしてみてください。 ということから、ご自身も自覚なされているのでしょうが。 実際、回答者によっては質問に「この解釈でよいか?」と確認してくるわけですが、読み手に解釈をさせるようでは失敗ということです。伝わらないならさらに簡単な言葉を選べばよい。その言葉の選択もひとつの能力です。でもまあここは哲学カテゴリですから、「わかりづらさ」も一興でしょう。哲学なんて簡単なことをいかに難しくするか、が哲学自体の命題だと思ってます。それでも「場」を考えるとあなたのやり方は少々くどい。 『読み手は想像力を働かせて書き手の意図と異なる解釈を導き出してしまうことがあります。』 『本来の意図を理解できる人はもともと書き手と同じ意見を持つ人か、論題の予備知識が豊富な人、推察能力に非常に長けた人に限定されます。もちろん異なる意見を持つ人に対する説得力は格段に低下します(それが本当に説得したい相手であるにも関わらず!)』 実際、あなたの質問のページはそうなっているわけです。 常連さんは「蛸壷」の意味を分かっているでしょう。「記号」ならば直接聞くか、またはやり取りの中で明らかにしていくしかない。でも一時的にやりとりする「通りすがり」ではなく、いつもの回答者に限定されていってますよね。 また、あなたはすべての回答に対して「否定」が基本です。 すべての解釈に対してほぼ「否定」するのに?(笑)「蛸壷」だって人によって解釈がそれぞれ違いますよね。しかしあなたは自分の持っているカードと同じものがでるまでは「正解」ではないんですよ。はたしてそれが「>あたまの体操」なのですか。言葉遊びというご意見もありますよね。しかし私には質問を利用しての言葉狩りにみえます。 そのように、書き手が記号を用いている以上、反論もいきどまりです。書き手は読み手を最初から拒んでいるからです。 自分の理論を発展させていくために回答を利用するのは結構ですが、相手がいる以上、書き手の責任も自覚なさらなければ回答(者)も限定されて多様性から離れた狭い世界になりますよ、ということを申し上げたかっただけです。 でもまあ、「わかりにくさ」を目的としているようなのははっきりました。 >後味もよいはずですし そんなこと本気で思ってます? 書き手と真剣に向かい合おう、質問や伝えたいことを理解したいと思う人ほど、靄に包まれたような文に対してそんなこと思わないはずです。

bragelonne
質問者

お礼

 ★ bragelonneさんの質問に回答するのは2回目ですが。  ☆ そうでしたか。ぢゃあ 別のふらうさんだったかも知れません。  ご回答をありがとうございます。  ★ でもあなたは一人でその二役をやっているのです。  ☆ いいえ。百役でもやりますよ。腕を上げて来たかと思ったら 人違いでしたか。  ★ 読み手  ☆ の問題は そんなにむつかしくありません。ただその人が 自由に批判をしてくればよいだけのことです。批判をしない・出来ないことにすべてのよくないことの原因があります。  むろん印象批評としては《批判》をしているかに見えます。しかもそのすべては けっきょく《おまえの母ちゃん 出べそ!》というたぐいの《批評眼の無さ》を歌にしてうたったものです。ここでの推移を七八年見て来ていますが いまだに変わっていません。  あなたは 批判のような内容で しかも搦め手から攻めて来ています。ずばり言って来てもいいですよ。わたしには タブーはいっさいありません。  ★ また、あなたはすべての回答に対して「否定」が基本です。  ☆ マチガイをただしいとは言えません。妥当性のあるものは 納得し賛同します。これほど澄んだ透明の湖はないですよ。    ★ 書き手は読み手を最初から拒んでいるからです。  ☆ これは ぎゃくにあなたの心の中を投影しているすがたです。  ★ 書き手と真剣に向かい合おう、質問や伝えたいことを理解したいと思う人ほど、靄に包まれたような文に対してそんなこと(《後味がよい》というそんなこと)思わないはずです。  ☆ ヒマラヤに登ったことがない。というだけの話です。高山病に罹る割り合いが 多いかも知れません。わたしの質疑応答は。  そうおっしゃりたいのとちゃいますか?

