• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:偶然と必然と。 偶然はあるの?)

偶然と必然、あるべき答えは?

このQ&Aのポイント
  • 偶然と必然の違いについて考えてみます。偶然とは何か、必然とは何か、その定義や意味を探ります。
  • 偶然と必然を分ける要素は、因果関係の有無と予測可能性の有無だと言われています。しかし、現実世界には因果関係の複雑さや情報の不足により、予測ができない現象が存在する可能性もあります。
  • 人間が感じる世界の現象には偶然が存在するのか、それとも偶然と感じているだけなのか、疑問を持ちながらも答えは明確ではありません。私たちはまだ知識や情報が限られており、完全な予測ができないため、偶然と感じることが多いのかもしれません。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • larme001
  • ベストアンサー率44% (271/608)
回答No.45

 回答が多すぎてすべて把握できていないのですが、自分の勝手な意見を述べます。  まず第一に、我々は物事の「因果関係」を判断するうえで「時間軸」というのもを避け実測することが不可能という点があります。ただ、残念ながらこの時間というものの様々な解釈はされていますが、結局のこところ実態ははっきりとはわかっていません。あえて言うなら多次元ワールドだとか、重ね合わせで存在するとか色々な例がありますが、いずれにせよすべての条件を全く同じ状態である現象を再現することは不可能である以上、極論を言えばすべての現象に関するすべての要素の影響が皆無として必然性を示すことは不可能、ということになります。ゆえに必然といえる現象はすべて「偶然」であるとしか言えません。これが最も顕著な例を挙げれば人間の発生とか生命現象の基本原理の有無とかそういうものになるでしょう。だから、一般的には、還元的にAというものとBというものが起こればCが言える、というこが一定回数似たような条件下(すくなくとも”無視”できるとする条件下で)、それが統計学的な”偶然性”をも超えた意義があときにその因果関係が結ばれるわけです。と、当然それに対して常に観測さえればそれはAとBがある状態ではCがおこる”ハズ”となります。が、これはあくまで「思考上」の存在定義ですので、完全な直角とか、完全な球が存在するかしないかという議論と同程度の議論になるでしょう。  因果関係を議論するうえで、必然を問うのに重要になるのは基本的な物理学的な原理、たとえばエネルギー保存則とあ、あるいは情報理論などの情報量の概念にもなると思います。どんなに複雑な変化であってもはじめとその後の変化が境界において満たされるはずというのは、”概念”ですが、それをさかのぼればこういう変化が「必然的に起こる」としてもよいといえるでしょう。同様にいえば、生物が受精卵から個体までを形成するのだって、明らかな異常が起きない限り多くの場合は体が自己組織化していく様子は今の地球の環境下では「必然」の変化と言っていいかもしれませんが、その構成要素のなにが必然なのかというのを定義するのは難しいですし、それまでには多くのノイズが含まれています。ただ、情報量の考え方をするならば個体が大人になるまでに「情報」というものが規定できるはずで、それを具体的には言わなくてもある一定の範囲の環境要因が満たされればその個体はある一定の範囲内での個体までを形成する「必然性」を持っているということが言えるでしょうし、偶然とは言い切れないでしょう。 >この世に因果関係と無縁に存在するものはあるのだろうか?  ある現象が発生するための因果関係があまりに複雑で、また、同時に、我々の得られる情報があまりに少な く、その現象の発生を予見できないものを、  単に偶然と呼んでいるのに過ぎないのではないか?  世の中におこるすべてのものは因果関係があるはずということが真であるとして、偶然であっても予測可能かどうかを議論することはいわゆる「複雑系」という分野として一部取り上げられています。ただし、現実的にこれが何か大発見につながったのかどうかというと、まだ未発達な部分も多いので、結局限定された”何か”を一定の範囲内で示唆させるようなデータをとったに過ぎないような分野とも思います。が、コンピュータの技術が上昇すればより複雑なことができて、あらゆるノイジーな影響というものがひょうか可能かもしれませんね。  

NemurinekoNya
質問者

お礼

こんにちは。 自然科学は因果律を前提として構成されていますので、宿命的にこの因果律から抜け出せない。 そういう理論構成ですから。 回答、ありがとうございました。

その他の回答 (49)