回答No.7

一つ気になったんだがね。 私が並べたはったりは、君にはタコ踊りに見えるかい。 それならそれで面白いからそう言ってくれ。 ちなみにそれでも私は反省しないのだが、あの連中のタコつぼは全くひどいと打ち明けてくれるなら、フムフムと今後の検証の参考にしよう。

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。  そうだなぁ。  たいがいは 死なら死といった一部分の言葉などに反応している。  そして確かに 何らかの蛸壺の中にいるかのようである。それを破らない。出て来ない。  もっとも蛸壺とも霧とも靄とも霞とも 本人は思っていないらしい。    だから まさにわたしのこの質問にもなっている。  だから このような応えをもって それぞれの回答者に言ってやるのが ふつうの応答である。    連中はそれぞれ 蛸踊りをやっているかにも見える。それを指摘してやるのがよい。  あんたは おもしろがって さらに踊らせようとする。  要するに 回答としても書いたようにすでに死者の国を通り過ぎて来ているのだから 早くそのことに気づいて欲しいし 気づくようにしてやって欲しい。

  • asisai888
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回答No.6

>こう思っているのですが どうでしょう? という問いです この問は成立しないと思います というのも認識論なんてほとんどの日本人は知らないからです なので日常で哲学を活用する以前の問題です 常識として認識論が知られており、かつ、認識論が日常で用いられていない状況でのみ この問は成立します

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ううんとですね。    たとえばここ(哲学カテ)で回答が寄せられていますが その内容は ほとんどみな《認識論》ですよ。  世界をかくかくしかじかと認識しましたというそれぞれの意見なわけです。  言いかえると ある程度の診断はしますが 処方箋は書かないというかたちを言います。  ですから  ★ というのも認識論なんてほとんどの日本人は知らないからです  ☆ というよりは 質疑応答のやり方が そのまま認識論を中心としているかたちだと言ってよいと思うのです。  ということだと思うんですが どうでしょう。

回答No.5

こんばんはです。 ☆ですからもし《蛸壺》から引っ張り出されるためであるとすれば むしろ《繭をつむぐこと》はもう要らないわけです。そうですよね? ◇ヤドカリのように、安全な場所である《蛸壺》に包まれた状態で《お祭り》に引っ張り出されるのであろうと。 この《蛸壺》状態を完全にブレークスルーするには、 《アイドル》を必要とし、 その《アイドル》に誘引される形ではあるけれど、 みずからの意志で《お祭り》に参加することが求められるのではないかと。 《アイドル》は、そのための装置にすぎません。 《アイドル》はみずから考えてはいけない。ただただ、与えられた役割を完璧に務めることのみが求められます。 そして、 このような《アイドル》だからこそ、媒介となることが可能であり、《蛸壺》間では没交渉であるにもかかわらず、この媒介を通じて《蛸壺》間の《交渉》が生まれる。 日本人のすべてがこうだと言っているのではありませんよ。 《蛸壺》状態の人同士でも、このような形の《交渉》が成立しうる、と言っているにすぎません。 しかし、我々は、程度の違いはあれ、《蛸壺》状態であることもまた事実です。 昔はどうだったか知りませんけれども、少なくとも現代の日本人は、他者やよそ者の干渉を極端に嫌います。 特に、外国人に日本の文化、伝統を貶されたりしたら、その外国人を絶対に許さない。 そして、「オレらのすることに、よそ者は口を挟むな、干渉するな。オレたちはオレたちの好きなように、オレたちの流儀でやるから、ほっといてくれ」 と蛸壺に引き籠もろうとします。 ですから、こういうデリケートな問題の場合、 外国人は日本人とともに《お祭り》をしなければならない。 ともに一度《バカ》にならないといけない。 そして、外国人が日本人と基本的に同じであること、同じになれることを示さないと、あるいは、そのような錯覚を与えないといけない。 でないと、日本人は《蛸壺》から出てこようとしない。 日本という《蛸壺》は、世界に類例がないほど、居心地がよく、安全な場所ですから。 しかし、 日本は現在、日本的現象である《アイドル》とその《お祭り》を世界にものすごい勢いで輸出しているので、 意外に早くこのような日が訪れるのかもしれない(笑い)。 ところで、 光る棒切れを何というのか知りませんが、《お祭り》に参加している国民は、一致団結し、協調して、乱れることなく、光る棒切れを振っています。 これは如何にも日本人らしい行動であり、現象だと思います。 あの動画を見る限り、《アイドル》を媒介し、《蛸壺》同士は協調し合うことが可能で、同時に結びつくことも可能のようです。 さらに、 《アイドル》のファンクラブという、《お祭り》の《社中》のような組織を作り、強固な結びつきを持つことができます。 しかし、このファンクラブや《社中》もまた《蛸壺》に過ぎないことだけは留意する必要があるのでしょうね。 どちらも基本的に自己完結した、外部に開かれることのない集団なので。 ~~~~~~  (こ) そこへ ヨセなる超歴史知性が登場します。スーパー歴史知性の登場とともに――わざわざまたまたお二階なる大きな繭を空(そら)いっぱいに幕のごとく張られてしまって やっぱりそして今度は 世の中全体が蛸壺の中に入ってしまった。アマテラスオホミカミの《冷たきこころ》がその霞のごとき幕であり繭であるかのようになってしまいました。《クウキ教 ないし 大いなるエーテル教》です。 ~~~~~~ になってはいけないんですよ。 《アイドル》は何も考えてはいけない。教えをたれる、神託のごときものをするなど言語同断です。《蛸壺》間のインタフェースであれば充分ですし、その役割に徹しないといけない。 《アイドル》を影で操るアマテラス市民など不要です。

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ん?  ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~  この《蛸壺》状態を完全にブレークスルーするには、  《アイドル》を必要とし、  その《アイドル》に誘引される形ではあるけれど、  みずからの意志で《お祭り》に参加することが求められるのではないかと。  ~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ここは 真反対の見方をします。  ○ ~~~~~~~~~~~~~~~  蛸壺状態を 手を変え品を変えて実は維持するためにこそ アイドルがあります。  次から次へあたらしいアイドルが出て来て欲しいというのは アマテラスお二階さんたち。  スサノヲ市民社会と言いますかそれぞれのムラにおいてのマツリではなく その S 圏とそして A 圏とを結ぶマツリゴトとしてのエーテルなる《紐帯》は ひとつに芸能界と人びととのつながりをつうじても保持される。  それでは いわゆる《革新》系のタレントだったら どうするのか?  まったく問題ありません。  日本エーテル教    ・総本山:ナショナルなシントウイズム(顔はほとんどない)  その支部として:  ・ 各地のムラムラのマツリ:シントウ  ・ 檀家制度:ブディズム各宗派    ・ 教会:クリスチアニズム  ・ 社民党 / 共産党:コミュニズム  ・ ・・・  というふうに成っているからです。いかにもフトコロが深いわけであります。  《無限抱擁》と呼ばれてもいます。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 日本教は あたかも天網恢恢疎にして漏らさずを地で行っています。  ◇ ~~~~~~~~~~~~  しかし、  日本は現在、日本的現象である《アイドル》とその《お祭り》を世界にものすごい勢いで輸出しているので、  意外に早くこのような日が訪れるのかもしれない(笑い)。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ タタミザシオン( tatamisation < 畳)ですね。これは ムラカミハルキ・ワールドが おもしろく読まれているからには ある程度分かる現象です。外国・特に欧米は 《理屈屋》であることに疲れている部分もあるのでしょう。その反動であるかも分かりません。  ◇ あの動画を見る限り、《アイドル》を媒介し、《蛸壺》同士は協調し合うことが可能で、同時に結びつくことも可能のようです。  ☆ いやぁ わたしはやはり反対を想像しますね。つまり 前回たしか ねこさんも《蛸壺からの一時的な脱出》と言っていませんでしたか?  つまり 人と人とのつながりは ふたたび繭の中へ入ってしまうのなら その《出エジプト》は まぼろしであったとなります。つまり 《アイドルを媒介し、蛸壺同士は協調し合うことが可能で、同時に結びつくことも可能のよう》だと見られることは 一時的なことであり やはりマボロシであろうと思われて来ます。  《イリ》なる歴史知性へと跳躍しなくてはならないと思われます。  なあんだ。同じ見解ぢゃないですか。:  ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~  しかし、このファンクラブや《社中》もまた《蛸壺》に過ぎないことだけは留意する必要があるのでしょうね。  どちらも基本的に自己完結した、外部に開かれることのない集団なので。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ という現実を知っても知らないふりをしなければいけないそうですね。  ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~  《アイドル》は何も考えてはいけない。教えをたれる、神託のごときものをするなど言語同断です。《蛸壺》間のインタフェースであれば充分ですし、その役割に徹しないといけない。  《アイドル》を影で操るアマテラス市民など不要です。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~   ☆ つまり  ◇ ともに一度《バカ》にならないといけない。  ☆ そして たぶん《蔭であやつる》アマテラス市民も公民も要らないほど 《大いなるエーテルがあたかも自生的だと思わせることに成功した日本教》にあっては まさに世界は《空気》なのです。  なぜクウキか? これは スサノヲ市民らが 《理屈屋》をさげすんでいるからです。《言挙げするのを 基本的にバカげたことだと思っている》からです。それに合わせて 敵も然る(猿)もの引っ掻く者で アマテラス族のえらいさんたちが考え出した統治策の基本なのでしょう。  忍法ステルス統治の術ですね。