回答No.9

私の出る幕では有りませんが..... 感想を一言。 偶然は理屈を通さず、必然は理屈を通して。 こう思いました。

NemurinekoNya
質問者

お礼

こんばんはです。 ☆偶然は理屈を通さず、必然は理屈を通して。 ◇なるほど。 私はなにぶん屁理屈をコネコネしないと納得できない性分なのもので。 小さな子供のころから、屁理屈をコネコネし、周囲の大人(両親・祖父母は除く)から「子供のくせに可愛げがない」などと言われ続けてきました。 回答、ありがとうございました。

noname#221368
noname#221368
回答No.8

 単純に、あなたの意見に賛成です。  ・・・という訳で、いきなり余談になります。  斜面崩壊事故というのは厄介です。特にヒト死にが出た場合、たいがい事故調査委員会が立ち上がります(非公開の時もありますが)。事故調査委員会は、事故に関連した役所のブレイン集団と、たいがいは有識者として大学教授達がメンバーになります。これが表向きの顔ですが、裏には事務局があります。事務局のメンバーは、事故に関連した仕事に詳しい民間業者のグループが、役所からの発注を受け(多くはコネで)、請け負います。事務局は委員会の会場設営から、委員会報告書の叩き台の草稿まで、実質的な実務活動全てを行います。  ところで死亡事故の場合、役所は責任を取りたくないので予測不可能だったと言いたい。一方で大学教授の方は、呼ばれたからには何らかの結論を出したい。ところがそれでは予測可能になってしまう。 教授:「事後の調査結果に基づきFEM(有限要素法)で斜面解析を行った結果、崩壊メカニズムは、こうでこうでこうだ!」 教授:「理屈で後追いできる以上、事前予想は原理的には可能だったと言わざる得ない」 役所:「しかしそれは、事後調査で崩れた斜面の断面を見れたから、出せた結果じゃないですか・・・」 役所:「斜面の断面を見るために、斜面を崩す訳にはいかないんだから」 役所:「事前に出来るのはせいぜい数本のボーリング調査で、その結果からは工事マニュアルに基づき安全だった」 役所:「だいたいあなた、その工事マニュアルを作った人でしょう」 教授:「責任転嫁する気か?。原理的には可能なんだから数本のボーリング調査でも、その結果を真摯に精査しなかったから、こうなったのだ!」 役所:「じゃあ、その数本のボーリング結果から、同じFEM結果を出せたんですか?」 教授:「・・・それは難しいが、原理的に可能な以上、何か方法はあったはずだ」 役所:「だからFEM解析なんて役立たずだっていうんだ!」 教授:「なに~っ!。そこまで言うなら、岩盤斜面のCT画像を持ってこい!」 教授:「一ミクロンと違わぬ結果を出してやる!」  ・・・と、両者はこちらを振り向きます。  「事務局、何とかしろ~っ!」  こうして事務局には、眠れぬ日々が続くのです・・・(^^;)。  役所と教授の掛け合いは99%冗談ですが、教授の最後の二言だけは実話です。そしてそれは真実です。  アメリカのアリゾナ砂漠(だったかな)に古い炭鉱がありまして、深さkmオーダーの坑道を掘ったという事です。現在は廃鉱なので、切り端の向こうには炭層はありません。その周囲は100km×100km×深さ数kmの岩盤の一枚岩という事です。  つまり理想的に完璧な等方一様弾性体とみなせます。そんな場所で切り端の向こうに炭層はないと想定して、試掘を行ったのですが、その際に坑道の変形を予想するために、「切り端の向こうは完璧な等方一様弾性体」と仮定したFEM解析を行ったところ、予想と実測は少なくともmmオーダーで一致したそうです。  FEMはそれくらい完成された計算方法です。  しかし日本の地層では、断層はあるは褶曲はあるは、破砕帯はあるは地層は10数個積み重なるは、流れ盤亀裂はいたるところに走り・・・と、「CT画像を持ってこい!」状態になります(^^;)。  必要なデータさえ手に入ったら、たぶん大部分は予想可能で必然なんですよ。でも必要十分なデータを調査する方法を我々は持っていません。だから偶然っぽく(?)見える(^^;)。  エッ?、量子効果があるから100%の予想は無理だって?。  そこはネコさんと同じく、99.9%って事で・・・(^^;)。

NemurinekoNya
質問者

お礼

一つ穴のムジナ、理系人同士だから、話が早い(笑い)。 ですが、 ddt^3さんは(非線形の)数値計算に詳しいから、カオス理論のバタフライ効果を例に、初期的状態のわずかな違いが積もり積もって最終的にとんでもない結果をもたらすことがある、なんて言い出すんじゃないかと、内心ヒヤヒヤしておりました。 これに対する返答は用意できていない(ポリポリ)。 昨日、眠り前にふと浮かんだ疑問なので…。 と言いつつ、この疑問は、漠然と、心の中でずっと抱きつづけていたんですけれど、他の方がなさった質問の回答で偶然と必然に関する話が出ていたので、 いい機会だから質問しちゃおうと考え、質問しちゃいました。 ~~~~~~~  つまり理想的に完璧な等方一様弾性体とみなせます。そんな場所で切り端の向こうに炭層はないと想定して、試掘を行ったのですが、その際に坑道の変形を予想するために、「切り端の向こうは完璧な等方一様弾性体」と仮定したFEM解析を行ったところ、予想と実測は少なくともmmオーダーで一致したそうです。 ~~~~~~~ これは驚き!! 岩盤が破壊するような場合は、岩盤の局所的な違いや非線形性が問題になるでしょうから、そんなに簡単にはいかないのでしょうけれど、ただただ凄いなというのが実感です。 に比べると、流体力学の数値計算はだいぶ遅れているな。 相手が相手だから、ということもありますけれども。 ☆必要なデータさえ手に入ったら、たぶん大部分は予想可能で必然なんですよ。でも必要十分なデータを調査する方法を我々は持っていません。だから偶然っぽく(?)見える(^^;)。 ◇天気予報ですら、かなりの精度で予想できるようになってきていますからね。 国がスパコン作りに「もっともっと」お金を出してくれさえすれば、もっと高い確率であたる、しかもキメの細かい天気予報を行えるようになる。 使いもしない港や道路に金を出すのならば、スパコン作りに金を出してくれ~!! 回答、ありがとうございました。

  • koiprin
  • ベストアンサー率23% (72/306)
回答No.7

wikipediaの『因果』より 釈迦は、原因だけでは結果は生じないとし、直接的要因(因)と間接的要因(縁)の両方がそろった(因縁和合)ときに結果はもたらされるとする(因縁果)。そこで、縁起と呼ぶ法によってすべての事象が生じており、「結果」も「原因」も、そのまま別の縁となって、現実はすべての事象が相依相関して成立しているとする。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E6%9E%9C ということで、すべて要因があったらこその結果であるので、因果関係と無縁のものはありません。 だから、すべての要因を理解できていれば、すべて必然ということになります。 ただそもそも『偶』というのは、「まれであること。めったにないこと。また、そのさま。」という意味を持ちますので、まさに述べられている通り、めったにないので(知識と情報の欠如のために、そして、計算能力の低さのために)考えもしなかった時に使うということが前提の言葉です。 必然は、そうなって当然だということですので、計算できる範囲のことに使います。 ですから、「何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。また、そのさま。」という辞書に誤りがあります。 wikipediaの『偶然』においても、 因果関係がないとは述べられていません。必然性の欠如=予測できなかったということが偶然だと述べられています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%B6%E7%84%B6 実際世の中は、今の我々のレベルでは計算できないことだらけですから、割合としては偶然おこる出来事のほうが多くなるということになります。 お互いが矛盾する存在ではないわけです。 つまり、必然と偶然を分けるものは、 1の因果関係のあるなしは含まれておらず、  2 予測可能か、いなか の1点にある。と言えます。 ちなみにwikipediaの『偶然』の中には、この質問の考え方は「決定論」という学説として紹介されています。 質問者の見られたネットの辞書に誤りがあったのであれば、前提に錯誤があるので、こういった流れになるのは必然ですね。

NemurinekoNya
質問者

お礼

こんばんは。 ネットの辞書にある因果関係は、古典物理学的な「原因から確定的で、一意的な結果が生まれる」という意味くらいなのだろう、と思います。 古典的な決定論のことを言っているのだろう、と考えています。 そして、ここで言っている原因とは、初期条件や境界条件くらいの意味に過ぎません。 また、個人的には、物理でいう因果関係と仏教の因縁生起の考え方は似ていると思っています。 質点系などは、まさしく相依相関していますので。 回答、ありがとうございました。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.6