  • frau
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回答No.4

何が釣ったのか釣られたのかわかりませんが、以下は一義的な質問です。 「蛸壷」という表現はご質問者の文を読んだことがない人にわかると思いますか? それは単語ならず、文体にも表れていますが。つまり質問としては一般向けへの発信ではないという認識ですが、そのようなスタンスなのですか?

bragelonne
質問者

お礼

 ふらうさん あらためまして こんばんは。  いつもご回答をありがとうございます。  ★ 以下は一義的な質問です。  ☆ はて? 何ぢゃいなと思ったんですけれど 意味がひとつに決まった表現であるといったことですか?  ★ 「蛸壷」という表現はご質問者の文を読んだことがない人にわかると思いますか?  ☆ なるほど。《質問者の文章を読んだことがない》場合には わかりづらい。ですね。    ★ それは単語ならず、文体にも表れていますが。つまり質問としては一般向けへの発信ではないという認識ですが、そのようなスタンスなのですか?  ☆ このようなスタンスになってしまっていますね。たしかに。この質問は。われに似合わず。  よくぞご指摘をしてくださいました。そのとおりです。  と納得したうえで さらにふと考えてみますと なぜこういうタトエを基調としたような・だから一般的には分かりにくい表現のままとしたか?   たぶん わたしの心の中のどこかに この靄(もや)の中でこそ みなさん 手さぐりしてみてください。といった気持ちがあったんぢゃないかと。  それでこそ この質問のキモもミソも 手に取るようにお分かりになる。はずですよと。  だから そう考えると われながらいいことを企画するもんだなぁと。  判じ物です。だからこそ あたまの体操になり またねこさんがしきりに使うところの《魂振り》にもなる。  じっくり味わってみてください。――こういう《ふかあーーい意図》があったみたいですよ。  これが わたしの文体です。後味もよいはずですし なにしろ《なぜ・どのように我れは いま・ここにいるのか? わたしは誰れだ? 何をしているのか?》なる問いにスパッと切れ味よく答えが出る。という寸法になっています。  そのために――この質問では―― 靄も霞も仕掛けられています。小道具といったところですかね。  さて 中身の問題は ちょうど直前で回答No.3としてねこさんが寄せてくれた《霞と靄の分析》をめぐってやり取りをしていますので そこを参照してみてください。おもしろいと思いますよ。  ふらうさん 腕を上げましたね。