それは「考え方」によるとおもいます。世に起こったことはいずれひとつしかなかったし、今後もそうだと思いますが、未来のことについての出来事がその考えによって100%予見できる時代がいずれ来るだろうと思っているひとは皆無だろうと思いますよ。確かに人間は精緻な科学文明を積み重ね、このたびもH2A26号を成功させました。このことは「決定論的未来」をまたひとつ前進させたと考えてもいいかと思います。 しかし、これはただひとえに人間の技術の成果なのであって、その他のこまごまな日常が、未来においてわれわれの行く末すべてがすでに100%決められているという、自由意志も夢も希望も否定された窮屈きわまりない考えが、果たして何を生むのでしょうか。未来は分からない、という不安と楽しみの交差する不確かな気分の中に人間生活の面白みもあるのではありますまいか。偶然がなくなればギャンブラーは皆廃業してしまいますし、プロスポーツ選手はギムで中年女性がやせるための講習をするトレーナだけが職場になってしまいます。 ラプラスの魔はせめてH2A27号機はやぶさ2の成功や、ひまわりによる台風の進路予測やアベノミクスの成功くらいの範囲にとどめておいてほしいと私は願っています。

NemurinekoNya
質問者

お礼

こんばんは。 ☆今後もそうだと思いますが、未来のことについての出来事がその考えによって100%予見できる時代がいずれ来るだろうと思っているひとは皆無だろうと思いますよ。 ◇何から何まで予見可能になるなどとは、毛頭、考えておりません。 技術的な理由からその計算が実際できるかどうかは別にして、 ただ、我々が五感で感じる事象・現象くらいは、原理的に計算可能ということが証明されるかもしれない、 などという虫のよい、淡い期待を抱いております。 ☆しかし、これはただひとえに人間の技術の成果なのであって、その他のこまごまな日常が、未来においてわれわれの行く末すべてがすでに100%決められているという、自由意志も夢も希望も否定された窮屈きわまりない考えが、果たして何を生むのでしょうか。 ◇人工知能の研究者の中には、「無機的な素材から出来上がっている人工知能に、人間の心のような《心》が芽生える日が来るかもしれない」という夢のような話をする人もいます。 これに対して、「有機体にでなければ、心は発生しない」と反論する人もいます。 もし、人工知能に人間の心のような《心》が発生したら、人間に自由意志なんてあるのだろうか。 これもわからない。 ですが、私は「いつの日か人工知能に心が発生したらいいな」と願う一人です。 回答、ありがとうございました。

回答No.5

何事も普通にシンプルに考えるべきですね。 普通にシンプルに説明できないことは、およそ間違い。 例えば、サイコロを振った場合に7ではなくて1から6の目が出るのは必然。 必然:サイコロを振れば1から6の目が出る。 だが、この必然も、1が出るのか、2になるのか?それは、予測不能。つまり、実際にどの目が出るのかは偶然に支配されている。 偶然:必然が現出する際に不可欠な媒介。 このように、いかなる必然も偶然を媒介にしないと出現できない。 必然と偶然との関係は、このように普通にシンプルに理解すると判りやすい。 と、思いますよ。

NemurinekoNya
質問者

お礼

☆必然と偶然との関係は、このように普通にシンプルに理解すると判りやすい。 ◇根が理系人なもので、 曖昧のままだと、居心地が悪いといいますか、気持ちが悪い。 性分的に、 難しい方へ、複雑な方へ考えが向かってしまいます。 回答、ありがとうございました。

回答No.4

>偶然って何ですか? 人間が因果関係を(確率過程を含めて)理解していない事象を偶然という。 >必然(性)とは何ですか? 人間が因果関係を(確率過程を含めて)理解している事象を必然という。 ってことですが、そうすると、次なる疑問は自然界に関する人間の理解が進んで行くと、偶然が減少して、(確率過程を含めて)必然が増えてくるということになるが、で、人間の自然に関する理解が極限にまで高まった時代において、偶然が無くなるのか、ということになるニャ。 でも、その答えはまだない。(「吾輩は猫である」の主人公の独白)

NemurinekoNya
質問者

お礼

こんばんは。 ☆ってことですが、そうすると、次なる疑問は自然界に関する人間の理解が進んで行くと、偶然が減少して、(確率過程を含めて)必然が増えてくるということになるが、で、人間の自然に関する理解が極限にまで高まった時代において、偶然が無くなるのか、ということになるニャ。 ◇おっしゃるとおり、最後はこの問題になります。 そして、「この答えは誰も持っていない」のだと思います。 このことが分かるかどうかも分からないのかもしれないですね。 不確定原理で有名なハイゼンベルクは、死ぬ前に、 「天国で神様に会えたら、乱流について質問するんだ。でも、神様も答えを持っていないかもしれない」 と言ったとか言わなかったとか。  ───エピソードとして伝えられている─── 回答、ありがとうございました。