回答No.3

こんにちは。 この質問には直接関係しないのかもしれませんが、 私は2、3日まえから《アイドル》について考えております。 偶像ではなく、若くてかわいい女の子のアイドルです。 で、至った一つの結論が、 《アイドル》は《球振り》の装置であり、シャーマンのごとき存在なのであろう。 その歴史は古く、《アメノウズメ》まで遡れるのではなかろうか、 です。 アマテラスは、岩戸に《引き籠もり》、《蛸壺》状態に至ります。 没交渉の状態に至ります。 そこで、アメノウズメがアイドル(ゆかたん)のように歌って踊ります。 《お祭り》が行なわれる。 http://www.dailymotion.com/video/x23x031_%E3%81%AE%E3%81%86%E3%82%8A%E3%82%93-%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%B9%E7%85%A7%E3%82%8Cphone-%E3%82%86%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%82%93_videogames ウメノウズメ一人が歌い、舞っても、《お祭り》(アイドルのコンサートやイベント)にはならない。 《魂振り》を行なうには、参加者一人一人の《囃(はや)し》、《コール》が必要なんです。 何だか外が騒がしいぞと、外に引っ張り出される。外に出ないまでも、岩戸(自身が立てた言戸)を少し開き、お祭りの様子をこっそりと覗きみようとする。 そして、知らず知らずのうちに、この熱狂に包まれ、 「ゆか! ゆか! ゆか! 超絶かわいい ゆかたん!!「ゆーかたん! ゆーかたん!」とともに絶叫するのでありましょう。 ここで《魂振り》が行なわれる。 これはアポロン・理性的なものではなく、ディオニュソス的喧騒であり、より深く生と結びついている。理性にとってはノイズのごときものかもしれません。 しかし、 この時、この《蛸壺》は、個ではなくアイドルを媒介として全体とつながり、《個》と《全体》が完全に溶け合った状態に至っているんでしょう。《全一》状態。 『ログ・ホライズン』の《てとら》(アイドルです)の言う通り、「(引き籠もりには)アイドルが不足している」のかもしれない♪♪ こうでも考えないと、日本的現象である《アイドル》とその《お祭り》は説明がつかない。 国民(というそうな)は 「着信0件 メッセなし 俺の携帯ゆか専用 俺とゆかたんコードレス!!!」 という《蛸壺》ですんで。 ☆ほとんどの日本人は 蛸壺が好きなようだと言いたいのですが。繭を紡ぐのが大好きなようだと。 ◇《アイドル》は、《蛸壺》が作る繭の一つですよ。 フィクションであり、虚構であり、妄想の権化です。 そして、《アイドル》はその役割を完全に果たす必要があります。 《アイドル》は、非日常(ハレ)的存在であり、日常性(ケ)を感じさせてはいけない。トイレに行くなんて思わせてはいけない。まして恋愛など論外!! 《アイドル》は人間でないので。 そして、この《繭》である《アイドル》とその《お祭り》があれば、 日本人は生きていけるし、その同一性を失わないのでしょう。 《蛸壺》を一時的に脱却できる。 究極のアイドルは、天皇なのでしょうけれどね。 天皇が災害の被災地に行く───儀式であり、神事です───だけで、被災者は慰められ、魂が振られる。 そして、その様子をTVなどで見た多くの国民は《蛸壺》状態を脱し、「(あの人たちのために)何とかしなければ」と奮い立つ。 みたいなことを、 日本的現象である《アイドル》とその《お祭り》について考えております。