noname#246942
noname#246942
回答No.3

それが必然だったか?偶然だったか? その答えの大半は、全て「後付け」によって決まる事でもある。 今と言う現時点から、これから先の未来を予想する事は、今の自分に考えられる全ての「可能性」を広げる事に限られるだろう。 しかし、人が通る道は、現時点で常に「一つしか無い」のだ。 分かるだろうか? 一人の人間が、どれだけ大量の知識や情報を持っていようとも、他人の頭の中までは、その力は到底及ぶものではない。 犯罪、事故、災害、病気。 どれを取っても、偶然であり、また必然的な事だったのかも知れない。 偶然であれば防げなかった。 必然であれば防げた。 そもそも、本来、これはイコールで結ばれるべき答えになり得る事なのだろうか? No,1さんが、「観測点の問題だと思う」と言っていたが、それも最もである。 サイコロには、元々1~6までの数字があるのだから、1が出る事は、むしろ必然を通り越して、当然の事でもあるだろう。 しかし、ここでもし、「7」の目が出たとしたら、それは「偶然」と言うのだろうか? 『そんな事、あり得る訳が無い』と思いながら、人は日々、世の中の常識と知識に翻弄されて生きているのだ。 むしろ、「そんな情報や知識、常識が何も無かった」のであれば、「それも必然」と思えたかも知れなかったと言うのに。 そういう意味では、「必然性の欠如をもって偶然と呼ぶ」と言う説明は、一番正解に近いのだろう。 しかし一方で、知識や常識が、「可能性を狭める」と言う事は、よくある事でもある。

NemurinekoNya
質問者

お礼

こんばんは。 ☆分かるだろうか? ◇これは、私にでしょうか。 おそらく理解できていると思いますが…。 ☆しかし、ここでもし、「7」の目が出たとしたら、それは「偶然」と言うのだろうか? ◇これは、起こり得ないことが起きたので、《奇蹟》というのではないでしょうか。 回答、ありがとうございました。

回答No.2

マクスウェルの悪魔 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%82%AA%E9%AD%94 まずは、マクスウェルの悪魔に関する議論も確認してみてください。 >人間が実際に五感で感じ、生きる世界の現象に偶然などありうるのだろうか? われわれの生きる世界がマクロ系であったとして、そこで観測した情報を記憶するには大量のメモリが必要です。 メモリを維持・更新する費用(エントロピーの増大)や時間に伴い増大するメモリ素子の消費をどのようにして調達できるのでしょうか? 情報と演算装置がなければ予見はできません。 観測素子の能力の他にも多くの問題を抱えているはずですよね。 いずれにしろ、人間の能力を超えた部分を偶然とするのが一般的でしょう。 もう一つは、観測する主体を「人間」としていますが、人間は一人ではありません。 人間同士のコミュニケーションも予測を困難にする大きな要因です。 なぜなら、人間は自分に不利な情報が極力提供しないですからね。 人間同士なんて予測困難ですから、人間の出会いは一期一会だと思いますよ。

NemurinekoNya
質問者

お礼

こんばんは。 一応、これでも理系出身なので、マクスウェルの悪魔を知っています。 Wikipediaのマクスウェルの悪魔の記事もかなり前に読みました。 このリンク先を貼り付けた回答を過去に送った記憶があります。 物理カテの質問だったと思うのですが…。 回答、ありがとうございました。

  • askaaska
  • ベストアンサー率35% (1455/4149)
回答No.1

観測点の問題だと思うわ 例えばサイコロを振ったら1が出た これは偶然? でも振るまえのサイコロの状態、振る際の腕の振り、空気の流れ などなど そういうのを計算すれば1が出るのは必然 この世界の事象を全て計算して導き出せば 全ての事象は必然・・・ でもその事象を見た人にとっては そんな計算を知らないし、物事の関係性も分からなければ やっぱりその事象は偶然でしかないの おなじ事象でも 人にとっては必然なのだけど 人にとっては偶然に思える そういうことじゃないかしらね

NemurinekoNya
質問者

お礼

こんばんは。 ~~~~~~ おなじ事象でも 人(Aさん)にとっては必然なのだけど 人(Bさん)にとっては偶然に思える そういうことじゃないかしらね ~~~~~~ これは、 AさんとBさんの「必然」と「偶然」の意味やこの言葉の意味する内容が異なっている、 ということなのではないでしょうか。 であるとすれば、 両立は可能ですよね。 回答、ありがとうございました。

関連するQ&A