bragelonne
質問者

お礼

 ◇ ~~~~~~~~~~~~  そして、この《繭》である《アイドル》とその《お祭り》があれば、  日本人は生きていけるし、その同一性を失わないのでしょう。  《蛸壺》を一時的に脱却できる。  ~~~~~~~~~~~~~   ☆ ここで引っかかりがありました。初めから読み継いで来て。  こんばんは。ご回答をありがとうございます。  俳優は わざをき(業・技‐招き)ですからね。  《魂振り》としてのように まづは《われに還らしめられる》。そういうワザが降りて来る。  《藝能》というのは 初めにはむしろ《学問》のことを言っていたとか。(これは 確かめていません。ちょっと読んだものですから)。  ですからもし《蛸壺》から引っ張り出されるためであるとすれば むしろ《繭をつむぐこと》はもう要らないわけです。そうですよね?  繭から繭へ というようなことになってはダメぢゃないですか。  という引っかかりが起きると だいたい全体が読めて来ます。    (あ) アマテラスオホミカミが天の岩屋戸に閉じ籠もったのは その原因が問題です。弟のスサノヲの心をうたがったし それが晴らされたあとにも口を利かなかった。完全に無視した。こういう問題です。《無関心》が心の死です。  (い) つまりそのアマテラス自身の心が むしろ自分自身によって閉じ籠もってしまっていたのですから からだが岩屋戸から抜け出したとしても 一向に事態は変わりません。まぁ 魂振りとして・ひとつの段階として ひとまづ《みんなのいるところ》に顔を出したという効果はあるのかも知れませんが。  (う) ですから 物語の語るところにもとづく限りで まだ《蛸壺》から《繭》へのお移りでしかないと考えられます。  (え) 《ゆかたん》つまりアイドルないしアメノウズメつまりワザヲキですが たぶんそれはやはり《ヨリ(憑依)》なる心性に根を下ろしたような知性をベースにしているのであって いかにデュオニソスの乱舞による魂振りでも このヨリなる原始心性としての《われに還る》という問題に収まると思われるのです。  (お) 言いかえると ヨリなる前(プロト)歴史知性の場合には やはり《蛸壺から繭の中へ》というごとく別の観覧車へ移る。だけではないかとなります。  (か) ゴンドラを乗り換えただけではないか。アマテラスのその凍りついた心は。広場に出て来ても 雲の上の神隠れか神隠しかにしてもです。  (き) ほんものの《ゆかたん》ないしアメノウズメならば――ということは すでにヨリ原始心性からイリ歴史知性に衣替えしているのなら―― みんなといっしょに余興もお祭りをもおこなってもよいのだけれど それは やはり《頓悟》でなくては 蛸壺も繭をも抜け出せないと知ってのことだと考えられます。  (く) 即身成仏。即得往生です。それゆえにワザを招くのだからです。  (け) それにお祭りは その年の初穂を神にささげて あとは神との共食を みんなでおこないます。感謝祭でもあるのだと思いますが そのあとです むしろどんちゃん騒ぎは。すでに繭をつむぎつづける世界――かのムラカミハルキ・ワールドがちょうどピッタリ当てはまると見るのですが――から足を洗ったあとでこそ イリ知性たちの祭りは始まります。  これは アポローンとデュオニソスとのむしろ合体です。  ただしこのお話はまだ終わりません。  (こ) そこへ ヨセなる超歴史知性が登場します。スーパー歴史知性の登場とともに――わざわざまたまたお二階なる大きな繭を空(そら)いっぱいに幕のごとく張られてしまって やっぱりそして今度は 世の中全体が蛸壺の中に入ってしまった。アマテラスオホミカミの《冷たきこころ》がその霞のごとき幕であり繭であるかのようになってしまいました。《クウキ教 ないし 大いなるエーテル教》です。  (さ) ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~  そして、知らず知らずのうちに、この熱狂に包まれ、   「ゆか! ゆか! ゆか! 超絶かわいい ゆかたん!!   「ゆーかたん! ゆーかたん!」  とともに絶叫するのでありましょう。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (し) こうだとすれば この魂振りは むしろ何とかこのエーテル教のお祭り(つまり マツリゴト)をほめそやそうとするのが目的であって その中で ゆかたんはこう語りかけます。   お兄さんたち! あらたないのちを得てください。   みんなが一人ひとり 《りっぱな蚕に成ってね!》  というわけで 蚕と繭の拡大再生産へと囃し立てられることになります。  (す) このエーテルの祭典では:   ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~  この時、この《蛸壺》は、個ではなくアイドルを媒介として全体とつながり、《個》と《全体》が完全に溶け合った状態に至っているんでしょう。《全一》状態。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~    (せ) ◇ ~~~~~~~~~~~~  こうでも考えないと、日本的現象である《アイドル》とその《お祭り》は説明がつかない。  国民(というそうな)は  「着信0件 メッセなし  俺の携帯ゆか専用  俺とゆかたんコードレス!!!」  という《蛸壺》ですんで。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~   ☆ いまの若い人たちは そんなに孤独なんですか? AKB って あっかんべええ! という意味ですか?  (そ) ◇ ~~~~~~~~~~~~  《アイドル》は、《蛸壺》が作る繭の一つですよ。  フィクションであり、虚構であり、妄想の権化です。  そして、《アイドル》はその役割を完全に果たす必要があります。  《アイドル》は、非日常(ハレ)的存在であり、日常性(ケ)を感じさせてはいけない。トイレに行くなんて思わせてはいけない。まして恋愛など論外!!  《アイドル》は人間でないので。  そして、この《繭》である《アイドル》とその《お祭り》があれば、  日本人は生きていけるし、その同一性を失わないのでしょう。  《蛸壺》を一時的に脱却できる。  究極のアイドルは、天皇なのでしょうけれどね。  天皇が災害の被災地に行く───儀式であり、神事です───だけで、被災者は慰められ、魂が振られる。  そして、その様子をTVなどで見た多くの国民は《蛸壺》状態を脱し、「(あの人たちのために)何とかしなければ」と奮い立つ。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  おあとがよろしいようで。

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